二十三 輪

 そのあとは、めちゃくちゃだった。ふたりを相手にまともに突っ込んだ早瀬はやせは、ふたりぶんの容赦ない攻撃をくぐり抜けて走った。斎丸さいまるにうしろから追われ、いつの間にか緋高ひだかに前へ回り込まれ、見事に挟み撃ちにされたがなんとか掻いくぐり屋根の上へ逃げ、まっすぐ追ってきた斎丸と、その傾斜のついた足場において乱闘を繰り広げた。

 斎丸は強い。珍しいことはしないが、動きに無駄がなくきれがある。研ぎ澄まされたその太刀筋には、激しい熱がこもっている。受けると身体が痺れるくらいに。

 ひとときも気を抜けずにいると、下から叫び声が聞こえた。小兎ことだった。寝ているひともいるんだから、大きい鼠さんたちは静かにするようにと言っていた。ふたりして我に返り、動きを止めたところで突如、なにかを察知した。うしろから、慣れない長さの得物が襲ってきていたのだ。散り散りに屋根から飛び下りると、軒先から見下ろされた。槍を手にした瑞延ずいえんだった。

 叱られると思ったのに、瑞延はなぜか、楽しそうに参戦してきた。瑞延は、背丈よりも長い槍を、おのれの腕かというほど自在に操る。刃はついていなかったが、長さが有利であるし、こちらはかなわない。気づくとなぜか、斎丸とふたりで瑞延と対峙することになっていた。しばらくすると、消えていた緋高も現れ、たまに茶々を入れてきた。瑞延を呼んだのは、おそらく緋高だった。

 瑞延の戦い方は流麗だ。ふたりぶんの動きに対応しているはずなのに、まるで、はじめから終わりまで振りが決まっているかのよう。早瀬は懐に飛び込んだのにいなされ、しかし一瞬、背中側を空けた。そこへ斎丸が迫り、とったと思ったときだった。斎丸の刀が宙を舞った。

 瑞延と斎丸のあいだを通り抜けた、尽平じんぺいの業だった。からんと刀が地面に転がると同時に、腹に穂先を当てられ、早瀬は尻餅をついた。しん、とあたりが静まり返り、そして尽平が笑いだした。しかし。

 なにやってんだおまえら、と尽平が言い終わらないうちに、刀を拾った斎丸が突きかかって混戦乱闘が再開。沙那さなが出てきて、怪我しても知らないと怒鳴るまで続いた。めちゃくちゃだった。沙那に叱り飛ばされるとしかたがないので、おとなしく中に入った。手拭いと握り飯が用意されていて、みんなで囲炉裏を囲んだ。


「なるほど、奇襲とはおもしろい考えだね」

 瑞延が感心したように言った。

「それなら応じざるを得ない……」

 瑞延にちらりと見られた斎丸は、囲炉裏に対して微妙に斜めになり、居心地わるそうに座っている。早瀬のとなりの緋高が、大きくうなずいた。

「そうでしょう。でもふたりが思ったよりやり合うから、見てておもしろかったなぁ」

 声がにやけている。早瀬はなんだか恥ずかしくていたたまれず、おのれの膝ばかり見ていた。瑞延がふふっと笑って言った。

「ふたりもおもしろかったけれど、わたしとしても、とてもおもしろかったよ。三人のおかげだね」

「おもしろかったんですか……? 見てて怖かったんですけどおれは……」

 小兎が白湯の器がのった盆を持って、ぼやいている。器を配りながら、沙那が賛同した。

「そう。いきなりどうしたのかと思った」

 でも、と沙那は少し声をやわらげて続ける。

「こんなの何年かぶりで、ちょっと懐かしかった」

「だよな」

 尽平が沙那を手伝いながら応じる。

「緋高と斎丸が修行してたころは、よくみんなでじゃれてたよな」

 早瀬は顔を上げた。そうだね、とこたえた瑞延が、横の斎丸に器を回している。斎丸は頭を下げて両手で受け取り、それを千世に渡した。

 早瀬は緋高を見た。緋高はこくりとうなずいた。たいせつな記憶を指先で、たどるような顔をして。緋高には、小兎から白湯が回ってきた。

「おれらも打ち合ってたよなぁ、もうだいぶ前だけど」

 尽平が瑞延を見て言う。瑞延はまた、そうだね、と応じて含み笑いをもらした。

「それは知らない」

 沙那がつぶやくと、尽平が笑った。

「そりゃ、沙那はまだちびっこだったからな」

「そうか、そうですね」

 膝に置いた手が、ふいにひんやりする。となりを見ると、千世ちせが白湯の器を差し出してくれている。早瀬は咄嗟に、わたしはあとでいいと言おうとした。でもその言葉は、舌の上でとけてなくなった。

 千世の瞳が、光っているから。それは前から、おなじはずだ。でもいまは、なにかがちがって。いま目の前にある光は、呑み込まれそうな力を帯びたものではなく。やわらかに、包み込んでくるもののように思えて。

 早瀬は手を伸ばし、千世から器を受け取った。はっとするようなぬくもりが手におさまり、血の通ったつめたさに、指先がかすかにふれる。手をさわって呼んでくれたことを思って、胸が詰まった。

 器を配っていた沙那がもとの位置に戻り、千世の前にも器を置く。これでみんなに白湯が行き渡ったようだ。

「もうおれらが修行してたのなんて、十年以上前だからなぁ、沙那も、みんなでかくなるはずだ」

「ありがとうございます」

「うん、ほんとうにみんなは大きくなったけれど、おかしいよ尽平。わたしは傀廻くぐつまわしになって、まだ十年経っていない」

「はあ? そんな変わんねぇだろ」

「あなたは数字に弱いのかな」

「あのな。おれが昔、なにやってたと思ってんだ?」

「知らないよわたしは昔のことなんて。だいたいあなた、おのれが傀廻しになって何年かも、ちゃんと覚えていないのでしょう」

「おう瑞延さんよ、表出るか?」

 尽平と瑞延がなにやら言い合っているのを聞き、千世がちょこんと首をかしげる。それを見て、早瀬はふっと笑ってしまった。

 尽平と瑞延は珍しく、というよりはじめて、新入りにわからない話を続けているようだ。横で笑いをこらえている緋高が、教えてくれた。

「なんとなく知ってたと思うけど、尽平さんと瑞延さんって、けっこうつき合い長いんだよ。おなじ師匠に教わったって話はしたけど、ふたりはおなじくらいの時期だったらしい。斎丸とおれは、そのあとに来て、おなじような時期に修行してた」

「そうなのか、なるほど」

「うん。で、沙那はお父さんが傀廻しで、生まれたときからここにいたみたい」

 早瀬はそうかとうなずいた。沙那の両親がどうしたのかは察せられたので、黙っていた。

「それで尽平さんは、戦場で師匠に拾われたって言ってるんだけど……」

 早瀬が尽平のほうをうかがうと、目が合った。にっと片頬を持ち上げて、そうだぜ、と尽平は言う。

「内輪話して気持ちわるかったな。でももう内輪になってもらうぜ、早瀬よ」

「え、はい……」

 早瀬が戸惑いつつ返事をすると、尽平は腕組みをして、喋りだした。

「十年ちょいちょい前までな、おれは……」

「すうじによわい」

 小兎がぼそりとつぶやき、出鼻をくじかれた尽平はくちゃりと顔をしかめた。

「認めてもいいがいまは言うんじゃねぇ」

「はいごめんなさい」

 小兎はくすっと笑って、瑞延と顔を見合わせながら口を結んだ。尽平は咳払いして、話を再開する。

「そう、だからその、あれだ。前までおれは、数々の戦場で名を轟かせてたわけだよ。そんで、この近くで起こった戦の場にもいたんだな。そんなとき……」

「待て。それだと尽平が、とても偉い武人みたいになっている」

 今度は瑞延が口を挟んだ。

「それはちがう。すごくないことはないけれど武人ではない。尽平は、戦場で商いをしていたんだ。それで師匠に拾われた」

 瑞延は早瀬に顔を向けて言った。なんだかこんがらがった早瀬は、目をしばたいた。

「えっと……」

 尽平が眉をひくつかせるのを横目に、瑞延は淡々と続ける。

古弓ふるゆみの殿さまの時代に、戦をしたときだ。交代よりも前だね。尽平は、仲間と一緒に戦場で、食べものや武器を売っていた。そしてわたしたちの師匠は、殿さまの陣所がくぐつに襲われたときのために、戦につき従っていた」

 尽平の商売も、師匠の仕事も、どちらもよく聞くことだった。早瀬はうなずいた。

「でも尽平たちは、ただの商人ではなくて。そのときは、古弓の殿さまの、敵に雇われていた。だけどただの商人のふりをして、殿さまの陣所に入って、火をつけようとしていた。それが見破られてしまった。いのちが危うかったのだけれど、師匠が助けて弟子にした」

 戦の中で、商人が敵陣のあいだを往来することは禁じられることがある。けれど、禁じたってするひとはいるし、暗黙のうちに認められていることもある。商人だった尽平は、敵対した陣のあいだを行ったり来たりして、したたかに生きていたのだろう。でも、危ないところだったのだ。

 千世と早瀬以外は、みんなもう知っているらしく、思い思いにのんびり器を傾けている。沙那が盆にのせた握り飯を配り始めた。

「ほかのひとも、古弓のほうのために働くということで許された。それで尽平は師匠に、ここに連れてこられたんだよね」

 瑞延が尽平を見る。配られた握り飯を持った尽平は、不満いっぱいの子供みたいな顔でうなずいた。

「はぁ、そのとおりでございます瑞延さん」

「うん。それで尽平は、はじめは師匠に歯向かおうとしていたけれど、師匠のすごさを思い知り、服従し、尊敬することになった……」

 瑞延はまじめな顔で語った。早瀬はこくこくとうなずいた。

「おい、言い方……ものすごくそのとおりだけどさ……」

 尽平がぼそりと不平を言う。瑞延は返事をせず、早口でつけ加えた。

「師匠が尽平だけをここに連れてきたのは、尽平に力があるとわかったからだ。師匠の目に狂いはなかった、このひと、一年も経たずに傀廻しになれてしまったから」

 えっ、と早瀬は思わず声を上げた。傀廻しになるための修行は、少なくとも二年は続ける。早瀬は三年かけた。傀にならないとわかっている量とはいえ、傀の血を入れてその力を使うのだ。しっかり身体を鍛えておかなければ、もたなくなってしまう。

「すげぇ……」

 早瀬がつぶやくと、尽平は目を丸めて、ははっと笑った。

「早瀬は素直でいいよな、うん」

「だって、すごいです」

「身体はクソほど丈夫なんだよ」

「わたしもそう思っていますけど、三年かかりました」

「いや、まあそんなもんだろ」

 尽平はかるく目を伏せて座り直す。すると瑞延が横槍を入れた。

「でもやはり尽平は、師匠に思い知らされている」

「おい待て、おまえだってそうだろ」

「そうかな……」

 首をかしげる瑞延を指差し、尽平は早瀬に向かって言った。

「この瑞延さんは大陸の出身でな、こっちのこと調べに、父さんと一緒に海渡って来てたんだ。でもこっちにいるうちに、国のほうで戦があって、王さまか? が替わった。そんで帰れない事情ができちまったんだよ」

「そうだ」

 瑞延がうなずく。

「そのあといろいろあって身寄りがなくなっちまってから、ここに来て傀廻しになった」

「そうだ」

「でも瑞延も最初は師匠をなめててな、国の言葉でなんか、ばかにしたこと言ったんだよ。わからないと思って。でも師匠、その意味わかっててさ、瑞延さんは見事な切り返しを食らったわけだ」

「そうだ……」

「あんときの師匠はかっこよかった。おれはさっぱり意味わかってなかったけどなんか、惚れ直しちまったし、瑞延はそっから服従、すぐ大尊敬だ。あっ、あと思い出したけど瑞延おまえ、よそから来たのにここの言葉もうまく喋れるんだな、すげぇなっておれが言ったら、ここの言葉を使ってきた年数はおまえとほぼおなじだ、なめんじゃねぇクソがって、すげぇ怒ってきたよな。なんだったんだあれ」

 尽平がすっとぼけた表情で言うので、早瀬は笑ってしまった。目が合った千世はゆっくり、まばたきをした。

 平気な様子だったはずの瑞延は、こめかみを押さえて顔をしかめている。まだなにか喋りそうだった尽平を、待て、と遮った。

「あなたがいま持っているものはなにか、言ってみてほしい」

「あ? おむすびだろ」

 尽平が言い放ち、手の中の握り飯にかぶりつく。早瀬は緋高と小兎と、同時にふきだした。斎丸が口を覆ってうつむいている。笑いをこらえた様子の沙那が、千世と早瀬に握り飯の盆を差し出してくれる。早瀬はお礼を言って、千世のあとにひとつ手に取った。心地よい重みと、ぬくもりが伝わる。

 おむすびとはとてもかわいらしいね、と瑞延が所感を述べると、尽平は秀麗な顔にこれでもかというほどしわを寄せた。

「なんだうるせぇよ。あ、そうだ。生まれ直せぼけかす」

「ああ、わるかったね。ごみくずちりあくた」

 聞き覚えのありすぎる文句。沙那と小兎と、千世にまでしっかり知られていることだ。千世ほか二名を除き、みんな大笑いした。緋高などは、白湯を噴き出しかけていた。斎丸がきまりわるそうに身体をずらしているのを、早瀬は目の端に見た。

 どうにもならない状況なので、とりあえず顔をうずめるみたいに、握り飯にかぶりついてみる。ふんわり、やさしい風味が鼻に抜ける。ほんのりと、あまくて、ほどよく塩気がとけ込んでいて。

「あ、うまいか?」

 尽平のかるい問いに、早瀬はうなずいた。ふうん、と尽平はやわい笑みを浮かべた。

「よかったな」

 早瀬はもう一度、うなずいた。瑞延がのどやかに微笑んで、うなずき返してくれる。そのときふいに、頬になにかが、ちょんとふれた。白い指が、離れていくのを見た。早瀬は頬に手を当てた。

「は……わ……あ……」

 小兎が身を乗り出し、謎の声をもらす。沙那が頬を指差して、わたしにも、と要求している。

「千世、わたしもやってほしいかもしれない……」

「おまえガキじゃねぇんだから」

「おい早瀬、戻ってこいよ」

 瑞延と尽平がなにか言っており、緋高には袖を引かれてからかわれた。斎丸はあきれ返っているらしく、顔を背けている。

 千世は何事もなかったという様子で、握り飯をもぐもぐ食べていた。その頬を横から沙那がつついている。

「いっぱい食べてね」

 沙那の言葉に千世がこくんとうなずいて、またみんな、笑った。一緒に笑った早瀬は、ひっそり唇を噛んで、うつむいた。

 このひとたちには、ずっと、ずっとこのままで、いてほしい。でも、それだけじゃない。少し咳き込んでしまったふりをして、胸を押さえ込む。だってほんとうに、おいしかった。あたたかかった。いたかった。

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