六   囚われ





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「それは早く言えよ……」

 尽平じんぺいがきれいな顔を思い切りしかめて言った。苦虫を多数まとめて噛み潰し、飲み下したという様相だ。早瀬はやせは背中を預けていた壁から離れ、床に手をつき頭を下げた。

「申し訳ありません」

「いや、あんたも混乱してたんだろうし、こっちが無理やり聞き出しとけばよかったっていうのはあるんだが。でもいちおう、説明しろって何回も言ったんだぞ。あんた、まったく聞いてないんだから。とりあえずあきらめたんだよ……」

「すみません」

「いいよ、もう聞いたからさ。そんなに頭下げるな」

 早瀬が顔を上げると、正面に座った尽平は苦笑しつつ白湯をすすっていた。木の椀を床に置き、短い髪を掻き回しながらつぶやく。

「でもなぁ……まいったなぁ……」

 早瀬はふたたび壁にもたれた。壁のそばに筵を敷いて座り、肩には小袖をかけているので、硬いともつめたいとも思わずにすんでいる。小兎こと沙那さながこうしてくれた。となりに視線を送る。千世ちせが粛々と粥を食べている。


 小兎と沙那が部屋に来たあと、早瀬はようやくよごれた衣を脱いだ。峠らしきものを越えたのか少し楽になっていた。沙那が、ほらねと言って小兎を恐れさせていたが、早瀬にはなんのことだかわからなかった。

 早瀬はふたりが用意してくれた湯を使って身体を拭い、小袖を着た。ふたりは、いやな顔をせずに世話を焼いてくれた。

 吊頭所ちょうとうしょで働いているので、おおかたのひとに比べればれびとに対しての恐れが小さいのだろう。しかし、村を守る傀廻くぐつまわしさえ恐れているひとは多く、傀廻しであっても、より異質な離れびとを敬遠するひとはいる。早瀬は離れびとになってから、あまりよい顔をされたことがなかった。あの村のひとたちにしてもらったように、親切な扱いを受けるのは、やはり、落ち着かない。

 着替えが済むと、白湯と粥の器をのせた盆が部屋に運び込まれた。朝からなにも食べていないのだからものを食えと、沙那が命じてくれた。そしてあとから尽平がやってきて、話ができそうなら聞きたいと、言った。沙那と小兎は出て行き、千世は粥を食べ始めていた。

 早瀬はそれまで、この近くで合わせて六体のくぐつを屠ったことや千世との関係について、なにも話していなかった。物守村ものもりむらのことを聞いてから、話すどころではなくなったのだ。けれども、傀が村をまるごとひとつ壊すという、常軌を逸したことが起こった。知るかぎりのことを説明しなければならないことは、どこかでわかっていた。尽平は、いままで待ってくれていたのだ。

 早瀬は、物守村に立ち寄ってからこの吊頭所で目がさめるまでのことを、覚えているかぎりすべて話した。正直なところ、吊頭所までどうやって来たかはよくわからないのだが、あんたが千世さん背負ってきたんだろと尽平は言う。豊手村とよてむらのひとたちも、それを見ていたらしい。そうなのかと千世にもたずねてみると、少し頭を動かした。

 ほんとうは、千世の前でこんな話をすることは避けたかったのだ。終始、ほとんど聞いていない様子だったとしても。

 一連の話で尽平には、早く言えよと渋い顔をさせてしまった。尽平は最初、早瀬も物守村にいたところを傀に襲われ、なんとか千世だけを連れて逃げ出して来たのだろうと考えていたようだ。目がさめた早瀬の様子を見てちがうらしいと察したが、まさか山深くで傀を仕留め散らかしていたとは、思っていなかったという。


「その五体の骸は、まだ窪地に残っていると思います」

 早瀬が言うと、尽平は掻き回した髪をかるく整えつつうなずいた。

「そこも、行ってみねぇとな。あと、三太……そのでかい馬みてぇなやつの首も、拾ってお守りにしてやらねぇと」

「はい」

「でもほんとに……」

 言いかけて、尽平はちらりと千世を見る。わずか顔を歪めて、そういえば、と早瀬に目を移す。

「喋らせといてわるいけどさ、食わねぇのか?」

 尽平は、早瀬のかたわらに置かれた椀を指差していた。素朴な木の椀にたっぷりよそわれた粥に、早瀬はまだ手をつけていない。持ってきてくれたばかりのころは、ほかほかと湯気を立て淡い黄色に光っていた。いまは、つやをなくして固まっている。

「いえ、いただきます」

 早瀬は椀を手に取った。少し、ぬくもりが残っている。口に運ぶ前にふと千世のほうを見ると、千世の手にした器はきれいにからになっていた。ちゃんと食べられてよかったと、少しだけほっとする。千世がこちらを向くので、早瀬は笑いかけた。すると千世は、こくりと小さくうなずいた。

「まあ食うのは無理しなくていいけどさ、早瀬さんよ」

 はっとして尽平に向き直ると、まっすぐに目が合った。

「ちょっと聞くが」

「はい」 

 こたえて背筋を伸ばす。尽平はなにげない調子で、早瀬に問うた。

「あんたなんで、そんなに強い?」

 へ、とまぬけな声がもれる。尽平が、いまのどこから出した、と笑った。早瀬は口を押さえた。

 そんなことを聞かれるとは、考えていなかった。しかし聞かれてあたりまえとも、言える。傀を六体までも、屠ったのだ。そんなことを、やってしまったのだ。

「いや、離れびとさんって、強いから腕試ししてるみたいなのは聞いたことあるんだが。珍しいからな、おれははじめて会ったんだよ。で、あんたも腕試しか? でもなにしたらそこまで強くなるんだ? いくら離れびとさんで、相手も弱ってたって言ったって、ひとりで六体はちょっと尋常じゃねぇぜ」

 わかっている。

 離れびとは、もとはどこかの傀廻し。勤めていた吊頭所を出て旅をしつつ、依頼を受ければ傀を屠る。しかし通常、傀は屠るものではない。

 傀を屠り、旅する離れびと。

 まして単身、六体殺すなど。

 見境もなく、ただ殺すなど。

 異常。

 わかっている。

「喋りたくねぇならいいんだが……」

 尽平はなんだかおのれにあきれたように笑い、白湯の器を持ち上げる。

「このへんに来たのも、なんか、わけがあったりするんか?」

 おどけたような上目遣いで、こちらを見たまま白湯を飲んでいる。早瀬は、手にしていた粥の器を置いた。短く息を吸った。一度吐き出して、もう一度吸い、口をひらいた。

「あります」

「お? ほぉん」

「どうしても、仕留めなければならない傀がいるのです」

「ほぉ……、ん?」

良庫国らくらのくにの、暁城あかつきじょうに、いるという話を聞いたので。こんなふうにたどり着いてお世話になるとは思っていませんでしたが、この国を目指して来ました」

「んん……」

「暁城は、この近くですよね。かの城は十年ほど前から、傀を擁する団体の根城になっていると聞いています。そこに、どうしてもころ、したい……」

 待て待て待て、と尽平にさえぎられる。片手で目もとを覆っている。

 早瀬は口を結んだ。座っているだけだというのに、脈が速くなっていた。尽平が顔を上げ、押さえていた目をしょぼしょぼさせながら言う。

「早瀬は……、いくら離れびとだって言っても、傀廻しの仕事は殺しじゃねぇって、わかってはいるよな……?」

「はい、存じております」

 早鐘を打つ心臓を鎮めようと、早瀬は声を低めてこたえた。すると尽平は、こめかみに手をやってつぶやく。

「ああでも……、どうしてもってことはそいつをやっちまうの、あんたにとっては意味あるのね……」


 尽平の言うとおりだった。傀をやっちまうことは傀廻しの仕事ではない。傀は、屠るものではない。

 ひとが傀を屠ることは大変な苦労を伴う。傀は気まぐれ、しかしその気になれば、ひとなどすぐに絶ってしまえる。心臓が無事なら体の傷はすぐに治り、痛みにも苦しみにもひどく鈍い。おのれの身もかえりみず、食らって生きるためでもなく、ただ、傷つけ奪う。そんなとき、生身のひとではとても太刀打ちできない。できたとしても、新しいものがすぐに来る。

 傀は減らない。一体いなくなろうと、ひと月も経たないうちに補われる。それはひとが仕留めても、勝手に寿命が尽きてもおなじ。

 それは大昔から、変わらないことらしい。傀は減らない。しかし、増えることも、ない。傀の数は、保たれる。おなじこと。いのちを賭して屠ろうと、屠るまいと、変わることはない。そしてたいていの場合、傀はひとが立ち向かうそぶりを見せるとすぐ、興ざめしたように帰っていく。気まぐれ。

 もし傀が、狩れば狩るほど減るばけものであったなら。ほうっておけばどんどん増えるばけものであったなら。来る日も来る日も必ず暴れるばけものであったなら。仕留めようとすることに、意味があったかもしれない。しかし傀はそのようなものではない。

 よってひとは、傀を仕留めようとすることをやめてひさしい。昔から傀廻しの仕事は、傀を仕留めることではない。

 傀にその気がないのならば、いたずらに突っかかることはしない。山から出てこない傀を、わざわざ訪ねることもしない。その気がありそうにやってきても、ふいと帰っていくのならば追わない。襲ってくるときにはじめて、戦う。傀がさめるまで相手をし、山に帰す。そうしてひとを守る。

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