十五 仇の巣
吊頭所を出てきた
近頃、風が鋭くなってきている。もう少し研げば切れそうだ。早瀬は、袖の中に手を入れようとして、やめた。背筋を伸ばし、平らにならされた道を進んでいく。
道の両側に、板葺きの屋根に土壁の建物が並び、ひとが出入りしている。ひらひらと舞う暖簾を見ると、薬屋や小間物屋らしいとわかる。四角い下地窓のひとつから、なにやら大笑いする声が聞こえてくる。早瀬はつられてほんの少し、口もとがゆるむのを感じた。のどかながら、にぎやかな町だ。いろいろなひとがいる。
地面に筵を敷き、魚を並べるひとがいる。壁なしの掘っ立て小屋で、野菜の味を主張するひとがいる。小さな屋台を構え餅や団子を焼くひともいる。立ち止まって店主とお喋りしているひとも、天秤棒を担いでゆっくり歩いているひとも、たらいを抱え足早に通り過ぎるひとも。いきいきした景色。その中にいると、ひとびとのぬくもりが、あざやかに迫ってくる。それが心地よいのか痛いのか、早瀬はよくわからない。
口を結んで前を見ると、道端で刀が売られているのを見つけた。いろいろな刀を雑多に差し込んだ細長いかごが、いくつか置かれている。どれも中古か、安いもののようだ。早瀬は腰に帯びた大小の刀に目をやった。これらも、さほど品のよいものではない。もう何度も買い替えている。でもいまのものは、まだ使える。早瀬は、座って居眠りしている刀売りの前を通り過ぎた。
安いけれども大事な仕事道具である二振りに、かるくふれる。傀をひたすら切って弱らせるための打刀と、最後にえぐり出すための脇差。えぐるのは打刀のときもあるが、たいていは短いほうがやりやすい。でももう、そんなことはしなくてよい。してはならない。
もう幾度か、豊手村で仕事をした。豊手村の傀廻したちは、
北の山の傀で、残っていたのは七太郎だった。山を探すと、早瀬が仕留めた傀の首や残骸が見つかり、それは
三太を含めたそれらの骸はばらして、北の山付近の村々で分けた。残った七太郎と、西の山の一太と二太がその気になったのを見たことは、まだない。そして早瀬は、豊手村に来て二晩目以降、暴れて押さえつけられるという騒ぎは起こしていなかった。
早瀬が吊頭所を出て行こうとした日に、瑞延が言ったのだ。
早瀬は半分ほど傀になり、傀を見て暴れるようではあるが、飲んだ血の効き目が切れてきているのではないか。
傀廻しは普通、一度入れ墨を入れればそれだけで血の効き目はじゅうぶんであり、また入れる必要はない。しかしまれに、効き目が切れることがある。そのときは、いままで傀のような力を使えていた反動が出て、具合がわるくなる。
早瀬はいま、その状態なのではないか。よってこのままここにいたって、務めが果たせないことはないかもしれない。だいじょうぶなのではないの。
早瀬は紺の羽織の前を掻き合わせた。
頭がぐらぐらするとか、ぶっ倒れるとかいうことは、もうなくなっていた。調子が上向いてきたらしい。そしていまのところは、仕事に支障があるほど、血の効き目が切れているということもない。つまりはあのとき飲んだ血の力だけが、うまい具合に抜けていったということなのかもしれない。どうしてこの身にそんな都合のよいことが起こるのか、はなはだ謎だった。
ふと、元気のよい声を聞いて顔を上げる。向こうから子供が数人、走ってくるのが見える。よく日焼けした子供たちは、なにか楽しそうに声を上げながら、早瀬の横を走り抜けていく。
余韻が去ったあと、一気に膨れ上がり喉までせり上がってくる。ぜんぶ、たいせつな思い出だった。早瀬はまずい飯みたいに、それらをまとめて飲み下した。
早瀬をお兄ちゃんと呼んでくれた子供たちがいた、物守村の片づけは、もうひとまず済んだということになった。壊れた家などを、すっかりきれいにすることはできていない。ひとびとのなきがらを埋めて弔いをして、むごい痕を見えなくしたところで、終わりにした。村に残っていた牛や馬は、
物守村の出身かという問いに、はっきりとうなずいた
なんだか少し、笑える。体調はよくなってきたが、気分は塞いでいるようだ。血の効き目が切れてきたために、ひとらしく戻っているからか。考えたくないことも、考えられるようになったからか。もしくは、やはりまだ、ばけものなのかもしれない。傀は、昼間は住処で、ひどく塞ぎ込む。
そんな傀にちょっかいを出そうものなら、確実に殺される。起こされた傀は猛り狂い、手がつけられなくなるのだ。見たことはないし、聞いたこともないが。昼間の傀に奇襲をかけることは、自決とおなじだ。
早瀬も、明るいうちに動くのをつらく感じることがあった。しかしいまは、とくになんともない。
やはり身体に、都合のよいことが起こっているのかもしれない。そして村の片づけもひと区切りつき、なによりこの国の傀廻しになったのだから、昼間は休んで仕事に備えるべきだ。でも、寝られない。寝れば夢を見てしまう。夢を見れば、騒いで迷惑をかける。それが申し訳ない、というより、夢を見たくない。
それで町などに出てきている。用のなくなった場所に向かって歩いている。どうしてそちらへ向かうのかは、よくわからない。
ふいにぽつりと、口から音がもれた。なまくらな風が吹いた。
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