月夜に煌めく白銀の吸血姫②



 というか、そもそも……この子は一体、何者なんだろう? まさかとは思うが、幽霊とか言わないよね? その昔、この場所で不運な死を遂げてしまった少女の霊だったりとか。……流石に無いよね、そんなこと。


 いや、俺は無いと信じたい。だって、さっき触られてたし……でも、本当に幽霊だったら怖すぎるんだけど。俺はただ、この場所で死ににきただけだというのに、心霊体験だけは勘弁してくれ。マジで洒落にならんぞ。


 ……よし。とりあえず、ここは落ち着いて話をするべきだと思う。まずは冷静に、ゆっくりと深呼吸してから状況を整理するんだ。そうすれば自ずと答えが出るはず……だと思いたい。


「話をしよう」


「お話?」


「そう、お話だ。あれは今から36万・・・いや、1万と2000年前―――あっ、これは違うネタだったな」


「……??」


 何を言っているのか分からん、みたいな表情を浮かべる少女。うん、そうだね。こんな昔のネタ、君みたいなちっちゃな子が拾えるわけないもんね。ごめんね、忘れていいよ。


 閑話休題それはさておき。 気を取り直して、何かしら彼女のことについて、聞き出してみようか。さて、何から聞いてみようか……。


「ところで、お兄さん。こんなところで何してたの?」


 と、俺があれこれ悩んでいる内に、先に向こうから声を掛けられる。いや、なんというか……それはこっちの台詞なんだけど。逆にこっちが聞きたいところだ。


「いや、そっちこそ何でこんなところに?」


「ボク?」


 そう言いながら自分の事を指差す少女。おいおい、なんだよ。まさかのボクっ子かよ。希少価値高いな、おい。


「ボクはね、おさんぽしてたんだ」


「散歩……? こんな時間に?」


「うん、こんな時間だからだよ。だって、今日は月がとても綺麗だったからさ」


 ほお、月ねえ。……月は出ているか? そう自分自身に問い掛けつつ、俺は自然と空を見上げる。そこには暗闇の中で一際目立つ大きな満月があった。雲一つない夜空に浮かぶその姿は、確かに綺麗だと思った。


 今頃になって月が出ている事に気が付いたが、周りを見る余裕も無かったからこそ、こんな事にも気が付かなかった。それなら彼女の行動にも納得がいく。……いや、いくのか?


 いや、散歩をしていた事には納得はいくけども、どうしてこの場に現れたのか、その説明がつかない。だって、ここはうちの会社の屋上だぞ。


 まず前提として、部外者が立ち入れる場所でもないのに、彼女はどうやってここまで来たのか? そしてこの少女は何者なのか、まったくといって分かっていない。


 俺は疑問を頭に思い浮かべながら彼女を見る。すると、彼女はそんな俺の視線に気が付いたのか、にっこりと笑ってこう言った。


「ボクの名前はね、エリザって言うんだ」


「え?」


「ところで、お兄さんのお名前はなんていうの?」


「あ、あぁ。その……俺の名前は社。社知久。26歳のサラリーマン。そしてどこにでもいる、ただのしがない社畜の一人さ」


「ヤシロ」


 俺が自分の名前を告げると、彼女―――エリザは復唱するように俺の名前を呟く。その表情はどこか嬉しそうで、無邪気な笑顔を見せてくれる。


「なんだか素敵な響きだね。ボクは好きかな」


「そ、そうか……」


 少女―――エリザの突然の発言に、思わず照れてしまう。いや、だって……ねぇ? いきなり好きとか言われたらさ。そりゃね、男なら誰だってドキッとするでしょ。うん。


「ねぇねぇ、そうしたらさ。お兄さんのことはヤシロって呼んでもいい? ダメ?」


「えっと……ま、まぁ、別にいいけど」


「本当? ありがとー。あと、それとね。ボクのことは気軽に、エリザって呼んでくれてもいいからさ。そう呼んでくれると、僕も嬉しいな」


「お、おう……」


 にこにこと笑う彼女を前にして、思わず胸が高鳴る。なんとも不思議な感覚だ。まるで、声にならない叫びとなって込み上げてくる、この気もちはなんだろう。


 ……おっと、いけないいけない。ついつい彼女のペースに乗せられるところだった。少し油断をしていたかもしれない。気を付けなければ……。


 それに……ようやく彼女の名前は分かったけれども、依然としてエリザは謎の少女でしかない。素性については分からないままだ。 見た目からして未成年なのは分かるんだが、それ以外はさっぱりだし……どうしたものか。


「それでさ。さっきの質問に戻るんだけど……ヤシロはこんなところで、何をしてたの?」


「何って、あー……うん、ちょっとね」


 俺はエリザにそう聞かれて、思わず口ごもってしまう。さっきまでは自殺しようとしてたけど、それをはっきりと相手にそう伝えるのは、少し言い難かったから。


 てか、そもそも……こんな年端もいかない子供に、こんなブラックな話をしても仕方ないし、理解してもらえるわけもない。だから、ここは黙っておくべきか……。


「もしかしてだけど、自殺でもするつもりだった?」


「……まぁ、そんなとこかな」


 けど、彼女からそう言われてしまった以上、俺は肯定するしかなかった。というか、見れば分かるもんな。あんな場所に立っていれば、誰だって察せれるだろうし。


「ふーん、そうなんだ」


 対して興味なさそうに呟くエリザ。……あれ? 何か反応薄いな。もっと驚くと思っていたのに。


 それとも、今の若い子はこういう事に無関心だったりするんだろうか? だとしたら、それはそれで悲しいな。時代を感じるよ、まったく。


「でも、なんでそんなことをしようと思ったの?」


「いや、まぁ……色々あってさ。一言ではあまり語れないというか……」


「色々とって?」


「うん。君みたいな女の子には、ちょっと分からないかもしれないけど……大人にはそれなりの苦労があるんだよ」


 そう言った後、俺はため息をひとつ吐いてから続ける。


「休みなんてほぼ無いし、仕事も忙しくて、毎日残業続きだし……そのせいで私生活なんてずっと不規則だ」


「そっか。なんだか大変そうだね。僕には良く分かんないけど」


「しかも、会社では上司からこっぴどく叱られたり、先輩には理不尽に罵られたり、それでいて後輩のミスは、全部俺に押し付けられるしでさ。おまけに恋人もいないし」


 俺はそう口にした後で乾いた笑いを漏らす。我ながらつまらない人生を歩んでいると、つくづく思ってしまう。特に恋人がいないという部分。俺もバラ色の人生を歩みたかったよ。


「おまけに給料も少なすぎでさ。ボーナスなんてものは出ないし、昇給なんて夢のまた夢。なのに、残業代なんかはサービス残業扱いされるし、有給だって使えない」


 自分で言っていてなんだが、本当にクソみたいな職場だ。ブラックもブラック。コールタールよりも濃い色をしてるだろう。こんな職場、さっさと潰れてしまえと思ってしまう。


 だけど、この会社を辞めたら生活ができなくなって困るのは俺だし、他の職場に就職できる見込みもある訳じゃない。ろくに技術や資格を持ってないから、戦力としてはあまり期待はされないだろう。


 だからこそ、きっとどこかで人生は好転すると、自分に無理矢理にでも言い聞かせて、我慢をしてこれまで続けてきたのだけども……もう、これ以上はやっていけない。なので、死ぬ事で全て終わらせようとしたのだ。


「まっ、こんなことを君に言ったところで、どうにもならないけどね」


 俺が自虐的に笑って言うと、彼女は少し悲しげな表情を浮かべて俯いていた。そんな少女の様子を見て、俺は何と言っていいか分からず頭を乱雑に掻く。


「あー、その……なんというか、すまん」


「ううん、気にしないで。それよりも、ヤシロは本当に大変なんだね」


「……まぁ、それなりにはね」


 俺はそう言いつつ、空を見上げる。幼い少女にこんな話をしてしまって、何だかいたたまれない気持ちになったから。だから、視線の行き場を空に逸らしたのかもしれない。


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