第24話
第二王子の誕生日パーティー後。
城の中もだいぶ静かになった頃。レイは、城内にある一室の扉を叩いた。
「――どうぞ」
疲れ切った声が聞こえて、室内へと足を進める。
書類の山が積まれた机で、埋もれるように目的の人物が仕事をしていた。王の補佐として、執政官を務めているその男は、こんなパーティーの夜も、終わらない仕事の山と向き合っていたらしい。
書類から目を逸らさぬままに、白髪交じりのグレイッシュヘアを掻いて、こちらに手を差し出してくる。
「頼んでいた資料か?」
「……すまない、ユロメア公爵。忙しい時に来てしまったか?」
手ぶらで来たのが申し訳なくなって聞くと、彼はやっと顔を上げてこちらを見て――。
「……で、でで、殿下……っ!」
面白いくらい飛び上がるように、席を立った。
「久しぶりだね。覚えてくれていたようで嬉しいよ」
「貴方ほど特徴のある方を、忘れるはずがありません。しかし……貴方様がどうして城に?」
「今日はヴォルシングの誕生日だっただろう?父上からも、参加だけはしろと言われていたからね」
顔を上げて、というと、公爵は姿勢を正し、部屋にある長椅子を進めてくれた。
向かい合って座ると、公爵は小さな水晶玉を取り出して、カチリと起動する。盗聴を防止してくれる、魔術道具だ。
こういった細かい所に配慮できるのが、彼の良いところだろう。
「それで、こちらにはどのような用で?」
「うん。今日の舞踏会中、中庭にいたジュリエッタ嬢が、暗殺者に襲われたんだ」
「……なんっ……!」
「落ち着いて。大丈夫、僕が守ったから。ジュリエッタ嬢は少し転んだけれど、大きな怪我もなく、兄君たちと帰宅したよ」
「……そう、でしたか」
大きく長い溜め息をついて、公爵はがばりと深く、頭を下げた。
「大切な娘を守って頂いて、本当にありがとうございました、殿下」
「間に合ってよかったよ。彼女は、僕にとっても大切な友人だから」
「やはり、娘がお世話になっているローエングリン神殿の神官というのは、殿下のことでしたか」
溜め息交じりに言う公爵に、敵わないな、と肩を竦めてみせる。
彼は、執政官として国の中枢を管理している、優秀な人材だ。
その立場にある人間として、無論、もう何年も表舞台に立っていない第一王子についても、非公開となっているその居場所について、把握していたらしい。
「君には敵わないね。やっぱり知っていたか」
「ええ。……それで、暗殺者というのは?」
「ああ、部下に追わせたのだが、自害されてしまった。持ち物から、王城に勤務している騎士だと身元が判明している。……ここに詳細をまとめた」
小さく畳んだ紙片を渡すと、さっと目を通した公爵は、眉間に皺を寄せた。
「……聖女、ですか」
ぼそりと呟いた声からは、聖女を敬うような感情は感じられない。
「この後処理は、私にお任せ頂けませんか?」
真摯に申し出てくる公爵に、頷きを返した。
「勿論だ。好きにしてくれ」
「感謝致します」
「礼はいらないよ。この件の報告を君にすると、君の息子――ああ、騎士の方に約束したんだ」
「そうでしたか」
ユロメア公爵は、紙片を上着の内ポケットへと仕舞い込み、「ところで……」と、身を乗り出してきた。
「第一王子である貴方様が、我が娘のために動いているというのは……どういうことなのか、伺ってもよろしいでしょうか?」
向けられる灰色の瞳は、強く険しい。
娘を想う父親としての彼が、目の前にいた。
「うーん……そうだね。ジュリエッタ嬢は神獣使いだから。アーヴェルト王国の繁栄のために、歴代神獣使いについての知識を与えているだけだよ。聖女があんな有様だからね。神獣使い殿に頑張ってもらうために、誰かが教えなければならないだろう?」
「それは勿論、同意いたしますが。書籍を送るなり、他の指導役を推薦するなり、他にやり方はあったはずです。貴方がじきじきにジュリエッタと関わるのは、リスクだったはずだ。人前に出ないようにと、もう13年も神殿に籠もりきり、貴族との関わりを避けてきた貴方様だから」
「……そう、だね」
彼の言うことは、もっともだ。
13年――そう、もうそんなにも長い時間、僕は、第一王子という立場で人前に出ることを避け続け、神殿に籠もり、隠れて生きてきた。
ジュリエッタと会うことは、自分が第一王子だとバレるリスクも伴うものだった。賢い彼女が気づくかもしれないと思いながらも、直接会うことにしたのは何故なのか……。
「最初は、好奇心だったんだ。ヴォルシングの元婚約者が、神獣使いになったと聞いて。首都に、光の柱が立ったあの日……、その令嬢と直接会ってみたいと、そう思ったんだ」
実際に会ってみた彼女は、とても綺麗な少女だった。
由緒あるユロメア公爵家で、大切に大切に、いずれ王妃になる女性として教育を受けてきた令嬢。
まるで人形のような、何処にでもいる綺麗なだけの令嬢なのかと思った。が――彼女は、僕の予想とは違っていた。強い意志で輝く新緑色の瞳が、真っ直ぐに僕の心を射貫いたのだ。
『――あの、神官様。私は今日、神獣使いの歴史について、お話を伺えると聞いてこちらに来ました。神官様と談笑するためにきたのではありません』
しっかりと釘を刺してきた彼女に、俄然興味が湧いてきて。
話す時間を重ねるほどに、心惹かれていった。
優しく、賢く、美しい心の持ち主。だが、きちんと少女らしい一面もあって。
ころころと変わる表情が可愛らしく、外面を取り繕って同じ顔で笑う他の令嬢たちよりも、段違いに魅力的だった。
(今日の着飾った姿も、とても美しくて、素敵だった)
数時間前に別れた彼女の姿を思い返して、無意識に口角が上がる。
彼女についてあれこれ考えていた思考は、公爵の咳払いによって引き戻される。
「理由が好奇心だけだというのなら――今後、娘には近づかないで頂きたい」
ユロメア公爵は、険しい表情でこちらを睨み付けてきた。
「貴方の今の立場で、娘に近づくのは危険です。中途半端なお心のまま、ただの好奇心で娘に近づけば、必ず貴方を嗅ぎつける者が出てくる。その時、傷つくのはジュリエッタなのです」
公爵の拒絶が、何を危惧してのことなのかは、よく理解できた。
「だから殿下――貴方が、レイナルド第一王子殿下として、正式にこの王室に戻ってくる覚悟がないのなら。もう、ジュリエッタには会わないで頂きたい。あの子の父として、お願い申し上げる」
再びぐっと、膝に額が付くほどに頭を下げてくる公爵の姿に、ジュリエッタがどれほど愛され、大切にされているのかがわかった。
「……そんなにもジュリエッタ嬢を愛していらっしゃるのなら、ヴォルシングが婚約破棄をしたことも、腹立たしかっただろうな」
「ええ。聖女様がいらっしゃったという以上、表立って抗議するわけには参りませんでしたがね。……殿下。娘は、ヴォルシング殿下との婚約破棄があってから、社交界でも心ない言葉を掛けられ、後ろ指を指されるような扱いを受けております」
「ああ。知っている」
「そんなあの子が、今度は第一王子と交流がある、などと……あの子がどんな目で見られるか、優秀な貴方様なら、お分かりになるはずだ」
「もちろんだ。だが、公爵――。僕のこの気持ちが、ただの好奇心ではなく、本気だとすれば、どうだ?」
「は――?」
途端、ユロメア公爵の目が、まん丸になる。
「殿下?本気、とは……」
「ジュリエッタ嬢を守れるだけの力が、僕にあれば。公爵は、僕がジュリエッタ嬢に本気になることも、許してくれるということかい?」
「え、それは……。それは、王室に戻られるということですか?」
まさか、と身を乗り出してくる公爵に、口元に人差し指を添えて、くすりと笑んで見せた。
「もしも、の話だよ」
(今まで、逃げているだけだった、僕だけど)
彼女を守りたいと、その傍に居たいと。いつの間にか、そんな風に考えるようになっていたのだ。
今日――暗殺者に追い詰められたジュリエッタを見た時、自分でも驚くほどの焦燥を感じた。
彼女を失うかもしれないことが怖かったし、彼女を手に掛けようとしている暗殺者に、感じたことのないほどの殺意が湧いた。
自分が傍にいたなら、こんな目に合わせたりしないのに――。
そう、強く想った。それがきっと、この心の答えだったのだ。
公爵に脅されて、簡単に「はいそうですか」などと、引き下がるわけにはいかない。
彼女に手を伸ばすことが出来るのなら――彼女という存在に、本気の想いを向けることが許されるなら。僕は、今まで目を背けてきた王子という立場に戻り、戦うことだってできると、そう思えた。
「弟は、あんな有様の聖女を御せず、器も小さく、王とするには頼りない。そうだろう?……もしも僕が、王子として城に戻り、ジュリエッタ嬢を全力で守ると誓えば――彼女に本気になることを許してもらえるかい?『義父上』?」
「な…………」
驚きに、口をぽかんと開けてたっぷり数分。固まったままだった公爵は、やがて、この夜一番の特大サイズの溜め息を吐き出して、頭を抱え俯いた。
「『義父上』は、まだ早いですぞ……殿下」
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