第7話 ノーモア、ステージ荒らし

 それから数日後の日没。拙者はふたたび例の公園近くを歩いていた。ショップカードの住所を打ち込んだスマホの経路案内を確認しつつ、短い足でアスファルトの海を泳ぐ。


 電気街の喧騒も、ずいぶん久しぶりに感じる。あの夜のことを思い出して胸が騒いだが、同時にため息が落ちた。


(なんだかんだでもう、こんなに日が経ってしまったでござる)


 彼女の正体について真相は気になっていたものの、ダウンしていた分の仕事の遅れを取り戻すなどしているうちに時間が溶けてしまっていた。クライアントとの連絡が一段落した今日、拙者はようやくこの電気街のはずれを訪れることができたのでござる。


「ここが……」


 経路案内アプリから目を上げ、黒塗りの建物を眺める。控えめに輝くネオンサインとカードの店名を確認し、拙者はごくりと唾を呑んだ。自分はアニメヲタクであり、その活動場所は主にネットである。アニメイベントのライブも、仲間たちと共にもっと大きなアリーナでしか観たことがない。


(拙者のような陰キャが入って良い場所なのでござろうか)


 このようなライブハウスといえば客とステージの距離が近く、コアなファンたちが大盛り上がりしているという印象が強い。初見で挑める案件ではない気がして、アニメパーカー姿の拙者は入り口前をうろうろと歩き回った。


「あの」

「ヒィ! も、申し訳ござらん!」


 突如声を掛けられ、拙者は飛び上がった。びくびくと振り返ると、ライブハウスのガラス扉が少し開いている。そこから顔を出している女性と目が合った。顔中に装着された恐ろしげなピアスには見覚えがある。とはいえなぜここに、ゴブリン族の呪術師が?


「ご覧にならないんですか? もう始まってますよ」

「え、えっと……?」

「それ。カノンさんの招待カードですよね」


 白シャツに黒エプロンの女性はゴブリンではなく、どうやら従業員さんだったらしい。中から拙者の不審な行動を目にしていたのでござろう。彼女は拙者の腹で微笑む嫁のプリントに目を走らせると、納得した顔でうなずいた。


、ですか。でもカノンさんがご招待したのなら、ちがうのかな」

「あの、拙者……」

「ステージを観るなら急いでください。もしかしたら、早く終わっちゃうかもなので」

「え?」


 彼女はどこかツンとした様子をしつつも、拙者を店の奥へと導いた。ヲタクという種族を毛嫌いしているのかと思ったが、何か特定のことに腹を立てているように見える。


 拙者が逃げ出す口実を考えている間に、目の前の防音扉がわずかに開いた。


「ちょっと、先輩! ヤバいっすよ――あ、いらっしゃいませ」


 すり抜けてきたのは、こちらも従業員らしき青年だった。彼はわりと人間族みがあり、奇妙な安堵を覚える。扉脇に退がった拙者に気づいて急いで会釈しつつも、先ほどの女性へと足早に駆け寄っていく。


「先輩、あいつらまた来てますよ」


 聞き耳を立てるつもりはござらん。けれど魔族の耳には、店員らしくひそひそ声で情報を共有するふたりの会話が否応なく滑り込んできた。


「どうするんです。カノンさん、また歌えないんじゃないすか」

「そう言ってもねえ……ハウス内で何かしたわけじゃないから。店長も、それじゃ出禁は言い渡せないって」

「タチ悪いっすよね。ほかのバンドがってる時は、静かにしてんすから」

「言わないの。ほら――歌い出したよ。カノンさんは強いから、大丈夫」


 その言葉と同時に、防音扉の向こうからかすかに音楽が流れてくる。しかし驚くべきことにその旋律も歌詞も、拙者にとっては未知の代物パリピのうたではなかった。


『……愛のーちからでー、とーびーたつのー……♪』

「これは国民的アニメ、『はくまいマン』のテーマアレンジ……? いや、というより、この歌声は――!」


 大空のように果てしなく、伸びやかな声。少し低くなっていても、拙者にははっきりと分かった。


「ラムネたん!!」


 分厚い防音扉の中に飛び込んだ瞬間、ずんと重厚な音響が拙者の耳を震わせた。 


 ライブハウスに集まっていた客は一見して、拙者の予想に違わぬ風貌の人々ばかりでござった。皆それぞれにオシャレで、かつ推しのバンドを応援する気持ちを宿した熱いまなざしをしている。隅にあるバーカウンターで、派手な色のカクテルを引っ掛けている若者たちもいた。


「「うおおおーっ! たぁーんっ!!」」


 しかしステージにもっとも近い場所で今なお声を張り上げる者たちは、どうもこの場の雰囲気を理解していないようでござった。最前列までこの巨体を進軍させる勇気はない拙者は、魔族の視力をフル稼働させて現場を観察する。


「さいっこー! 神アレンジっ!」

「蒼き歌姫の美声、ここに極まれり!」


 すし詰め状態に近い客席の中で、その数人のまわりだけ空間が余っていた。常連らしき若者たちは一歩距離をとって目を丸くしたり、あるいは細めて非難しているように見える。問題の男たちの服装は明らかに、拙者と『同じ世界』に属する者のそれでござった。


「これは……」

『ご声援、ありがとうございます。有名アニメ曲のアレンジメドレーでした』

「!」


 柔らかくも凛とした声が響き、拙者の心臓は奇妙に跳ねた。薄暗い会場のさらに隅へと退がり、ステージに立つ声の主へと目を向ける。


(花月カノン、殿……!)


 背の高いすらりとしたその女性はやはり、四日前の夜に出会った彼女でござった。特別着飾っているというわけでもなく、シンプルなニットに細身のパンツ姿。駅ビルのカフェで仕事でもしていそうな出立ちであれど、太いベルトに提げたアコースティックギターが彼女が奏者であることを主張している。


『次はオリジナル曲です。ぜひお楽しみください――「colors」』


 照明を反射して輝く色白な腕が動き、しっかりと楽器を支える。鈍色のスタンドマイクに一歩近づくと、ブーツで床を打ってリズムをとった。


『――心のカレンダー、いつの間に止めてしまったの?』

「……っ!!」


 その声を耳にした瞬間、拙者は何者かの攻撃にさらされたに違いないと確信した。脳震盪を引き起こす衝撃の魔法か、あるいは内臓をも灼きつくす業火の魔術か――?


『答えてよ、望んだ明日なんてものが来るのかどうか』


 どくどくと音を立てて巡る血流に驚き、思わず丸い頬に手を遣る。顔が熱い。その間にも彼女の歌声は拙者のあらゆる場所から侵入し、体内を反響していく。ぞくぞくと鳥肌が立ち、拙者はハムのような腕をさすった。


「上手いね」

「うん」


 すぐ前にいる客がそう会話するのを聞き、拙者はコンタクトがずれそうになるほど目を見開いた。


(上手い!? そんな言葉では足りないでござる!)


 実際に多くの客がステージに注目していたが、熱烈な歓声を送る者はいないようでござった。数々の演者を見てきた彼らの肥えた目には、慣れた風景なのかもしれない。しかし拙者は違っていた。


『希望なんかなくたっていい。わたしじゃないなら、いらないから』


 ほぼ目の前で掻き鳴らされるかのような、ギターの旋律。真冬だというのに、強い照明によって浮き出した彼女の額の汗。そしてその歌声は、人間の賢者たちが数人がかりで紡ぐ上級魔術の詠唱よりも力強い。


『どこまでも探しにいく。必ず見つけ出すから――』


 彼女が表現したいことが、ありありと拙者の中に流れ込んできた。日々に忙殺され、自分を見失った者が再起しようとする歌。その伸びやかな歌声は陽に透かした宝石のように、言霊と混ざり合ってくるくると色を変える。


『行こう。一歩ずつ――』


 はじまりは変化のない自分に気づいた、絶望の灰色。しかし歌が進むにつれ、その濁った色は勇気をたずさえて飛び立つ、黄金色の希望へと変わっていく――。


「いやいやー。ここでオリ曲は無しでしょ!」

「!」


 そのはっきりとした冷笑に、歌声に気持ちよく溺れていた拙者の耳が凍りつく。押し殺した批判ではない。予想どおり、演者もびくりと肩を震わせて歌うのを止めた。


「みぞれさん。ボクら、そんな歌が聴きたくて来たんじゃないんですけど」

「せっかく古株のファンが来てくれてんのに、全然知らない曲歌うってどういう神経? ここはフツーに、『らぶ♡ぎぶ』メドレー一択っしょ」

「……っ!」


 明らかに不服そうなヲタク共に糾弾され、壇上のシンガーはよろめいた。そのままギターの重みで倒れてしまいそうな彼女を見、拙者の身体が飛び出しそうになる。しかしあまりにもその距離は遠い。そして拙者は、ただの部外者でござった。


「みぞれって何? てかあのオタファン、うざ……」

「最近よくいるし、あの演者の粘着ファンっぽいよね。かわいそ。ああいうのに付きまとわれて辞めちゃうひと、多いから」


 前方の客が、気の毒そうな声でささやき合っている。いまだ歌の衝撃が抜けきらない拙者でござったが、その言葉が先ほどの場面とつながった。店の従業員たちが心配していた事態が起こってしまったらしい。


「お客様! 演者への個人的な攻撃は止めてください」

「はあ? ボクら、ただの熱心なファンですけど。お金も払ってますし」

「他のお客様のご迷惑ですので、こちらへ」

「どの客だってライブ中は騒いでるでしょ。さっきのも、ただのリクエストですもん」


 ゴブ……いや、あの女性店員からの注意を受けても、数人のヲタク――やはり一人は、あの『スマホ壊されたんですけど詐欺』の男でござった――は据えた目をしてステージ前から動こうとしない。周りの客も巻き込んで、場はどんどん剣呑な空気を増しはじめた。


「カノンさん、こっち! もう今日は退がりましょう」


 後輩くんと見られる青年従業員が、ステージの奥から手招きしている。気づいた演者は詫びるように客席に向かって深く頭を下げ、急いで撤収準備を始めた。


「待っ――!」


 誰に見えるわけでもないのに、拙者は短い腕をステージへと伸ばした。もちろんそれでライブが再開されるわけもない。楽器と飲み物を抱えた演者は最後にもう一度頭を下げ、顔を伏せたまま退場した。


「あ……」


 三日月のように白い女の横顔を、ひと筋の水が伝い落ちる。


 客と従業員が言い争う騒音の中、拙者の魔族の目だけがその真珠のような水滴の煌めきを見送ったのでござった。



***

近況ノート(宣伝イラスト別verつき:ガルシ)

https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093089812869381

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