第8話 推しに涙は似合わない

「い、いた」


 ライブハウスから路地をいくつか入った先にある、あの公園。街灯近くにあるベンチに座り込んだ細い女性の姿を見つけ、拙者は安堵の息を落とした。


(あれ、ちょっと待つでござる。これでは、あの粘着ファンと同じでは……?)


 彼女の仕事場からみっちり尾行してきたわけではなく当てずっぽうではござったが、結果としてライブ上がりの彼女の居場所を突き止めてしまった。拙者はドジっ子のように、ひとりアワアワと青ざめる。


「!」


 そんな中、こちらを見て弾かれるように立ち上がったのはなんと彼女でござった。大事な仕事道具を置き去りに、どこか興奮した表情を浮かべて長い足で駆け出す。


「あ、あのっ――ッきゃ!」


 べしゃん。そんな擬音が響きそうなほど、それは見事な転倒っぷりでござった。ブーツの底はそれほど高くないというのに、ものの数歩でこの悲劇。もしやクールな見た目に反し、日頃の運動神経が昇天しているパターンのお人でござろうか。


 拙者はしばし呆気に取られていたが、ハッとして公園内へと飛び込む。


「だっ、大丈夫でござるか!?」

「あっ、はい! 大丈夫です。よく転ぶので、タイツの下にすでに絆創膏とサポーターをつけてます」

「潔いほどのお覚悟! ですが転ばないようにする選択肢は!?」


 しまった、思わずツッコんでしまったでござる。何を隠そうこのガルシ、はちゃめちゃにキャラが尖っている他の四天王たちへの唯一のツッコミ機構ですからな。


「ごめんなさい、カッコ悪いところをお見せして……。せっかくステージ見てくれたのに、台無しですね」

「ふぁっ!? あの混雑の中、拙者がいたことをご存知で」

「はい。常連がほとんどの会場ハコなので、新しいお客さんはすぐにわかるんですよ。それに――遠目にも、綺麗な金髪だったのが見えたから」


 数秒の間を置き、拙者は自分の丸い頭を覆う『綺麗な』金髪を跳ねさせた。え、この寝ぐせ全開の頭のことでござるか!?


 こちらの驚きにはかまわず、彼女ははあっと白い呼気を落として言った。


「ここ数日、ちょっと待っているひとがいて。その方も、あなたみたいな金髪だったんです」

「! そ、それであんなに急いで走ってきたのでござるか」

「はい。外国の方っぽかったので、もう帰国してしまったのかもですけど」

「……それは少々、難しい話でござるな」

「えっ?」


 思わず自分のこととして反応してしまい、拙者は丸い手で口を押さえた。彼女のアーモンド型の瞳が、じっとこちらを見つめている――いや正確に言えば、こちらを見下ろしていた。女性にしては少し背の高い彼女と、二足歩行の雪だるまでしかない拙者。残念ながら、あの夜とは真逆の立ち位置になってしまい申した。


「――あなたも、『ラムネたん』目当てですか?」

「!」


 少し落ち着いた声音でそう尋ねられ、拙者は硬直した。今日のパーカーは『らぶ♡ぎぶ』関係ではないものの、アニメオタクであることは一目でわかるでござろう。


「せ、拙者はたしかに、『蒼波ラムネ』のファンでござる。でも今しがた、あなたのファンにもなり申した――花月カノン殿!」

「えっ……」


 ドン引きされるかもしれないと、理性が警告を放っている。しかし語りに火がついたオタクは戦車のごとく、誰も止められぬというもの。


「先ほどのオリジナル曲、見事でござった! あのように魂が震えたのは、はじめてでござる。美しい歌詞の中に、誰もが抱える等身大の悩みが散りばめられていた。その葛藤の殻を打ち破り、次の一歩を踏み出す勇気――Bメロのラストに隠された、曲名とリンクする熱いメッセージ! それに気づいた時、拙者は」

「……っく……」

「はぇっ!?」


 高速回転していた舌を噛みつつ、拙者は素っ頓狂な声をあげた。目の前の美女が、目と鼻先を真っ赤にしながら大泣きしていたからでござる。


「か、花月殿っ!? 失礼した、その拙者、曲の評価などをするつもりは」

「ち、違い、ます……っ。う、うれしく、てっ……!」


 ぼろぼろと涙をこぼすシンガーがうつむくと、さらりとした黒髪が肩から滑り落ちる。


「『カノン』で呼んでもらったのも、オリ曲の感想もらった、のも……はじめて、で」


 ステージ上であれだけ汗をかいていたにもかかわらず、やはり彼女からは花のような甘い香りがした。己から昼食の炒飯の芳ばしい香りが立ち昇っていないか気になるでござる――って、そんな場合じゃなかろうこのチャーシュー魔族!


「よかったらこれ、お使いくださいでござる!」

「す、すみませ……。あ」

「あ」


 せっかく紳士も驚きのスピードでタオルを差し出せたというのに、拙者は彼女と共に固まった。丁寧にアイロンがかかったその布には、青い髪がまぶしい美少女の笑顔が煌めいていたからでござる。


「――これ、『らぶ♡ぎぶ』ブルーレイの特装版にだけついていた、限定キャラタオルですね」

「!」

「もう三年も前に終わったアニメのグッズを、こんなに大事に……。ありがとうございます」


 結局手の甲で涙を拭った彼女は背筋を伸ばし、静かに礼をした。


「ちゃんと名乗ってませんでしたね。花月かづきカノンです。数年前までは『かづきみぞれ』という芸名で、『らぶ♡ぎぶ』のラムネ役を演じていました」

「……っ!!」


 やはりそうでござった。他の魔法少女役たちとは違い、唯一顔出ししていなかった謎の声優――『かづきみぞれ』。現役女子高生という噂もあったが、目の前の女性がおそらく二十代前半であることを見るに、そう外れてはいなかったのかもしれない。


 あまりの奇跡に二の句が継げない拙者を見、花月殿は心配そうに言った。


「えっと……。他の方にもお願いしていることなんですが。私がここで歌っていることをネットの――なんていうんでしょう、アレ……みんなが取り憑かれたように見ている、短いメールみたいな」

「もしや、『Z』でござるか? 思い立った短い文章を、すぐにポストできる」

「あ、たぶんそれです。すみません私、スマホは連絡手段でしか見なくて」


 この若さで珍しいタイプでござるなと思いつつ、拙者は短い首に頭を沈めながら請け負った。


「もちろん吹聴したりはせぬでござる! ですから拙者のことも警戒なさらず。決して、先ほどの男たちのような無礼は働きませぬゆえ」

「……」


 ああもう、拙者の馬鹿ばかぁ!と脳内変換の美少女姿で頭をポカポカしても、もう遅い。明らかに暗い顔になった花月殿を前に、哀れな魔族はふたたび狼狽するしかなかった。


「も、申し訳ござらん。まだ、思い出すのもお辛いでしょうな」

「いえ、あの人たちが応援してくれているのも本当なので……。それに『ラムネ』を恨んでいるわけじゃないんです。私の唯一の当たり役でしたし、声優として少しは名も売れました」


 苦笑する彼女の顔からは同時に、何とも言えない苦悩が伝わってくる。


「高校生の時、路上でひとりライブをしていました。そこを通りかかってスカウトしてくれたのが、アニメのプロデューサーさんです。すごい剣幕で『僕と契約して、ラムネになってよ!』と言われた時は、すぐにお母さんと警察を呼びました」

「おおう、いきなりコアな裏話キタでござるなあ……」


 そのプロデューサー殿はアニメヲタクならば知らぬ者がいないほどの傑物でござるが、アニメに疎い女子高生の目には変質者として映ったのだろう。話しながら促され、拙者は自然と彼女と並んでベンチに座る形になった。真ん中にギターを挟んでの着席でござったが。


「声優のお仕事は楽しかったです。特に主人公の『いちご』を演じた星城せいじょうユノちゃんとはアフレコ中、とても仲良くなれましたし」

「ち、ちょっとお待ちを花月殿。いきなり大物声優との絡みを生語りされて拙者、エモの許容メーターが振り切れそうにござる」

「ふふ、何ですかそれ? わからないけど、面白いですね。えっと……」

「ああ、拙者は東野牙琉とうの がると申す。一応、二十三ということにしておいてくだされ」


 魔族であったころの外見をそのまま引き継いだこの容姿は、人間族でいうとおよそそれくらいに見えるのだとアスイール殿が言っていた。実際はゾロ目もおめでたい三三三歳でござるが、魔族の中でもまだ若い部類なのは本当でござる。


「一応って、ふふ! でも私と同い年って、なんだかうれしいな」


 あ、言葉遣いが砕けましたな。それに笑顔も覗いた、よかったよかった。拙者はほっとしつつ、今さらながら彼女が妙に薄着であることに気づく。


「失礼でござるが、その……この季節にしては少し、薄手すぎる服装ではござらんか?」

「あ、そうでした。慌てて出てしまったから、コート置いてきちゃっ……くっ、くしゅっん!」


 なんでござるか、そのかわいいくしゃみ。春の森のリスたちの秘密のおしゃべりかと思っ――ではなく!これは一大事にござる。


 拙者は短い足ですっくと立ち上がり、電子マネーが詰まったスマホを握りしめて宣言した。


「おしることコーンポタージュ、どちらがお好みでござる?」

「えっ?」

「そこの自販機にあるのでござるよ。買ってき申す。シンガーが喉を痛めては大変でござる。ホット缶なら、かじかんだ指も温まりましょうぞ」

「あ……」


 赤くなった指先を見、ようやく本格的に寒さを実感したのでござろう。形は良くもギター演奏のためかそっけない爪が並んだ指を擦り合わせ、花月殿は観念したように苦笑した。


「じゃあ……おしるこを」

「承知!」


 誇らしい任を胸に、拙者は自販機へと向かう。電子決済のアプリを立ち上げながら、ふと重大な事実に気づいた。


(あれ。そもそも風邪の予防と言うならば、さっさと帰宅していただくほうがよかったのでは……?)


 ぶっちゃけ、わざわざ寒い公園に長居する必要はないのかもしれない。購入可能状態を示す青い光が並んだボタンを目の前にして、拙者の指が宙で震えた。


(お、落ち着くでござる! イヤならばとっくにこの場から去っているはず。つまりもう少し、拙者とお話をしても良いと思ってくださ)

「イヤです!」

「でしょうな!? 調子乗ってサーセンでござ――」


 飛び上がった拍子に、おしるこのボタンを押下してしまう。しかしその否定の声がやけに遠くから聞こえたものであると気づき、拙者はハッとした。急いで自販機の横からベンチを見遣る。


 女が男に迫られている。ラノベのループものかと思うほどに、それは見覚えのあるシーン。


「またここで会うなんて『奇遇』ですよねー。さん」



 ガコンという音と共に、ホット缶が受取口へ落下した。

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