1章

月夜に煌めく白銀の吸血姫①




 もう、無理。限界だ。いっそのこと、死んでやる。


 残業を終え、日付を跨いでしまった深夜帯での出来事。そう思って俺―――社知久やしろともひさが向かって行ったのは、家にいるよりも長い時を過ごしてしまっている会社の屋上だった。


 十数階もある会社の屋上。高さにしたらどのくらいだろうか。多分だけど、とある機動戦士ぐらいの高さはあるだろうか。べよ、べよ、べよ~、地面に向かって、べよ~俺~ってか。ブラックジョークが過ぎるな。


 そんなどうでもいい事を頭の片隅で考えながらも、フェンス越しに今いる場所がどれだけ高い場所かを確かめる。まぁ、具体的な数字は良く分からないけど、ここから落ちればひとたまりも無い。それぐらいの高さだ。


 ここから飛び降りれば、確実に逝ける。一瞬で死ねるだろう。どうあっても助かる見込みなんて見当たらない。柵を乗り越え、一歩でも踏み出せば、地表までまっしぐら。後は重力に従ってコンクリートの地面に激突し、ド派手に散るだけだ。


「へっ、へへっ……」


 そんな未来の自分に起こる結末を想像して、乾いた笑いが漏れる。けど、これで終われる。ようやく解放される。あんな地獄の様な日々、もううんざりなんだ。俺は一刻も早く、この苦しみから逃れたい。


 ……昔は本当に良かった。だって、学生の頃は毎日が楽しくて幸せだった。勉強して、友達と遊んで、叶うはずも無い夢を追い掛けていた。まだ見ぬ明日に希望を持っていたっけな。


 けど、今はどうだろうか。昔と違って仕事に忙殺される日々の連続。どれだけやっても終わらない、そして積み重なっていく仕事の山。上司から浴びせられる理不尽な叱責と説教。深夜まで続くサービス残業と、手当も振替も無い休日出勤。


 給料だって手取りで10万円あるかどうかぐらいだし、時には仕事に使う備品を経費で落せず、自腹を切る羽目になったこともある。それでいて行きたくもない接待や飲み会にも、自費で参加しなくてはならない時もあり、それによるストレスで胃腸薬が手放せなくなってしまった。


 平日も休日だろうと、毎日が会社と自宅を往復するだけの毎日。やりがいなんて、とっくの昔に失っている。というか、こんな状況でやりがいなんて見い出せるわけがないだろ。そうした生活が延々と続いて、もう精神は限界だった。


「ははは……」


 こんな時、どんな顔をすればいいか分からないって? そんなもん、もう笑うしかないじゃないか。俺だってやりたくてやっているわけじゃないのに。ふざけんなよ、こん畜生。


 でも、こんな事ってあるか? 俺の人生って、こんなつまらないものだったのか? 自分が望んでいたこととはかけ離れた現実に、思わず笑いが込み上げてくる。


「はっ、ははっはは!」


 どうせこれが最後なんだ。とにかく思いっきり笑ってやれ。俺をこんな風にした会社を嘲笑うような感じで、呪いを撒き散らすように。全身全霊で恨み辛みをぶちまけてやる。


 それにこれは会社に対する意趣返しでもあるんだ。目の前でド派手に散ってやることで、せめて一矢報いてやろうじゃないか。俺が死ぬことで、会社を社会的に終わらせてやるんだ。ざまぁみろ!


 そしてしばらく笑っていると、屋上を強めの夜風が吹き抜けていく。そのせいか、風の音がやけにうるさい気がする。きっと、早くしろと死神なんかが催促をしているのだろう。


「よし。さぁ、逝くか」


 覚悟も決めたし、もうヤケクソだ。どうにでもなれ。どうせ死ぬんだし、何をやったっていいだろ。思いっきり、やぁってやるぜ! I can fly!!


 そんな意気込みと共に、俺は落下防止柵に手を掛けると、それを飛び越えて屋上の縁に立った。これで俺の人生も終わりだな、なんて思いながら。


「あばよ今世! よろしく来世!!」


 そして意を決した俺は勢い良く地面を蹴って―――。


「おーい、ちょっといいかなー?」


「へ? ……うぉわぁっ!?」


 飛び降りようとしたその矢先、そんな声が聞こえてきたのと同時に、俺の身体は背後から何者かに引っ張られる。そして俺の飛び降りを寸前で止められてしまった。


「ねぇ。そんなところにいたら、危ないよ?」


 そして続けざまに俺の耳元で聞こえたのは、そんな間の抜けた女性……というか、幼い感じの少女の声だった。


「え、あ……え?」


 唐突に起こった出来事に対して、俺は訳も分からず、ただ呆然とする。一体、何が起こった? というか、誰が俺を引っ張っているんだ?


「とりあえず、このままだと危ないから……安全そうなこっち側に行こっか」


「いや、こっちにって……どわっ!?」


 その声の相手は一方的にそう告げると、屋上の縁に立つ俺の身体を軽々と持ち上げて、フェンスを越えて安全な場所へと移動させた。


 てか、えっ? どういうこと? 俺、持ち上げられたの? どうやって? 少なくとも体重、70キロ以上はあるんですけど?


「はい、とうちゃーく」


「あ……はい」


 そしてそんな疑問を浮かべる俺を無視して、終始のんびりした声で話し掛けてくる。気楽な感じの声色で、とても緊迫感がない。混乱しているこっちの身にもなってくれ、頼むからさ。


「いやー、間に合って良かった。あともう少しで、あそこから落ちちゃうところだったよ。危ないなぁ」


「……その、すみません」


 いやいや、なにを謝ってるんだ、俺。まぁ、これは社畜生活で身に付いた癖というか。なにかしら言われたら、ついやっちゃうんだ☆ らんらんるー☆


「えっと、大丈夫?」


「え?」


 俺が頭の中でおちゃらけていると、女の子は首を傾げながら心配そうに尋ねてくる。というか、まず……誰なの、この子。


 暗くて良く見えないけれども、目の前にいる少女はというと、銀髪ツインテールの女の子で身長は150センチぐらいだろうか。


 服は夜闇に溶け込むような黒を基調としたゴスロリ調のドレスで、全体的に見る感じは洋風な人形を思わせる風貌だった。


 顔は超美少女と呼んでも差し支えないぐらい整っていて可愛いし、特に紅く光る瞳と、色白で透き通るような綺麗な白い肌に思わず見惚れてしまう程だ。


 そして肝心とも言うべきスタイルは。そのスタイルはというと……うーん、残念。見事なまでの幼女体型で、しかもまな板だ。つるつるぺったん、ぺったんこ。


「……? ねぇねぇ、どこ見てるの?」


「あ、いや、別に」


 俺がその少女に見惚れていると、彼女は怪訝そうな感じに聞いてくる。それに対して適当に返事をしつつ、視線を逸らして誤魔化すことにした。


 いや、だって仕方ないじゃん。会社中心の生活を送る社畜に、こんなに可愛い子と喋る機会なんて、滅多にないもの。だからこそ、ついつい観察しちゃうんだよ、うん。決して、下心があっての行動じゃないんだからねっ!?


 ……ごほん。あー、えーっと、そんなわけで。とりあえずの結論として……目の前の女の子はとっても可愛い。 それだけは確かだ。異論は認めない。


 ただ、肝心の今の状況については、何も分からずじまいなんだけどね。これから先、俺はどうしたらいいの?



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