第12話 キミのぬいになりたい
ガジェットヲタ友のおすすめ動画用マイクを取り付けたミラーレス。狭い画面の中、青空を背にした美女が微笑んでいた。拙者はどぎまぎしつつも撮影サイズや画質を再確認し、短い指で録画開始ボタンをポチリとする。
「ここがいつものステージだと思って、自由に歌ってほしいでござる。拙者は撮影のため周りをぐるぐる歩きますが、お気になさらず。それから、こちらを」
「お面? あ、かわいい」
拙者が渡したのは、鼻から上を覆うタイプの白いキツネ――ではなく、グレーのネコ面だった。そう派手さはないものの精巧な仕上がりのそれは、被り物マニアのレイヤー友による力作。目の縁やネコ耳で揺れるピアスは、本日の空と同じ青色にござった。
「ひとは隠されているものほど興味を惹かれ、妙に記憶に残るもの。そしてお顔出しを回避し、同時に歌声一本で勝負したいという花月殿の意向を実現できるかと思いましたが……いかがでござるか?」
「嬉しい。どうですか?」
なんの疑いもなく装着し、微笑んでみせる花月殿。拙者が元いた世界では『のろわれてしまった!』になりそうな危険行為でござったが、この世界では無用な心配なのは喜ばしいですな。黒い髪からぴょんと三角耳が立っているように見え、なんとも微笑ましい絵面が完成した。
「ばっちりでござる。では本番、張り切って参りましょうぞ」
「はい。お願いします!」
お、業界人ぽい元気なお返事。拙者が手でオーケーサインをして黙ると、花月殿は細い指をギターの弦へと滑らせた。
『青く、遠く、届かない――そんな場所を目指してた』
(前とは違う曲でござるな)
ライブハウスで聴いたあの曲かと思っていた拙者は少し驚いたものの、シンガーならば持ち曲が一曲であるわけもなかろうと思い至る。そして相変わらず素敵な歌声でござる。
『勝手に切り取った空。その先の広さがこわくて――』
タワーの屋上なので少し風はあるが、舞い上がる黒髪はむしろ躍動感があっていい。冬の日差しは眩しすぎず暖かいのか、仮面の下から覗く口元も柔らかい。
それにしても観客のいないステージだというのに、実に楽しそうに歌うでござる。このあたりは無音のアニメ映像相手にお仕事をした経験が活きているのかもしれぬな。
『溺れたのは、なみだの世界――深く、青く、沈んでいく』
拙者はクリエイターとして時に、必要であればみずから『素材』の撮影に赴くことも多かった。MV制作は未経験でも、短いCMや企業の紹介動画なんかも作ってきたのでござる。だから今回もちゃんと、良質な『素材』をゲットするための心づもりでいたのだが。
『浮かんでいくのは、カラダだけで。届かない、遠い、とおい世界』
「……っ」
気づけば丸い頬に、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。しかし撮影画面を揺らすわけにはいかぬでござる。鼻をすする無様な雑音が入るのも絶対にNG。拙者はかつて魔界の大沼に住む『毒霧ウナギ』とひと月に渡る死闘を繰り広げた時よりも苦しい気持ちで、カメラを回し続けた。
『その手が救ってくれたんだ、灰色の世界から』
ゆっくり歩きながら花月殿の正面へと赴く。涙も鼻水も流れっぱなしの顔を見られてしまうが、良い映像を収めることこそ拙者の使命。花月殿はちらとカメラを――拙者の顔を見るが、ここはさすがのご対応。涙だらだらのヲタクカメラマンには動じず、盛り上がる曲のラストスパートを一気に歌い上げる。
『だから止まらない。この足で歩いていくよ、どこまでも――……』
吸い込まれるように、青空に旋律が昇っていく。その最後の響きが消えて数秒後、拙者は撮影停止ボタンを押してその場に崩れ落ちた。
「と、東野さんっ!?」
「はあっ、はぁーッ!! し、死ぬかとおぼっだで、ござる……ッ」
駆け寄ってきた美女を見上げ、拙者はようやくずびびと鼻をすすった。これを嫁タオルに押し付けることはできないので、ポケットティッシュにお世話になる。傍に屈んだ歌い手が、水のペットボトルを差し出して心配そうに言った。
「大丈夫ですか? はい、お水」
「か、花月殿が、飲むべきでござろうに……。しかし安心してくだされ、最高の
「……! あ、ありがとうございます」
水で塩辛いものを流してスッキリした拙者は、さっそく興奮と共に感想を伝える。これをせずしてなんのヲタク道でござろうか。彼女のP兼編集をやるとは言いましたが、ファンを辞める気は毛頭ござらんので。
「素晴らしい歌でござった! 前に聴いた『colors』よりも爽やかなメロディラインでありながらも、やはりしっかりと芯を感じる歌詞! ラストの部分にはふたつの捉え方ができますな? 聴く者にとってどう感じるか変わりそうな、決めつけのない優しさを感じ申した」
「そこまで受け取ってくれるなんて……。あの、こんなこと言われるのイヤかもですけど」
まだ歌の熱が宿っているかのようなりんご色の頬を緩ませ、花月殿は拙者を見つめた。
「東野さんが泣いているのを見て私、嬉しく思っちゃったんです。ああ、響いてくれたんだなって」
「も……もちろんでござる! 拙者、お望みとあらばこの感動だけで夜通し盛り上がれますぞ!?」
「ふふ、ありがとう」
ふと、花月殿の後ろで仁王立ちしている男が目に入る。分厚い胸板の前で親指をサムズアップさせたイケメンが、きらりと白い歯を光らせていた。なにやら満足げにうなずいているリーダーの意図に気づき、拙者はぶんぶんと頭を振る。
(そういう『夜通し』ではござらんわ、このケダモノ魔族っ!)
ちがうのか、という純粋な顔で首を傾げている男を一度睨み、拙者は粛々と撤収準備をはじめた。いくら関係者とはいえ、このように広い屋上をいつまでも封鎖しておくわけにはいかぬでござろう。
「いい歌だったよ。俺はあまり音楽業界には明るくないが、動画ができたらぜひ見せてくれ。知り合いのプロデューサーが、新人発掘に力を入れているんだ」
「ええっ!? あ、ありがとうございます!」
快活に笑うイケメンを見上げ、嬉しそうに顔を輝かせる美女。ぐっ、眩しすぎる世界。しかしこのまま放ってはおけぬとばかりに、拙者はずずいと丸い身体を割り込ませた。
「花月殿、お疲れ様でござった。一階に各番組のショップがあるので、よかったら先に見ていてほしいでござる」
「東野さんは一緒に降りないんですか?」
「ちょっとメラゴ殿と話が。すぐに向かうでござるよ」
拙者の言葉に素直にうなずき、花月殿はギターケースを背負ってガラスのエレベーターへと向かう。あ、手を振ってくれているでござるな、尊い。拙者の脳内美術館に掲示しておくべき一枚。
「話って何だ? ガルシ」
「だから真名……。ではなくメラゴ殿、今日は本当にありがとうでござった。きっと最高のMVにしてみせるでござる」
「それはよかったな。でも俺に訊きたいのは、別のことなんだろう?」
さすがは数百年を共にしてきた同胞、お見通しでござるな。拙者はなるべく背肉に包まれた背骨をまっすぐにし、リーダーを見上げる。
「拙者に教えてほしいのでござる。この世界における――カラダづくりの方法を」
*
十五分後。拙者はエレベーターの扉が開くなり、急いでホールへと飛び出した。すでに土産用ショップを巡り終えたらしい花月殿がこちらに気づき、隅のベンチから腰を上げる。
「お待たせし申した!」
「ううん、全然。さすが制作会社の公式ショップ、『ガロウレンジャー』のグッズがたくさんで目移りしました」
楽しそうな様子の花月殿を見、拙者はほっと息をつく。グッズを集めるタイプのヲタクには見えないものの、先ほど『本人』と会ったばかりとなれば熱も入りましょうな。その証拠に、彼女の腕には大きな紙袋の姿があった。
「なんだか嬉しくなって、レンジャーぬいぐるみを買っちゃいました」
「ふっふ、花月殿もついに沼入りですかな」
「沼? とりあえず見てください、これ」
言葉の意味は通じずとも、花月殿は興奮した顔で紙袋に手を差し入れる。取り出してみせたのは、ころんとしたフォルムのおすわり型ぬいぐるみ――その色は、目が覚めるような
(……ま、当然でござろうなあ)
自分勝手な苦笑が漏れる。しかしそのレッドを腕にちょこんと座らせ、続けて花月殿はさらなる戦利品を取り出した。
「ガロウ・ブルーにピンク、ブラックとイエロー。見て、全員揃いました!」
「!?」
腕の中にぞろりと並んだ、色とりどりのぬいたち。まさかの大人買いですと。
「やっぱり全員いてこその『ガロウレンジャー』ですもんね! レッドは最後のひとつだったんです。よかったあ」
「い、イエローまで買ったのでござるか。一番人気なかったのでは」
「え?」
大好物のカレーラーメンを抱えている『ガロウ・イエロー』。戦士たちのメカニック担当の彼はレンジャーの一員でありながら、いかにも『こちら』の匂いがするヲタクキャラでござった。当然ファンによるネット人気投票でもレンジャー内最下位であり、公式グッズも少ない。
しかし拙者の心配をよそに、花月殿はイエローの綿がつまった腹をぷにゅりとつついて笑う。
「そうなのかな? 私、好きですよ。イエロー」
「っ!!」
い、いやいや。いやいやいや。今のは絶対勘違いしてはならんヤツでござる。
「レッドの『ゴウエン・ソード』もブルーの『ポセイドン・ステッキ』も、全部彼が開発してますし。いつもはカレーラーメン作りばかりしてますけど、仲間たちのことをよく見てて頼りになるなって」
「あ、ありがたきお言葉……」
「ふふ、なんで東野さんがお礼言うんですか」
いやまあ、なんというか拙者、イエローにはどうしても親近感が……。というかこのイエローぬい、これから花月殿のご自宅に行くのでござるか。あ、なんだか嫌いになりそう。
「今日は夕方からバイトでしたな? では、ここで解散ということで」
「はい。今日はすごい体験をさせてくださって、ありがとうございました」
「なんの! 編集には少し、お時間いただきまする」
「よろしくお願いします! 報酬、きちんとお支払いしますから」
「いやいや。趣味枠でござるから、お気になさらず」
気楽に言った拙者を、真摯なまなざしが射る。あ、これはなんとしても金を渡してくる顔。拙者としてはすでに、ライブの最前列に座らせていただいたほどに充実しているのでござるが。
「じゃあ、また!」
手を振って歩き出す彼女の傍で、紙袋が揺れる。拙者は葉が落ちた街路樹の下、その後ろ姿を見送っていた。
(いつか……)
迷うことなく、彼女が一番に手に取る色になれるだろうか。
拙者は珍しくそんなポエミーな決意を浮かべ、拳を握り込んだのでござった。
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