家畜ヒモ野郎はヴァンパイアレディの夢を見ない⑤



「まぁ、とりあえず……まずはこの状況から抜け出してみるか」


 そう決めた俺はエリザの腰に回していた手をそっと解くと、彼女の肩に手を添えて身体を横にずらそうとする。もしここで寝ぼけたエリザにホールドとかされようものなら、脱出は不可能だったろう。


 だが、幸いなことにそういったことは起こらなかった。若干、息子がエリザの身体に引っ掛かりはしたものの、俺の身体の上から退けることには成功した。……でも、ちょっと痛いね。


 さて、これで障害は無くなったわけだが……まだ困ったことが残っている。それは割と大胆なことをやってるのに、エリザが起きないことだ。未だに彼女はうつ伏せの状態のまま、ぐっすりと眠ったままである。


「そもそも、なんで眠り出したのかも分かんないし、はっきり言ってお手上げなんだが」


 だが、このまま放置していても、エリザは一向に目を覚ます気配が無い。かといって、強引に起こすのはちょっと躊躇してしまう。


 何故なら、もしこれが後に尾を引いて、エリザが九十九に『ヤシロに無理矢理起こされた』などと言われた日には、せっかく改善しつつある俺の人権が吹っ飛んでしまうからだ。


『ほう、貴様。居候の分際で家主を叩き起こすとはいい度胸だな。そうした蛮行が許されるとでも思ったのか?』


『い、いや、これは不可抗力で……』


『なるほど、この期に及んで言い訳とは。どうやら余程痛めつけられないと理解が出来んらしいな』


『あの、その……』


『いいだろう。その腐った根性、徹底的に叩き直してくれるっ!』


『ちょ、まっ!? 話せばわかっ、ぎにゃあああああああああ!!』


 ……って感じに、ボコボコにされちゃう可能性があるからね。そしてスマホは没収されて、お小遣い性も廃止、ディストピア飯はディストピア飯と、以前の待遇に戻っちゃうわけだからね。それだけは絶対に嫌だ。


 よって、どうにかしてこの状況を脱しなければならないんだけど……かと言って、俺に出来ることというのは少ないので、どうしようもないんだが。さて、どうする、俺。


「……よし。こうなったら、最終手段に出るしかなさそうだな」


 俺はもうこの手しか残されてないのだと思い、そう決断する。正直、この選択は博打もいいところだし、失敗したら目も当てられないことになる。


 しかし、このまま寝ているエリザの隣でじっとしていても何も変わらないし、彼女を置いて帰る訳にもいかないから、仕方のないことだろう。


「決めるぜ、覚悟!」


 俺はそう言いつつ、ズボンのポケットからスマホを素早く取り出した。そしてそのまま、あるアプリを起動させる。それが何かと言えば、ただの電話帳なんだけど。


 そしてその電話帳に登録してある、唯一の電話番号に向けて、俺は通話を発信させた。すると、2コールほどで通話先に繋がり、声が聞こえてきた。


『……なんだ?』


「もしもし、九十九。俺だ。助けてくれ」


 そう。俺が電話を掛けたのは、九十九のスマホにだった。俺以上にエリザのことを知っているのは、あいつだけだ。現状打破の為に頼れる相手は九十九しかいない。だからこうして、恥を捨てて頼ることにしたのだ。


『は? 俺だと? 貴様、一体どこの誰だというのだ』


 しかし、そんな思いとは裏腹に返ってきたのは、不機嫌極まりない怪訝そうな声だった。


「へ? いや、だから俺だって、俺。分かるだろ」


『知らんな。自分の名も告げられない相手なぞ、話をする価値など無い』


 そう言って、ぷつりと一方的に電話を切られた。スピーカーからは虚しい感じにツー、ツー、ツーと音が鳴っているのが聞こえてくる。おいおい、マジか。待ってくれ。そんなんで普通、通話切る? 嘘でしょ?


 俺はもう一度、九十九の携帯番号に電話を掛けてみた。さっきと違って、今度は1コールですぐに繋がったようだ。


『……なんだ?』


 開口一番、さっきと同じ言葉が返ってくる。が、案の定というか、九十九の声は更に不機嫌さが増していて、怒気が籠っていた。はっきり言って怖いです。


「もしもし、九十九さん。私、社くん。助けてください」


 とりあえず、さっきの二の舞はごめんなので、ちゃんと自分の名前を名乗ってから助けを求めた。だって、そうでもしないとまた切られるだもん。


『……はぁ。まったく、電話だろうと挨拶は基本だ。ましてや、私とお前は親密な間柄でも無いのだから、まず名乗るのが筋というものだ。違うか?』


「……おっしゃる通りです」


『ふんっ。分かればいい。次回からは気を付けるんだな』


「……すみません」


 九十九からの強めの叱責に対して、俺はすぐさま謝罪の言葉を口にする。てか、名前なんてスマホの画面に表示されてるんだから、別にいいだろと思うんだが。それチェックして終了でいいじゃん。


 でも、こういう時って下手に口答えしても、大抵は碌なことにならないんだよね。より詰められるというか、深みにはまるというか。経験則上、俺はそれをよく知っている。だから、さっさと謝るべきなんだ。


 ちなみにこれが俺の元上司が相手だったとするなら、ここから10分ぐらいは説教と自分語りと昔語りを始めるからな。不毛も不毛よ。なので、すぐ終わった九十九の対応は俺からすればまだマシに思えるから、不思議だよね。


『それで、一体どんな用件なんだ?』


「助けてください」


『それは何度も聞いている。まず、助けてとはなんだ。お前は今、何をしているんだ?』


「い、いやぁ……それは……」


『歯切れが悪いな。それより、エリザ様はどうした? エリザ様といながら、どうして助けを求めるような状況になっている。ちゃんと説明をしてもらおうか』


「あの、その、えーっと……」


『……黙っていても分からんぞ』


「……実はですね。そのエリザに今、問題が起きてまして……」


『問題だと?』


 俺はそこで言葉を区切って、チラリと横を見る。そこには依然、うつ伏せのままで起きる気配が微塵も感じられないエリザの姿があった。


「大きくなったエリザさんがラブホで寝てしまって、そのまま起きてくれないんです」


『……は?』


「いや、だから……大きくなったエリザさんがラブホで寝たっきり目を覚ましてくれないんだよ。どうしたらいい?」


『…………』


 しかし、蜘蛛の糸に縋る思いで俺は現状を説明しみたのだが、返ってきたのは沈黙だけだった。あれ? もしもーし? 九十九さーん、聞こえてますかー?


「……あのー、エリザがラブホで―――」


『は、はぁあぁぁぁぁぁぁっ!?』


 返事が無いので俺が3度目になる説明を口にしようとしたところで、ようやく九十九が返事をしてくれた。ただし、それは素っ頓狂な叫び声ではあったが。


『お、おお、お前っ! い、今、どこにいると言ったっ!?』


「どこって……だからラブホだって何度も言っているじゃんか」


『なっ!? な、何でお前がエリザ様とそんな……ら、らぶ……あぁ、もう! なんでそんないかがわしい場所にいるのだっ!?』


「それは俺が一番知りたいんだけどなぁ……まぁ、エリザに連れてかれたとしか言いようがないんだが」


『う、嘘を言うなっ! そんなこと言って、どうせお前が無理やり連れ込んだに決まっている! そうに違いない!』


「嘘じゃないっての。ここに行きたいとかエリザが言い出して、それで急に大きくなって強引に連れ込まれたんだって」


『ふざけるのも大概にしろ! あのエリザ様が、そんな―――』


 と、こんなやり取りがしばらく続いたので、割愛させて頂く。何を言っても向こうが突っかかってくるから、水掛け論にしかならなかったんだよね。


 とりあえず、俺もこの状況からいち早く抜け出したいという一心で、根気よく九十九に説明し尽くしました。もうね、頑張りましたよ。ええ。


『はぁ……はぁ……なら、お前とエリザ様との間には、何も間違いは起きていないんだな?』


「なにも!!! な゛かった……!!!!」


『……分かった。そこまで言うのなら、お前の言っていることを信じてやる。ありがたく思え』


「いや、なんで上から目線なんですかねぇ……」


『うるさい。それで、今の状況を整理すると……身体を大きく変化されたエリザ様が、急な眠気に襲われて寝てしまわれたから、仕方なく私に連絡をして助けを求めた。それで合ってるか?』


「ああ、そうだ。その通りであってるよ」


『……一応聞くが、何か心当たりは無いのか? その直前までのエリザ様の行動の中で、何か違和感があったりとかは』


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