第29話


「兄上から聞いてはいたけれど……聖女様は随分と、純粋でいらっしゃるのね」


 言葉とは裏腹に、厳しい目をアリサへと向けるアリアド国王妃。

 アリサは、怯んだように一歩後退った。

 アリアド王妃は、上品に深く溜め息を吐きながら、首を振る。


「2人を試すような真似をして、悪いとは思っているわ。この要求に、貴女たちがどう出るのか見てみたかったの。……噂が本当なのか、確かめたいと思って、ね」


「え……?試す?噂?何のことですか、王妃様……?」


 困惑したアリサから、アリアド王妃の侍女が花瓶を受け取った。


「言葉通りの意味よ、聖女様。貴女のお話は、アリアドでも良く耳にしたわ。とても自由で明るくて、困ってしまうくらい可愛らしい方だと」


 これは、言葉通りに受け取ってはいけない言い方だ。

 社交界でよくある、嫌味のようなもの……淑女教育から逃げてばかりだというアリサは、気づけるのだろうか?

 ちらり、とアリサを窺えば、彼女は俯いていて、表情は見えなかった。ただその手元は、ぎゅっと強くスカートの裾を握りしめている。

 さすがの彼女でも、アリアド王妃の言葉の意味を理解したのだろう。


(恥なんてものじゃないわね。他国でも、自分勝手で行儀のなっていない、問題児だと噂されているだなんて)


 呆れる気持ちはあれど、同情するような気持ちにはなれない。彼女の問題行動による一番の被害者は、恐らく私だから。


「ちなみに、先程の話……祝福されたローザリアを持ち帰る件については、兄上にきちんと話をしてあるの。とはいえ、私がはっきりとそれを言わないうちに、国として取り扱いに慎重にならないといけないものを、自分ひとりの一存で差し出すべきではなかったわ」


 柔らかくなった声音につられて、アリアド王妃へと視線を戻す。彼女は、お茶会の間とは違い、とても優しい微笑みでこちらを見つめていた。


「さすが、兄上が自慢したくなるほど、立派な淑女だわ。まるで我が子かと疑いたくなるほどに、貴女のことを褒め続けるから、一体どれほどの方なのかと思っていたけれど……咄嗟の判断も、対処の方法も、すべて完璧だったわね」


「過分なお言葉です、王妃殿下」


 座った姿勢のまま、アリアド王妃へと頭を下げる。彼女は満足したように頷いて、アリサへと向き直った。


「何はともあれ、聖女様のお優しい気遣いのお気持ちは、大変有り難く頂戴いたしました。頂いたローザリアへのお礼は、後ほど聖女様のお部屋へ届けさせますわね」


「あっ……いえその、いいんです、お礼なんて!私は、アリアドの王様が元気になって下さればそれで!」


「まぁ、本当にお優しいこと。ありがとう、でも、お礼はきちんと受け取ってくださいな。私も、アリアドの王妃としての立場がありますから」


「わかりました、王妃様がそこまでおっしゃるのなら……」


 落ち着いたアリサが席へ座り直す。そこで、のそりと足下のロロが身を起こし、私の背後でするりと人型へ戻った。


「ロロ?」


 ロロは落ち着いた様子で私の肩に手を置くと、アリアド王妃を見つめた。


「アリアドの王妃よ。持ち帰るのは、聖女が祝福したその薔薇だけでいいのか?」


 私の目の前には、未だ一輪のローザリアが置かれたまま。

 ロロは、アリアド王妃の侍女が運ぶ、アリサの祝福したローザリアを目で追いながら、肩を竦めて私の耳元で、そっと囁いた。


「……あの女が祝福したローザリアでは、弱すぎる。あれを材料にしても、万能の薬は作れない」


「え?どういうこと?」


 アリサは聖女だというのに、その祝福が弱いとはどういうことだろう?


「わからない。どういうわけか、今日はあの女から感じられる神聖力が、ひどく弱々しいんだ。あの女、ずっと顔色が悪いようだが、腹でも痛いのか?」


「いや……そんな理由じゃないと思うけど……」


 こそこそと囁き返しながら、首を傾げる。果たして、そんな理由で神聖力に影響がでるものだろうか?

 そこへ、ツンツンと肩をつつかれた。振り返れば、ピシッと立ったままでいるミオが、小さく咳払いしてちらり、と視線をアリアド王妃へ向ける。

 見れば、王妃は、内緒話をする私たちを興味津々といった目で楽しそうに見つめていた。


(いけない、ロロが話しかけてそのままだった……!)


 かたん、と音を立てて椅子から立ち上がり、慌てて王妃へと頭を下げた。


「申し訳ありません、王妃殿下。先ほどロロが言いかけたお話ですが……。国王陛下に許可を頂いているということでしたら、是非私が祝福したローザリアもお持ちいただけませんか?」


「まぁ、よろしいの?ユロメア公爵令嬢の手まで煩わせてしまって……」


「大丈夫です。私はまだ神獣使いとして未熟で、ローザリアを祝福したことはないのです。よい機会ですから、ここでやらせて頂けませんでしょうか?」


 もっともらしい理由を並べながら笑顔を保ちつつ、内心ではとても焦っていた。


(だめよ。ロロの言葉通りだとしたら、アリサさんの祝福したローザリアだけを持って帰ったら、アリアドの国王は回復しない。そうなったら、アーヴェルト王国の聖女は偽物だとかなんとか、難癖をつけられかねないもの)


「えー。ジュリエッタさんってば、さっきまでやらないって言ってたのに、急にどうしたんですか?もしかして、ジュリエッタさんもお礼が欲しくなっちゃったんですか?」


 そこへ、爆弾発言をぽいっと投げてよこしたのは、アリサだ。

 確かに、そう思われても仕方がないタイミングだったかもしれないが……この場でそれを真っ直ぐ指摘するのは、悪意がありすぎではないだろうか。

 私が、さすがに何か言い返そう、と口を開いたその時、上品な笑い声を上げたのはアリアド王妃だった。


「それでもいいのよ、聖女様。元々、お二人には、ローザリアのことがなくても、今日来ていただいたことに対してのお礼を用意していたのですから。それに、向上心というものは、とても大切なものだわ。皆さんもそうでしょう?」

 アリアド王妃は、優雅な笑みでアリサを黙らせると、何事もなかったかのように私へと向き直った。


「ありがとう、ユロメア公爵令嬢。では、お願いできるかしら?」


 アリサからの睨み付けるような視線を受けつつ、振り返る。ロロは、少しだけ呆れたような雰囲気で、そっと笑いかけてくれた。


「リーエがやると決めたのなら、俺はそれに従おう」


「ジュリエッタ様、頑張ってください!」


 護衛姿勢のまま、こっそりとミオが囁いてくれて、少しだけ頬が緩んだ。

 お茶会のテーブルはしんと静まりかえっていて、すべての参加者の視線が私へと集まった。


「肩の力を抜いて」


 ロロが優しく言いながら、私の片手をぎゅっと握りしめた。


「難しいことは何もない。ローザリアに手をかざして。……そう。聖属性魔法を使うときと同じように、自分の魔力をローザリアに注ぐんだ。俺が補助する」


「……うん」


 深く深呼吸をして、そっと魔力を注ぎ込んだ。

 ローザリアは、まるで空っぽの器のように、注いだ魔力を吸収していく。

 また、繋いだ手を通して、ロロからとても清廉な力が、私の中へと流れ込んできていた。

 清涼感のあるハーブのような、何処までもきれいでまっさらで、とても暖かい力……。それが、次第に私の魔力と混ざり合って、ローザリアへと吸い込まれていく。

 たぽたぽと、ローザリアの中が魔力でいっぱいになるまで、そこまで時間はかからなかった。


「もういいだろう」


 ロロの声に、魔力を注ぐのをやめる。ふぅ……と大きく息を吐いて、無意識に閉じていた目を開いた。

 そして――目の前の光景に、思わず声が漏れた。


「え……!」


 そこにあったのは、アリサが祝福したローザリアとは比べものにもならない、奇跡の花だった。

 まばゆいほどの虹色の光を放つ、宝石のように美しい、大輪のローザリア。


「すごい……っ!」


 思わず、といったように、ミオが呟く。

 アリアド王妃も、貴婦人たちも、そして目の前のアリサまでもが、信じられないというような表情で、虹色に輝くローザリアから目をそらせずにいた。



 

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