第4話 マッチョはお好きですか
悲鳴の出どころは、電気街に入ってすぐの小さな公園でござった。街の明かりから離れているためか、今は墨を撒いたように暗い。
(暴漢だったら、即通報コースでござるが……)
拙者は公園を取り囲む樹木にそっと背をつけた。わがままボディが両側からはみ出るも、一応忍んでいるつもりでござる。
「ちょっとちょっと、そんな声出さないでくださいよぉ。べつに、乱暴するわけじゃないんですから」
そっと盗み見た現場は、漫画でよくある展開とは少し違っていた。たしかに男が女性に迫っているようでござるが、男は世紀末のニオイを漂わせる筋骨隆々のチンピラとかではない。
不健康そうな細く丸まった背。コーデ失敗感のあるライムグリーンのキャップからはみ出ているのは、どことなくネチャついた髪。どちらかといえば、こちらの世界における拙者の『同族』のニオイがした。いや、拙者はコンディショナーまでこだわる派の清潔ヲタでござるが。
「き、昨日も帰り道にいましたよね」
女性は明らかに警戒し、怯えている。ニット帽を深く被っているので顔立ちはわからないが、張りのある声はまだ若い。濃紺のダウンジャケットに細身のパンツという出立ちは庶民のものでござったが、背中に何やら大きなものを背負っている。
「今日は道を変えたのに、また会うなんて……。付きまとうのは、やめてください」
気圧されるようにじりじりと後退する。しかし逃げ場はない。彼女の背後は、公園のフェンスでござった。
「付きまとうなんて言わないでください。ファンがアイドルを追いかけるのは当然でしょう?」
「昨日も今も、プライベートの時間です。それに私は、アイドルじゃない――シンガーです!」
それだけは主張しておかねばなるまいといった風に、女性の声が強くなる。が、やはり恐怖のほうが勝るのでござろう、その後は黙りこんでしまわれた。拙者は少し身を乗り出し、目ではなく耳に集中する。なんだか、知った声のような気が……。
「えー? 僕、そんな無理なことは言ってないと思うんですけど」
「い、言ってます。自分のためだけに歌ってほしいだなんて」
「雑音ナシの、純粋なあなたの声を録音しておきたいんですよ」
「しかもリクエストが、『あの歌』……。あれは私がひとりで勝手に歌っていいものじゃないって、何度もお話ししたはずです」
「そんなのバレませんよ。ネットにあげたりもしませんから。お願いします!」
ふたりのやりとりの詳細は分からないが、男はどうやら少し粘着質なタイプらしい。女性は間違いなくドン引きでござった。しかし通り魔的な出会いでないなら、このまま話し合いでも解決できようか――拙者がそう考えた時、さらに事態が悪化する。
「じゃあ、歌は今度でいいですから。今日は一緒に写真、撮りません?」
「えっ!?」
女性が驚いて一歩下がると、フェンスがガシャッと無慈悲な音を立てた。女性の口元が引きつり、強気な態度が消え失せる。男がスマホを取り出し、じりりと彼女との距離を詰めはじめた。
「僕の顔も写るんですから、ネットに流したりしませんよ。ね、これならいいでしょう? 待ち受けにしたいだけなんです」
「ち、ちょっと! 本当にやめてください! 大声出しますよ」
「さっき出したじゃないですか。誰も来てませんけどね」
「……っ、来ないでっ!!」
あっ、と思わず拙者は小さな声を漏らしてしまった。女性が自身のニット帽をひっ掴み、男めがけて投げつけたのでござる。柔らかい球のようなそれは、男の手からスマホを叩き落とした。現代人ならゾッとするような音を立て、文明の利器が地面に衝突する。
「ちょ、どうしてくれるんですかこれ! 新しいやつなのに」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ」
女性は狼狽え、不安そうに胸の前で両手を擦り合わせる。しかし帽子を失って露出したその顔を見た瞬間、拙者の胸が奇妙な脈を打った。
「っ!?」
静電気で少し乱れていてもなお艶やかな、深い黒のストレートロング。左右の耳の後ろあたりからは、二本の青いインナーカラーが伸びていた。センターで大きく分けられた前髪の間からのぞく額は白く、緊張からかやや汗ばんでいる。自然な太さの美しい眉はハの字に下がり、髪と同じ漆黒の大きな瞳は潤んでいた。
(な、なんでござるか。この気持ちは)
顔が熱い。どくどくと波打つ心臓をパーカーの上からぎゅっと押しつけ、拙者は固まった。その間にも男は女性に迫っていく。
「うわヤバ、やっぱり素顔エモ。SNSやればいいのに」
「別に、顔なんか……。私は、歌を」
「みんな、あなたのオリジナルなんて興味ないですから。なんで売れてるキャラでやらないんですか?」
男の言葉を聞いた瞬間、女性は身体中の血が抜けてしまったかのように青ざめた。相当にショックだったのでござろうか、帽子を拾おうとしていた手さえ止まっている。代わりに男はスマホを拾い、大仰な仕草で言った。
「ほら、画面にヒビ入っちゃいました。どうしてくれるんですか」
「べ、弁償……します」
「ふーん。じゃ、今からお店行きましょうよ」
「今からですか? 連絡先交換して、明日にでも……」
「いやーやっぱ不便なんで、今すぐ直さないと。そこの電気街なら、夜じゅうやってる店がありますよ」
「でも、あの」
戸惑うものの、拒否する口実が見つからないのか女性はうつむいてしまう。拙者は知らずとマシュマロのような己の拳を握り、その光景を見つめる。
そう――カラーコンタクトの下に潜む人外の目は、暗闇でもしかとひとつの事実を掴んでいたのでござる。
(スマホはケース側を下にして落下していた。今画面にヒビが入ったなんて、真っ赤な嘘でござる!)
しかも男のゴツいスマホケースは、耐衝撃を誇るメーカー製。ガジェットヲタク友達に嫌というほど解説されたことがあるので、間違いなかろう。それでスマホが損傷していたら、むしろケースのメーカーに苦情を入れねばならぬというもの。
(修理は口実で、どこかの店へ誘い込む気でござるか)
自分に責があると考えているのでござろう。罪の意識に苛まれ泣き出しそうな顔になった女性を見、拙者は腹を決めた。
(うまくいくかは、わかりませぬが――)
パーカーの中で笑う嫁の上に手をかざし、拙者は静かに目を閉じる。日々の鍛錬など数年サボッているので、体内で生成できた魔力はごくわずかだった。伊達メガネとコンタクトを外してポケットにしまい、大事なお宝が詰め込まれたリュックを茂みに隠す。
やがて胸の奥から湧き出てきた温かな感覚――魔力の膜を、うすく全身にまとわせて立ち上がった。
(こんなものでござるか)
今度もまた、都会の痩せ樹の両側から身体がはみ出てしまっている。
しかしその見目は、先ほどとはまるで違っていた。
はちきれんばかりに盛り上がったアニメパーカーの下にあるのは、太く固い筋肉。背は一九〇センチを越すほどに高く、手を伸ばせば樹の枝さえ掴めそうなほど。対して腹回りは無駄なく締まっているので、伸びきったパーカーの隙間から夜風が舞い込んできた。
(おっと。戦装束にするには、あまりのお宝でござるな)
拙者は慌てて、がばっとパーカーを脱ぎ去った。たくましい上半身を晒したマッチョが丁寧に衣服を畳んでいるのを見、公園住まいの野良猫がフシャッと鳴いて逃げ去っていく。ふん、雑魚め……などと呟きつつ、なんだか鼻の奥がツンとした。
拙者は最後に、スマホのカメラを自分に向けて顔を確認する。
(懐かしき顔にござる)
筋が浮いた太い首の上に乗った、精悍な顔。腰下まで届く長い金髪に、月よりも明るく輝く金眼。紫色の肌と尖った長い耳は魔族の象徴であり、これだけで大抵の人間なら戦意を消失するほどの圧を備えている。
加えて両頬や胸には、魔力紋と呼ばれる生来の模様が
(もう少し時間があれば装備の再現や、人間の外見に寄せることも可能でござろうが……)
長い爪が目立つ指で、少ない頬の肉をつまんでみる。魔力で創り出した幻影にしてはよく出来ている、と己を励ました。これなら万が一多少の接触があっても、中身がデブのアニヲタだとは気づかれまい。
(長くは保たない。しかし、あの男を退けるだけならば)
拙者は深呼吸し、長い足で一気に葉のない茂みを飛び越える。ザザッと漫画のような砂音が立ち、公園の隅で言い合っている男女がハッと振り向いた。
こちらを見た男が、悲鳴に近い声で叫ぶ。
「な、なんだよアンタ!」
ムッキムキの上半身にパッツパツのジーンズ姿の金髪刺青巨漢。そんな男が大股でずんずんと歩いてくるのだから、彼が少女のような声になるのも当然でござろうな。心中で哀れみつつも、拙者はするどい金の眼光で男を射る。
先手必勝。この場を制圧するには、次のひとことに全てがかかっていた。
「こんばんは! 寒いですね」
「はぁ!?」
しかしのほほんとした挨拶を繰り出した拙者はようやく、自分がこれまで一度も先陣を切った経験がないことに気がついた。そういう斬り込み隊長的なアレは、メラゴ殿とキティ殿の役目でござる。相手の戦意を挫くひとこととは一体、どんなものであろうか。
とりあえず怖くてヤバそうなやつ。強そうなやつ。思い出せ、履修した数々のエンタメを!よし、テイクツーでござる。
「地獄に堕ちろ。いや失敬――ここが地獄であったな」
とりあえず、場の空気を凍らせることには成功した。
***
キャラクター設定画(ヒロイン):
https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16818093089575325492
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます