もう一度、あの空へ

浅葱乃空

もう一度、あの空へ




涼やかな夏の追い風が、背中を押す。



ブゥゥゥーーン!


「不気味ねえ。」

「まるで凧のお化けじゃない。」


雲一つない晴れ空に、レシプロエンジンの駆動音を響かせ、機械仕掛けの鳥が飛翔する。

白く塗装された機体は夏の陽光をきらりと反射し、障害物一つない大空を何者にも縛られず自由に舞う。



「おかーさん、あれ何?」


「あれはね、飛行機って言うのよ。」


「ヒコーキ・・・・。」


カッコイイ、美しい。

それがまだ幼かった俺の抱いた幼稚な感想だったが、俺を飛行機の道に引きずり込むには十分な思いだった。


父親に大きくなったら飛行機乗りになりたいと伝えたら、生まれつき身体も視力も弱い俺は、パイロットには成れないと言われた。





だから、俺は”飛行機を作る”道に進んだんだ。

俺は、人生を飛行機という夢に捧げた。




必死に勉強して大学に入り、日本の航空産業の巨頭とも言われる六菱重工に入社し、名古屋にある航空機製作所に勤務し、主に軍用機の設計業務に携わることになった。

最初は細々とした、代えがきく雑用のような部品の設計しかやらせてもらえなかったが、筋が良かったからか、そのうち機体の設計も任せられるようになった。



自分達が作った飛行機が空を飛ぶ姿を見れるのは、とても嬉しかったと同時に、まだまだだと思った。


もっと性能の良い飛行機を。もっと洗練された飛行機を。

もっと美しく、綺麗な飛行機を。



軍の的外れな変な要求性能さえなかったらもっと色々と自由に作れるのにと思った。

彼らは彼らで、戦いの専門家として、実際に使う側として必要なことを言っているのはわかるのだが・・・。

一度、余りにも無駄で過剰な要求性能だったため、御前会議で啖呵を切ってしまったことがあるのだが見事にキレられ、そのお陰で設計主任から名目上外されるようになった。

人としてはダメダメでも、そこそこ能力があったからか、裏では今までと同じように設計を続けさせてもらうことができたのは幸いだった。


公文書や記録に名前が残ることは無くなったが、俺は飛行機を作り続けられればそれで良かった。






そして、戦争が始まった。



自分が設計した飛行機で、多くの若者が死んだ。

敵も、味方も。

自分が作った飛行機で。自分が大好きな飛行機で。

たくさん死なせてしまった。


俺はただ、美しい飛行機を、作りたかっただけなのに。


直接手を下した訳では無い。

でも、自分の手と、いつも使っている製図台が、酷く血濡れているように見えた。


虚ろな目で、既存の機体性能を上げるための改修化用の設計図をひく毎日。


その間にも、戦死者数は積み重なっていく。




絞めつけられるような心の痛みとは裏腹に、上層部から新たに新型戦闘機の開発命令が下った。


陸軍が開発を指示してきたのは二年ほど前らしいが向こうの要望が二転三転し、途中から海軍まで出しゃばってきたせいで、先日、ようやく社内で設計方針が決まったらしい。


排気タービン付新型エンジン、ハ214ルを二基搭載した新型双発複座戦闘機。

予想される米軍機の高速化と高高度性能の上昇に対応するため、高高度での高速戦闘を主眼に置いた機体。

陸軍より本機に与えられた計画名称は、”キ83”。



俺は、現実逃避をするかのように”キ83”の開発に打ち込んだ。

戦争という現実から目を背け、ただ”キ83”という飛行機をより良いものにしようと、より美しいものにしようと、己の最高傑作にしようと日夜心血を注いだ。

元から強くない体はストレスと酷使で悲鳴を上げ、文字通り血反吐を吐いたが、それでも製図台の前に座った。




戦局はみるみる悪化し、遂には特攻とか言う気が触れた作戦が常態化した。

その特攻に使われるようになった機体の中には、今や旧式化した、俺が設計した飛行機もあった。



最早俺の心のよりどころは、この”キ83”だけだった。





試作1号機が完成したのは44年の10月だった。


同僚の東條に苦労をかけてやってもらった数値化流線形によるすらりとした細身の胴体。

層流翼形を採用した中翼単葉の主翼と、翼下に吊り下げられた二基のエンジン。

操縦者席背面および同乗者席背面には12mm厚の防弾鋼板を設置し、燃料タンクには自動消火装置を装備した。


文字通り心血を捧げた、俺が作ることのできる最も良い、美しい飛行機だと自負できる。



11月には各務原にある飛行場に機体を搬送し、試験飛行が行われた。


従来機とは比べものにならないほどの翼面荷重にもかかわらず、飛行特性は極めて良好。他の機体の開発チームで聞いた、排気タービンによるエンジントラブルも発生しなかった。

速度についても、計画値にこそ届かなかったが、それでも高度8,000mで686.2km/hを記録した。

試験結果は、良好。


久保さん達開発チームの面々と成功を祝うとともに、先を行く米軍機に追いつくための更なる性能向上を目指して議論し、自身もオイルまみれになりながら改造を重ねた。





だが、日に日に荒廃していく日本にコイツを量産する力は既に残っていなかった。


空襲で破壊された生産ラインに、燃える試作機たち。


焼け野原になった都市、炭と化した無辜の人々の骸。


ラジオから聞こえる、玉音放送。


そして、今。

最後に残った一号機が、進駐した米軍によって持ち去られようとしている。


頬を、冷たい雫がつたっていく。



「・・・・やめろ。」



俺に残った、唯一の心のよりどころ。

こいつがいなくなったら、俺は、俺には。



「やめろぉーーーーー!」


岩盤を掘り込んで作られた掩体壕から引きずり出される愛機の主脚にへばりつく。


『What is this?(なんだこいつ。)』

『Tear it off,quickly!(さっさと引きはがせ。)』


大した抵抗すらできず、生まれつき貧弱なこの体は取り押さえられる。


なすすべもなく地面に押さえつけられた俺は、分解されトラックに積み込まれていくキ83をただ見ていることしかできなかった。


『 Good bye ,JAP!』

『Hah!』


トラックが走り去る。


視界に映るは、飛行場の端に集められ、無残にも打ち捨てられた飛行機たち。

もう飛行機を作るなとでも言うように、徹底的に破壊される生産設備と燃やされる研究データ。


人との関わりの時間も、青春の思い出も。人生のすべてを飛行機に捧げた俺には、もう何も残ってはいなかった。

あるのは、罪悪感と、絶望だけ。



「・・・ははっ。はは、ははははははっははははっははははっははははははっはっはっはっはっはっはっははっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはhっはっはhっはっはっはhっはっはhっはhhhhhhっはhhhhぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」




空虚な目で、空爆によりところどころ抉れ、機銃掃射の跡が残った滑走路をフラフラと歩く。


常に吹いている西風も、今日は止まっていた。


俺は、ガソリンをかけられ燃やされる飛行機の残骸の山場に、身を投げた。







________




キャノピーの外、濃雲が流れていく。

狭い。

どこにいるか、すぐわかった。ここはキ83の後部座席だ。

試験飛行の時に乗ったことがある。


風防と前席の隙間から前の操縦席を覗き見ると、そこに座っていたのは見知ったパイロットだった。

俺が見ていることに気づくと、ゴーグルの反射で目は見えないが、にこりと笑ったのが見えた。

軍人とは思えぬほど穏やかな性格をした技研のパイロットで、自分と同じくらい飛行機が好きな男で、今思えば、人付き合いに興味がなく人当たりが悪い俺に唯一話しかけてくれていた不思議な人物で・・・・・

三月の二号機の飛行試験時に、死んだ。

事故だった。



そうか、ここはあの世か。


不思議な感覚だ。全く音を感じない。プロペラは正常に回っているのに、気になると言われたエンジンの振動も皆無だ。

飛行服も着ていないのに、全く寒くない。


雲の中をスーッと上昇して行き、雲海から突き出る。


青と白のみで構成された、美しき空の世界。



上空を見ると、蒼穹の青空を端から端まで、一筋の帯状の雲が連なっていた。


いや、あれは飛行機だ。

端が見えぬほど長大な飛行機の大編隊。


日本、ドイツ、イタリア、アメリカ、イギリス、フランス・・・・・黎明期の布張りの複葉機から、ドイツのジェット戦闘機までありとあらゆる国と時代の飛行機だ。

いや、俺が見たこともないような型式や国籍マークを持つ飛行機もいる。


夥しい程の数の飛行機が、葬列のように帯になって飛んでいた。





葬列へ、キ83は音もなくスーと加わる。



辺りを見渡すと、どの飛行機にも自分達と同じように人が乗っているのが見えた。


零に乗ったパイロットにグラマンに乗ったパイロット、旅客機の窓に見える設計士然とした風貌の男に白衣を着た研究者、ソ連機に乗った女性パイロット。

あれは、ライト兄弟か?リリエンタールまでいる。


皆がにこやかに楽しそうに笑ってこっちを見ている。

まるで、2人とキ83を歓迎するように。

新しい飛行機を、志を共にする仲間を、歓迎するように。

国も、人種も、性別の違いもそこには存在しない。


余計な感情が、荒んでいた心がスーッと洗われていく気がした。

そうか、やっぱり自分は飛行機がどうしようもなく好きなんだ。

例えそれがどれだけ呪われた夢でも、どんな結末を迎えようとも。


彼らも、きっとそうなんだろう。

空に、飛行機に憧れ、魅せられ、心を奪われた者たち。

自分と同じ、どうしようもない飛行機バカということだ。


スケールの大きな二次会だな。

心の中でそう思った。


狭い風防内で手を振ってみる。

向こうも手を振り返し、ついでに何やら言っているようだが、音を感じないので何と言ってるかは解らない。




心は澄んでいた。



ただ、少しの後悔が心に残った。








どれほど時間が経っただろうか。




ふと、右エンジンのプロペラの回転が、止まった。

間を置かず、左エンジンのプロペラも回転を止める。

何が起こっているのかと周りを見るが、自機以外には特に変化がない。


機体は徐々に速度を落とし高度を下げ始め、編隊から落伍する。


最後に、皆が手を降っているのが見えた。





俺を乗せたキ83は、そのまま白い雲海の中に、静かに潜り込んだ。









________







「うわっ!?」


ベッドの上で目を覚ます。


混乱する。


どこだろうか、此処は。

掃除は行き届いているし貧相というわけでもないが、随分と古臭い作りの洋風の部屋だった。


いや、そもそも自分は・・・。





誰かが朝食だと呼んでいる。


ふと、聞きなれたエンジン音が聞こえた。



窓を開け空を見渡す。



ブゥゥゥーーンンンー!


目の前の空を、布張りのタンデム翼機が飛び去っていった。


「・・・ダメだな、全く洗練されてない。美しさのかけらもない。」


しかし、何なのだろうか、この胸の高鳴りは。

いつの日かと同じ、この高鳴りは。



ふと、向かいの石造りの家の窓に、通り過ぎって行った飛行機を、自分と同じようにして見ている少女がみえた。


目が、合う。


その目は、瞳の色こそ違うもののどこか見覚えのある眼差しで・・・・・










窓から入ってきた爽やかで、心地よい風が、頬を撫でた。


風は、まだ吹いている。



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