四   供物

 早瀬はやせ物守村ものもりむらへ向かった。見覚えのある、朽葉の細道を通った。道すがら、尽平じんぺいがうしろから何度も、なにか言っていた。よく聞こえなかった。なにか、においがし始め、進むにつれて濃くなった。臓物が腹の中で浮いた。立ち止まらなかった。たどり着いた。

 これはいったいなんだろう、と、思う。


 家々は壊され、中まであざやかに、染め上げられていた。畑と道は踏み荒らされ、まばゆく濡れそぼっていた。そんな中、倒れていた。ばけものに、踏みにじられたひとびとが。横たわっていた。

 手を伸ばしているひとがいた。うずくまっているひとがいた。槍を握りしめているひとがいた。ひとをかばうように覆いかぶさっているひとがいた。ひとだったのか、わからなくなっているひとがいた。

 少しだけ。ほんの少しだけ。それでも出会い、話をし、一緒に食事をした、ひとたちだった。あたたかく接してくれたひとたちだった。そう、みんな、ひとだった。


 馬や牛が、所在なげに見ている。遠くで鳥が、のんきに高く鳴いている。ばけものの骸はなかった。その黒い血が、ところどころに残されているだけだった。

 村の中を、傀廻くぐつまわしたちが歩き回っている。尽平とおなじように水干と括り袴を着ており、顔を布で覆っている。ひとを運んだり、地面を検分したりしている。くぐつに関することのあとかたづけも、傀廻しの仕事だ。

 うしろでは、さわさわとひとの気配がしている。豊手村とよてむらなど、良庫国らくらのくにのひとたちが見に来ている。村の傀廻したちが山へ入っていくので、気になって来てみたものらしい。叫び声を上げるひとも、気を失うひともいるようだった。戦が起こったわけでもないのに、村がひとつ潰され血まみれになっているのだ。無理もない。


 この惨烈な景色には、ひどく、見覚えがあり。あのときの、あのすがたが、よみがえってくる。

 べったりと、赤く、体じゅう塗りつぶした、ばけもの。ひととおなじ、ひとだったときおなじかたちをした、ばけもの。

 腕にはひとを、たくさん抱えている。足もとにはひとが、たくさん折り重なっている。みんな、ひととして扱われたすがたでは、ない。

 あんなことになったのは、おれのせい。だからあのばけものは、仕留めなければならない。良庫国。そこにいる。えぐり出す。決めている。決めているのに。

 痛いほど激しく、心臓が脈打っている。

 この村を、こんなふうにしたのも、まさか、あれなのだろうか。


「おい早瀬」

 声とともに、ぐいと腕を引かれた。尽平だった。なにやら険しい顔をしている。

「だいじょうぶじゃねぇなこいつ、ちゃんと息しろ。戻るぞ、いろいろ聞きたいこともある」

 うしろのひとだかりに向かって荒っぽく引っ張られる。早瀬は咄嗟に、尽平の腕を掴み返し抵抗した。

「待ってください、わたしは、平気です」

 尽平が振り向いた。顔をしかめていた。

「どんな面して言ってるかわかってんのか?」

 あきれ返ったような口調の中に、くだけそうなやさしさを感じる。ひどくあやういものに、ふれるときに似ている。早瀬は言い返した。

「面なんか生まれつきなんですから、しかたないではないですか、尽平さんみたいにきれいでなくても」

「なんだよあんた、めちゃくちゃだぜ」

「めちゃくちゃですが傀廻しです。仕事をします」

 大声で主張すると、尽平はおおげさなため息をついて、早瀬の腕から手を離した。

「うるせぇな、わかったよ。顔真っ青で手がぷるぷるして足がくがくしてるやつなんか、ここにはひとりもいねぇからな」

「はい」

 早瀬は返事をしてくるりと振り返り、村の奥へ入っていった。うしろでひとが、ざわざわしていた。

 早瀬が近づいていくと、働いていた傀廻したちはいぶかしむように手を止めた。顔に布がかかっているので、その表情はわからない。けれど布には表情があった。いろいろな顔が描かれているのだ。現実のひとのようではなく、おかしみのあるおばけの顔というふうだ。目をまんまるにしていたり、鼻をふくらませていたり、口をぽかんと開けていたりする。早瀬は、かわいらしく不気味な顔の彼らに頭を下げた。

「旅の傀廻しです。お手伝いさせていただきたくて」

「この村に世話になってたらしい。人手は多いほうがいいよな」

 うしろから尽平が言って、早瀬の肩をぽんとたたく。すると、山吹色の水干すがたのひとりが、歩み寄ってきた。尽平とおなじくらい背が高い。早瀬が見上げると、そのひとはしかめ面の布に手をかけた。

「もう、動いてよいの?」

 よく通るやわらかい声で問いながら、布を外して顔を出す。凛とした空気をまとう女人だった。そんなことを聞くということは、このひとが早瀬を拾ってくれた所長なのかもしれない。早瀬は背筋を伸ばしてこたえた。

「はい、おかげさまで、もう動けます。旅の傀廻しで、早瀬と申します。お助けいただいたのでしょうか、その節は……」

 小さく片手を上げて遮られ、かすかに微笑みかけられる。

「平気なら、よかった。わたしは豊手の吊頭所ちょうとうしょの所長で、瑞延ずいえんという。あなたには、聞きたいこともたくさんあるのだけれど……」

 早瀬のうしろをちらりと見て、瑞延ずいえんはしかたがないと言うように眉を下げた。

「早くみなさんのお弔いを、したい気持ちはおなじだね。頼むよ」

 早瀬は深く頭を下げてこたえた。そして仕事を始めた。





****





 ここを、襲ってこんなふうにしたのは、馬の顔をして角が生えたあの傀ではない。あれは、たしかに心臓をえぐり出して絶命させた。傀を屠ることは難しいが、屠ってしまえばもうおしまいだ。出した心臓にも害はない。それをいじくりまわしたとしても無駄である。生き返ることはない。それもひとと、おなじだ。

 いままで追ってきた、あれがやったのでもないだろう。さきほどは、もしやと思ったが、おそらくちがう。あれは暁城あかつきじょうという城の中にいる。そこから出てきたのなら、被害はこの村だけではなかったはずだ。

 それなら、あの窪地で転がり回っていたあの五体がやったのかもしれない。赤ん坊や小さな子供から、お年寄り、戦うすべを身につけた傀廻しまで、この村みんなのいのちを奪ってから、移動した。そこに出くわしたのだ。

 千世ちせはなにも言わなかったが、この村からひとり、なんとか逃げ出したのかもしれない。ひとりで傀に追われ、追いつかれた。それでも千世は、すぐに襲われることはなかった。傀たちは寄り集まり、転がり回っていた。なぜ。

 わからない。少しもわからない。わからないことばかりだ。

 なぜ。なぜ、ここはこんなに静かなのだろうか。なぜ、知った顔のなきがらばかり運んだのだろうか。なぜ、土など掘っているのだろうか。なぜ、あのとき。わからない。少しもわからない。

 この村が、襲われたのはいつなのだろう。村を出て、傀を狩りに行ったのは夕刻だった。もしも、もう少しとどまっていれば、もう少し早く帰っていれば、だれかのことは、助けられただろうか。死なせずにすんだだろうか。

 どんなに、こわかっただろう、いたかっただろう、つらかっただろう、そんなこと、わかるわけがない。おしはかることもできない。できない。

 みんな、ひとだった。ひとだったのに。なにもわるいことを、していないのに。

 ふと見上げれば、空はよく、晴れていた。すべて吸い込みそうな色をして、木の葉のあいだからのぞいていた。ときおり風が泣いており、ほぐした土は、早瀬の足を受け入れ誘っていた。

「早瀬」

 ふいに、正面から声がした。

「で、合ってるか?」

 ゆるりと前を見る。だれかいた。背丈は早瀬とほとんどおなじ、おそらく年頃もそうだろう。十六、七くらいに見える。浅緋の水干を着ており、顔の布は外して鍬と一緒に持っている。ほんの少し首をかしげ、早瀬を見ていた。左目が、潤んだように光っている。そして右目は、顔に斜めにかけた白い布で隠れていた。 

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