十八  遠く閃く

 早瀬はやせは、清多せいたとかやの背中を見送った。ふたりは途中で曲がり、家が集まったところへ向かっていった。それを見届けてから歩き出し、吊頭所ちょうとうしょに戻ってきた。外には、だれもいなかった。

 小柴垣に囲われた吊頭所の敷地には畑があり、そのそばに納屋がある。武器や、くぐつの血を保管していると、瑞延ずいえんが言っていた。納屋の中、そこにある血をまた飲めば、夢を見なくなりなにも思い出さなくなるかもしれない。もしくはほんとうに楽になるかもしれない。

 そんな考えがふと浮かび、頭おかしいのかと思った。ここにいるのは、傀を仕留め散らかした責任をとるためでもあるのだ。もう勝手なことをしてはならない。背後に感じていた気配は、いつの間にか消えていた。

 いま、傀廻くぐつまわしは休む時間だが、沙那さな小兎ことと、千世ちせは起きている。三人は、傀廻しとは動く時間がずれていて、食事の時間だけかさねている。

 吊頭所を出るときは、どこへ行くのかと三人に聞かれてもこたえられないと思ったので、裏口を使った。そこからなら、三人のいる囲炉裏の部屋を通らずに出られる。

 ここに来たばかりの夜には窓から転がり出たが、そんなことをしなくてもちゃんとした戸があったのだ。中へ入るのもそこからにしようと裏手にまわり、早瀬ははっと立ち止まった。

 おなじように裏から、垣を乗り越え中へ入っていくひとがいたのだ。早瀬はその場に突っ立ったまま、そのすがたを眺めた。大きな太刀を手に、建物の裏口へ向かっていく。斎丸さいまるだった。斎丸は音もなく裏の戸を開け、中へ入るとまた音もなく滑らせ、閉ざした。

 吊頭所には部屋がさほどないので、男たちはみんなおなじ部屋で寝ている。千世とふたりで、最初に入れてもらっていたところだ。そこを出たときは、斎丸も寝ているように見えた。しかしさきほどまで、外にいたようだ。太刀を持っていたので、厠ではないだろう。どこかへ出かけていたのかもしれない。

 起こしてしまったのだろうか。眠れなかったのだろうか。どこかへ、歩いていきたい気分になったのだろうか。考えても、わからないことだ。早瀬はやっと動きだし、垣を乗り越えた。

 斎丸とはまだ、ろくに話せていない。呼んだこともなく、もちろん呼ばれたこともない。一太いちたをえぐろうとして押さえつけられて以来、あまり声も聞いていない気がする。いきなり湧いて出て暴れ回り、あげく居座るので、不愉快な思いをさせているのだろう。

 勝手なことをして手間をとらせたことを謝りたいが、きっと謝って解決するようなことでもない。おこがましいというか、それもあるが、おそらく大変嫌われている。鋭く閃く空気にはじかれ、近づくこともできない。

 早瀬は戸の前に立って、迷った。いま戻れば、斎丸が起きているところに出くわすだろう。緋高ひだか尽平じんぺいはちゃんと寝ているだろうから、ふたりきりではないがふたりになってしまう。きっと気まずい。話題がないとかではなくそれ以前の問題で、もはや気まずくもないのかもしれないが。

 早瀬は開けるはずの戸の前を通り過ぎ、意味もなく土壁に沿って歩き始めた。ところどころひびが走り、日に焼けて、剝き出しの肌に見える。手を当てると、ぼこぼことして、少しあたたかい。早瀬は足を止め、背中で壁に寄りかかった。

 目を閉じると、先刻見た景色が、頭に流れ込んでくる。平らな道、魚、刀、団子、子供たち、かご、山。深い緑が遠くかすんでいた。清多の気負わない笑みと、かやのつぶらな目は、まだ近くてあざやかだった。そこになつかしい顔がかさなり、めらめらと、食い尽くされていく。その忌まわしいかがやきを、突如黒が塗りつぶす。真っ黒なすがたを、早瀬はまぶたの裏に見る。

「ごめん、なさい────」

 そのときだれかが、早瀬を呼び戻した。目をひらく。黒くきらめく瞳を見る。すきとおっていたのでは、なかったか。死にも至る癒し、その光に呑み込まれ、黒の中から引きずり出されたのでは。

「あっ、あのっ?」

 すっとんきょうな声がして、早瀬は我に返った。少し離れたところに、釣瓶を抱えた小兎が両足を踏ん張って立っていた。顔が赤い。

 どうしたのかとたずねようと息を吸ったが、うまく声が出なかった。鼓動が乱れている。じっとしていると、それがよくわかってしまう。ごまかすため壁から離れようとして、それができないことに気づく。驚きで息が止まった。

「千世さんっ、許してあげてください!」

 小兎が駆け寄ってきて叫んだ。早瀬はわけがわからず上を向いた。壁にもたれたままに、身動きが取れなくなっている。うしろには壁、前には壁に手をついた千世、左右はその腕に挟まれて、四方を封じられているのだ。千世がじっと、見上げてくる気配がする。下を向けない。

「千世さん、ねえ、いやちがいますよ、早瀬さんが昼間にどこぞをほっつき歩くからいけないんですよ!」

 小兎が悲鳴を上げている。早瀬は軒先を凝視しながら、そのとおりだとつぶやいた。

「いえ、どこかへ行くのはいいんですけど、でも黙って行くと心配なんですよ、とくに早瀬さんはだめです!」

 早瀬は腕で目もとを覆った。心配、なんておかしい。ほんとうに心配そうに言う。微塵も要領を得ない。

「でも千世さん、でももう許してあげてくださいおねがい!」

 小兎がなぜかなさけない声を出し、千世が離れていったのがわかった。早瀬はやっと首の角度をもとに戻した。真っ赤になった小兎と、かるく目を伏せた千世がそばにいる。早瀬はふたりに頭を下げた。

「少し、出かけていました。ただいま戻りました」

「そうでしょうね!」

 小兎がぴしゃりと言う。

「はい……」

「それより早瀬さん、なんですか、こんなところで寝ようとしてたんです? 立って寝る民なんですかっ?」

「それってどういう民なの」

 そう言いながら、沙那が顔をのぞかせた。

「ちょっとうるさいよ。みんな寝てるのに」

「ごめんなさい!」

 沙那の注意に、小兎がやけくそのようにこたえる。釣瓶を抱え直し、非常な勢いで井戸のほうへ走っていった。呆然とそれを見送っていると、沙那が早瀬を呼んだ。返事をすると、沙那は言った。

「おかえり。待ってたよ」 

 ね、と千世のほうを見る。すると千世は、こくりとうなずいた。中へ戻っていく沙那のあとに続こうとして、振り返る。ひとつにまとめるようになった黒髪が、揺れて広がる。肩にぱさりと、こぼれたのを片手で払う。

 もう片方の手は、衿もとに添えられていた。矢立と帳面を、差し込んであるところに。

 千世はくるりと前に向き直り、歩いていった。早瀬は衿を握りしめ、座り込みたくなるのをこらえた。





****





 つぎの日も、そのつぎも、早瀬は昼間にほっつき歩いた。三回に一回は、申告してから出ようと決めた。行ってくると告げると小兎が、いってらっしゃいおはようおかえりと言う。うしろからついてくるだれかの気配は、感じたり感じなかったりする。

 昼に外へ出かけているのは、早瀬だけではなかった。斎丸はあのときどこかへ行っていたようだし、尽平が出ていってなかなか戻ってこなかったり、帰ったとき緋高がいなかったりしたこともある。斎丸と出る頃合いがかさなりそうになった日もあった。斎丸が出ていくまで待機した。

 瑞延は部屋が違うのでわからないが、外へ行くこともあるのかもしれない。みんなそれぞれ、休むだけではない昼を過ごしているようだ。早瀬が出かけていることも知っているのだろうが、なにか聞かれたことはない。早瀬も、だれにもなにも聞いていない。

 出かけるときは、北の山へ行く。物守村ものもりむらのひとたちの、墓参りをする。そんなことをしても、もうどうしようもないとはわかっている。おのれのために、してしまう。そのあとは、山を走り回る。余計なことを頭に浮かべなくてすむように走る。七太郎しちたろうの住処である、洞穴の場所は教わった。そこには近づかないようにする。ほかはなにも考えない。日ごとに険しくなったりやわらいだりする、芯の冷えた空気で肺臓からいっぱいにする。身体じゅう、頭の中まで。

 それでも、そうしていても、ふと思い出す。へとへとになるまで追いかけっこをしたことや、一にも二にもまずは走れとしごかれたこと。しばらく、思い出さずにすんでいたことばかり。よみがえる。ぜんぶがきっかけになる。ぜんぶが。

 そしてその場で、昏倒みたいに眠る。夢を見るのがいやでも、寝ないでいることはできない。起きていても、思い出さずにいることはできない。だから寝て、夢を見る。ひどい夢だ。いつも。


「おい早瀬、起きてるか?」

 右から、緋高がのぞき込んできた。顔にかけていた布を外し、早瀬の布までずり下げて顔を検分する。

「あ、起きてる。でもちょっと顔色わるくないか?」

 夜半、北の山を望む櫓の上だった。あたりはしんとして、青ざめた月の影が落ちていた。

「そうか?」

 早瀬は首をかしげてみせた。すると緋高は早瀬を真似るように首を傾ける。

「うぅん、光の加減かもなあ。でも早瀬、あんまり寝られてないんじゃないか? おれもなんだけど。季節の変わり目だからだろうな」

 緋高は独自の論を提示するだけで、早瀬にこたえを求めなかった。早瀬も聞き返さないことにした。緋高は山を眺めながら、のんきそうな声を出した。

「まあ今日は、なんもなさそうだなあ、なかなか新しいの来ないし」

 北の山にいた、三太さんたから六太ろくたと、八太はちた九太きゅうたは早瀬が屠った。だから新しいものが来る。何代目かの三太などが必ず来る。迷ってべつの場所へ行かないかぎり。しかしそれはまだのようだった。残った七太郎も、一度もすがたを見せていない。西の一太と二太にたもおとなしい。傀もいつでも暴れ回るわけではない。

「早瀬も近頃落ち着いてるし」

 緋高はそう言って笑っている。早瀬はうなだれた。

「その、ほんとうに……」

「いや、いいから。嫌味とかそういうのじゃなくて。よかったなってことだ」

 緋高は朗らかに笑い飛ばし、柵にもたれかかって頬杖をつく。

「千世さんもとりあえず安心かな……」

 そのとき、ぬるい風が吹いた。それは拍子抜けするほどに。

 浅緋の袖が、ふわりとふくらむ。ほつれた髪を耳にかけた指が、右目を覆う布にふれる。

「痛っ」

 早瀬は思わず口走っていた。緋高がふしぎそうな顔を向けてくる。咄嗟に謝る。勝手に痛いと思って、言ってしまった。緋高が、右目に爪を立てたように見えたから。

「ああ……」

 察したらしい緋高は、なぜかにやりと、わざとらしい笑い方をする。

「べつにさわっても痛くないぞ。眼帯取ったら、見た目はひどいんだけど」

「いや……」

「焼き印押してあるんだよ」

 なんでもなさそうに言った。

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