十六 境界
横の店から飛ばされてきたざるが、足もとに転がる。
早瀬は道の端に立ち止まった。両側に並んでいた店が途切れ始め、まっすぐ続いていた道がくねり始めていた。正面に、高い山がぼんやりかすんで見える。頂上から段々に、曲輪が設けられていることがわかる。建物も、かすかに見える。高い櫓らしきものが立っている。
あれが、
そしてあれも、あのどこかにいる。旅の途中で会ったひとの話を聞いて、確信した。あれはあそこへ、暁城へ逃げたのだ。たくさんの、あまりにもたくさんのものを、壊し、侵し、奪い、逃げた。そうだ。
そんなことになったのは、おれのせい。おれだ。そんなことを、させたのは。
あのひとは、強かった。傀など恐れなかった。いつもしゃんと、背筋が伸びていた。いつも笑顔で、名前を呼んでくれた。いつもひとを、たいせつにしていた。あのひとは強かった。
言っていた。傀になるくらいなら、死んでしまうと。だから、もう二度と、奪ってしまうことのないように。
殺したかった。そうしなければ、生きられないと思った。
****
城に背を向け、町を出て、早瀬は
ふと、うしろを振り返ろうとして、やめておく。吊頭所を出たころからずっと、うしろをつけられているように思うのだが、かまわない。だれかに見張られているだけだ。背中など刺すつもりなら、長くつきまとうことはないはず。ひとけのないところも、無事に通り過ぎてしまっている。もっとうまく、気づかないように尾行することもできるはずだ。あえて気配を出し牽制しているのだろう。
おそらく
道の端の干からびた草を、風が揺さぶっている。つめたい。息を吸うと、鼻の奥が痛い。
「あ?」
急に近くで声がした。びくりとして路傍の草から目をはがすと、正面に、着古した小袖すがたの少年が立っていた。道はまっすぐだからだんだん近づいていたはずなのに、まったく気がついていなかった。
少年は十歳くらいに見えた。小柄だが、どこかおとなびた様子だ。目を眇め、この視野狭窄野郎は何者か、といったふうに早瀬を眺めている。しばらく経っても少年がいぶかしげな様子のままなので、早瀬は慌てた。
「あの、申し訳ない、よそ見と考えごとをしていて……」
そこまで言って早瀬は、少年が背中に赤ん坊を背負っていることに気づいた。赤ん坊は麻布で丁寧にくるまれて、気持ちよさそうに眠っている。あいらしくて、早瀬はついそちらに気を取られた。
「おい、兄ちゃん」
少年がとがめるような声を出したとき、赤ん坊がぱちりと目を開けた。この子は美人になるねとか、少年に向かって言おうとしたときだった。赤ん坊がくしゅっと顔を歪め、つぎの瞬間泣き出した。
「えっ? うわぁあえぇっ?」
うろたえておかしな声を上げてしまう。早瀬はあとずさった。もしかして、泣かせたのだろうか。顔だけで。
赤ん坊は顔を真っ赤にし、背中を反らすようにして泣いている。その小さな身体からどうやってというほど、大きな声だ。赤ん坊の泣き声があまりにひさしぶりで、そんなに泣いてだいじょうぶなのかと思ってしまう。早瀬は、意味もなく前に進んだりうしろに下がったりした。
「ほらぁ、まったく、そんな泣くんじゃないよ」
動揺しきりの早瀬に対し、少年は落ち着いていた。慣れた様子で赤ん坊に声をかけながら、身体を揺らしている。ちらりと早瀬を見て言った。
「近づいてくれるなって、言おうとしたんだよ」
「すみません」
咄嗟に謝ると、少年は眉を寄せた。
「すみませんじゃなくてさ。これ、妹なんだけど。辛気臭い顔見たらすぐ泣くんだよね」
「辛気臭い顔……」
早瀬は頬をさわってみた。それだけではよくわからないが、たしかにいままで辛気臭いことばかり考えていた。近頃とくに、ずっとそうだ。でも、ひとを泣かせるほどだったなんて、少し怖くなってしまう。鏡など見たほうがよかろうか。
「妹さんを泣かせて……申し訳ない……」
顔に手を当て半ば茫然としたまま詫びると、少年は目を丸くした。そして、ははっとかろやかに笑った。
「え、なに……」
「冗談だよ」
少年は言って、にやっと口の端をつり上げた。早瀬はわからなかった。
「だから冗談だって。すぐ泣くっていうのはほんとだけど。あと、兄ちゃんの顔が辛気臭いのもほんと。なあ、かや」
少年がにこにこしながらあやしていると、妹の泣き声はしだいにおさまっていった。とりあえずほっとした早瀬を、少年が見上げる。
「兄ちゃん見かけない顔だね。もしかして最近来たっていう
早瀬は思わず身を引いた。少年は首をかしげて、平然とした様子でいる。
「山の中の村が、やられちゃったんだろ。その村からひとを連れて離れびとさんが来たって、みんな言ってるからさ。そんでここにいることになったって。村に入ってきたの、見たひともいるよ。黒くておっかなかったってさ」
「そう、か……わるいことしたな……」
「べつに。で、兄ちゃんそれなんだね?」
少年の口調は軽妙なままで、怖がる様子はない。早瀬は戸惑いながらうなずいた。
「そう、それだ」
「そっか。大変だったな兄ちゃん」
少年は北の山のほうをちらりと見やった。妹は泣きやみ、潤んだ目をぱちぱちとまたたかせている。世の中にはかなしいくらいにきれいなものがある。
「いや、わたしはそんなこと……」
「なに?」
少年が怪訝そうでもなく聞き返すので、早瀬はさらに拍子抜けしてしまった。ふっと、笑みが浮かんできた。
「なんでもない、ありがとう。やさしいんだな」
「そうだね」
少年はさらりとこたえた。背中の妹を振り返りながら言う。
「おれ
少しためらったが、早瀬だとこたえた。清多は早瀬に向き直り、にっと笑った。
「じゃあな早瀬の兄ちゃん、帰って寝ろよ」
どちらが兄ちゃんなのかわからないことを言い、清多はかるい足取りで早瀬の横を通り過ぎていった。かやは首をひねり、どこかふしぎそうな顔で早瀬を眺めていた。早瀬が恐る恐る手を振ると、ふいと顔をそむけた。
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