七 ひたぶる傍観
それでもまれにある。
傀の血は、身体に多く入るとひとを殺める。殺めず、傀にすることもある。
ただしほんの少しの量であれば、いのちを落とすことも傀になることもなく、傀のような力を手にするのみ。その、都合のよい量が見つかるくらいには長く、ひとは傀とともにある。
傀廻しは、わずかに傀を取り入れ、傀と渡り合いひとを守る。
「まあ、冗談とかじゃなくおそろしくまじめなんだってことはわかるぞ」
「
あだ、という響きが、思いがけず痛い。けれど早瀬はうなずいた。尽平が腕を組み、少し前のめりになる。
「その仇って、
「いいえ、ちがいます」
暁城にはそのような名前で呼ばれる傀がいると聞いている。しかし早瀬が追ってきたのはそれではない。そこにはほかにも傀がいる。
そうか、と言った尽平は、上目遣いで早瀬に問うた。
「そんで早瀬、あんた暁城に乗り込むとかするつもりなんか?」
「はい」
早瀬は即座にこたえた。すると尽平は、ふうんと喉を鳴らしつつ、傾けていた背中を伸ばす。じゃあ、と言う。
「じゃあそこのこと、いろいろ教えといてやるよ……。あんた、どこまで知ってる?」
早瀬は居住まいを正した。
「はい、
胡坐をかいた膝に頬杖をつき、尽平はうなずく。
「まあ、そのとおりだ。最近は弱ってきてるが。それでも傀を中に持ってることはたしかだからな、ちょっかい出して暴れても困るし昼間に起こしちまったらさよならだ。お屋形さまも下手につつけねぇんだよ」
「お屋形さまとは
「そうだ。この国の傀廻しはみんな、鞘野のお屋形さまに雇われてるんだよ。そんで早瀬、四郎党って、十三年前の交代のあとにできたって知ってるか?」
早瀬は、はいとうなずいた。ただ、交代というのは鞘野の側の言い分だろう。
鞘野家は十三年前、主家の
「四郎党を束ねているのは、古弓家のひとなのですよね」
「けっこう知ってるんだな、まあ知ってるか。お屋形さま、ずっとまわりから睨まれてたからな……」
尽平はなんだかおかしそうに言った。おなじ調子で続ける。
「あんたの言うとおり、四郎党の頭目は古弓の姫だ。戦のあと、鞘野のお家に庇護されてたが、逃げ出して暁城に入った。暁城自体は、十三年より昔からあったんだよ」
「そうだったのですか」
「ああ、だいぶ昔からある。だいぶ昔から、おもしろいこと言うひとたちの、拠点だった」
「おもしろいこと」
「そうだ。傀の血が入って傀になっちまうやつは、ひとだったとき悪だったからそうなるんだって言うだろ」
早瀬も小さいとき、そう教えられた。早瀬の住んでいた村では子供へのいましめ程度だったが、地域によっては思想がより強くなり、団体を作ることもあると聞く。暁城は昔から、そんな団体の拠点だったということらしい。
「それについてだな、暁城のひとたちがなんて言ってきたかというとな……。わるいやつが傀になるとは言うが、でもどう考えてもわるくなさそうなのに、傀に襲われて血をいっぱい飲むとかしちまって、傀になってしまう、ひともいるだろ。傀に襲われること自体珍しいんだが」
「そうですね」
「ああ、そんでそういうとき、わるいやつが傀になるって理屈じゃあちょっと納得できねぇ。傀になったそのひとが、悪だってことになるからな。あんなにいいひとだったのに」
あんなにいいひと、だったのに。
「でもまあ、ひとが悪かどうかはよくわかんねぇってことだろ。おのれでもな。だからいいことして生きてるつもりでいたって、だれでも傀になるかもしれん。そこで」
尽平は腕を組み、うさんくさそうに顔をしかめた。
「傀をあわれんでゆるすんだってよ。善人の皮かぶってたって、ひとのころからわるくて、そんでもう、わるいことしかできなくなったやつらのことをゆるす。そうすれば、おのれは傀にならずにすむらしいし、よくわかんねぇけどゆるされるらしい」
「そう、ですか」
「そうです。そういうこと言うひとたちが、昔から暁城あたりに集まって町を作ってたんだな。でも、交代前まではそういうことをただ、言ってただけだったし、暁城って居場所がないひとを受け入れるところにもなってたからな、古弓の殿さんは、ほっといてた」
そして十三年前、謀反が起こった。
「交代のあと、古弓の姫さんが城に逃げ込んでからは、いろいろやっかいなんだ。古弓の再起のために、利用されるようになったからな」
謀反を起こされ失脚した古弓家の姫が、暁城にいる。姫を慕う者が城に集い、再起をはかろうとしてもふしぎではない。
「交代からちょっと経ったときに一回、城下のひとたちを従えて古弓の家人が蜂起した。それから鞘野のお屋形さまは、ずっとあそこを警戒してる。向こうは、のらりくらりやってるけどな。騒いだのは一回だけだ。でも言うことは聞かねぇ。傀を持ってるから無理やり聞かせようとするのも危ねぇ。四郎党の頭な、あれはけっこうな女狐だ」
かるく肩をすくめ、そんで、と続ける。
「女狐の姫さんが城に逃げ込むまでは、暁城に傀はいなかったんだよ。姫さんが城に入るときに、傀を連れてたんだ」
ありえない。
「ひとが傀を従えるなんざ、ありえねぇけどな。成り行きもよくわからんし。でも見たやつがいるんだよ。それが四郎って名前で、そんで暁城のやつらは、四郎党を名乗り始めた。おもしろいこと言ってただけだったのが、姫さんと四郎が入って、めでたくお悩みの種になりくさったんだな」
尽平は、こだわりなさそうに話す。
「噂にもなってると思うが、四郎以外にも傀が増え始めたし。最初は四郎の血で増やしたらしい。でも、その四郎はもう十年ぐらい、どこ行ったかわからなくなってる。死んだのかもしれねぇが、弔う様子もなかったし、まだどこかにいるかもしれん」
早瀬は、絶句していた。そんな噂は聞いていなかった。
四郎党が四郎をはじめ、傀を有していることは知っている。それは、四郎などがもともといた山に、暁城という拠点を作ったからだと考えていた。しかしそうではなく、ひとが四郎を伴って城に入った。それから傀を持つ集団になったのだ。そして、さらに、増やしている。すすんで傀を増やすなど、聞いたことがない。傀はなにもないところからは、生まれない。
「それは、ひとをわざわざ傀にしているということですよね」
早瀬が問えば、そうだな、と尽平はうなずく。
「そんなこと、ひとが勝手に増やすことなど、できるのですか。傀は、数が保たれるはずですが……、仮に増やせても、面倒なだけではないですか、傀は気まぐれですし、ひとが傀に言うことを聞かせることは、できないはずです……。四郎党の頭目には、できるのですか……?」
よく知らんができてるらしいぜ、と尽平はこたえる。四郎連れて城に入ってるしな、と。
ありえない。そのようなことはありえない。まるで昔話だ。それに。
「では、その、血を入れられるひとたちは、なにか罪でも犯したのですか────?」
さあな、と、尽平は言った。とたん、ぐらりと身体が傾く。早瀬は床に手をついた。すぐに姿勢を戻そうとして、それができない。
片足掴まれ振り回されるようだ。目を閉じれば黒がどろどろと回る。汗で手が滑る。喉が狭まる。頭の中で鼓動が轟く。
傀はひと。もとはひとだ。
傀廻しが身体に刻み、傀とやり合う力を手にする量。それを超えて、傀の血が身体に入れば、ひとは傀になることがある。ことがある。だれでもなるわけではない。いのちを落とすひともいる。
傀になり果てるか、死ぬか。
そしてもうひとつ道があるが、なんにせよ多量の血を取り込めば、ひととして生きることはできなくなる。
なにが、ばけものになるひとと、ならずに死ぬひとを分かつのかは、ほんとうはわからない。わかるわけがない。だから悪がどうのこうのと言い習わされている。
傀の血を入れたすべてのひとが傀になるわけではなく、それでも暁城で傀は増えていると、尽平は言う。つまり、いままで何人ものひとが、入れられたということだろう。たくさんのひとが、傀廻しの比にならない量の血を身体に入れられた。
そのひとたちは、そのようなこと望んだだろうか。あの、黒い血を、大量に身体に取り入れる。ばけものになるか、死ぬしかない。望んだだろうか。そのようなこと。
だれが、望むか。
だれが。
そのとき、尽平が早瀬を呼んだ。落ち着いた声だった。肩にそっと、手を置かれる。
「わるい、ちょっと無理させすぎたな」
早瀬は、うなだれたまま首を振った。ふるえる手で衿もとを握りしめる。尽平の手が、とんとんとかるく背をたたいた。
「具合がわるいからって言って、連れて帰ってきたのにな。でもすまん、言ったとは思うが、あんたから話聞きたかったんだよ」
「はい……」
「今日はもう休め。明日にはまた駆り出すことになっちまってるけどなぁ」
尽平は申し訳なさそうに語尾を伸ばす。
「こんなに傀が暴れるとか、ちょっと妙だからな……。おれたちよりは事情に詳しそうなあんたからは、聞き出したいこといろいろあるんだよ。それはお屋形さまもそうなんだ」
「鞘野さま……」
早瀬はどうにか顔を上げた。おっと平気か、と目をみはってから、尽平はうなずいた。
「そう、鞘野さまだ。今朝、
ぼやく尽平に早瀬は、もちろんお話させていただくとこたえた。しかし気になることがあった。
「わたしのような者が、お屋形さまにお会いして、よろしいのでしょうか……?」
一国の主ともあろうひとが、傀廻し、まして
「あ? よろしいよ。お呼びなんだよ。事情が事情だしな」
尽平は早瀬にそうこたえる。ずいぶんあっさりとしていた。事情が事情というのはそのとおりかもしれないと思い、早瀬は立ち上がろうとした。
「では、お待たせできません……、いまからでも」
立てない。尽平に肩を押さえられている。早瀬はもぞもぞ動こうとしていたが、無理だね、と断じられた。
「お約束は明日だ。あといまの感じじゃ、途中でぶっ倒れちまうだけだと思うぜ」
そして尽平は急に立ち上がり、早瀬の座っている筵を掴んだ。それを早瀬の下からきれいに引きずり出し、部屋の真ん中に広げ始める。
床に取り残され半ば茫然としながら、早瀬はとなりを見た。壁にもたれた、
すうっと力が抜けるように思い、気づくと、名前を呼んでいた。続きも思いつかないのに。すると千世は、早瀬から視線を外した。追えば、千世がつぎに目を留めたのは床に置かれた木の器だった。固まって冷め、それでもやさしい色をした粥の器だった。早瀬はそっと、器を手に取った。いただきますと言うと、千世はふわりと目を伏せる。
「おい早瀬ここに寝ろ、あ、食う気になったか? それもう冷めてるだろ、でも食えよもったいない。そうだ、聞くの遅くなったけど千世さんは、おかわりするか?」
筵を整え終わった尽平が近づいてきて、千世をのぞき込む。千世は、からの器をすっと尽平に差し出した。
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