十一  手の内

 珍しい顔か、と問われ、ぎょっとした早瀬はやせはふたたび平伏した。かまわぬと笑った鞘野さやの尚孝なおたかは、早瀬に向かって名乗り、そして話をするよう促した。

 早瀬は、物守村ものもりむらに入ってからいままでの話をした。千世ちせがそばにいることがやはり気にかかったが、千世はときおり身じろぎしながら、なにも聞いていないかのように座っていた。

 鞘野尚孝は早瀬に、なぜれびとをしておりここに来たのかと、尽平じんぺいとおなじことを問うた。早瀬は尽平にこたえたのとおなじように、正直にこたえた。どうしても仕留めなければならないくぐつを追っており、それがいるからだと。暁城あかつきじょう四郎党しろうとうの根城の中に。

 鞘野尚孝は、尽平がした四郎党の説明を、もう一度さらって早瀬に聞かせた。四郎党について、動きを注視すべき、おだやかでない集まりではあるが、一戦交えようとか潰そうとかは考えていないと言った。もうすぐ、古弓ふるゆみ家の姫だった四郎党の頭目と、会談することが決まりそうなのだと言った。

 主であった古弓家に鞘野家が謀反を起こしてから、四郎党は一度蜂起している。傀を持ち、増やすということもしている。調べによると四郎党の頭目は、宮家の遠縁であったようだ。

 そのような団体がないほうがよいことは、言うまでもない。しかし傀を持っておりなにをするかわからない以上、これまでも下手に手出しをすることはできなかったのだという。さらに、長らく怪しい動きもなくおとなしくしているので、責め立てるべき理由もないらしい。ずっと、和議を結ぶ道を探っていたのであり、それがようやく成りそうになっている、ということだった。

 早瀬はそれを、終始静かに聞いていた。

「早瀬どの」

 ひととおり話し終えた鞘野尚孝は、すずしく光る目で早瀬をとらえた。早瀬は、はいとこたえて背筋を伸ばした。鞘野尚孝は言った。

「ということでそなた、この国の傀廻くぐつまわしになられぬか」

「はい。……えっ」

 あんまり、さらりと言うのでつい、はいと即答してしまった。早瀬は両手で口を押さえ、目の前のお屋形さまをまじまじ見つめた。口の端が、少し上がっている。笑っている。しかし冗談を言っているようではなかった。あっさり返事をしてからうろたえている早瀬の様子が、おかしいというふうだ。でも、いままではそんな話をしていたのではない、急すぎると早瀬は思う。口を塞いだまま尽平のほうを見たが、尽平は世にもまじめな顔で前を見ているだけだった。

「はいと申されたか。よい返事で喜ばしい」

 鞘野尚孝が言うので早瀬は、慌てて身を乗り出した。

「あの、わたしは」

「何体屠ろうとも、また新しいものがどこからかやってくるというのは世のことわりだ」

 鞘野尚孝はそう言い、自然に早瀬を遮った。早瀬が口を開け閉めしているうちに続ける。

「傀は減らぬ。しかし、傀廻しは何人おってもよい。ひとを守る者たちなのだからな。だいたい、傀廻しはいつでも不足気味であるし」

「この国は多いほうですが」

 刀祢とね武昌たけまさが口を挟んだ。すると鞘野尚孝はふっと笑みを浮かべ、ここは他国より待遇もよい、と早瀬に言った。早瀬は首を振った。離れびとになってから傀を仕留めてお礼をもらうことがあったが、待遇がよいとかわるいとかは考えたことがなかった。

「なにか、申されたいことがおありのようだな」

 鞘野尚孝は薄く笑みを保ったままで言う。早瀬は、腹に力を入れ、鞘野尚孝を見た。いつまでもびっくり仰天し黙ってはいられない。目立たないように深呼吸してから、口をひらいた。

「お言葉、まことに身に余る光栄でございます」

 鞘野尚孝は、うん、と簡単な返事をする。このお屋形さまをはじめ、この国で出会ったひとたちの空気からして、ここは新しい、居場所になったかもしれない。

「けれどわたしは、どこかにとどまるつもりはございません」

 言った直後、背筋がひやりとする。鞘野尚孝の目が、鋭く閃いたので。

「なにゆえか。『どうしても仕留めなければならない傀』のためか」

 淡々とした口調は変わらない。早瀬は袖を握りしめた。

「仮にそれを仕留めることがかなったのちは、ここに用はないと」

 そうであろうな、と鞘野尚孝はうなずき、命じる。

「では、これよりいかがなさるおつもりか申されよ」

「城に乗り込み仕留めます」

「ならぬ」

 言下に否定され息が詰まる。早瀬は、声をしぼり出した。

「ならぬ、というのは」

 それは。

「なぜ、でしょうか──」

「早瀬どのそなた、まじめに申されているのか」

 鞘野尚孝は、平坦な調子で言った。

「どうやらふまじめのようには、見えぬな」

 鞘野尚孝は少しも視線をぶらさない。早瀬も目をそらすことができない。そのまま、鞘野尚孝は早瀬に告げた。

「そなたがその傀を仕留めれば、この国は混沌に陥ることになるやもしれぬ」

 息が止まった。やがて心臓が、ずきずきと痛みを訴え始める。鞘野尚孝の言ったことは、それはこの国の事情を聞き、少し考えれば、わかることだった。考えていないわけではなかった。

「そなたは鞘野の家とはかかわりない。すきにしたかろう。しかしそれを許すことはできぬ」

 早瀬は鞘野家には関係ない。しかし鞘野家と四郎党は長く互いを警戒している。もしも四郎党の傀が害されれば、四郎党はおとなしくしておくのをやめるかもしれない。鞘野家がやったことではなくとも、そういうことにすれば声を上げる口実にできる。実際、早瀬は鞘野尚孝に雇われた傀廻したちに助けられ、鞘野尚孝に会っている。軽率な行動は、四郎党のふたたびの蜂起につながってもおかしくない。さきの蜂起で傀が使われることはなかったというが、今度あるとすれば、わからない。

 せっかく話し合いの席が、用意されようとしているときに。少しも見えていない。まわりが少しも、見えていない、見ようとしていない。

「暁城には入ることもできぬ。四郎党はいま、外から入ってくる者を受け入れておらぬ。忍び込むことも容易ではない……」

 暁城の近辺は町ができていると聞いていたため、入れないことはないと思っていた。城の中に入るのは簡単でないだろうが、夜になれば忍び込むこともできると思っていた。夜目がきくし、生身のひとは傀廻しに、かなわない。

 しかし、鞘野尚孝は入れないと言う。仕留めることを、許さないと言う。あたりまえのことだ。

 でも、ずっと、あれを仕留めようと追ってきた。そのために、終わるわけにはいかなかった。

「鞘野さま」

 早瀬は目に力をこめて鞘野尚孝を見据えた。

「しかしわたしが追っている傀は、二年前に羽流はながれで暴れたものです。その件については、鞘野さまもご存じのはずです」

 せいいっぱいの眼力を、かるく受け止められながら。

「あれは、近辺の町や村を、壊して、ひとを、たくさんのひとのいのちを、奪いました」

 おのれの言葉が喉をえぐる。血があふれ、空気が通らなくなるようだ。早瀬は鞘野尚孝を、ほとんど睨みつけていた。

「それが、暁城にいます。いまはおとなしくても、傀ですからいつ、また暴れだすかわかりません。仕留めて、おくべきです」

「そなたの都合であろう」

 淡白に切り返される。

「それを殺したとして、また新しいものがやってくる。その新しいものが、いまそなたが『どうしても仕留めなければならない』と申されるものよりも、雑魚だという保証はない」

「そうです、が」

「そなたはすでに、この近くで六体屠っている。その力は驚嘆に値するが、わたしはここの主として、つぎ現れるものがいままでのものより、よく騒ぐ厄介なものであったらどうしてくれる、とも言える。どこぞのだれぞが、新しく傀になるということでもある。寿命が尽きて代替わりならしかたがないが、勝手に多く狩られるのは、こちらとしては好ましいことではない」

 離れびとに、傀の退治を依頼することも一種の賭けだ。近隣の意見が食い違い、争いになったのを見たことがある。離れびとが面倒な傀を仕留めたとして、つぎにやってくるものがそれよりましなのかどうかは、だれにもわからないからだ。

 傀は気まぐれなので、夜ごと暴れだしてもいずれはおさまる。よっておとなしくなるまで耐えるべきだというひともいる。しかし、毎日襲ってきて犠牲が出れば、耐えられなくなるのも当然だ。その地の傀廻しで屠ることを試みるか、できなければ離れびとに依頼することになる。

 離れびとは、ひとびとの苦しみの受け皿となる陰。ときおり恐れのために拝まれ、手首の入れ墨だけで関所を素通りでき、頼まれた傀を仕留めることが、できたのならば、さっさとつぎへ行く。あとにどのような傀が来るのかなどは見届けない。あとから現れたものがそこを滅ぼしたとしても、風の便りに聞くだけだろう。

 そして傀が死に、新しいものがやってくるということは、だれかが傀になるということでもある。

「でも──」

「ことに、早瀬どの」

 鞘野尚孝は、沈着そのものだった。

「ならぬと申したところで行くのやもしれぬな、そうであれば、しかし」

 言葉の出ない早瀬に、問うた。

「殺せるのか」

 あれを。

「仮に、暁城に入ることができたとして。そなたひとりで、だれも、巻き添えにせず、たしかに、殺すことができるのか」

 暁城下のひと、国のひとを巻き込み、この地を、乱すだけではないか。

「それとも、そうなることをお望みか」

 よみがえる。唐突に。肉と骨を断つ濡れた手ごたえが、耳を穿つ末期の叫喚が、降りかかる血潮の、どろりとした、黒さが。

 殺す。ひたすら。殺し合う。異常。

 考えたく、なかった。

「べつにそうではないでしょう」

 突然、やわらかな声があいだにほうり込まれる。早瀬は、はっと顔を上げた。狭まり、黒く染まりかけていた視界に、色が戻ってくる。刀祢武昌が、鞘野尚孝に身体を向けていた。どこかのどかな調子で言う。

「早瀬どのは、この国を乱したいなどとは、思っておられぬでしょう。いまの顔を見れば、そのようなことは微塵も考えていなかったというか、そこまで考えを致していなかったらしいことが、よくわかります。ひたすら傀に向かって、進んでこられただけかと」

「そうであろうな」

 鞘野尚孝はごくあっさりとこたえ、いくぶんやわらいだ声音で言った。

「ただ、暁城に乗り込み傀を殺すなどということは、許せぬ」

 早瀬は、この世に引き戻された心地がして、ふっと息を吐いた。そのきっかけになった刀祢武昌は、素知らぬ顔をしている。目が合った尽平は、ひょいと眉を上げてうなずいた。早瀬はぎこちなくうなずき返した。

「そなたの事情は聞いておらぬが。国を乱し民を巻き込む恐れのあることを、許すわけにはいかぬ。おとなしく、ここにとどまらせる。そして傀を六体までも屠り、この地を不安定な状態にした責任をとらせる」

 そう言った鞘野尚孝の、口もとに浮かぶ笑みは少し、ほろ苦いように見えて。

「よって早瀬どの、そなたをこの国の傀廻しにしたいのだ。おわかりか」

 つまり、と鞘野尚孝は言う。早瀬を睨み据え、はっきりと口にする。

「そなたの宿願を捨ててくれ」

 ひんやりと、静けさが降りた。

 ひとりよがりが、すぎたこと。こうまで言われなければわからなかったとは、わかろうとしていなかったとは、あまりにも、愚かしい。

 あれを仕留めることは、あきらめる。

 寒い朝、くるまっていた筵を、ひょいと剥がれたときを思い出す。包んでくるものを失うのは、ひどくつめたく、心もとなく。中に半身を、残している。

 息を吸うと、喉がふるえていることがわかった。声が、出ない。言うべきことはわかっているのに、出てこない。焦ったとき、くしゃん、と音がした。

「千世さま」

 咄嗟に声が出た。千世がくしゃみをしたのだ。

 開いていた障子が、すっと閉まる。控えていたひとが気を回してくれたようだ。尽平がだいじょうぶかとたずねると、千世は正面を向いたまま目をしばたき、かすかにうなずいた。

 空気が少し、ゆるんでいた。早瀬は居住まいを正し、深く、頭を下げた。

「勝手な行いと、ご無礼、どうか、ご容赦くださいませ。謹んで、お役目頂戴します」

 うん、と尚孝は簡潔にこたえ、外に向かって熱い茶を頼むと命じた。

 よく磨かれた傷だらけの床を見つめながら、早瀬は、もう起き上がれない気がしていた。尚孝に寝たのかと問われ、ようやく顔を上げた。








 しろい紙、くろい文字、なぞる。はやせ。これは、あのひとのなまえ。ほっそりして、すこしかすれた、小さな文字で書かれている。あのひとのなまえ。あのひと。目をみないで笑う。下を向いて隠す。力が入っている。謝っている。寝ながらずっと謝っている。くるしそう。よく知らない。でも、あのひとはもうちがう。

 早瀬はやせ、は、あの、ひとのなまえ。

 それなら、こちらは。

 千世ちせ

 これは、このものの、なまえ。この、もの。

 代代の、ことわりを知るもの。

 ものしするもの。

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