第9話 再会は閃光とともに

 何の因果か、ふたたびこの公園で相見えた男。それは四日前、『転移記念飲み会』の夜に花月殿に迫っていたあの粘着質ヲタ男でござった。


(あの男、懲りもせず……!)


 蛍光グリーンのキャップの下からワカメのようにはみ出た黒髪を揺らし、ベンチで凍りついている花月殿を見下ろしている。


「困りますよ、途中で退がっちゃうなんて。せっかく高いお金払ってステージ見に行ったのに」

「……ぱ、パフォーマンス中にああいう声かけは、ご遠慮いただきたいです」


 キッと眉を吊り上げてみせる花月殿だったが、残念ながらあれで怯む男はいまい。予想に違わず、男はケモノのような笑みを深めただけでござった。


「そんなにうるさかったです? まあ僕らしかみぞれさんのこと、応援してませんでしたしね」

「!」


 その心無い言葉に、美女の黒髪がびくりと震える。かじかんだ指をぎゅっと握り込み、悔しさを滲ませた声で言った。


「違う……っ! あのハコでも私の歌を応援してくれる人、ちゃんといました。でもあなたたちが通うようになってから、――!」

「え、それって貴女の主観ですよね」

「な」

「貴女が好きだったら、他のファンとか関係なくないです? まあ所詮、前のライブハウスからついてきてる僕らとは応援のレベルが違うってことですよ」


 拙者は自販機の陰でひとり、眉をひそめた。やはり彼の粘着は、今のライブハウス以前から続いているものでござったか。一部の過激なファンのために活動場所を変えたというのに、またしても同じ境遇に陥ってしまった花月殿。その心中を思うとやりきれなかった。


「でも……それでも、やっぱりああいう応援の仕方は困ります。も、もう、ライブには来ないでください」

「――はあ? えっ、まじで言ってんの。僕、出禁ってこと?」

「ま、マジですっ! ハコの管理者にも、きちんとお話をします」


 花月殿の毅然とした姿勢は立派でござる。しかしこういう男は何をしでかすかわかったものではない。拙者はあの日もお世話になった樹木の影に隠れ、背負っていたリュックを地面に下ろして開けた。


(こんなこともあろうかと準備してきて良かったでござる)


 中身はほぼ空。素早く脱いだアニメパーカーをそこへ突っ込む。鏡餅のような拙者の上半身が寒風に晒されるが、今日は半裸ではござらん。この国が誇る伸縮性と保温性を両立した奇跡の素材、『ぽかぽかテック』により完全武装されていた。


 メガネは外しても、今日は黒のコンタクトをつけたままにしておく。目を閉じて細く深呼吸し、身体を巡る魔力の流れを意識した。


(練習に費やせたのは、たった一日でござったが……)


 第二の皮膚のようにまとわせた魔力が、染み込むようにして全身を包む。そのじんわりとした熱が消え去るのを待って、拙者はおそるおそる目を開けた。


「で、でき申した!」


 まず目に入ったのは、筋が浮いた大きな手のひら。魔族特有の長いツメもなければ、色も紫ではなく健康的な人間族の肌色でござった。盛り上がった腹筋と胸筋が黒いぽかぽかテックに深い谷を穿っており、なんともいえない強者感を演出してくれている。


(うむ、顔も及第点は取れたはず)


 スマホの画面に映ったのは、逞しい男の顔。尖った耳や牙、そして魔力紋もない、ただの人間族の男の顔でござった。拙者はアスイール殿と違い、骨格から偽装できるほど魔力操作が達者ではない。生来の金髪も相まってどうしても『海外マッチョ』感は残るものの、これが功を奏することを期待するしかないのでござった。


(前と同じ魔族姿では、さすがにもう言い訳できませぬからな。人間に寄せた幻影の練習をしておいて正解だったでござる)


 広い胸を張り、背筋を伸ばす。わざと砂埃を上げながらベンチに向かって駆けていくと、あの夜と同じぎょっとした顔で二人の男女が拙者を見た。


「あ、あなたは……!」


 驚きつつも、花月殿の顔がどこか安堵したように明るくなる。それだけで拙者の体内で魔力が激しく乱れ申したが、集中は切らさない。なにせリミットは、おそらく五分もないでしょうからな。


「またあんたですか。偶然じゃないですよね、何? 彼女のストーカーですか」


 それはこちらのセリフでござる。拙者は正式にステージへ招待されたVIPでござるぞ、控えおろぉ!と言いたいのをぐっと堪え、メラゴ殿を参考にした爽やか笑顔で答えた。

 

「いえいえ。またこのあたりを走っていただけですよ。ほら、今日はコスプレだってしてませんし」


 粘着男はふんと鼻を鳴らし、花月殿に向き直った。ちょ、無視はひどいでござる。


「ステージ上がりでお腹減りません? 僕、いい店知ってるんです。カラオケも予約してるんで、今日こそ『らぶ♡ぎぶ』メドレーを歌ってくださいね。さ、行きましょう。みぞれさん」

「そんな、勝手に。それにアニメの歌は勝手に歌えないって、何度言えば――」

「そうですよ。そもそも人違いしていませんか? その女性は、『花月カノン』さんです」

「!」


 拙者の指摘を聞いて目を丸くしたのは男でなく、花月殿のほうであった。その顔が赤いことに気づき、拙者は焦りを強めた――万が一風邪など召されてしまったのなら、ぐずぐずと公園に引き止めてしまった己の責任でござる。


「……うるっさいなあ、ホント! あとから来たくせに、出しゃばんなよッ!!」


 ばんと手荷物を地面に叩きつけ、男が激昂する。突然キレた男に驚き、花月殿は身を縮めた。これ以上彼女に恐ろしい思いをさせる必要はなかろう。拙者は努めて冷静に、彼女の黒い瞳と視線を合わせて言った。


「花月殿。よければこちらへ――」

「は、はい」

「デカくて筋肉つけてりゃ最強だと思ったか、脳筋? 引っ込んでろよ!!」


 男がポケットから取り出したのはなんと、それなりの大きさのスタンガンでござった。使い方も心得ているのか、黒光りする機械からはすでに白い火花が散っている。


「外国にもコレ、ありますよね? あんたみたいな大男でも、失神は免れませんよ」


 気が大きくなったのでござろう、闇夜に浮かび上がった男の目は興奮に血走っていた。ベンチから立ち上がった花月殿が、時間停止アプリの魔法にかかったかのように動きを止める。


 拙者はミリヲタ友達から得た知識を思い出しつつ、慎重に忠告した。


「……理由なき持ち歩きは、銃刀法違反にはならずとも色々面倒ですよ」

「理由ならありますよお? つきまといの変なマッチョから、僕のアイドルを守るためです。ねっ、ラムネた――」

「いい加減にしてくださいッ!!」

「!」


 シンガーというだけあり、その声量はびりりと拙者の鼓膜を震わせた。目を点にした男を見据え、涙を滲ませた黒髪の美女は叫ぶ。


「そんな危ない物まで持ち出して、誰かが怪我したらどうするんですか! ストーカーはあなたでしょう!?」

「えっ、え? ら、ラムネたん、なんで」

「私は今は『ラムネ』じゃない、花月カノンです! 私だけじゃなく、この人まで巻き込むっていうなら……今すぐ、警察呼びますからっ!!」

「! 花月殿、待っ――」


 自分を通報すべくスマホを取り出そうとした憧れの人。そんな絵面を前についに精神が崩壊したらしい男が、魔族でもゾッとするような咆哮を上げる。キャップの下で、ワカメのような髪が荒ぶった。


「ああああーーッ!!!! くそくそクソッ!! 全然ラムネたんと違うじゃねーかクソ女! 消えろ消えろ消えろ、このニセモノがああああ」


 スタンガンの閃光が迫る。しかし彼女は悲鳴ひとつ上げず、防御のためかニットに包まれた腕を掲げた。


「……っ!!」


 交差させた腕で守ろうとしているもの。それは心臓や腹部でもなければ、その美しい顔でもない。歌い手の魂が宿る場所――白百合のように細い喉でござった。


「そのお覚悟――見事!」


 拙者は思いきり地を蹴り、彼女と凶器の間にみずからの身体を差し込んだ。脇腹に直撃したスタンガンから、バチバチという衝撃音と強烈な光が炸裂する。


「ッ!!」


 逞しい身体の隅々にまで電流が駆け巡る。スタンガンを突き出した男が大きく目を見開く様子が、スローモーションのようによく観察できた。向こうからもそう見えていることを確信しつつ、拙者は大きく口の端を持ち上げる。


「いやはや――なんとも生ぬるいいかづちにござるなあ」


 明滅する閃光の中、粘着男の顔が驚愕に固まる。このガルシも、かつては魔界の荒れ狂う黒雲を統べし『剛雷』と呼ばれた存在――生来の支配属性は、にござる!


「は⁉︎ なぁっ……」

「くすぐったくて、まるで夏の終わりの線香花火かと思いましたぞ」

「!」


 ゆらりと、溢れた魔力が陽炎のように踊る。ああしまった、久しぶりの電撃を受けて、思わず幻影の一部が剥がれてしまったでござる。しかし背後にいる女性には見せられぬ顔であれ、今は利用するに限るであろう。


「ひ、ひぁ……っ!?」


 不健康な男の顔に恐怖が浮かび、玉のような汗が流れ落ちた。拙者は牙をのぞかせ、恐ろしい紋の入った紫色の顔で唸る。



「今後一切、彼女に関わるな。今宵のことを――ただの幻と思いたければな」



***

近況ノート(漫画風挿絵つき/セリフ入り):

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093089916647149

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