第5話 ヒーローに制限時間はつきもの
しばらく呆然としていた男は、やがて上ずった声と共に拙者を指差した。
「なっ……何言ってんだアンタ!? そのセリフ、『撃滅の牙』のヤツだろ」
「あ、いやその、失礼……。良い啖呵というものがわからなくて。とにかく、その女性は嫌がっているでござ――嫌がってるようですし。止めてさしあげては?」
「ハァ!?」
自分が非難されていることを感じたのでござろう。血色の悪い男の頬に、カッと赤みが差す。対してその後ろで縮こまっている女性の顔は、相変わらず蒼白でござった。やっちまった感あるでござるな、これ。
男はそびえ立つような長身の拙者を見据え、噛みつくように言う。今やチワワみたいに見える。
「僕が変なことしてるみたいな言い方ですけど、何もしてませんよ。彼女にスマホを壊されたんで、すぐ修理してくださいって頼んでるだけです」
「だから、それは後日きちんと――!」
思わず身を乗り出した女性に、男は粘着質な糸目を向ける。ニキビが浮いた頬を持ちあげ、勝ち誇ったように答えた。
「あんまり強気な発言はどうかと思いますよぉ? 信頼が大事なお仕事でしょ」
「っ!」
その言葉に彼女は凍りつき、ふたたび一歩下がってフェンスに寄りかかった。かわりに拙者が一歩前に出ると、男が警戒するように背を丸める。
「自分はその辺りをランニングしていて、その女性の悲鳴を聞いたのですが」
「そんなコスプレで?」
「……イベント帰りだったので」
じろじろと胡散臭そうに見てくる男に、苦しい言い訳を返す。紫色の肌に、アメコミヒーローのごときマッチョボディ。尖り耳や魔力紋も遠慮なく観察されたが、暗さと『土地柄』の力がなんとか味方してくれたようでござった。
「ふん。ファンタジージャンルで活動する、外国人レイヤーってトコか。でもアンタも僕と同じヲタなら、わかるだろ? 憧れのアイドルが目の前にいる奇跡をさ」
「それは……まあ。しかし本人を怯えさせてしまっては、貴方の想いも伝わらないのでは?」
なかなかナイスな言葉を選んだと思ったものの、男はやはり聞く耳を持たない。しかもあからさまな舌打ちまでしてくるので、ちょっと傷ついたでござる。
「うるっさいなぁ! とにかくこっちは、早くスマホ直したいのッ!」
「たしかに不便ですが、日が昇ってからでも遅くはないかと。それとも、今すぐ彼女を夜の街へ連れて行く必要があるのですか?」
「ああもう、なんだよアンタ! カンケーないだろ」
拙者はなるだけ多くの圧を振り撒きつつ、男を
「それはたしかに。では――そちらの御方」
「は、はいっ!?」
太い首を少し傾けて呼びかけると、気づいた女性が緑ひげ危機一髪のように飛び上がる。う、上目遣いの威力が凄まじいでござる……。荒れ狂うそんな胸中をなだめ、拙者は低い声で問うた。
「この場からお助け申し上げても、迷惑ではござらんか?」
「!」
うるうる瞳のデバフにより少々言葉が乱れたが、とりあえず訊きたい問いは飛ばせた。女性はしばし呆然としたが、ハッとしたように一歩踏み出す。
「は――はい! 私、今、困ってます!」
「なっ!? うそだろ、ファンに対してそんなコト言っていいわけ」
「事実です。応援の気持ちは嬉しいですが、こういうのは……やっぱり困ります! スマホの弁償もしますが、後日場を整えてからにしてください」
「クソッ、ふざけんな、ふっざけんなあああ!」
あ、それは言い過ぎなのではと思うと同時、予想どおり男がついに逆上する。下手くそなフォームではあったが、男はしっかりと拳を握って宙に振り上げた。
「きゃっ――!?」
こういう細い男ほどキレると恐ろしいのは、人間も魔族も変わらぬらしい。拙者は地を蹴り、胸に手を当てて身体中の魔力をかき集めた。残りの魔力を思えば広範囲には展開できないが、その分胸筋の防御力を最大まで向上させる。
完全に硬直している女性の前に飛び出すと同時、心中で割とカッコよく叫ぶ。当社比でござるが。
(『
がごん、とまるで車のボンネットを叩きつけたような鈍い音が響く。それらがこだましながら公園の木立に消えると、男がたまらずといった様子で悲鳴を上げた。
「っぎゃあああ‼︎ い、いだい痛いっ! なんだその胸、鉄板でも仕込んでやがるのかよ!?」
「あ、そんなに? それは申し訳な……」
「ああもうふざけんな、クソが! 警察呼ぶぞ」
「呼ばれるとまずいのはそちらでは? ああほら、ちょうどお巡りさんが」
「!?」
拙者の指差した先、公園沿いの道で何かがうごめいた。実はただの彷徨える酔っぱらいでござったが、人間の目には不吉な黒影として映っただろう。
「ふん……。ま、まあ、今回はもういいです。だからそっちも変なこと、あとで言わないでくださいよ」
まさに純血の噛ませ犬らしいセリフを残し、男は拙者たちに背を向ける。あっさりとした退却を見るにやはりそのスマホ、今壊れたわけではなかったのでござろうな。
しかし男は最後に血色の悪い顔を半分だけのぞかせ、ニッチャリとした視線を拙者の背後にいる女性へと投げた。
「じゃあ、またね――『ラムネたん』」
「!?」
「その呼び方、止めてください」
「止めませんよ。僕にとって貴女はずっと、『蒼き歌姫』なんですから」
今度は拙者が石化する番だった。本当はこれ以上彼女に付きまとわぬよう、もう一言くらい釘を刺しておくつもりでござった。なのに言葉が出てこない。その間に男は足早に公園の闇へと消えていった。
「ら、ラムネたんって……」
「あの、それは気にしないでください。それより、ありがとうございました」
放心している拙者の前に回り込んできたのは、いくらか顔に血色が戻った女性だった。寒風にさらされたためか、両頬がりんごのように赤く染まっている。
「すごいリアルなコスプレですね、それ! なんのキャラクターなんですか?」
「ああ、ええと……。超マイナーなファンタジーなので、たぶんご存知ないかと。でも、ありがとうございます」
容貌を誉められたことには違いない。礼儀正しく頭を下げる拙者を見、女性は慌ててさらに深く腰を折った。面接を受ける学生よりも深い角度ではなかろうか。
「お礼を言うのはこちらです」
「はは。勝手に割り込みましたが、ご迷惑ではなかったですか?」
「あの……はい。正直、けっこう困ってました。いつもはここまで迫ってこないんですけど、今日は仕事場からツケてきていたみたいで。情けないんですけど、今さら足が震えてます」
そう言って苦笑してみせる彼女でござったが、今にも泣き出しそうだった。どうやら日頃から粘着されているらしい。拙者は彼女の苦悩を想像して眉をひそめ、おずおずと進言した。
「よかったら、え、駅まで送り……うぐっ!?」
急に身体を圧迫されたような苦しさに見舞われる。背中に浮き輪肉が出現し、ぽよんと跳ねてかさばるのを感じた。同時に、身体中にどっと疲れが押し寄せる。鉛をどんどん背中に積まれているような、この心地は――。
(魔力が尽きかけている……幻影が消えてしまうでござる!)
久しぶりに魔力を行使した反動が、早くも訪れてしまったらしい。きょとんとしている女性からじりじりと離れつつ、拙者は無意味な敬礼をしてみせる。
「で、では、自分はこれで。夜道、お気をつけて」
「あのっ!」
しかし拙者の予想に反し、彼女が行動を起こした。長い足であっという間にこちらの眼前まで迫ると、漆黒の瞳に真剣な光を浮かべる。近くで見ると猫のごとき見事なアーモンド型の目だというのに、うるうるさせるのは反則でござる。
「お礼、したいんです。また会えませんか? 連絡先の交換を……」
「ええっ!? えっと」
連絡先交換のためスマホを取り出した女性という奇跡の光景を前にして、拙者は思いきり狼狽した。おそらく使用するアプリは、あの緑色の有名なヤツでござろう。
(すまぬでござる、我が嫁よ。でもなぜか拙者、今は二人を合わせるのはまずいという気がしてならないのでござる!)
アプリ内で自身のアイコンにしているのは、もちろん『蒼き歌姫』――ラムネたんの公式配布画像だ。仮想嫁に心中で詫びつつ、拙者はジーンズのポケットを叩きながら答えた。
「ら、ランニング中はスマホ、持ってないんです。落としたことがあるので」
「そう……ですか」
ショボンという効果音を伴う勢いで、女性の眉が下がる。しかし彼女は残念そうな表情をすぐに引っ込め、青色のスマホケースから一枚の紙を引き抜いて拙者に差し出した。
「私、夜はここにいます。もし気が向いたら、寄ってみてください。このカードを見せたら、無料で入れるはずなので」
紫色の指で小さなカードをそっと受け取る。その間にも頬肉が盛り上がってきているような気がし、内心では焦りが募った。黒っぽいカードには、読めそうで読めないつづりの店名が書かれている。
マイクとライトがデザインされたロゴを見つけ、拙者は予想を口にした。
「ライブハウス……?」
「はい。小さいところですけど、いつも夜七時くらいから歌っています」
なるほど。震えが取れてみればたしかに、伸びやかな良い声をしている。それ以外にも色々と気になる点はあったが、もう限界でござった。拙者はひとつうなずいて手を挙げる。
「わかりました。かならず伺います」
「よかった! お待ちしてますね」
ほっとしたように、女性の形の良い唇がゆるむ。白い呼気の向こうで、ようやく彼女は笑顔を見せてくれた。黒いストレートの髪が夜風に揺れ、ふわりと甘い香りが魔族の鼻先をくすぐる。
(……! また)
途端に騒ぎ出した胸を押さえつつ、拙者は公園の隅へと駆け出す。ちらと振り向くと、辺りを警戒しながらも歩き出した彼女の背中が確認できた。
「ふう……」
奇妙な脈を送り出し続ける胸で大きく深呼吸し、持ち物を隠している茂みへと向かう。その頃には身体の肉はドーナツのように膨れあがり、背は縮んでいた。
(ヲタクであることを恥じたことなど、ないというのに……。どうして今宵は、この姿を見られたくないと思ったのでござろう)
贅肉をむにむにとつまんで空を見上げていた拙者だったが、ふと気になって先ほどのカードを取り出す。裏面は灰色であり、隅に小さな手書きのサインが走っていた。
『花月カノン』
「カノン、殿……」
魔族は風邪など引かない。
それでも寒風で冷え切った唇でその名をつぶやくと、不思議と拙者の心はじんわりと熱くなったのでござった。
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