五   働き者

 しばらくその顔を眺め、早瀬はやせはようやく、ぼんやりしていたことに気づいた。村の外れに、鍬で穴を掘っているのだった。

 生きもののなきがらはくぐつよけになるので、この村のひとたちをべつの集落まで運び、傀よけにしてしまうこともできた。そんなことを言いだすひとはだれもいなかった。村のそばに墓を作っていた。

 まわりでは傀廻くぐつまわしたちが、黙々と動いている。早瀬はまず、顔を動かした。いま、早瀬で合ってるかと聞かれた。

「合ってる。早瀬です」

 こたえると、目の前の彼はにこりと笑った。

「よかった。おれは緋高ひだかだ。豊手とよて吊頭所ちょうとうしょに詰めてる」

 尽平じんぺい瑞延ずいえんとおなじらしい。いまここには、豊手村以外の周辺の村からも、傀廻しが集まっていると聞いた。緋高は豊手村の傀廻しなので、所長が拾ったれびとのことが気になり声をかけたのだろう。

 早瀬は緋高の笑顔を眺めていた。見ていると、ひとごこちがつくように思った。

「そうか、わたしは……」

「旅の傀廻しだろ。聞いてたよ」

 緋高は朗らかにそう言った。そのあとふいに、表情が陰る。

「手伝ってもらってわるいな、疲れてるだろうに」

 声が低くなった。早瀬は首を振った。

「そんなことはまったくない。それより、助けていただいてほんとうにありがたい」

「そうか……。ひとりじゃなかったしな」

 緋高はかすかに笑みを浮かべて言った。千世ちせの瞳が頭をよぎる。

「そう……、あのひとがいたから、なおさらありがたい……」

「うん、でも身体はだいじょうぶなのか? 傀とやり合って、それで倒れたんだろ」

「そう、だけど、ここでじゃなくて……」

 早瀬はふと顔を上げた。草木の向こうに、村長の家が見える。雉鍋をふるまってもらい、村のひとたちと話をした場所。土壁に穴が開き、茅葺屋根が傾きかけている。その前で、馬を連れた壮年の男が数人の傀廻しと話していた。声などは聞こえないが、たたずまいからおだやかさが伝わってくる。

「あ、あのかたが、豊手とかそのへんの村の領主さまだよ。刀祢とねさま」

 早瀬が見ていることに気づいたらしく、緋高は教えてくれた。刀祢さま、と早瀬は繰り返した。

 豊手村の属する良庫国らくらのくにを治めるのは、鞘野さやのという家だ。良庫国はいくつかの領にわかれ、鞘野家配下がそれぞれの領主となっている。刀祢さまというのは、そのうちのひとりらしい。

「傀廻しのことも気にしてくださるんだよ。ここは刀祢さまの領でも鞘野領でもないけど、様子を見に来てくださってる」

 緋高はそう言ってうつむく。

「重大なことではあるけど。傀がらみだったらこんなむごいこと、めったにないからな……。何年か前の羽流はながれ以来だ」

 そのときだった。おいおまえ、と横から鋭い声が飛んできた。はっとして顔を向け、見えたのは恐ろしい威嚇の形相。それは、顔を覆う布に描かれた絵だった。しかし、声がかなり尖っていたため、布の向こうの顔も険しいらしいと察せられる。縹の水干を土だらけにしたそのひとは、緋高に向かって言い放った。

「喋っているひまはない。手を動かせ」

 ぬくもりを感じさせない言葉に、緋高は小さくうなずいてこたえる。

「ごめん。いまは斎丸さいまるが正しい」

 そして、黙って土を掘り始めた。斎丸と呼ばれたひとも、ふたたび作業を始める。早瀬もそれに倣った。もうぼんやりするわけにはいかなかった。この村のひとたちに対してできることは、これだけだ。





****





 目の前が真っ黒だった。ずっと土ばかり見ていたためだ。鍬で土をえぐって掘り出す仕事は、傀を仕留めるのとどこか似ていた。

 空気はひんやりつめたく、土はほんのりあたたかかった。深い香りは、すんなり胸に落ちてきた。

 なにかの根が、ときどき出てきた。やたら長いみみずも出てきた。どう考えてもそんなに伸びる必要はなかっただろうと思いながら、ほうっておいた。みみずは冷えた風にふれて驚いたのか、うねうねしながら小さく丸くなっていた。早瀬はひたすら掘っていた。

 そうしていると突然、腕を掴まれ引っ張られた。尽平だった。尽平は早瀬から鍬を取り上げ、吊頭所まで連行すると言った。あんたはいま、すごく具合がわるいし正気じゃないのだとも言っていた。話も聞かなきゃならない、らしかった。それはたしかにそうだと思ったし、目の前が回っていたため抵抗できなかった。日がいちばん高いところを通り過ぎ、傾き始めているのを見た。

 吊頭所に戻ってくると、その茅葺屋根の建物の前に千世が座り込んでいた。そばには千世より年下に見える少年がおり、ふたりの前の地面にはいろいろな文字や絵が描いてあった。少年は、戻ってきた早瀬、というより尽平を見てほっとしたらしく、あどけない笑顔を見せた。若草色の小袖を着ており、名前は小兎ことというらしい。傀廻しではないが、吊頭所で働いているのだと言った。早瀬を見て、ひどく心配そうな顔をした。

 そして早瀬は尽平によって、目がさめたのとおなじ部屋に押し込まれた。なぜか千世も一緒だった。

 いまは筵に寝かせられ、上に小袖を何枚もかぶせられている。尽平は部屋を出て行き、千世はまた、板戸にもたれて座っていた。

 寝ている場合ではないと思う。早瀬は小袖を剥いで、起き上がった。そのとたん視界が歪み、そのまま床に頭を突っ込みそうになる。なんとかこらえて、強く目を閉じる。それでもなにやら、ぐらぐらしている。

 村での仕事はまだ終わっておらず、夜になれば傀廻したちはつねの仕事もしなければならない。少しでも手伝いたかった。それなのに、これでは立つこともままならない。まぶたに力を入れておくのも大儀だった。しかし体調がわるいということはないはずだ。いままでそのようなことは起こらなかったので、これもおそらく気のせいである。

 気のせいなのに、立ち上がれない。真っ黒なままぐるぐるしていると、ふと近くに、気配を感じた。ゆっくりと、目を開ける。すぐそこに千世がいた。千世は早瀬を、じっと見ていた。

 驚いたが声は出ず、早瀬は膝に置いた手に目を落とした。土がついたままだった。爪のあいだにも入り込んでいる。てのひらの土はもう乾いており、さわるとぱらぱら落ちそうだ。

 早瀬はおのれの手ばかり見ながら、千世の視線を感じていた。案じてくれているのかもしれない、とふと思う。それなら申し訳なく、それにそもそも千世は、早瀬についてこの部屋にいる必要はない。早瀬はうつむいたまま言った。

「千世さま、わたしはだいじょうぶです」

 千世が小さく首をかしげた気がした。

「千世さまは、お休みになりましたか。どこかが痛いところなどは、ありませんか。ほんとうに、その……」

 状況からして、千世はきっと物守村ものもりむらのひとなのだろう。声が出ないのはもしかすると、あまりにも恐ろしい思いをしたからなのかもしれない。表情が動かないのも、おなじ理由かもしれない。

 千世はなにもこたえなかった。早瀬はそれ以上を聞けなかった。代わりに、休んでほしいことを伝えようと顔を上げたとき、景色がぐるりと回った。身体が傾く。頭から床に突っ込む。

「わあぁっ?」

 どこからかぼんやりと、悲鳴が聞こえる。

「だいじょうぶですかっ?」

 ぱたぱたと駆け寄ってくる足音がする。たぶん、さきほど会ったばかりの小兎だという気がする。

「早瀬さんっ?」

 肩を揺さぶられる。問題ないとこたえたいし起き上がりたいが、うまくいかない。頭を上から踏みつけられているかのよう。目を開けているのに、そこにいるはずの小兎が見えない。

「どうしようっ、返事ないです!」

 小兎を大慌てさせてしまっている。失神してもしきれないとふわふわ思っていると、落ち着いた声が聞こえた。

「だいじょうぶ。一回落ちたら楽になったりする」

「──えっ? やだ怖い、沙那さなさん怖い!」

「それはいまに始まったことじゃない。そのひとは、そのまま気絶させてあげて」

「えぇぇぇ……っ?」

「どうした? 早瀬気絶したのか?」

「そうですね、しかけてます」

「あぁどうせ、ほっつき歩きたがりくさったんだろ。頭打ってねぇか?」

「打ってます……、でも座った姿勢からだったのでたぶんそんなには……」

「そうか、ならいい。石頭っぽいしな」

「千世ちゃん、お粥できたんだけど、食べる?」

「早瀬よ、だいじょうぶかぁ」

「あのぅ……生きてますか……?」

 いろいろな声が遠くなり近くなり、だんだんと目の前の景色が、輪郭と色を取り戻し始める。

「生きて、ます……」

 早瀬はなんとかこたえた。尽平と小兎がのぞき込んできているのが見えた。ふたりに支えられ、起き上がる。千世のそばに、萌黄の小袖の少女がいる。頭に布を巻いて髪の毛を包んでおり、こざっぱりとしたひとだ。

「あ、生き返りましたか。よかったです」

 目が合うなり、少女はあっさりそう言った。早瀬がぺこりと頭を下げていると、横から尽平が口を挟んだ。

「小兎と一緒でここで働いてる、沙那だ」

 あっそうです、とかるく会釈してから、沙那というらしい少女は小兎を手で示した。

「さすがにもう気持ちわるいと思うので、それに着替えてください」

 見ると、小兎の膝の上に、きちんとたたまれた紺の小袖があった。

「気分がわるくなければ、その前に身体を流してください。まずは手を拭いて」

 沙那の指示と同時に、小兎がしぼった手拭いを差し出してくれた。

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