二十六 仕事の前に

 




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 団子屋は小さな屋台だった。地面に棒を差して布を張り、その下に木の台を置いた簡単な店だった。千世ちせはそれを、かわいらしいとおもった。かやには負けるけれど。

 数人の列に並んで順番が来ると、早瀬はやせは二本頼んだ。手持ちがあまりないのでおみやげはあきらめると言っていた。千世は、店主が団子を焼いてくれるのを眺めていた。火鉢に網がのせられていて、その上で焼く。素朴な黄色がだんだん狐色になって、いい匂いを漂わせ始めるのは、なんだかふしぎだった。団子がこんがりすると、店主が味噌を丁寧に塗ってくれた。

 団子が焼けるまでのあいだ、早瀬と店主はなにか話していた。町で、行方がわからなくなったひとがいるらしかった。千世は団子をみつめながら聞いていた。

 団子はとても、おいしかった。もっちりして香ばしくて、奥にあまさがあって。しょっぱくて深い味の味噌とよく合った。あっという間に一本食べてしまったら、まだひとくちも食べていなかった早瀬がもう一本をくれた。ほしいけれど、いらないので、早瀬に食べさせた。早瀬は、千世が口に突っ込んだ団子をゆっくり噛んで飲み込んで、おいしいですねと、笑った。

 早瀬はなぜか、千世のことをひどく案じており、団子を食べたらすぐに帰ることになった。のんびり、歩いて、吊頭所ちょうとうしょに戻ってくると、沙那さなが外にいた。いないかとおもったらあいびきかと沙那は言い、早瀬と千世を囲炉裏のまえに座らせて白湯を持ってきてくれた。それでどこかへ行ってしまった。

 しばらく、ふたり並んで座っていた。早瀬がとても静かなので、となりをみると、器を持った手を膝に置いたまま目を閉じていた。水がこぼれそうだったから、千世は早瀬の手から器を抜き取った。それでも早瀬は、なにも言わなくて。まぶたを閉ざしたままで。

 千世は、早瀬の手にふれた。起きなかった。頬にふれた。それでも起きなかった。腕と腕がふれ合うくらいに、からだを寄せても。おだやかに、息をしていた。だから千世は、そのままじっとしていた。早瀬はなんだかひんやりしていて、けれど、ほんのりあたたまってきた。


 黒い、文字が目に入る。早瀬の、力の抜けた手から続く、手首に刻まれている。まだ、読める。

 ここに書いてあることは、代代のことわり。幾世幾世、受け継がれてきたきまり。これを知っていると、知ったのは、ばけものに襲われてから。この文字を読むことができて、知るべきことをなぞることができると、知った。内にずっとあったのに、ずっと気づいていなかった。

 わたしは、ものしするもの。だから知っている。この世に。どうしてものがいる。だれがものになる。どうすれば絶やせる。

 最初はおぼろげだったけれど、だんだんくっきりとし始めて、そして。とよちゃんのことを、おもったときから。沙那と小兎ことと、みんなと一緒がいいと、おもったときから。このひとの、そばにいたいと、おもったときから。すこしずつ薄れ始めている。

 けれど代わりに、おもいだせそうで。ずっとまえ。おひいさまと、わたしを呼んだひとのこと。これではいけない。これでいい。





****





 ゆっくり、ひらけていく。やわらかな光が、いっぱいに満ちていると、わかる。包み込まれてあたたかくて、でもこのままひらいてしまえば、すべて消えるのだと、よくわかる。

「ちせ、さま……?」

 胸の奥からこぼれだす。

「いま……、ゆめ、おれ……」

 あたりはうっすらと、明るい。目の前で、炎がはずんでいるのが見える。その上に鍋がつるされており、味噌の香りが漂っている。ふわ、と髪をなぞられる。心地よさに、思わずもう一度目を閉じる。

 あれ。いや。待て。いま、どうなっている。

 目を開け、頭を動かしてみる。頭の下に布がある。囲炉裏の前で足を伸ばし、横になっているようだ。かぶせられた小袖が肩までを覆っている。うしろを見る。千世がいた。横座りになり、きょとりと目を丸めていた。

「わ……っ?」

 早瀬は飛び起きた。いまのいままで、昼寝を見守られる赤子みたいに、なっていたらしい。なぜそんなことになった。早瀬は無言で床を睨み、記憶をたどった。

 夢を見るから外へ出た。千世がうしろから来た。清多せいたとかやに会った。町へ行った。団子を口に突っ込まれた。帰ってきて、沙那に迎えられて、ここに座った。そしてしばらく、千世とふたりでいたところ、なんだか力が抜けてしまった。それで、寝たのだ。

「すみません……」

 早瀬は座り直し、千世に謝った。

「町までついてきていただいたのに、寝てしまって……」

 ここまで来ると見上げたなさけなさだ。うなだれていると、千世がすっと動いた。早瀬の膝になにかをのせる。

「これは……」

 膝の上から取り上げる。ひらかれた帳面だった。月白の紙の上に、潤った黒の文字が見える。

 眠れた。紙には、そう記されていた。早瀬は顔を上げた。千世は静かに、早瀬を見ていた。目が合うと、ひとつうなずいた。

 そして膝を寄せてきて、一枚めくる。そこには、沙那が小袖を持ってきてかけてくれた、と書いてあった。顔を見ると、千世はみずからを指差して、大きく首を横に振る。早瀬は半ば茫然と、千世を見つめていた。

 ふと、揺らぐ。静かな黒い瞳が、かすかに揺らぐ。光がたゆたい、息を飲む。千世が、微笑んだような気がして。

 そのとき、こそりと音がした。奥の部屋のほうへ顔を向けると、板戸が細く開いていた。およそ三名が、そこから目だけ出している。

「え……っ」

 早瀬が硬直したとたん、戸が勢いよくひらき沙那が飛び出してきた。沙那は千世をうしろから抱え込むようにして、早瀬に言い放った。

「おい。また千世に心配かけたら、処すよ。いいね早瀬」

「は、い……」

 こたえてしまった瞬間、横に小兎ことが滑り込んできた。

「そうですよ! おれもがんばって処しますからね!」

 顔を真っ赤にして、なにか恐ろしいことを宣言している。

「よくわからないけど仕事の前にほっこり」

 緋高ひだかまで、笑いながら出てくる。早瀬が言葉を失っていると、緋高のうしろから斎丸さいまるが現れた。無言で囲炉裏の前を横切り、音も立てずに外へ出ていった。

「あ、べつにあいつはのぞいてないよ。いま起きただけ」

 緋高がにやつきながら、斎丸が消えた戸のほうを指差して言う。それだと、この三人はのぞいていたということになるが、いつからなにを見ていたのか。声の出ない早瀬を指差して、緋高が笑った。

「なんだよその顔。こっちだって心配なんだからさ、ちょっとくらいのぞいたっていいだろ、なあ小兎」

「そうです。ものすごくそうです」

 緋高と小兎はうなずき合っている。

「なんか、にぎやかだなぁ、よかったな。なんか知らんけど」

 尽平じんぺいがにこにこしながら外へ出て行った。

「千世、これを書いたの?」

 いつの間にか現れていた瑞延ずいえんが、早瀬の膝に置いた帳面を眺め感心している。沙那を示したり帳面を示したりしている千世の頭を、そっと撫でる。

「沙那も助けてくれて、書き方がわかったのだね」

 千世は大きくうなずいた。そのすがたはとても、まぶしくて。やわらかな白い、光だった。

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