第8話
彼女の家の前に立った瞬間、心臓の鼓動が速くなったのを感じた。
空は夕焼け色に染まっている。空を這う鳥の鳴き声は、どこか感傷的な雰囲気を出していて、時間の経過がよくわかった。
私の視界には芽衣の家しか映らなかった。思ってたより大きくて、古風な日本家屋のようだった。
「よし...!」
私は深呼吸をし、自分へ言い聞かせるようにそう呟く。
私がインターホンを押すと、ピンポーンと軽い音が立った。そうするとすぐに、家の中から木が軋むような音が聞こえた。
「はいはーい」
ガラガラと扉が開く音が鳴り、彼女が顔を出す。
「久遠さん!待ってました、どうぞ」
彼女は微笑みながら、私に対し手を差し出した。
今日の彼女は少し特別なのか、綺麗な白い髪はいつもよりさらさらで、距離があっても良い匂いがする。
いや、いつもいい匂いはするよ?でも、今日はなんだかいつもよりいい気がする。
「ありがとっ」
私は感謝の言葉を発しながら、彼女の手を取る。私は彼女の方向へと歩き出し、家の中へ入る。
「..すっご」
私は思わず感嘆の声を上げる。そこには到底一般人には住めないような、あまりにも絢爛とした景色があった。
大事にされているのだろう畳や柱は、そこに存在感を示していた。控えめだが趣深い、古き良きものを感じる。
「..姉さんが凄いだけですよ?」
芽衣は照れくさそうに笑いながら、そう言っていた。
「姉がいるの?」
ふと気になったか私は尋ねる。
「はい。一緒には住んでませんよ?だって、姉さんは忙しいですから」
芽衣の口調は淡々と言った中に、どこか誇らしげな感じもあった。けどその奥底では寂しさのようなものも感じる。
「そーなんだ。というか、この規模の家を買うってすごくない?」
私が率直な感想を述べると、彼女はふわりと笑った。
「姉さんは昔から頼りになる人だったんですよ。文武両道を体現したような人で、両親は姉さんの事ばかり気にかけてました」
「だから、私は...」
彼女の言葉が止まった。これは気のせいかもしれないが、一瞬暗い顔をしたような気がする。
「いえ、なんでもありません。とりあえずですね?姉さんはすごい人だったんです」
「そっか...」
褒めたかった、肯定の言葉を並べたかった。なのに、彼女の言葉が止まったのを見ると、どこかかける言葉が出なかった。
「...久遠さんも、負けてませんよ?」
不意に彼女がその言葉を吐く。
「えっ?それどういう」
彼女はいたずらそうに笑っていた。私はふと頬を触ると、びっくりするほど赤くなっている。
「さぁ?どうでしょうね。座っといてください、お茶持ってきますね」
彼女は私の事をリビングに案内すると、ぱたぱたとキッチンへ向かっていった。
にしても、本当に大きい部屋だ。座布団や机、そして池の鯉が見える襖の外。
すごい...と語彙力がない感想ばかりを抱いていると、彼女が湯呑を二つ手にして戻ってきた。彼女は私の前に優しく湯呑を置き、自身も座布団に腰かけた。
「結構自由にして頂いて構いませんよ。自分の家ってぐらい寛いでオッケーです」
彼女は笑いながらそう言っている。
「ほんと?逆に緊張するんだけど...」
私は苦笑いしながら、傍にあった湯呑に手をかけた。存外熱くなく、逆に冷たかった。
「ところで、久遠さんって普段なにするんですか?」
彼女は不意に話しかける。私は返事を考える。
「あ~...最近は小説もそうなんだけど、写真とかも好きかも」
「写真ですか!どんなものを撮るんです?」
彼女は興味津々そうに私に声をかける。
「最近は..そうだな、街角とか夕焼けとか、それこそ芽衣の家にある池とかみたいな、風景画が好きかな」
「お~~~、私も庭の景色は好きですよ。四季折々で変化があって、飽きがこないんです」
彼女は指を外に向ける。素敵な景色だ、鯉たちは生き生きと泳ぎ、そよ風に揺れる木々たちが、そこに綺麗な影を落としこんでいる。
「...ほんとだ、素敵だね。写真に収めたいぐらい」
私はぽつりと呟く。
「いいじゃないですか。ただし、条件がありますよ」
「なにそれ」
私は不思議そうな声で彼女に問う。
「私も一緒に撮ってください」
私は息を呑んだ。彼女の言葉は冗談ではなく本気のようで、別に構わないのだが、彼女の表情からはまた違う何かが見えた。
「私も、一緒に?」
私は思わず聞き返す。そうすると彼女は軽く頷いた。
「はい。折角ですし、写っておきたいなって」
彼女は微笑みながら、そう答える。彼女の言葉からは、自分のことを見てほしいという、切実な願いがこめられているみたいだった。
「じゃあ...撮ろっか」
よくよく考えれば、悪い事じゃない。彼女は綺麗な人だから、十分溶け込めるだろう。
私はスマホでカメラを開きながら、開いている襖の前に立っている芽衣へ、カメラを向ける。そうすると彼女は少し恥ずかしそうに笑っていた。
「はい、撮るよー?」
カシャという音が鳴り、美しい景色が写真として残る。古き良き日本家屋や夕陽、そして何よりも彼女の笑顔が、全て一枚に収まった。
「どうですか?」
彼女は私のスマホを覗き込みながら、そう言っている。
「すごくいいよ、素敵。一生大事にするね」
私は優しい表情を浮かべながらそう呟く。
「はい...何があっても、この写真だけは消さないくださいね?」
彼女の発言からは、何か縋りつくようなものを感じた。
夕陽が私達を照らしている。そこに存在している芽衣の瞳には、どこか吸い込まれるようだった。
今日何をするのか。それだけで、私が少年のような期待感が溢れそうだった。
私達の一日は長い。だけど、彼女との友情は不変なものかもしれない。そう思うだけで、心がポカポカする自分と、胸がチクッとする自分がいた。
だけど、確信していえるのは、芽衣との時間が、これからも続くようにという願いだった。
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