第10話 ウソとホントの恋心

「ひょ、あ、わああああっ!!」


 哀れな奇声を上げ、男は一目散に逃げ出した。拙者はその無防備な背中に手を振りつつ、魔力を集めて素早く人間の顔を造り直す。思わぬ雷撃じゅうでんのおかげで、この姿ももう少し延長できそうでござる。


 唖然としたまま立ち尽くしている花月殿に振り返り、拙者はなるべく朗らかに尋ねた。さっきの魔族顔は背後にいた彼女からは見えておらずとも、低い声で怖がらせてしまったかもしれぬと心配になる。


「怪我はないでござ……ありませんか?」

「あ、あの、あなたこそ……。スタンガン、当たってましたよね?」

「心配ご無用、当たってはいません。実は手で逸らしたのです。こうやって」


 またもや下手くそな言い訳をしつつ、拙者は脇腹のあたりで手をぬるぬると動かす。三流のアクション映画でもお目にかかれない怪しい動きであったが、花月殿はぽかんとした後、緊張の糸が切れたのか急に笑いはじめた。


「は……あははっ! もう、そんなわけ……っ! でも無事だったなら、なんでもいい、のかな。うん、よかったです」

「こちらこそよかったです。あなたにまた会えて」

「っ!?」


 笑顔が急に石化し、花月殿は仰反るような勢いで拙者を見上げた。しまった、失言でござったか。たしかにせっかく再会するならば、こんな不穏な現場でないほうが望ましかったはずで。


「あ」


 それよりもやはり、彼女の顔が赤い。拙者はこの騒ぎの直前のやりとりを思い出し、断りを入れ急いでひとり自販機へと走る。受け取り口で切なく待っていたおしるこを救出し、美女の元へ戻った。


「少し冷えてしまいましたが、どうぞ」

「あれ、これ……。もしかして、東野さんの?」


 やはり、同じ人物には見えぬよなあ。拙者は苦笑し、もし機会があればと考えていた『設定』を口にする。


「小さな金髪のほうは、自分の弟なんです」

「そうだったんですね! たしかにお顔、少し似ています。ご兄弟揃って来日されているんですか」

「留学のようなものですね。しばらくは帰らない予定です」


 正確には帰れないし、帰る気も毛頭ないのでござるが。遠い目をしている拙者に気づかぬ様子で、花月殿は姿勢を正すと深々と頭を下げた。


「あの、本当にありがとうございました。二度も助けていただくなんて」

「こう言うとますます怪しいですが、その……ストーカーではないです」

「ふふ、そんなこと」

「ええとですね。この近くを走っていたら、急に弟からここへ来てほしいと連絡がありまして」


 警鐘を鳴らすように、心臓がどくんと低く鳴る。後ろめたい気持ちを飲み込みつつ、拙者は続けた。


「あなたを助けてほしい、と。自分がこうしたのは……彼の願いがあったからです」


 同一人物とは信じてもらえないだろうという懸念以前に、あのキモヲタが自分だ、とはとても言えなかった。卑怯な嘘だとはわかっている。それでも拙者はまだ、彼女の前でカッコつけたかったのでござる。


「そうだったんですね……。ありがとうございます。お二人には、ぜひ一緒にお礼を」

「あーっ、い、いえ! えっと、自分はその、ジムへ戻る途中でして。遅くなるとまずいので、今夜はこれで」

「えっ! そんな、またお礼できないなんて困ります。今日こそ連絡先を!」


 い、意外と頑固でござるな。だんだんと例の魔力疲労を感じはじめていた拙者は焦りつつ、あらぬ方角へ視線を投げながら言った。


「で、ではそれは弟のほうから。臆病で近くに隠れていると思いますので、すぐにここへ来るよう連絡しておきます」

「わかりました、待っています。でも最後に――あなたの、お名前だけ」


 大真面目な光を浮かべてこちらを見上げる、黒い瞳。自然な濃さの眉も、紅を引かずともうっすらと桜色を帯びた唇も、すべてが拙者の心を奇妙に揺さぶった。


「――ガルシ。自分の名は、ガルシです」


 ほとんど無意識に伝えたその名に、自分でぎょっとする。彼女が記憶するように小声で復唱しているのを聞き終わらぬうちに、拙者は公園の出口へと走った。公園内からは死角となる塀の向こうに巨躯を隠し、片手で口を押さえて呆然とする。


(馬鹿な! 人間相手に、真名を名乗るなど……平和ボケにも程がござろう⁉︎)


 魔族の真名には力がある。良くも悪くも、それは相手との繋がりを濃くするひとつの魔法、あるいは呪いのようなものでござった。拙者の今の魔力で実際に影響が出るかはともかく、これがアスイール殿に知れたらどんな雷を落とされるか――いや彼の場合、どんな氷漬けの刑に処されるか――恐ろしい。


 しかし伝えてしまったものはもう取り消せない。拙者が諦めのため息を落とすと同時に集中も切れ、身体中が重みを増す。指はソーセージのように丸みを帯び、背も縮んで視界が変わった。


(忘れてはならぬぞ、ガルシ。今の拙者は、魔族でもマッチョでもない。ただの冴えないアニヲタ……東野牙琉とうの がるでござる)


 花月殿の隙を見て樹木の陰に飛び込み、元のヲタ装備へと戻る。隠している金眼への注意を逸らすための伊達メガネでござるが、これをつけているとより『牙琉』になれる気がしていた。


「花月殿!」


 短い足でぽてぽてと現場へ戻ると、ほっとした顔になった美女に迎えられる。


「東野さん! ごめんなさい、嫌な場面を見せてしまって」

「なんのなんの。怪我などござらんか?」

「うん。お兄さんの……ガルシさんのおかげです」


 嬉しそうに真名を呼ばれ、パーカーの下で肌がぞくぞくと震えた。そこらのASMRよりよっぽど効果はばつぐんだでござる。拙者はその甘い心地を振り切り、腹肉を圧迫しながら頭を深く下げた。


「事態の発生を目撃しながら、現場へすぐ駆けつけなかったこと……すまなかったでござる。拙者その、あまり腕っぷしには自信がなく」

「えっ、そんなこと! あんな場面、誰だって怖いでしょう? お兄さんを呼んでくれただけで、大感謝してます。ありがとう」


 そう言って微笑む彼女が握りしめているのは、すっかりぬるくなっただろうおしるこ缶。大勢を感動させるマイクではなく庶民じみたその飲料を持つ彼女を見、拙者は少し肩の力を抜いた。


「謝ることがもうひとつ。忙しい兄から花月殿のカードを勝手に譲り受けたことも、申し訳ござらん」

「それも気にしないでください。歌を聴いてもらって嬉しくないシンガーはいませんし、あんなに熱い感想までもらえて……。今日、東野さんとお知り合いになれて、よかったです」


 そう言って笑う花月殿を見、拙者の胸が温かくなった。ぽかぽかテックの仕事のしすぎではないでござろう。ひととおりの懺悔を終えてほっとしている拙者だったが、その瞬間に驚くべき宣告がなされる。


「……私、もうあのハコで歌うのはやめようと思います」

「んなっ!? そんな、せっかくストーカーに天誅を下せたというのに」

「天誅って、ふふ。そういえば話し方も侍言葉だし、時代劇好きなんですか」

「海を隔てようとも男は皆、カタナとシュリケンに憧れて育つものでござるよ。ニンニン」


 そう言ってエア手裏剣を投げる動作をしてみるも、拙者はすぐに丸い肩を落とした。


「理由は、先ほどのような男の再来を危惧してのこと……ですな」

「ええ。私はまだ単独ステージを組めるほどの力も資金もないので、他の方と合同で活動しています。せっかく盛り上がっているライブの空気を壊すわけにはいきませんから」


 その言葉に、非難がましい響きはない。むしろ慣れているといった物悲しさを感じ、拙者は小豆のような目を細めた。


「さっきの方にはああ言いましたが、『らぶ♡ぎぶ』のプロデューサーさんは大らかな人で。別に『ラムネ』の歌を使って、声優やアイドルとして売り込んでいっても良いって言ってくれたんです」

「そうなのでござるか」

「うん」


 冬らしい風が吹き、彼女の黒髪を遊ばせていく。おしるこ缶を手の中で転がしながら、花月殿は白い息を吐いた。


「でも私は『みぞれ』じゃなく、シンガーの『カノン』としてやっていきたくて。だから次のアニメへのオファーを断って、声優界を去りました」

「……。ちなみに、次のアニメとは?」

「『撃滅の牙』の、主人公の妹さん……だったかな。吸血鬼になって、太陽の下に出られなくなった女の子です」

「ちょ、推しなのでござるが!? おおお、なんともったいない!!」


 あの凛とした『ラムネ』たんの声が、別アニメの推しを演じる世界線を思うと興奮が込み上げる。しかしただ静かに微笑む元声優の美女を見、拙者は小さくなった。


「し、失礼した……。花月殿は相当なお覚悟を持って、転身されたというのに」

「ううん、事実ですから。あのまま声優業を続けていたほうが、私は今売れていたと思います。でも」


 ギターケースの流線を愛おしそうに撫でたあと、花月殿は拙者に向き直った。


「私がやりたいのは、ひとの心を揺さぶるような歌作り。そしてそれをみずからの声で、誰かに届けることなんです」

「……!」


 美しくも力強い瞳。細き身体の奥で燃え盛る情熱。そしてあれほど恐ろしい体験をしながらも、まったく折れていない闘志。拙者は目の前の美女――いや、ひとりの戦士を見上げ、感嘆した。


「素晴らしいでござる。そうですとも、歌う場所ならば他にいくらでもありましょうし」

「はい! 河川敷の土手でも、どこかの学校の文化祭でも、誰かに届くなら場所はどこでもいいんです。ああ、なんだか路上ライブも懐かしくなってきた」


 頬を上気させ、肩をぐるぐる回す花月殿。清楚な見た目に反してアグレッシブなその姿に拙者はほっこりしていたが、ふと気になって尋ねた。


「ネットでは歌わないのでござるか?」

「え、ネット?」

「ほら、ウェーイチューブとか。リアルの場所を借りるより費用も浮きますし、予告やイベント後の交流もハードルが低いゆえ、ファン形成に役立ちますぞ」


 きょとんとしたそのお顔を見て、拙者はすぐさま把握した。SNSの金字塔であるサービスの名すら馴染みないお人が、ネットの音楽界事情など知るはずがないでござろう。


 さすればここから先は、拙者ヲタクの土俵というもの。


「花月殿の歌声は、このご近所だけに響かせるにはあまりのお宝でござる。それに少々場所を変えたとて、リアルでの活動は身バレも場所特定もされやすい」

「は、はい」

「しかしリスク回避をしつつ、さらに遠くのファンへお声を届ける方法があるでござるよ」

「すごい! でもどうして、そこまで……」


 長年心を捧げてきたお人を前に、なにを迷う必要があろうか。目を丸くしている彼女をしっかりと見返し、拙者は迷いなき口調で答えた。


「そのようなこと。もちろん昔も今も、貴女の歌声に惚れているからでござる」

「!」


 きらりとメガネを光らせ、拙者はこの体になってはじめて誇らしい気持ちで胸を叩いた。



「シンガー『花月カノン』のプロデュース――ぜひ、この拙者にお任せあれ!」




<第1章 アニヲタ魔族、推しと出会う。 -完-> 



***

1章お読みいただきありがとうございました!

近況ノート(挿絵つき):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093089953039854

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