第32話
レイからの思いがけない返事に、ジュリエッタが動揺しつつも、再会の日を待ち遠しく思い、そわそわと落ち着きなく過ごし始めた一方で――。
聖女アリサは、国王から、王家の人たちが揃う晩餐会へと招待されていた。
(はぁ……コルセット苦しい)
いつもなら、肌触りの最高な高級部屋着を着て、自室でのんびり怠惰に食事の時間を過ごすのに。
今日は国王の前に出るのだからと、いつもより時間をかけて準備をされ、ぎゅうぎゅうとコルセットを絞められ……動きづらい、フリルのたくさん重なったドレスを着させられた。
綺麗なドレスで自分を着飾るのは大好きだが、こうも体調が悪い時だと、ただただ怠くて面倒だった。
「聖女様が到着されました」
案内の侍女が、食事ホールへと告げる。
「遅くなってすみませ……」
嫌々顔を上げて――ホールの中にいた、初めて見るその人に、視線が釘付けになった。
(――え、誰?このイケメン)
凛とした立ち姿のその人は、動くたびさらりと揺れる、長いプラチナブロンドの髪を凛々しくひとつに括っていた。床へと伏せられた瞳が、ゆっくりとこちらを見ると、その深過ぎる紫の美しさに、息が止まるかと思った。その瞳は冷たく、会釈するように軽く動いただけで、すぐに背けられてしまう。
(なんなの……ものすっごい綺麗な男じゃない……!)
一瞬で心を奪われる、そんな美しさに言葉を失っていると、ヴォルグ様がこちらまで歩いてきた。
「アリサ、席に……」
ヴォルグが促すように私の手を取ろうとしたが、衝動的にそれを振り払う。今は、それどころではない。
「陛下!今日は王家の晩餐会と聞きました!そこの方はどなたですか?」
(あの人が誰なのか、確かめなくちゃ!)
前のめりに尋ねると、国王はひとつ頷いて、美しい彼へと優しい視線を向けた。
「ああ。今日聖女を呼んだのは、顔合わせのためだったんだよ。それはわしの息子――第一王子のレイナルドだ」
(第一王子、ですって……⁈)
こんなに美しい男が、第一王子?
ヴォルグなどより何倍も美しく、ひと目で心を奪われる華のある容姿……。まさに、完璧な王子様。
(こんなに美しいんだもの!聖女である私の隣にぴったりの男だわ!私の側に置くべきは、ヴォルグ様じゃない、こっちの王子よ!)
一瞬で、そう確信できた。だって、私は聖女。この国の、救世主なんだもの。
隣に並ぶ男も、最高の男でなければ釣り合わない。
「……まぁ、そうだったんですね」
にこりと、1番大人っぽく、綺麗に見える笑みを浮かべる。
ゆっくりと彼――レイナルドの前まで歩いていって、鬱陶しいマナーの授業で習った、貴族令嬢の礼を披露する。
「初めまして、レイナルド様。聖女のアリサです」
胸元に手を置いて、にこりと愛らしく笑んだ。
(こういう、大人っぽい男は、礼儀正しくて可愛い女の子に弱いでしょ?)
自分なりの判断だった。男なら誰もがかわいいと褒めてくれるこの容姿に加えて、この世界で私は聖女という孤高の肩書きまで持っている。
(そんな私にこうやって笑いかけられたら、可愛いって――欲しいって、思っちゃうでしょ?)
――確かに、自信があったのに。
「え……?」
どうしてなの?
彼が私に向ける瞳は、美しいのにどこか、拒絶するような色をしていた。
「初めまして聖女殿。レイナルド・アーヴェルトだ」
たったそれだけを冷たく言って、彼はヴォルグ様へと視線をうつしてしまう。
「食事会を始めよう。……ヴォルシング、婚約者殿を席へ」
「あ、ああ」
レイナルドに言われるままに、ヴォルグ様が私の手を取り、今度こそ席へと連れていく。
(なんで……なんで?どうして⁈ 私聖女よ?この世界で1番大切にされるべき女の子なのよ⁈)
その後、食事中ずっと、国王はとても嬉しそうにレイナルドが戻ってきたことについて話し続け、王妃もにこやかに相槌を打っていた。
ヴォルグ様は、そわそわとレイナルドの方を見ながら、でも話しかけることはせずにいて、肝心のレイナルドは、時折国王から振られる話題に簡潔に答えながら、静かに、そして優雅な仕草で食事を続けていた。
私も、何度か彼へ話しかけてみたが、彼は食事中一度も、私に言葉を返すことも、視線を向けることもなかった。
(聖女を無視……?嘘でしょう?)
あっさりと終わってしまった食事会。レイナルドは、誰よりも先に颯爽と居なくなってしまった。
……聖女である私に、こんなにも見向きしないなんて、ありえない。
どうにかして彼の情報を得ようと、部屋に返ってから専属の侍女に話を聞いたところ、第一王子のこれまでについての話を聞けた。
そして、あの態度にも納得ができた。
彼は、前王妃である自分の実母が死んだ後、後妻である今の王妃がヴォルグ様を産んだのをきっかけにして、遠方の修道院だかどこかで静かに暮らしていたらしい。そして、ヴォルグ様が聖女である私と婚約をしたり、結婚を控えたりという状況になって、やっと戻ってきたのだそうだ。そう、よくある王位継承争いってやつだ。
ヴォルグ様のために、一度は身を引いた王子様。
あんなに美しい外見を持っているのに、王位継承権を主張せず、弟のためを思って自分は隠れてひっそり生きてきた、なんて。
なんて素敵で不憫な人なのかしら……!
知ってるわ。私は知ってる……!この世界に来ちゃう前に、大好きなロマンスファンタジーの小説で沢山読んだもの!
そういう、不憫で綺麗な王子様が、聖女と結ばれて幸せになる運命なんだわ!
――そう確信したからこそ、私はその夜、こっそりと自室を抜け出した。
向かった先は、侍女から聞いた、第一王子の宮殿だ。
灯りのついた部屋は一つだけだったから、レイナルドがどこにいるのかはすぐにわかった。
(きっと、初対面で緊張していただけだったんだわ。聖女が自分を想って来てくれた、なんて状況になれば、すぐに心を開いてくれるはず)
ノックをすると、侍従ではなく彼本人が顔を出す。
私は、気合いを入れた寝巻き姿で、うるうると彼を見上げた。
「こんばんは、こんな時間にごめんなさい。どうしてもお話したくて……」
(こんな夜に、可愛い聖女様が訪ねてきたら、部屋に入れてくれない男の人なんて、いるわけないもんね)
そう、思っていたのに――。
「――!」
目が合った瞬間。彼の冷た過ぎる瞳に、背に直接氷を当てられたような寒気を感じた。
彼は、口角だけを上げて、冷ややかすぎる笑顔を浮かべる。
「まさかとは思ったけど、こんなところにまで来るなんて。君、頭の中どうなってるの?」
「……え?」
「婚約者のいる身で、そんな格好で男の部屋に来るとか、常識以前の問題だよね?愚かな女だと報告は受けていたけど……ここまで愚かだったなんて。予想以上だな」
ぐい、と強い力で顎を掴まれ、上向けられる。
「女を売るようなやり方で、僕がなびくとでも思った?……随分と馬鹿にしてくれたものだね」
(目が……こわい)
まっすぐにこちらを見つめる、深い紫の瞳。それはどんな宝石よりも美しい輝きを放っているのに、底が知れなくて、冷たくて……どこまでも暗闇を落ちていくかのような、得体の知れない恐怖を感じた。
「きゃ!」
突き放すように手を離されて、冷たい廊下に尻餅をつく。呆然としている私に、彼は冷たく、美しく微笑んだ。
「ひとつ忠告してあげよう。これからも聖女でありたいのなら、己の行動を見直したほうがいい」
吐き捨てるように言って、彼は容赦なく、扉を閉めようとする。
「――ああ、そうだった」
扉が完全に閉まる寸前、彼が思い出したように、隙間から最後の言葉を放った。
「僕にはもう、心に決めた相手がいるんだ。どんな方法を使おうとも、僕が君の男になることはないから。僕の弟だけで、我慢しておいたほうがいいよ――じゃあ、二度と来ないでね」
バタン、と。慈悲のかけらもなく、扉が閉められる。
薄明かりしかない廊下で、私は呆然と、閉められた扉を見つめていた。
(……嘘でしょ?なんで?どういうこと?)
私の知っている物語では、聖女はもっともっと、誰からも愛される存在だった。
物語の中心で、聖女の望むことは、なんでも叶うものだった。沢山のイケメンたちが、聖女を愛して優しくして。そんな聖女が中心の、幸せな世界ばかりだった。
(――私は、聖女、なのに?なんで?なんで思い通りにならないの……?)
呆然としていたら、誰かが「……大丈夫ッスか?」とかなんとか声をかけてきて、私を自室まで連れて行ってくれた……みたいだった。
みたいだった、というのは、よく覚えていないから。
あまりにもこの現実が受け入れられなくて、あの美しい王子様が、私のものにならないなんてことが信じられなくて。
(……そうだ。これ、何かの悪い夢なんだ。きっとそう。だから寝ちゃえば、明日には何もかも元通り。私のための世界になってるんだ……)
ずきずきと、うなじの辺りが激しく痛む。
その痛みも、受け入れられない現実も、全部全部、自分の中から追い出したくて、毛布を被り布団の中で丸くなった。
そうやって寝ようと頑張ったのに――ぎゅっと閉じた瞼の向こう、太陽が昇るまで、一睡もできなかった。
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