【アップ】2024年11月17日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

天川裕司

【アップ】2024年11月17日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=NmUFm4lJwPM


【ブログ】

ブログを見て下さると、聖書や讃美歌の歌詞などもご覧になれます。

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12876390326.html



前奏

招詞 イザヤ書63章15、16節

・詩 編 歌 118編1節 恵みあふるる主に

・開 会 祈祷

・主 の 祈り(週報裏面)

・十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教 スコットランド教会新カテキズム

「ただお一人の神さま」

・こどもさんびか ほめうたうたえ[改43(3節)]

牧 会 祈祷

・讃 美 歌 228番

聖書

サムエル記下7章8~17節(旧約P490)

マタイによる福音書16章13~20節(新約P31)

説教

「神の国と教会

~王ダビデと結ばれた永遠の契約」

宮武輝彦

祈祷

・讃 美 歌 520番

・みことばの交読文 詩編27編4~8節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

・頌 栄 544番

・祝 祷

報 告



讃美歌~♪


讃美歌228番(歌詞付)54年版「ガリラヤの風」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=KHYe9EUpWDQ


1・ガリラヤの風 かおるあたり

 「あまつ御国は 近づけり」と のたまいてより

 いく千歳(ちとせ)ぞ きたらせたまえ 主よ、御国を


2・たたかいの日に いこいの夜(よ)に

 御国をしたう あつきいのり ささげられしは

 いく千度(ちたび)ぞ きたらせたまえ 主よ、御国を


3・憎(にく)み、あらそい あとを絶(た)ちて

 愛と平和は 四方(よも)にあふれ みむねの成るは

 いずれの日ぞ きたらせたまえ 主よ、御国を


しずけき河のきしべを(讃美歌520番)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=6ACCJ7_jqHM


1.しずけき河のきしべを すぎゆくときにも

 うきなやみの荒海を わたりゆくおりにも


     (おりかえし) こころ安し 神によりて安し


2.むらがる仇はたけりて かこめどせむれど

  いざなうものひしめきて のぞみをくだくとも


3.うれしや十字架のうえに わがつみは死にき

  すくいの道あゆむ身は ますらおのごとくに


4.おおぞらは巻き去られて 地はくずるるとき

  つみの子らはさわぐとも 神による御民は



2024年11月17日 礼拝説教 聖書箇所


「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。」

サムエル記下7章12節


「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」

マタイによる福音書16章17節


はじめに

ダビデ契約において、「イスラエルの子たち」に与えられた、契約の希望を学ぶ。

「わたしの僕ダビデに告げよ」とは、主の言葉が臨んだ預言者ナタンに命じられた“主の命令”。「王」ダビデは、「主の僕(しもべ)」。ダビデはこの時、サウルに代わって二代目の王となり、エルサレムの「王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった」。ダビデは、イスラエルがエジプトの奴隷下から救い出された主の御業とその臨在を証しする「神の箱」について「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ」といい、「神の箱」にふさわしい安置の場所を求める。ナタンは王に一度は、「心にあることは何にでも実行なさるとよいでしょう。主があなたと共におられます」と言う。「しかし、その夜、ナタンに臨んだ主の言葉」は、「わたしの僕ダビデのもとに行って告げよ。主はこう言われる。あなたがわたしのために住むべき家を建てようというのか。わたしはイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕、すなわち幕屋を住みかとして歩んできた」であった。主は「神の箱」、「わたしのために」「レバノン杉の家を建てないのか」と言われる方ではなく、かえって、ここで、ご自身の「僕」ダビデに、ご自身の名のために、永遠の家と王国を建てる約束をされる。次の王ソロモンの神殿等は、キリスト到来前の期間限定(列王記上6章12節)。

「わたしは牧場の羊の群れの後ろからあなたを取って」とは、王ダビデに与えられた召命が、主のものであることを謙遜に物語る。人の目に大きな栄誉を与えられた者は、かえって、小さな出発を思い起こすことが大切。神の目にダビデは、小さな者であり、なお「僕」。「わたしの民イスラエルの指導者にした」のは、主であり、主が、「敵」を「すべて退けて」「安らぎを与え」「あなたのために家を興す」。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものにする」。この王国とは、地上においては、一時、(ダビデがウリヤの妻によってもうけた(マタイ1章6節)ソロモンの栄華にその結果を見るが、主イエス・キリストの到来において、この約束が、キリストにおける永遠の神の国の実現を指すことを認めることができる。事実、御使いは、マリアに「その子(イエス)は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる」(ルカ1章32節)と告げた。まことの王は、地上の政治的支配者としてではなく、永遠の神の主権を、真の謙遜と従順において果たされる「僕」として来られる。「あなたの家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座をとこしえに堅く据えられる」とは、実に、キリストの王国(神の国)が、永遠で堅固であることを告げるもの。

3・「万軍の主、イスラエルの神よ、あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました」と、主の僕ダビデは祈りをささげる。アブラハム契約、シナイ契約同様、ダビデ契約においても、主の約束に謙遜と従順をもって応答する時、契約の基が据えられる。主は、民の背信と罪にもかかわらず、ご自身の真実と誓いにかけて、果たされる。ただ、主の深い憐れみによる、恵みの契約の実現。

おわりに・十字架と復活の主イエスを「メシア[キリスト]、生ける神の子」と、神の啓示とその実現を告白する教会(エクレシア)は、主の僕たちの「祈りの家」、主の契約の実現を証しする「契約の子たち」(共同体)。主キリストの到来と、救いの希望を人びとに伝えつつ。



(Mynote)


二〇二四年一一月一七日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「愛と力に満ちた神様は何人居られるのですか。」

「ただお一人の神様だけです。」

キリストに於ける我々が信じ愛する神様は、唯お一人だけ。万物を創り出され、神様は全ての人を愛して創って下さった。神様に創られた全ての人は、自分に不足を感じで恥じる事なく、常に自分がこの地に誕生させられた事を神様に感謝し、喜び、隣人をも同様に愛する事が大事である。

(公同礼拝)

『サムエル記下』(第七章八〜一七節)

『マタイによる福音書』(第一六章一三〜二〇節)

『マタイによる福音書』では、イエス様とその弟子がピリポ・カイザリアの地を訪れた時、ひと時を待ち、

「人々は人の子を誰と言って居るか」

と問うた。弟子達はこれに応え、

「或る人はバプテスマのヨハネだと言って居ます。しかし、他の人達は、エリヤだと言い、又、エレミヤ或いは預言者の一人だ、と言って居る者も在ります」

と口々に言った。そこでイエス様は、

「それでは、あなた方は私を誰と言うか」

と問うた。これにペテロが応え、

「あなたこそ、生ける神の子キリストです」

と言った。するとイエス様は彼に向かって言われた、

「バルヨナ・シモン、あなたは幸いである。あなたにこの事を現したのは、血肉ではなく、天に居ます私の父である。そこで、私もあなたに言う。あなたはペテロである。そして、私はこの岩の上に私の教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つ事は無い。私は、あなたに天国の鍵を授けよう。そして、あなたが地上で繋ぐ事は、天でも繋がれ、あなたが地上で解く事は天でも解かれるであろう」

と応えた。

教会は建物ではなく、イエスキリストを信じる人そのものである(エクレシア)。ダビデは神様の為にレバノン杉で住まいを建てようと言った。これに従い預言者も「それは良い、神様もきっと喜びます」と補った(『サムエル記下』)。この住まいとは、所謂る神殿と捉えて良いだろうか。けれど神様は人が造った住処など必要とせず、逆に、神様が全ての人の為に住処を用意し、この地上と自然と、そのとき必要なものを用意して下さる。神様は人が造る住処など求めない。

そこで神様はナタンを遣わし、その夢の中でダビデに告げるべき事を全て教えた。ナタンはその通りダビデに伝え、ダビデは神様に改めてその事を教えられる。

人は主観や習慣によりよく勘違う。主観を以て生きる事から(生かされる事から)、神様の事を自分達と同様に捉え、こうすれば喜ぶだろう…とした事をしようとする。しかしこれが本末転倒に在り、人は神様の御力が無ければ一秒と生きる事の出来ない者で、即ちそうする者は、神様から常に与えられる恵みを忘れて居る姿と内実に在るに過ぎない。

教会の礼拝は物理的なものに無く霊的に在り、神様が初めに全ての人に教えた契約(聖書に在る御言葉)の下(もと)に成る。教会は櫓でなく、人の心の中にある「罪の許しを求める人の姿」そのものであり、その罪の淵から救われる道を教える場所である。

教会の聖霊は人の下に無く上に在り、救いを求める人の周りに在る。その聖霊は神様の御力から成る。

神様はダビデの事を僕(しもべ)と呼び、神様に仕える者と言う。このダビデの姿がクリスチャンを始め、全ての人の神様に仕える本来の姿・内実に在り、初めから在る神様と人の契約をその様に知り、立場を違えては成らない。

全ての人の出ると入(い)るとを守られるのは神様である。生まれてから天に還る迄、全ての人は信仰に歩まされる上、神様に愛され、恵まれ、守られる。

イエス様は全ての人に仕える為に来られた。人の最も汚い処・醜い処…詰り罪から人を救われる為に来られた。イエス様が天に上られた時、神殿の垂れ幕は二つに裂かれ分かれた。これは人の前の神殿の門が開かれ、信仰に依り、全ての人が救われる事を示した。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教19 「イエス・キリストを身近に」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=MCyjy8BuIIw


[ドキュメンタリー]放蕩息子たちの帰る場所

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=gfhre6IfM8Q&t=642s


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97%E3%83%B3%E3%83%86/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)




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