第14話 紅茶より熱く、ケーキよりも甘く
そこから数週間。拙者はメラゴ殿から運動指導を、キティリア殿からは柔軟と食事指導を受けつつ生活改善に挑んでいた。はい、そうして出来上がったのがこちらのガチムチマッチョです。
「むんっ! ……はあ、まだまだでござるな」
筋トレのフォーム確認のため買ってきた鏡に映るのは、相変わらずのぷにょヲタクの残念な姿。やたら時間のないお料理番組みたいに、すぐに完成状態をお見せできればよかったのでござるが。
「うう、なんという強敵……」
人間の体はどうにも複雑で、一度ついた肉はなかなか落とせない。魔界にいた頃など、適当にごろごろしていてもマッチョぼでぃを保てたのに。いや、向こうには悪魔的に美味なお菓子なぞなかったからかもしれない――普通の悪魔はいたでござるが。
『らーぶらぶらぶらぶ♡ きめーるよー、ぷりてぃ☆だーいしゃーりんー』
「どわぁっ!?」
スマホから大音量で流れはじめたコール音。拙者は飛び上がりつつ、作業用モニタの脇でぶるぶると震えるスマホの元へ向かった。連絡はほぼSNS上で完結する時代、個人用端末に着信とは珍しい。もしや昨日コンビニでポテチの誘惑と戦っていた姿を、鬼コーチのどちらかに見られていたのでは。
『着信:花月カノン』
「!」
美しい桜のアイコンと共に表示されている名を目にし、拙者はスマホを取り落としそうになった。震える指で緑の受話ボタンをタップし、応答する。
「は、はい。
『あっ、あの、花月です! 急にすみません』
電子音声となってもなお、透き通るようなお声。拙者は意味もなく部屋の中をウォーキングしながら、その興奮した声に聞き入った。
『作っていただいたMVの公開ページ、見ました! ありがとうございます』
「それはよかったでござる」
『っきゃ!』
「花月殿!?」
がしゃっと音が響き、音声が飛ぶ。おろおろながら待つしかなかった拙者の耳に、いたた、と小さな声が届いた。
『すみません、転びました』
「歩きスマホは危のうございますぞ」
『ごめんなさい。でも、もう誰か観てくれたみたいなんです! 私、それを伝えたくて』
「左様でしたか。確認しまする。立ち止まって、しばしお待ちを」
『はい!』
嬉しそうな声音に癒されつつ、拙者は作業用マウスを握る。動画ファイル自体は今日もずっとエンドレスリピートさせていたが、開いたのは世界的に有名な動画投稿サイトでござった。
「どれどれ……」
投稿したのは昨夜。満足感で寝落ちした拙者は、先ほどようやく朝のトレーニングを終えたばかり。再生回数を確認するのは初でござる。
『動画の下の数字が再生された数ですよね? 2Kです! これ、二回も観てくれたってことですよね!? 嬉しい』
スマホの向こうで大はしゃぎしている歌姫の様子をしばし堪能したあと、拙者はとうとう堪えきれなくなって吹き出した。
「花月殿。Kというのはネット世界でも、千を意味するカウント表記でござる」
『へっ?』
「つまりこの動画は、すでに二千回再生されているのでござるよ。順調な滑り出し、おめでとうございまする」
静寂。もしや通話が切れてしまったのかと拙者は慌てて画面を見た。いや、ちゃんと繋がっているでござる。もう一度呼びかけるつもりでスマホを耳に当てると、反対の方角からピーンポーンと気の抜けた音が鳴った。む、なにか荷物頼んでいたでござるかな。
「花月殿、しばしお待ちいただいて問題ござらんか? 何やら訪ね人が」
『私ですっ! 突然すみません、お家合ってましたか?』
「!?」
その言葉を耳にし、拙者は部屋の隅にあるインターホンの画面に飛びつく。カメラをオンにしてみると、丸い世界の中に黒髪美女の姿が映し出されていた。
「かか、花月殿!? いらしてくださったのでござるか」
確かに拙者が「素材」を妙なことに使用しないと誓う証として、アパートの住所は伝えてあった。偶然にも花月殿のマンションからもそう遠くはないと聞いていたが、ただ散歩のついでに訪れたというわけではなかろう。
『あの、MVがあまりにも素敵で、その、すごいもの作っていただいたのに私……何もお礼できていないと思って』
「それは光栄にござる。しかし前にもお伝えし申したが、金銭はお受け取りできませぬぞ」
この制作は純粋に、拙者がやりたくてやったこと。メッセージでの打ち合わせ中にも何度かこの件は話したが、その度に花月殿は戸惑った反応をしていた。しかし玄関先の彼女は、白い紙袋を持ち上げて微笑む。
『はい、そこはもう折れました。でもケーキを一緒に食べるくらいは、大丈夫ですよね?』
「!」
『朝イチ並んで買わないと売り切れてしまう、人気のケーキです。よかったら……一緒に完成お祝い、しませんか?』
この提案にはさすがに完敗でござった。拙者はインターホンに向かって叫ぶ。
「さ、三十五秒で支度するでござる!!」
『ふふ、いくらでも待つのに』
幸いカラダ作りをはじめてから菓子類を絶っていたので、空いた袋や食べカスを踏む心配はない。花月殿にとってはトラップになるだろうダンベルをクローゼットへ移し、作業机を占領している仕事の資料を引き出しへ。最後に乱雑に積み重なった布団を綺麗に畳み直す。べ、別に変な意味ではござらんぞ、部屋全体の体裁のためでござる。
「お待たせし申した……どうぞ」
「はい。サプライズとはいえ、本当に突然でごめんなさい。お邪魔します」
澄んだ冬の空気を思わせる、心地よい声。動画撮影の日以来に耳にしたその響きに拙者は震えたが、それよりも衝撃的な絵面のほうに心奪われていた。
(この世界の神は、魔族にも優しいのでござるな……)
この冴えないアニヲタの部屋に、推しキャラの元「中の人」ががが。ベランダから入る光が神族の後光のように見える。いや拙者、そんなモノ浴びたらチリになる種族でござるが。
「わ、画面がたくさん! これがデザイナーさんのお部屋なんですね」
「散らかっていてお恥ずかしい。というか花月殿、一人暮らしの男の部屋に気軽に入室してはいけませんぞ」
「東野さんはそういう人じゃないです」
ローテーブルの上に紙袋を下ろし、まっすぐにこちらを見る花月殿。その黒い瞳に浮かぶ信頼を嬉しく思いつつ、拙者は心中で苦笑するしかなかった。
(そもそも、男としてまったく警戒されてなさそうでござるなあ)
ラグの上で行儀良く正座した花月殿は、PCの画面に映し出されていたままの動画サイトを見てぴょこと床から数センチ跳ねた。
「あの、動画がもう二千回も再生されているって本当なんですか」
「拙者が徹夜で頑張って再生しまくったわけではございませぬぞ。ここはそういうカウントが通るサイトではありませんからな」
「よくわからないけど……じゃあ知らない人が本当に、二千回も観てくれたんだ。すごい……すごい!」
噛み締めるように呟き、花月殿も自身のスマホを握りしめた。正確にはすべて『知らない人』ではない。動画はアップ直後の挙動が肝心なので、実は拙者のほうでも色々と根回ししていたのでござる。
(ありがとうでござる、
しかしこれも完全なるサクラというわけではない。非公開状態の動画を先に観てもらい、忖度なく『いいね!』と思ったら公開後に拡散してほしいとお願いしただけでござる。彼らはSNSで出会った拙者の同志や仕事仲間たちだが、自分の『スキ』に対しては徹底的に精査を行う。つまり――
「花月殿の歌が、それほど皆の心に響いたのでござるよ」
「でも、もしかしたら……東野さんの編集が良かっただけ、とか」
「ご謙遜を。良い素材がありましたからな、拙者それほど凝った演出は加えてないでござるよ」
これも本当だ。ミュート状態で再生されている動画に目をやり、拙者は満足感に浸る。
冬の日差しを浴びながら伸びやかに歌う、猫面付きのシンガー。今の流行を意識し大胆に歌詞を表示するなどの動きは加えているが、小手先の映像加工ではなく花月殿という素材そのもので勝負した部分が大きい。うーむ拙者の判断、大勝利。
「お茶淹れるでござるよ。紅茶はお好きでござったか? どんな茶葉が今日のケーキに相応しいか教えてくだされ、ひと通りありますからな」
「え、ええ? 全然わからないです。ケーキは、ガトーショコラですけど」
「ふむ。では定番でござるが、アールグレイで参戦しましょうぞ」
時折四天王の溜まり場にされる我が部屋には幸い、ゲスト用のカップが大量に存在していた。キティリア殿のものなら失礼には当たるまいと思いつつ棚から取り出していると、拙者の丸い背によく通る声が落ちた。
「かわいいカップ。お茶、好きなんですか」
「ほぁっ!?」
狭いカウンターの向こうからこちらを覗き込んでいる花月殿に気づき、拙者はピンク色のカップを叩き割りそうになる。なんとかピンチを乗り越え、ソーサーと共にシンクの横へ置いた。
「いやいや、拙者のではござらん。お茶は好きでござるが」
「へえ……。あっ!」
花月殿は感心したようにしばらくキッチンを見回したあと、ハッとした顔になって言った。
「ご、ごめんなさい私、図々しく上がり込んで! もう、バカ……! すぐ帰りますねっ!」
「どっどうしたでござるか!?」
「だってそれ、彼女さんのカップですよね!? キッチンもすごく片付いてるし、今日はいらっしゃらないだけで――」
頭上に汗マークを幻視するほどにアワアワとしている花月殿を呆然と眺め、拙者はようやく意図に気づく。
「キッチンを整えておくのは趣味でござる。そしてたしかにこれはとある女性のカップですが、カノジョなどというお人ではござらん。冗談でもそのようなことを口にするが最後、拙者は美味しそうなポークハンバーグとなりましょうな」
「そ……そうなんだ。お姉さんとか?」
「まあ似たようなものでござるな。皆勝手にカップや椀を置いていくので、拙者の用品が追いやられて困っておりまする」
仲間たちが置いていったジョッキや丼ぶり、そしてカラフルな四色のカトラリー。それらがぎゅうぎゅうに押し込まれた食器棚を見せると、ようやく花月殿はニットセーターの胸を撫で下ろして笑った。
「なんだ、よかった。てっきり私、東野さんかお兄さんの彼女さんのものと」
「はは、たしかにそこへ上がり込んだら大問題ですなあ――って、え? 兄の、とは」
「あ、玄関に大きなスニーカーがあったから。お兄さんも一緒に暮らしているんだって。でも、こっちも勘違いでしたか」
「そう、ですな」
「じゃあ、お兄さんもお付き合いされていたりは」
「はあ、まあ……彼にも、とくに、誰、も……?」
元の体格に戻った時を見据えて買っておいた、海外サイズのスニーカー。ははあ、よく見ているでござるなあ――ではなく。それだと拙者、毎日兄弟で同じベッドで寝ているというむさ苦しい絵面になりまするが――でもなく。
「そっか……。ガルシさん、あんなにかっこいいのに……彼女さん、いないんだ」
なんでござるか、そのちょっと赤くなった頬は。
どうしたのでござるか、急にいじいじと髪の先を触ったりして。
もし『ガルシ』にカノジョがいたら――その微笑みは、曇っちゃったりするのでござろうか?
「わ、私、お皿運びますね。どちらにしろお仕事の邪魔でしょうし、食べたらすぐ帰ります」
「……」
その日食べたガトーショコラは甘さ控えめのビターな味だったが、拙者には妙に甘く感じられたのでござった。
***
近況ノート(挿絵つき):
https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093090432048946
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