貴方の歌が私を救ってくれた

川島由嗣

貴方の歌が私を救ってくれた

 夕方。太陽が完全に沈んで暗くなる前。彼が私の病室に来てくれる時間帯だ。彼は今日も来てくれるだろうか。

 そんなことを考えていると扉をノックする音が聞こえた。少し遠慮がちのノック音。間違いなく彼だ。喜びで飛び上がりそうになるのを必死に抑え込んで回答する。


「どうぞ。」

「…お邪魔します。」

 その言葉とともに、彼が病室に入ってくる音が聞こえた。扉は開けっ放しにしているのにわざわざ扉を開閉することで、入ってくる事を強調する優しさに私は思わず苦笑する。


「わざわざそんなことしないで入ってくればいいのに。」

「遠藤さんは目が見えないんだから、急に近づいたらビックリするでしょ。」

 彼の言う通り、私の目は包帯で覆われていて何も見えない。生活していて気がついたら徐々に見える範囲が狭くなっていったのだ。すぐに病院で検査をしたおかげで、手術と投薬をすれば治るらしく、すぐに入院し、2週間後に手術が行われることになった。入院してからあっという間に日がたち、手術は2日後に迫っている。


「さて、今日は何を歌ってもらおうかしら。」

「歌わせるの間違いだろ。」

 私の軽口に、彼が苦笑する声が聞こえる。本気で嫌がっているようではなさそうでホッとした。

 彼と私の出会いは、私が入院して2日目だ。入院してやることもなく暇だったので、窓を開けてもらい、風を感じていた。この部屋は病院最上階の個室だから風を感じることができる。この病院は私の父が経営しており、入院時運よく最上階の個室が空いており、使うことが許された。

風を感じていた時、風に乗って微かに歌が聞こえてきたのだ。

 最上階だから聞こえたのだろう。私は窓にはめられた鉄格子にひっつき、必死に耳をすませて歌を聞いた。綺麗な歌声だった。歌が終わった後、大声で慌てて歌っていた相手に呼びかけた。彼からしたら恐怖だっただろう。だがあの時はもっと聞きたくて必死だったのだ。食事のタイミングとラジオでしか時間が分からない。目が見えないからできることもほとんどない。負の思考の連鎖で、もしかしたら失明するかもしれないと考えてしまう事もあった。常に誰かに側にいてもらえることもない。そんな私にとって、聞こえてきた歌は救いの歌に聞こえたのだ。


 最初、彼も警戒していたが、私の必死の呼びかけに 折れたのかはわからないが病室に来てくれた。病室で聞いた時の彼の声は、若いように思えた。機嫌を損ねるようなことをしたくなかったので、なぜ病院にいるかなど詳しく尋ねることはしなかった。

彼は私の話を聞いてくれて、毎日歌いに来てくれるようになった。長時間ではない。だが私にとっては唯一の楽しみの時間ができたのだった。終わった後は彼の歌を口ずさんだり、頭の中で再生したりすることで孤独を紛らわすことができた。ラジオで流れている曲を聞き、それを歌ってもらおうと考えるだけで楽しみが増えた。それと同時に彼の人柄に惹かれていった。


「本日のリクエストは?」

「最初はあれがいい。『春よ来い』」

「好きだねえ。」

「うん。大好き。」

「ではリクエストにお応えして・・・。」

 彼も私のリクエストを拒否せず、深呼吸をして歌いはじめる。アカペラなのに音程を外さない綺麗な歌声が耳に入ってくる。そんな彼の歌が私は大好きだった。

静かに彼の歌を聞き、歌が終わると私は全力で拍手をする。


「やっぱりうまいねえ。」

「人前で歌えるのは遠藤さんの前だけだけどね。」

「それで充分。じゃあ次はね・・・。」

 私は次々と曲名をあげて彼が歌うのを繰り返す。歌いっぱなしだと疲れてしまうので、隙間に雑談をしたりする。そうしているうちにあっという間に日が沈む。日が沈むのは彼の帰る時間の合図だった。


「お、もうこんな時間か。帰らないと。」

「…もう?」

「もうって結構時間たっているからな。」

 私は明らかにがっかりした顔をしているだろう。彼は私の頭を軽く撫でた。

「また明日来るから。」

「本当?」

「本当。というかこのやり取り何回目だっけ。いい加減信じて欲しいんだけど。」

 私を撫でながら彼が苦笑する。でも私はこの時間が1日の中のかけがえのない時間だった。可能なら朝からずっといてほしい。だがそれは彼を困らせるだけなのはわかっている。

 彼が何かに気がついたのかポンと手を叩く。


「そっか。手術明後日だっけ。」

「うん…。手術の日が近づくと、どんどん怖くなるの。成功率は高いと言われているのは知っているわ。それでも100%じゃない。一人だと負の思考に陥るの・・・。」

 明後日には手術が行われる。確実ではないが、成功率は高い。担当医からも気負わないでくださいと言われている。だから気にしすぎてもしょうがないのだ。だが心の片隅から100%ではないという声が聞こえる。一人の時だと、その声に飲まれ、万が一を考えてしまい眠れないときもある。


「じゃあ怖がっている君にプレゼントと気が軽くなる約束をしよう。」

「え?」

 私が顔を上げると、彼は私の手に何かを載せた。手のひらサイズの四角いものだ。

「これは?」

「ちょっとごめんね。」

 彼はそう言うと私の両耳に何かを差し込んだ。すぐにイヤホンだと気づく。彼がボタンを押すと、すぐに聞きなれた声と音楽が流れ出す。

「これって…。」

「音楽プレーヤーだよ。突貫で曲を揃えたから、全部俺の歌で申し訳ないけど。」

 彼の声が聞こえる。優しい歌声だ。不安があっという間にかきけされていく。

「あ、泣かないで。」

 気が付いたら私は涙を流していた。最高のプレゼントだ。手伝ってもらいながら、涙を拭きながら使い方を教えてもらう。使い方も簡単なものだった。突貫で作ったといったが、彼の性格からして前々から準備していたのだろう。


「あ、ちなみに貸すだけだからね。無事治ったら返してもらうから。」

「え!?」

「学生には高いんだよ。俺の歌の練習用だから。」

「じゃあ私が新しいの買ってプレゼントするから!!」

「駄目。そのプレーヤー俺のお気に入りだから。」

「そんな・・・。」

 私はもらったプレーヤーを、胸に抱く。だが、お気に入りなどと言われてしまったら無理に奪うことは出来ない。

「そうだ!!なら私がプレーヤー新しく買うから、それに曲を入れて。それならいいでしょ!!」

「・・・別に治ったら色んな曲を聞き放題だろうに。俺の歌にこだわる必要もないだろう。」

「私は貴方の歌が大好きなんだもの。聞いていると落ち着くの。ずっと聞いていたいくらい。」

「・・・・・・まあ考えておくよ。」

 見えなくても声でわかる。彼は照れている。それを想像して思わず吹き出してしまう。


「・・・・プレーヤーを返してもらおうかな。」

「ごめんなさい!!それだけは許して。そ、そういえばもうひとつの約束は?」

 慌てて誤り、話題をすり替える。彼はため息をつきつつ、話題の切り替えに乗ってくれた。


「万が一手術が失敗したら、俺が君の側にずっといてあげる。歌も毎日歌ってあげる。だから一人ぼっちになることの心配はしなくていいよ。」

「え?」

 嬉しい言葉だ。だが彼の口調から、私はその言葉の裏の意味を感じ取ってしまった。

「嬉しいけど・・・・でもそれって成功したら傍にいてくれないの?」

「・・・・そうだね。手術が成功したらこの関係は終わりだ。諸事情で今の俺の顔は君に見せられる顔じゃないから。」

「そんなこと!!私は」

「見えないからそんな残酷なことが言えるんだよ。・・・・さて、とりあえず今日は帰るな。」

「待って!!」

 私は彼の手を取ろうとしたが、見えないためあっさり躱されてしまう。彼はそのまま病室から去っていった。

 考えたことなかった。もう彼と毎日会って歌を聞くのが当たり前の日々だった。くだらない雑談をして、色々な歌を歌ってもらって。彼と出会ってからは、目が見えないという絶望に打ちひしがれる暇がないくらいだった。

 ふと気になったので、彼が渡してくれたプレーヤーを流しはじめる。イヤホンから彼の優しい歌声が聞こえてくる。どれくらい曲が入っているのかを調べてみたら20曲近くあった。曲の種類も多種多様だ。しかも私が好きだと言った曲は全て入っていた。やはり練習用なんて嘘だ。私が飽きないように必死に録音してくれたのだろう。そう思うと彼への愛しさが溢れて涙が止まらなかった。私は泣きながら思わず叫んだ。


「馬鹿!!大好き!!」


 次の日彼はいつも通りいつもの時間に病室に来てくれた。いつも通りの挨拶をすると彼は笑った。

「よかった。面会謝絶にされるかと思っていたよ。」

「そんなことするわけないでしょ。むしろ今日来てくれないかと思った。」

「さすがに手術の前日に不安定のままにさせるわけにはいかないしな・・・・。」

 やはり彼は優しい。だが今日はそれで終わるわけにはいかない。明日は手術の日だ。彼と話せるのも最後になってしまうかもしれない。


「ねえ。お願いが2つあるの。聞いてくれない?」

「・・・・内容によるかな。」

「1つは明日の手術の日、手術室の前にある待合室にいて欲しい。」

「そんなことか。勿論。手術が終わるまではいるよ。」

「・・・・よかった。」

 その言葉を聞いて安心した。彼に手術の時間と場所を伝えた。やはり彼がいるといないとでは心強さが全く違う。父にも彼の事を伝えておけば手術室の前にある待合室にいても大丈夫だろう。


「それでもうひとつは?」

「今日は歌って欲しい曲があるの。歌えるかわからないけど・・・・。」

「なんだ。いつものことじゃないか。なんの曲?」

「『Amazing Grace』」

 意外な選曲だったようで、彼は驚いていたようだった。

「・・・・意外な選曲だな。有名な讃美歌だから歌えるよ。」

「できるだけ大きな声で歌ってくれる?」

「それは…」

 この最上階に病室は一つしかない。とはいえ、看護師さん達はいる。それを危惧したのだろう。私は首を振った。


「あ、部屋の中に響くレベルってこと。いつもより少し大きいくらいでいいから。叫べって意味じゃないわ。」

「まあ・・・それなら構わないよ。あんまり大きくはしないぞ。」

 彼は深呼吸をして讃美歌を歌い出す。それと同時に私は手を組んで祈る。

 これからのことを。わがままばかりだけど私の願いが神に届くように。また、彼と一緒にいられる未来を願う。

 やがて歌が終わる。歌い終わると拍手が聞こえた。私ではない。看護師さん達らしき人たちの声が聞こえる。予想以上に声が大きくなってしまい、外に聞こえていたらしい。


「声を出しすぎたな。うるさくして申し訳ありません。」

「いいえ。素敵でした。きっと彼女の力になってくれるでしょう。ね?」

 看護師さんの言葉に私は力強く頷く。

「はい。」

「・・・・勝手なことを。まあとりあえず俺は帰るよ。」

「え、もう?」

「予想以上に注目されてしまったからね。お仕事の邪魔はしたくないので。」

「あら、私達は気にしないのに。」

「俺が気にするんです。それに俺が歌うのは彼女のためだけなので。」

「あらあら。ごちそうさま。」

 看護師さん達は笑いつつ去っていった。

 私ががっかりしていると、彼は唐突に私の手に何かを載せた。昨日のプレーヤーに比べるとすごく小さい。何かのチップだろうか。


「これは?」

「録音した歌の追加が入ってる。少ないけどね。君のことだ。どうせ昨日渡したのは全部聞いてしまったのだろう?」

「ありがとう!!」

 嬉しさで思わず彼に抱きついた。抱きついた後に、距離とか考えていなかったことに気がついた。彼が受け止めてくれたのだろう。

「おっと。あんまり男に抱きつくものじゃないよ。まあ喜んでくれたなら良かった。」

 彼は私を引き剥がすとチップを音楽プレーヤーに入れてくれた。切替方法を教えてくれる。ちゃんと再生されることを確認すると、彼は去っていた。

 彼が去っていった後、看護師さんの一人が部屋に入ってきて声をかけてきた。


「いい子ね。」

「はい。目が治ったらまずお礼をいいにいきます。」

「そうね。お互い連絡先は知っているんでしょ?」

「それが教えてくれなくて・・。ただ名前だけは教えてくれたんです。進藤剛って。そこから辿って見つけてやります。」

「!!!彼がそう名乗ったの?」

「?はい。そうですけど・・・・。」

「・・・・そう。一つだけ伝えておくわね。私達は患者や来客の人の情報は教えられない。だから力になれないから。」

「ええ。それは知っていますけど・・・。」

「ならいいわ。じゃあ私は業務に戻るわね。」

「あ、ちょっと!!」

 看護師さんはそれ以上何も言わず去っていった。

 不安になり、彼が渡してくれた曲を聞く。何故だろう。追加で入っていた曲は私の好みではなく、別れをモチーフとした曲ばかりだった。


 そして手術の日。手術はイレギュラーもなくあっさりと終わった。怯えていたのが嘘みたいだ。手術が終わって病室に戻るとき、彼が駆け寄ってきてくれた。意識は朦朧としていて何を話したかは覚えてない。ただ、最後に彼は「さよなら」といっていた気がした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「はーい。目の包帯をはずしますよ。」

 手術から数日。経過も良好のため、前倒しで包帯を取ることになった。お医者さんが私の目からゆっくりと包帯を外す。

「はい。ゆっくりと目を開けてください。」

 言葉に従い、私は恐る恐る目を開ける。光が目に突き刺さる。眩しい。最初はぼやけていたが、徐々にだが焦点があって見える。

「見えますか?」

「はい…。見えます!!」

「ああ!!よかった!!」

 母さんが私に抱きついてくる。父さんも嬉しそうに頷いていた。後遺症などの問題もないようだった。久しぶりの光に涙する。 思わず、彼の姿を探したが当然彼はいなかった。

 それからいくつかの検査をしたが問題はなかった。様子を見て問題なさそうなら数日で退院していいらしい。


 皆が安心して戻っていった後、目が見えるようになったのでぼんやりとテレビを見ていた。そんな時にふと、彼が貸してくれた音楽プレーヤーの事を思い出した。むしろどうして忘れていたのだろう。慌てて、荷物をひっくり返して音楽プレーヤーを探す。

「あれ?」

 だが、ない。どこを探しても見つからない。私は担当の看護師さんに聞くことにした。ちょうどよく通りがかったので声をかける。


「あの。すみません。」

「何かしら?」

「この辺に音楽プレーヤー置いていませんでした?」

「ああ。手術後に貴方と彼が話した後、彼が回収していったわよ。」

「え!?」

 手術後は朦朧として何を話したか覚えていない。

「そんな・・・。彼は・・・・進藤君は何か言っていませんでしたか?」

「・・・個人情報だから詳しくは教えられないけど、一つだけ教えてあげる。」

「なんですか!?」

「進藤剛なんて人は貴方のお見舞いに来たことはないわ。」

「え!?」

 私は言っている意味がわからず固まる。看護師は気まずそうに目を逸らした。意味が分からなかったが、よく考えてすぐに答えにたどり着いた。


「偽名・・・・。」

 それなら最初、進藤剛といった時の看護師の反応も納得がいく。

「もういいかしら。また何かあったら呼んでね。」

「そんな・・・・。」

 看護師の言葉が耳に入らず私の目から涙がながれ落ちる。看護師は戻ろうと踵を返したが、すぐに立ち止まった。

「これは独り言だけど・・・。病院の情報を個人的に知っていて、こっそり教えられるのは院長である貴方の父親くらいね。特に最上階の入出権限をあげられるのは院長ぐらいだし。」

「!!」

 私は思わず看護師を見上げる。看護師はすまなさそうな顔をして部屋を出ていった。


 私は看護師との会話の後、すぐに院長室に向かった。目が見えなくても歩いてはいたので、歩くのは問題ない。

 院長室のドアをノックする。忙しいからいないかもしれないと思ったが、返事が返ってきた。安堵して部屋に入る。

「父さん。」

「何だい?と言っても話の内容はわかるが。今、彼には会えないよ。」

「ううん。絶対に会う。」

 私は懐からハサミを取り出して自分の目の前に持ってくる。流石の父も慌てていた。


「翔子。」

「目が見えるから彼に会えないなら目なんて見えなくていい。」

「・・・どうしてそこまで。」

「入院は短い期間だったよ。それでも目が見えず、真っ暗な空間は地獄だった。それを彼が救ってくれた。あの人は私にとって救世主だった。人を好きになるのに期間なんて関係ない。どんな姿でも関係ない。」

 父さんも説得は諦めたのか深い溜息をついた。

「頑固なのは母さんに似たのかな。」

「父さんの分も入っていると思うけど。」

「うっかりなのは父さん似だね。まず目を潰してそれをどうやって彼に伝えるんだい。」

「あ・・・・。」

 衝動的に行動しすぎてすっかり忘れていた。思わずハサミを落としてしまう。


「彼の名前も知らないんだろう。それにお前の行動は、お前を治そうと必死になってくれた人達全てを冒涜している。」

「・・・・・。」

「潰したければ勝手に潰しなさい。ただそれをした時点でお前はもう私の娘ではない。」

 父さんの言葉が突き刺さる。滅多に怒らない父さんに似合わない強い口調だ。


「ごめんなさい・・・・。でも会いたいの・・・。会いたいの・・・。」

 悔しくてその場に崩れ落ちる。涙が止まらない。父さんはため息をついてこちらに近寄ってきた。ハサミを拾ってポケットにしまう。そして私の頭を優しくなでた。

「せっかちなのは母さん似だね。まずは落ち着きなさい。私は『今は』と言っているよ。」

「え?」

 私は顔を上げる。父さんは優しく笑って事情を説明してくれた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ありがとうございました。」

 診察室をでる。そろそろ顔の包帯をとってもいいと言われているが、中々勇気が出ない。俺の顔は包帯で覆われている。ミイラ男とからかわれた事もある。まわりから奇異の視線を受けるがもう慣れた。素肌を晒した状態で奇異な視線を向けられるほうが怖い。


「あ、キミキミ。」

「はい?」

 声をかけられ、振り返ると気の良さそうなオジサンが立っていた。白衣を着ているから医者だろう。

「突然ごめんね。私は一時期相手をしてくれていた目が見えなかった女の子父親です。」

「彼女の・・・ってことは院長さん?」

「そうだよ。入院中娘の相手をしてくれてありがとうね。忙しくて言う暇がなくてね。」

「いえいえ。娘さんは無事退院できましたか?」

「うん。お陰様でね。頑張って前を向こうとしているよ。」

「それは良かった。」

 少し寂しくもあるが、彼女が元気になってくれたのはいいことだ。そもそもこの包帯姿を見せたくなくて彼女の前から去ったのだから。

 2週間弱という短い間、関わっていた女の子。目が見えなかったので俺の顔が包帯まみれでも関係なく話してくれた。普通に接してくれる。それだけで嬉しかったものだ。

 彼女の手術中は手術室の前でずっと祈っていた。成功率は高いとはいえ確実ではない。無事終わったのを聞いたときは心の中で叫んだ。終わったあと、彼女と少しだけ話し、プレーヤーを回収した。最初は引きずるかもしれないが、いずれ彼女も忘れてくれるだろう。今の俺の顔は見られたくない。


「今日はいい天気で風が気持ちいいよ。良かったら屋上によってから帰るといい。暗い顔をしているから。」

「そうですね・・・・。そうします。」

 頷いて、俺は屋上に向かった。彼女のことを思い出したからだろう。歌いたい気分だった。病院の屋上は、ちょうどいいことに誰もいなかった。屋上の端で歌い出す。歌う歌は彼女が大好きな『春よ来い』だ。

彼女と出会った時も、ここで歌った後だった。そんなに大きな声で歌ったつもりはなかったが、病室が真下だったのと、窓があいていたからだろう。彼女に聞こえたようだった。歌い終わった後、立ち去ろうとしたのだが、下から必死な叫び声が聞こえた。


「お願い!!もう少し聞かせて!!目が見えなくて音が欲しいの。」

 最初はこの見た目で躊躇ったが、目が見えないというのと彼女の必死さに折れて病室に向かった。病室につくと目に包帯をした一人の女の子がいた。同い年くらいだろうか。ロングの髪が特徴的な綺麗な子だった。彼女の事情を聞き、なんでもいいから歌ってほしいと懇願された。俺としても、包帯の男が、外見を気にせず誰かと話せるのは嬉しかった。

 歌い終わった時、彼女に絶賛されアンコールを言われてしまった。結局計3曲歌い、押し切られて明日も来ることを約束させられてしまった。

 それからいつの間にか、彼女の病室に通うのが日課になってしまった。ただ嬉しくもあったのだ。醜い顔の自分を必要としてくれたのが。そして彼女にどんどん惹かれていった。美しくありながら、歌を聞かせるとまるで子供のようにはしゃぐ彼女。彼女を喜ばせるために自分の歌のレパートリーを増やすことが日課になった。

 だが同時に怖かった。目が見えるようになったとき、この包帯の下を見た時、怯えられたら俺は立ち直れないだろう。だから自己紹介のときに偽名を使い、手術が終わった後は思い出を美化しないように音楽プレイヤーも回収した。

 今までを振り返っていたらあっという間に歌が終わる。満足し、帰ろうとしたとき、後ろから拍手が聞こえた。


「!!」

 慌てて振り返るとあの時の彼女が目の包帯を外してそこにいた。

「やっぱり素晴らしいね。アンコールは受け付けてないの?」

「・・・初めまして。五月蝿くして申し訳ありません。私はすぐ立ち去りますので。」

「それは無理があるなあ。目が見えなかった分、貴方の歌をこれでもかと聞いたのだから。」

 どうやら彼女を誤魔化すことは無理らしい。まあ彼女の前で歌ってきたのだから当然ともいえる。そして理解した。彼女が今ここにいるのは偶然じゃない。あの院長にはめられたのだと。親バカめと心の中で毒づく。


「なら理解してくれ。こんな顔の人間が君みたいな綺麗な子の側にはいられない。」

「私が外見で好き嫌いを決めるなんて思うなんて心外だなあ。それに君の顔はもうほぼ治っているんでしょ。」

「それはまあ・・・そうだけど。」

「最近の技術ってすごいよね。火傷痕もほとんど見えなくなるってさ。まあ、そんなことなくても私が貴方を好きなのは変わらないけどね。」

「どうして・・俺なんかを。」

「最初は私を孤独から救ってくれたからだった。でもそれだけじゃないよ。貴方の歌、話し方、人となり。目が見えない分多くが敏感になるんだよ。だから私は貴方の見た目なんて関係なく全てが大好きなの。」

「でもそれは、その場にいたのが俺だってだけで・・・。」

「そうだね。でも偶然でもいいじゃない。私達は出会った。そして私は貴方を好きになった。包帯の姿を見ても変わらない。ただ・・・。」

「ただ?」

 急に彼女はもじもじと指先をあわせた。そしてぼそっと呟いた。


「さっき聞いたら我慢できなくなっちゃって・・。貴方の歌がもっと聞きたいなあ・・・と。」

「・・・・ははは。はっはっは!!!」

「なによ。貴方の歌込みで好きなんだからしょうがないでしょ。」

 彼女がふてくされている。それを愛おしいと思ってしまった。それと同時に彼女なら大丈夫だと思ってしまった。気がついたら、顔に巻いてあった包帯を全部取っていた。

「!!」

 彼女が固まっている。だが俺も同時に固まっていた。拒絶の言葉が出たら、目をそらされたらどうしようと怯えていた。

「・・・・醜いか?」

「・・・ううん。それよりも生きていてくれて嬉しいと思う。」

「!!」

 彼女は俺の目を真っ直ぐ見てそう言ってくれた。

 思わず彼女を衝動的に抱きしめそうになった。今まで自分の姿を醜いとしか思わなかった。だが、彼女はそんなことは関係なく、顔の事に触れるのではなく生きていてくれて嬉しいと言ってくれた。


「え!?なんで泣いているの!?私変な事いった?」

「いや・・・・。俺が一番欲しかった言葉をくれたから。」

「・・・・あなたが生きていてくれたおかげで私は貴方と出会えた。そして私は救われた。どんな外見でも関係ない。私が好きなのは今の貴方よ。」

 彼女が俺の顔の痕をそっと撫でる。その表情は嫌悪ではなく、優しい表情だ。

「俺も・・・・君のことが大好きだ。」

 彼女の事を力強く抱きしめる。彼女も抱きしめ返してきた。そして耳元で囁く。

「これからも私の前で歌ってね。」

「歌うよ。君がそばにいる限り」

「じゃあ一生聞けるのね。嬉しいわ。」

「!!」

 彼女の言葉に思わず体を離して彼女を見つめた。彼女も自分の言葉の意味を理解したのか、顔を真っ赤にしている。笑いながら頷いた。


「そうだな。君が離れないでいてくれれば一生側にいるよ。大事なセリフは俺から言わせてもらうけど。」

「・・・・期待してる。」

 彼女は顔を真っ赤にして俯く。それが愛おしくて再度抱きしめようとしたがその前に彼女が何かに気がついたように慌てて顔をあげた。

「名前!!」

「名前?」

「最初の自己紹介で偽名を使ったでしょう!!ちゃんと教えて!!」

「ああ・・。そういえばそうだったな。」

 すぐ終わる関係だと思って嘘の名前を教えた気がする。

「じゃあ改めてここから始めよう。俺の名前は」

 俺の本名を嬉しそうに聞く彼女。これから色々なことがあると思うが、歌から始まった繋がりが何時までも続くように願いつつ、俺は自分の名前を告げた。

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貴方の歌が私を救ってくれた 川島由嗣 @KawashimaYushi

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