第30話
「これは、まさしく奇跡ですわ……」
アリアド王妃が、ほうっと感嘆の息を吐く。
「本当に……」
「なんて美しい輝きなの……!」
「これが神獣使い様の力なのね」
私が虹色に輝くローザリアに目を奪われている間、テーブルに居合わせた貴婦人たちは、次々と称賛の言葉を口にしていた。
(これが、祝福されたローザリアなのね……!)
その美しさは、アリサが祝福したものとは格が違う。祝福された花は、ひと目で神聖なものだとわかるような、触れるのも躊躇われるほどの威厳を放っていた。
「本当に素晴らしいです、ジュリエッタ様!」
「ミオ……」
感極まった様子で目を潤ませるミオに、ほんの少し苦笑してしまう。
「私がすごいんじゃないわ。ロロが助けてくれたからできたのよ」
ぽん、と頭に大きな手が乗せられて、撫でられる。優しくて温かなそれは、ロロのものだ。
「だとしても、初めてでここまで上手くできるのは稀だと思うぞ。よくやった、リーエ」
「ありがとう、ロロ」
少しだけ照れくさい気持ちではにかむ。
――神獣使いは、聖女と違い神聖力を持たない。
自ら神聖力を扱うという体験がなかったからだろうか、これまで、神獣使いになった、という実感はあまりなかったのだけど……。今こうして、自分の手で祝福したローザリアを見ることで、初めて実感できたような気がした。
(このローザリアを使えば、アリアドの国王は回復する)
不思議と、自分の中の何かが、絶対の安心感を持ってそう告げてくる。
「王妃殿下。どうぞこちらをお持ちください」
花瓶を持って、差し出す。それをアリアド王妃は、侍女に任せたりせず、自らの手で受け取った。
「ありがとう、ユロメア公爵令嬢。これできっと、陛下も良くなるわ」
今日見た中で一番柔らかく、優しい表情で笑う王妃に、釣られてこちらも笑顔になった。
「お役に立てて、よかったです」
私たちの様子を見ながら、ずっと興奮していたようにおしゃべりを続けていた貴族の婦人たちのある言葉が、そのタイミングで耳へ届いた。
「神獣使い様のローザリアは、あんなにご立派だというのに、どうして聖女様のローザリアは、あんな……」
「しっ。おやめなさいよ。きっと調子が良くなかっただけだわ」
「やはり、神獣のいない聖女というのは……」
ひそひそした会話は、ばっちりこちらまで聞こえてしまっている。
――ぱん!
と、彼女たちの会話を遮るかのように、手を叩く音が大きく響いた。
見れば、アリサがにっこりと笑顔で席を立ち上がるところだった。
「本当によかったです!ジュリエッタさんの祝福したローザリアがあれば、アリアドの王様もきっと良くなりますね!」
「アリサさん――」
言いかけた私をきっと睨み付けて黙らせると、アリサは表情を一変させ、今度はしゅんと目を潤ませて、アリアド王妃へ頭を下げた。
「ごめんなさい、アリアドの王妃さま。元々体調が悪かったのですけど、聖女の力にも影響が出てしまったようです。それに……」
ちらり、とロロを見て、アリサはぐすん、目元を拭った。
「ごめんなさい、本当に。やっぱり私には、猫ちゃんが必要だったんです。でも、猫ちゃんはジュリエッタ様が……」
(アリサさん、ロロのことをまだ私のせいにするつもりなの?)
静かに睨み返すと、彼女はふん!と小さくそっぽを向いた。
「すみません、本当に具合が……私は部屋に戻らせてもらいますね」
大袈裟によろける演技までして、アリサは派手なピンクのドレスを翻し、お茶会の主催であるアリアド王妃の返答も聞かないうちにさっさと垣根の向こうへ立ち去ってしまった。
「本当に、可愛らしい人ですこと。……では、私たちはもう少しお話いたしましょうか?」
嵐のように去って行ったアリサを咎めるでもなく、アリアド王妃がさらりと笑む。
その言葉に、貴婦人たちは躊躇いながらもまた思い思いの会話へと戻った。
「ふう……」
(何かしら。急に身体が怠いような……)
注目から解放されて、緊張が解けたせいかしら、と首を傾げていると、ミオが椅子を引いてくれた。
「ジュリエッタ様、お座りください」
「ええ、ありがとうミオ」
素直に腰掛けると、急に身体がずっしりと重く感じた。紅茶のカップを手に取るが、それを持ち上げるのも億劫に思えてしまう。
少し寒気すら感じて、ふるりと身体が震える。ドレスのせいで剥き出しになっていた私の肩に、ミオがふわりと自分の上着を着せかけてくれた。
「ごめんなさい、気を遣わせて」
「いいんです、そんなこと。どうかされましたか?顔色が少し、悪いような……」
後ろから心配そうに覗き込んでくるミオは、くりくりした大きな瞳でじっとこちらを窺ってくる。そんな可愛らしい彼の姿にきゅんとときめいていると、反対側からは、ひょこりとロロが身を乗り出してきた。
「ローザリアの祝福をして、疲れが溜まったのだろう。あれはかなり、体力を消耗するから」
「そうなのですか?」
「ああ。歴代の神獣使いたちも、頻繁に作ることはできなかったんだ。今日が初めてだったリーエが、疲れ切ってしまうのも無理はない」
ふむ、と考え込む仕草をしたロロは、次の瞬間――。
「きゃあ!」
おもむろに、椅子から私を抱き上げてしまった。膝裏と背中をしっかりした腕で抱え上げられて、驚きに小さな声を上げてしまう。
「な、何してるのロロ!下ろして……!」
「だめだ。そんな状態のお前を、歩かせられない」
(いや、私普通に歩けるのに!あああ、婦人達からの視線が痛い……!)
婦人達は、突然お姫様抱っこされた私の姿に、「あらまあ……!」と、何故か喜びの表情で視線を向けてきている。
注目されているのなんて気にもせず、ロロは私を抱えたまま、上座へと向き直った。
「アリアドの王妃よ。悪いが、俺たちはこれで失礼させてもらう。俺の主が、先程の祝福で疲れてしまったようだ」
「も、申し訳ありません王妃殿下!このような姿で……!」
焦った私がじたばた足掻いたとしても、成人男性の人型をしているロロの腕はぴくりともしない。
必死に謝る私に、アリアド王妃はふふふ、と楽しそうに笑った。
「それは、気づかずに失礼をしました。どうぞ、お帰りになってゆっくり休んで。ユロメア公爵令嬢、今日は会えて嬉しかったわ」
「では、失礼する」
にこにこと生温かい笑顔の中、ロロは堂々と私を抱えて歩いて行く。ミオはどういうわけか、私を抱え上げたロロを輝く尊敬の眼差しで見つめながら、後についてきていた。
馬車につくまでの間、王城勤めの侍女や侍従たちの視線も、すれ違う貴族達からの視線も、そしてすぐ後ろをついてくるミオの視線までもが恥ずかしくて、恥ずかしくて……。結局私は、ロロの肩に強く顔を伏せて、屋敷に着くまでの間、ずっと顔をあげられないでいた。
(なんなのよ……!なんなのよなんなのよ!)
怠くて重い身体を引きずりながら、アリサはずんずんと王城の廊下を歩いて行く。
(どうしてあの女の祝福した花はあんなに綺麗なの?!聖女は!私なのに……!)
はぁはぁと息切れが酷くて、ついに壁に手をつき足を止めてしまう。誰にも見られないようにと、影になった場所へのろのろ移動して、ぐしゃりとドレスの胸元を握りしめた。
(この世界、おかしいわ……!女神から力をもらった聖女は私なのに!私が主役の物語のはずなのに……!どうして皆、私のやることにケチをつけるのよ?)
だん。
(おかしいわ。絶対におかしい……だって、主役ってもっとちやほやされるものでしょう?マナーがなんだっていうの?私が主役なんだから、私が苦労して勉強して、ここの連中に合わせる必要なんてないはずよ!)
だん、だん。
悔しさに、拳を壁に打ち付ける。すぐに痺れてじんじんとした痛みが腕全体に広がってきて、じわりと涙が浮かんだ。
(なんなの……私は聖女なのよ。もっとカッコイイ男たちに囲まれて、ちやほやされて、幸せな毎日を送る運命なんじゃないの?私が楽しむために、この世界があるんじゃないの⁈)
(なんで、あの女ばっかり……!)
そうやって俯いていた時。
かつん、と背後からの靴音に振り返れば、そこには心配そうな顔をした婚約者が立っていた。
「アリサ?こんなところでどうした?また具合が悪いのか?」
「ヴォルグ様ぁ!」
がばりと飛びつくと、ヴォルグは戸惑いながらも抱き留めてくれる。
なんだかんだといいつつも、私を甘やかしてくれる婚約者の王子様。
ジュリエッタから奪ってやったこの男だけは――絶対に、繋ぎ止めておかなくては。
「どうしたんだ?確か今は、叔母上とのお茶会の予定じゃなかったか?」
「そうだったけど……。私、神聖力の使い過ぎで、疲れてしまって……!元々今日は、具合も良くなかったから……」
ぐすん、と涙を見せると、ヴォルグはとんとんと優しく背を撫でてくれた。
「そうか。具合が悪いところに、無理をさせて悪かった。部屋まで送るよ」
「ありがとうございます……私には、ヴォルグ様だけですわ」
傷ついたばかりの心を、あの女から奪った地位と、奪った男の優しさが、ちょっとだけ癒やしてくれる。
(どうやったら、あの邪魔な女を消せるかしら……?)
ヴォルグに支えてもらい歩くアリサのうなじからは、薄く黒い霞のようなものが、漂い出ていた。
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