エリザ家のヒモな元社畜③



 そうして数分程で、あっという間に支度を終えた俺は玄関へと向かう。すると、そこには既に準備万端状態の九十九の姿があった。女性は準備に時間が掛かるというが、こいつはそうじゃないみたいだな。男の俺より早いんだもの。


「悪い、待たせたな」


「遅いぞ。何をぐずぐずしている」


 両腕を組みながら仁王立ちをし、俺に向かってそう言いのける九十九。いつものメイド服とは違って、今日の九十九は外行き用の服装に身を包んでいる。


 皺の無いキッチリとした白いシャツと、黒色のジャケットに同色のズボン。そしていつもは下ろしている黒髪ロングなストレートヘアーも、今日はポニーテールにして後ろで纏め上げており、全体的にスマートでクールな感じを醸し出している。


 なんというか、いかにも仕事が出来る女って感じの風貌なんだよね。バリバリ最強No.1キャリアウーマン、略してバリキャリウーマン的なそんな感じ。うん、似合い過ぎてヤバいね。でも、今から買い物に行くって格好ではないな。もっと楽な服装にすればいいのにと思う。


 ちなみに俺の方はというと、ヨレヨレのワイシャツにくたびれた安物のスーツ。それとネクタイ……は面倒なのでしてない。そんないつもの仕事着スタイルだ。正確に言うなら、エリザに連れ去られた時に着ていた服装である。


 ……うん、というかね。これしか外に出られる服がないんですよね。それ以外は室内で着るような、九十九から支給されたスウェット上下しかないんですよ。だから、必然的にこうなるわけです。


 スマホも必要だけど、どこかのタイミングで服の購入もしたいところだな。いつまでもスーツで外出なんてしてられないからね。あと靴も欲しい。革靴は疲れるし。


「しっかし、これだと……完全に駄目な部下と上司の関係にしか見えないな。俺らって傍から見たら、どう見えるんだろうな」


「知るか。それよりも早く行くぞ」


「へいへい」


 九十九はこちらを見向きもせずに、スタスタと歩いて行ってしまう。そんな彼女の後を付いていく形で、俺も歩き始めた。


 俺にとって久しぶりとも言える外出。そんな外の様子なのだが……いつもと同じ、何も変わらない日常がそこにあった。街を歩く人々、車に乗る人。路上に溜まる人ごみ。忙しそうに走り回るスーツ姿の人々。いつも通りの光景が広がっているだけに過ぎない。


 まぁ、当然っちゃ当然だよね。俺が死のうとしてた日からまだ2週間しか経ってないし、むしろ変わっていない方が自然というものだろう。これで変わってたら、俺は浦島太郎になっちゃうよ。


 それに人が一人消えたところで、世界が滅ぶわけじゃないもんな。世界は変わらず、今日も平和である。うんうん。実に結構。とても良いことじゃないか。


「てかさ。よくよく考えたけど、俺って普通に外を出歩いて大丈夫なわけ? 多分だけど、捜索願とか出されてるんじゃないの?」


「安心しろ。その点については問題ない」


「は? 問題ないって、なんでだよ」


「お前の捜索願など、提出されてなどいない。私が確認したからな」


「……えっ?」


「どうやらお前がいた会社は、お前がいなくなったことを隠し通したいらしい。だから警察にも届けず、内密に処理をするみたいだぞ」


「なん……だと……?」


「どうやら余程、探られたくない事情でもあるみたいだな。それか人がいなくなるのが、それほど珍しい事案ではないのか。どちらにしても、お前を探そうと思う奴はいないということだ」


 ……いや、マジかよ。どんだけ真っ黒なブラック企業だったんだよ、うちの会社。普通さ、行方不明になった社員を探さない? 家族に連絡とかしないの? 探す努力すらしないとか、マジでありえねぇ。


「……ってことは、俺って今どうなってるの? 家主のいない社宅レ〇パレスで無断欠勤してるってこと?」


「そこまでは知らん。それかいなくなったのにも関わらず、在籍と出勤扱いにしているかだな。それで助成金や補助金を不正受給しているのかもな」


「うわぁ……」


 そこまでいくと、もはやドン引きだわ。知ってはいたけど、頭おかしすぎる。下手したら捕まるやつじゃん。……いや、捕まってもいいか。あのクソ社長なら。その方が清々するぜ。


「だから警察に顔を見られたとしても、確保されることはまずないだろう」


「……ちょっと納得はいかないが、そういうことなら分かった。ただ……」


「ただ、なんだ?」


「それだと俺の知り合いや会社の関係者に、俺の顔を見られるのはマズくないか?  どこで会うかも分からないだろ」


「そうだな。だが、それも心配する必要はない」


 九十九はそう言うと、持っていた鞄の中から何かを取り出し、それを俺に見せてきた。それはなんてことない、ただただ普通の黒いサングラスだった。


「これを付けるんだな。そうすれば、顔がバレることはないはずだ」


「……本気?」


「なんだ。何か文句でもあるのか?」


「だってさ。サングラスをした程度じゃあ、流石にバレるでしょ。こんなん変装でもなんでもないと思うんだけど」


「では聞くが、お前の言う知り合いや会社の関係者の中に、お前の顔を完璧に覚えている奴がどれだけいるんだ?」


「……え、なにその質問」


「人というのはそれほど親しくない相手の顔や名前など、案外と覚えていないものだ。特にどうでもいい相手のことなどはな」


 ほうほう、なるほど……って、誰がどうでもいい相手だ、こら。否定が出来ないから怒れるに怒れないのが、ちょっと悔しいところではあるが。それでもイラッとするのは止められない。


 だが、言われてみれば確かにその通りかもしれない。実際、俺だって会社の同僚の顔はうろ覚えだし、話した回数も少ないし。そもそも名前を覚えているかどうかですら怪しい。


 そうなると、九十九の言い分が正しいということになるわけで。……うーん。反論できねぇ。癪だけど何も言い返せねぇ。


「つまり、そういうことだ。お前がそういった相手に会ったとしても、誰もお前だと分かりはしない。せいぜい、よく似た別人だと思うことだろう。だから気にするな」


「はぁ、そうですか。分かりましたよ、っと」


 俺はそう零しつつ、九十九からサングラスを受け取って掛けることにする。正直言って慣れない感じはあるが、すぐに慣れることだろう。多分。知らんけど。


 それとなんかスーツとサングラスが合わさって、逃走中のハンターみたいになってるけど大丈夫? どっちかというと俺、逃げる側なんだけど。逆に追われてる立場なんですけど。


 そんな感じのふざけたことを考えつつも、俺たちは目的地に向かって歩みを進めていく。そう、俺たちの買い物はこれからだ!


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