第13話 姉御には一生敵わない

 その日を境に拙者は変わった。健康的な生活リズムに、栄養バランスにこだわった食事。自分を追い込むトレーニング。腹筋は板チョコと見紛うほどのバキバキシックスパック。十人乗ってもだいじょーぶ!な、堅牢な肩。そして――


「ほらほら、何よその前屈は? ぷにょぷにょのカラダのくせして、それだけしか曲がらないの? あと五十度はいけるわよ!」

「ぐえっ。き、キティ殿、そこまでいったら拙者、床にめり込むでござる……」


 妄想世界でマッチョになった自分と再会していた拙者は、背中を容赦なく踏みつけてくる足によって現実へと引き戻された。足の持ち主が絶世の美女でなかったらただの地獄でござるが、ひとによってはそういう趣向のご褒美に見えなくもないやも……いだだだ。


「痩せるにはまず、そのガッチガチに固まった脂肪を剥がして浮かせなさい。ほら、次は腹肉を掴めるだけ掴んで揺らすの」

「なんでござるか、この羞恥プレイ……」

「それがあんたの罪よ。自覚しなさい」


 今日訪れているのは、フィットネス業を営む四天王仲間――キティリア殿が契約しているというスタジオであった。鏡張りとなっている壁に、ぱつぱつのトレーニングウェアを着込んだ奇妙な二足歩行の豚が映っている。あ、拙者だ。


 両手で掴んだ腹肉をぶるんぶるんと上下に揺らしている男を睥睨するのは、ビビッドピンクのウェアに身を包んだ美女。腕組みしてこちらを睨むその姿には、竹刀を持たせたらぴったりという鬼コーチ感が漂っていた。いや実際、拙者の身体はもう全身ガタガタでござったが。


「いきなりジムでキツいメニュー組んでも挫けるだけよ。あたしのとこに来て正解ね」

「お手数かけるでござる、キティ殿。ご家庭の切り盛りは大丈夫でござったか」


 拙者の肉揺らしを真剣にコーチングしていた美女は、突然破顔した。あ、これは惚気のろけがはじまる予感。


「ふふん、あたしのスーパー主夫ダーリンなめんじゃないわよ。帰る頃には掃除に洗濯、シャツのアイロンがけまで済んでるし、寝室には安眠用アロマが焚いてあるわね」

「おお、さすがしごでき旦那殿。よいパパ上になりまするな」

「んふふー」


 鼻の下を伸ばすという表現がぴったりな、美女の気の抜けた笑顔。魔界では『毒薔薇』と呼ばれ孤高の存在であった彼女でござったが、この世界に来てすっかりその面影は薄れていた。少し膨らみが目立つようになってきた腹を、派手な色の爪で愛おしそうに撫でる。


「あったりまえでしょ。あたしが選んだ男なのよ?」

「数多の美形悪魔からの求婚を文字通り粉砕してきたキティ殿が選んだ殿方とは、どれほどの猛者もさなのでしょうなあ。拙者、参考にしとうござる」

「え? 写真、見せてなかったっけ」


 きょとんとした美女を見、拙者は苦笑した。結婚式もいつの間にか海外で挙げてしまっており、拙者たちがそのめでたい報せを耳にしたのは新婚生活がはじまったあと。恋は魔族までもを盲目にするのでござるな。


「さあ見なさい! これがあたしの世界一の旦那様よ!」


 嬉しそうにスマホを持ってきたキティリア殿は、待ち受け画面を拙者の眼鏡の前にずいと突き出す。ちょ、眼鏡カチ割る気でござるか。


「!?」


 あ、あれ?拙者の眼鏡、度は入ってないはずなのでござるが。拙者は腹肉掴みで痺れてきた手でメガネを額へと跳ね上げ、もう一度画面を凝視する。


「……。……ふ、フツーの人間でござるな」

「当たり前でしょ。何言ってんの」


 頬を薔薇色に染めて自撮りしているキティリア殿のとなりで、控えめなピースをしている男。髪はオシャレのかけらもない自然な黒。まとうのも高級ブランドのスーツではなく、なぜか「パンダ>>(超えられない壁)>>レッサーパンダ」と書かれた謎Tシャツ。彼女が絡めている腕は生白く、筋肉のかけらもない。そして顔はフツメンであった。


 大事なことなので繰り返すでござるぞ。控えめに言って――。


「やはりどう見てもフツメンとな!?」

「なんで異世界に来てまでイケメンにまとわりつかれなきゃいけないのよ。あんたも含め、魔族なんかみんな顔が良く生まれてくんでしょ。逆に見飽きたっての」


 あれ、今拙者イケメンって言われなかった?でも言及すると張り手が飛んできそうなので黙っておこうでござる。拙者がお口にエアチャックをしていると、美女はハァと艶っぽいため息を落としてスマホ画面を見つめた。


「ほんとのイケメンってのはね、顔なんかカンケーないの。不器用だけど一生懸命、あたしを大事にしてくれる……。彼の心は、どんな宝石よりも美しいわ」

「『妖艶胡蝶のキティリア』が他人をそこまで讃える日が来るとは、でござるな」

「なんとでも言いなさい。でもまあ、魔界でのあたしは……ちょっと、ワガママな女だったかもしれないわね?」


 遠き日々を思い出したのか、クスッと微笑む女四天王。いやいや、可愛らしくまとめているでござるが、魔界での貴女はまあまあのまあな傍若無人ぶりでござったぞ? お付きのサキュバスたちなど、陰で『女魔王』などと呼んで恐れていましたしな。


「あんた今、すごい失礼な回想してたでしょ」

「ヒィ、毒の粉だけはご勘弁を!」

「しないわよ。今のキティリアは、ただの主婦――『西野キティ』。フィットネスチャンネルの収入で自宅と主夫と猫三匹を養う、ただのお金持ちよ」


 そう言い切り、フフッと唇を持ち上げる美女。どストレートな自慢が嫌味たらしく聞こえないのは、彼女の昔からの美徳でござるな。拙者はふたたび腹肉を掴みながら、人間の姿で笑う元同僚を見つめた。


(長く生きていても、魔族は……拙者たちは、変われるのだろうか)


 事実だれも、キティリア殿がこのような変化を迎えるなどとは思っていなかった。四天王いち好戦的で、何度も上司まおうの寝首を掻こうとしては返り討ちにあってきた、『幻妖』族の女。拙者にとっては世話焼きの姉御であったが、その眼光の鋭さといえば魔界随一でござったからな。


「ねえ、ガル。なんで突然、カラダづくりしようと思ったのよ?」

「そ、それは」

「わかってるわ。恋ね」

「早ッ」


 ヲタクが赤面して言い淀むシーンなど需要なしでござったか。そして拙者も条件反射のツッコミで、あっさりと自白をキめてしまっていた。


「どこで!? なにがきっかけで!? どんな女!? 芸能人で言えば誰似!? 変なフェチ持ちとかじゃないでしょうね!?」

「彼女のプライバシーがありますゆえ、そんな理不尽な5W1Hに答える気はござらん」

「ふーん、あっそ。別にいいわ、そのうちカノジョとして紹介してくれたらわかることだし」

「!」


 あっさりと話題に終止符を打った美女を、拙者はぎょっとして見つめた。


「い、イジらないのでござるか。あんたみたいな豚がお姫様に恋をするだなんて、おとぎ話もいいところね? とか」

「あたしはクラブの女王様じゃなくて、あんたの元同僚よ」


 ウェア姿を自撮りしつつ、キティリア殿はひとつの迷いもなく続ける。


「魔界でもっとも堅牢な肉体を持つ『豪魔ごうま』族、その最後の生き残り。魔王アイツに攫われるようにして魔王城へ来たチビの時から、『地底筋肉』なんて大仰な看板背負って四天王に就任するまでのあんたを、全部見てきた」

「……」


 SNSでも『二次元アイ』と名高い、ピンク色の瞳が優しく細められる。力を追い求めた挙句全員でバトルロイヤルを開催し滅んだ一族よりもそれは、拙者に家族という温もりを教えてくれたものでござった。あ、サラっと重い過去通りまーす。


「あんたは慎重で臆病で、いっつも自分の意見を言わないけど。誰よりも相手の心を大事にできるヤツだわ」

「……だからこの恋も、上手くいくと? 拙者、キティ殿ならもっと裏技的なすごい攻略法を授けてくださるかと」

「ないわよ、ンなもん」


 美女はぐぐっと背を伸ばしたあと、気だるくも愛おしそうに腹を撫でた。


「ぶち当たって失敗して、そしてまたぶち当たる。傷つくことも、傷つけてしまうこともあるわ。それでもまた懲りずに好きだと伝えるの――それが恋よ」

「そういうハード展開、近年は求められてないのでござるが」

「なんの話してんのよ。魔族だろうが人間だろうが、そこは同じ。あたしたちは皆等しく、恋に踊らされる愚者ってこと」


 クリスマスを意識した配色のネイルが、宙に大きくハートを描く。実際にピンク色の粒子を煌めかせたそれから、見事な魔族の翼が突き出した。彼女が得意とする幻惑の術――動画チャンネルでは『神エフェクト』などと呼ばれているが、正体はモノホンの魔術でござる。


 拙者の周りをくるくると飛び回るハート悪魔の向こうで美女は妖艶に、そして見たことがない少女のような笑顔を咲かせた。


「その恋を楽しみなさい、ガルシ! 単に元の姿に戻るだけじゃだめ。どうせ踊るなら、ミラーボールの下がいいじゃない」

「キティ殿……」

「ってワケで、次はノリノリのK-POPでダンスプログラムよ! 一時間みっちりやるわ、覚悟なさい」

「!?」



 こうして拙者の『ダイエット大作戦』が、本格的に幕を開けたのでござった。



***

近況ノート(キャラクターデザイン画つき/キティリア)

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093090289836143

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