第3話 彼女の本性

 週末。いよいよ朝比奈父娘が、我が家にやってきた。

 元々マンション住まいだったため、引っ越しの荷物はそれほど多くないように感じた。それでも朝から続いた作業が終わるころには、すっかり夕暮れになっていた。

 半日以上かかるとは思いもしなかった……引っ越しって、こんなにも手間がかかるものなんだな、と感じた。


「あら、今夜の食材がないわ」

「私が買いに行くよ。他にも足りない小物がいくつかあるからね。二人とも、何か足りないものはないかい?」


 義父は実娘の蛍火だけでなく、俺にもその言葉を向けてきた。

 すっかり俺も家族として見てくれているようだ。彼の言葉に、俺の心は温かくなった。


「あ、そういえば、私がいつも使っていた箸が見当たらないですね」

「蛍火のいつものというと……銀製の箸だったかな。買ってくるよ。楓貴くんは?」

「いえ、特にはないです。せっかくなら、お酒と一緒にジュースをお願いします」


 顔合わせの時は、義父が車で来てくれたこともあり、飲酒できなかったはずだ。

 新しい家族の団欒時間を作るために、俺も協力したいと思った。

 すると、義父は嬉しそうな表情を浮かべて一言、「了解」と言いながら車のキーを取ると、すぐに靴を履き始めた。

 そんな時、蛍火が口を挟んだ。


「あの……私、実はママの手作りご飯を食べてみたくて……お二人一緒にお出かけしたら、どうですか?」

「ふふっ、嬉しいわ。そうねぇ食材にも拘りたいし……あなた、ご一緒してもいいかしら」

「もちろん大歓迎さ。それじゃあ、二人とも留守番よろしくね」


 蛍火の機転によって、両親は二人の時間を作ることができた。

 彼女も、この家族の関係をより良くしようと尽力してくれているようだ。


 そんなわけで、俺はしばし蛍火と二人きりになった。

 こうなってしまうと、ちょっと気まずい……やはり思春期の男子にとって、この状況は緊張するものだ。

 しかし、俺も新しい兄妹関係をよくしたいと考えている。

 だから、勇気をもって彼女に話しかけることにした。


「改めて、まさかクラスメイトと義兄妹になるなんて、驚いてるよ」

「ふふっ、そうですね。こんなことになるなんて……ほんとに最悪です」

「…………えっ?」


 柔らかな雰囲気と口調を保ちながらも、発された言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。

 今、「最悪」って言ったのか? ……言い間違えか?

 そう思い巡らせた矢先、彼女は俺の肩に手を当てて押してきた。少女に似つかわしくない、強引な力加減だった。


「……ッ」


 バランスを崩した俺はソファーに倒れ込んだ。次の瞬間、蛍火に覆いかぶさられると同時に、首元にひやりとした感触が走る。


 銀製の箸だった。

 さっきまで見当たらないと言って親に買いに行かせたものを、彼女は実は手元に隠し持っていたのだ。


「ほ、蛍火さん……何を急に――」

「黙って。無駄な口話したら、頸動脈をアイスピックみたいに突き刺すから」


 彼女の眼は本気だった。

 これまで知っていた彼女のイメージが一転、まるで中身が入れ替わったように、性格が様変わりした義妹がそこにはいた。

 箸は箸なので、恐らく刺さらないとは思うが、痛いのは想像できる。


「なぜ私が貴方を脅しているのか、教えてあげます。それは私が、男の人が死ぬほど大嫌いだからです……理解しましたか?」


 彼女の顔が「かわいい」ためか、そこまで圧倒されず恐怖心は薄かったものの、俺は大人しく頷くことを選んだ。


 しかし、男嫌いだなんて……完全に予想外だ。そんな素振りはなかったはずだ。

 教室でも、彼女は性別分け隔てなく……いや、思い返してみれば、確かに男子相手に蛍火が話しているところはほとんど見たことがない。

 とはいえ、疑問はある。


「……父親は、男だろ?」

「ほぼ家にいない家族なんて、存在しないも同然です。でも、貴方は別。毎日、一時間以上男の顔を見て生きていくなんて、私には無理っ!」


 そんな理不尽な……つまり、俺の顔を見るのが嫌ということだろう。

 自分の顔に自信はない……ないけども、実際にそう仄めかされて、ショックを受けないほどではない。


「俺に、どうしろって言うんだ」

「まず家の中では、なるべく私に話しかけないで。でも、パパとママには仲良く見せること。これが一つ目の要求」


 わざわざ両親がいない時を狙って、本性を晒したことはある。

 やはり両親にも猫を被っているのか。

 それはそうと、一つ目の要求という言い方は、嫌な予感がする。いくつ要求があるのだろうか。


「二つ目に、教室ではこれまで通りにすること。私達の関係は、絶対に秘密にして」

「秘密にしなかったら、どうするんだ?」

「殺す」


 感情の欠片もない真顔と、底冷えするような低い声で告げられ、銀製の箸が、頸動脈の外皮を伝う。今度こそは、さすがに本能的な恐怖があった。


「わかった……要求を呑むよ。箸を離してくれないかな?」

「まだ要求はあるんですけど?」

「……ですよねー」


 どこかに付け入る隙がないかと考えて反撃してみたが、俺に言い返す余地はなかった。

 なぜなら、俺と彼女は「両親の幸せを願う」一点では、考えが共通しているから。

 そのために、わざわざ彼女を煽って暴走させる必要はない。


「二人でいる時、二度と馴れ馴れしく下の名前で呼ばないで。気持ち悪いから」

「……ごめん」


 これに関しては、俺が悪い気がして、謝った。

 そもそも二人きりの時は話しかけるなと言われていた気がするが、その疑問は飲み込んだ。逆に考えれば、それほどまでに俺の呼び方が気持ち悪かったのかもしれないし……。


「最後に、これからは女の子を尊重して生きること。汚らわしい男の分際で、女の子を傷付けようものなら、先に私が貴方を殺しますから」

「えぇ……もしかしてフェミニストってやつなのか?」

「勘違いしないで。私が好きな女の子を傷付けてほしくないだけ」


 男を見下した反動……というわけでもなさそうだ。

 もしや、逆なのかもしれない。

 男が嫌いで、女の子を尊重してほしいのではなく……その反動で男が嫌いなのでは?


「……女の子が好きなのか?」

「悪いですか? ああ、これもバラしたら殺しますから」

「バラさねぇよ」


 まさか、彼女が同性愛者だなんて、言ったところで、誰も信じない。表向きの蛍火は、優等生なのだから……俺が変な噂を吹聴しようとしているようにしか、思われないだろう。


「私は女の子が好き。女の子は尊いの。男とは違って、美しいの。私が守らないといけないの。女の子は存在が、正義なの。男は存在が、大罪なの。わかります?」


 とんでもない理屈だが、俺も「かわいい」が大好きだ。

 だから女の子に対して敬意を払っているつもりだし、邪心を抱かないように気を付けている。すべてを共感することはできないが、否定をするつもりもなかった。


「女の子って、かわいいよな」

「男に共感されたくない。死ねば?」


 ……理不尽だ。

 共感されたくて、「わかります?」って訊いてきたのではないのか。

 乙女心は複雑ってこと?


「ああ、それと……自室以外でシコったら殺しますから」

「完全に禁止しないだけ、優しいんだな」

「気持ち悪っ」


 というか優等生がサラッとそういうこと言わないでほしい。

 まあ……今のは、意趣返しにしても気持ち悪かったと思う。

 けれど、彼女が俺を嫌悪していることはひしひしと伝わった。


 ……とりあえず、わかったことがある。

 俺と蛍火が仲睦まじい兄妹関係を築くことは、無理そうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る