第23話


「お……おいリーエ。本当に行くのか?」


「ええ」


 ウォルターにエスコートされ、舞踏会の会場へと戻ってきた私は、人だかりの出来ている場所を睨み付けた。

 壁際に配置された、休憩用の長椅子。そこで貴族の令嬢や子息に囲まれ、楽しそうに笑っているアリサがいた。隣に座るロロは、これ以上ないほど嫌そうな顔で足を組み、アリサや周囲に話し掛けられたとしても、無視を決め込んでいるようだった。

 先程、庭園を出る前にレイから言われた言葉を心の中で思い出す。口元には、優雅な笑みを。


(大丈夫。どうせ私は悪役令嬢なのだもの。今更どんな振る舞いをしたって、これ以上評判が悪くなることはないわ)


 気乗りしなさそうなウォルターを連れて、アリサたちの席へと歩いて行く。私たちに気づいた会場の貴族達がさっと割れて、私とウォルターの前に道を作った。

 私たちに気づくと、ロロがぱっと表情を明るくする。

 その嬉しそうな顔に、先ほどまで凹んでいじけていた自分を腹立たしく思った。


(ロロにだけ、無理なんてさせない。私のことは、私がなんとかするのよ)


「随分と楽しそうね、アリサさん」


 目の前まで行って、そう声を掛ける。ぴたり、とおしゃべりをやめたアリサへ、にっこりと笑顔を見せつけた。


「もう気は済んだのかしら?ロロ、迎えに来たわよ」


「リーエ……」


 嬉しそうに席を立とうとしたロロの腕に、すかさずアリサが縋り付いた。先ほどまでの楽しそうな笑顔はどこへやら、うるうると目に涙をためて、上目遣いにこちらを見つめてくる。


「そんな……!私、まだ猫ちゃんと離れたくないの。もう少しくらい……」


「――みっともない真似はよして頂戴」


 ぴしゃり、アリサの言葉を遮ると、周囲がしん、と静まりかえった。視線が集まる中、コツ、と靴音を鳴らし1歩、前に出る。


「神獣を猫ちゃん呼ばわりなんて、デビュタントしたての令嬢ですらしませんわよ?」


「え……」


「それにね、ロロは今夜、私のパートナーとしてここに居ますの。貴女という人は、第二王子殿下のパートナーでありながら、殿下を放置した上、他人のパートナーを奪い、侍らせて、幼稚なわがままを言ってばかり。なんて放蕩な振る舞いなのかしら」


「ほ、ほう、とう……?ごめんなさい、私、ジュリエッタさんが何言っているのか、わからなくて……」


(この子、本気で言ってるの?)


 呆れかえる私の前で、アリサは祈るように胸元で両手を握り、ぽろりと一粒、真珠の涙をこぼした。天使のようなその姿は、うっかり騙されてしまいそうな程の聖女っぷりだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい!きっと私、ジュリエッタさんのご機嫌を損ねてしまったのね!この世界のお作法、まだよくわかっていなくて……失礼があったなら、謝るわ!」


「私に謝る必要なんてありません。それよりも、もっとしっかりと妃教育に励むべきではなくて?貴女がこの世界へ来て、もうどれだけの時間が経ったと思っているの?」


「それは……」


 びくっとわざとらしく怯えて見せたアリサに、取り巻きの令嬢達が庇うように身を寄せた。


「ジュリエッタさん!言い過ぎよ!」


「そうよ、アリサ様がこんなに謝っていらっしゃるのに……!」


(この子たち、いつもいつも、アリサを持ち上げてばかり。友人なら、咎めることだって大切なはずなのに)


「今、私はアリサさんと話しているの。貴女たちは黙っていて」


「う……」


 ちらりと一瞥して、冷たく言い放つ。アリサを庇う令嬢達は、階級的に公爵家よりも下の家門出身だ。それを再認識させるように睨み付ければ、令嬢たちは気圧されたように黙り込んだ。


「ロロ」


 静寂の中呼ぶと、今度こそ自由になったロロが、私の方へやってくる。すぐ傍まで来ると、腕を伸ばしてするりと私の腰を抱き寄せてきた。整ったその顔は、何とも嬉しそうだ。


「長く側を離れてしまって、すまなかった。リーエ」


 優しく髪を撫で、ロロはちゅ、と見せつけるように、私の額に口づけを落とす。

 その姿に、周囲から小さく声が上がった。


「遅くなってごめんなさい、ロロ。アリサさんとは、楽しく過ごせた?」


「残念ながら、これ以上ないほどつまらない時間だった。脅されたりしなければ、君の側を離れたりなんてしなかったのに」


 わざとらしく周囲に聞こえるように言ったロロの言葉に、一部の貴族達がヒソヒソと顔を寄せ合う。

 アリサが、涙の残る目でキッと睨みつけてきた。


「あなたたち……」


 きっと、あの脅し文句を続けようとしたのだろう。だが、ここまで人に囲まれていては流石に口には出せないと思ったのか。アリサは唇を噛んでこちらを睨みつけるだけだった。


「すまない、通してくれ。ここにアリサがいると聞いて……――。ああ、お前達だったのか」


 人垣を掻き分け、そこへ第二王子――ヴォルシングが現れた。彼は対峙する私とアリサの姿を見て、大きく溜息を吐く。


「アリサ、随分と探して――」


「ヴォルグさまぁ!!」


 途端、弾けるように立ち上がったアリサが、わっとヴォルグの胸へと飛び込んでいく。


「ヴォルグさま、私、よくわからないうちにジュリエッタさんを怒らせてしまって……!」


「……何があったんだ、ユロメア公爵令嬢」


 眉間に皺を寄せたヴォルグが、こちらへと困り顔を向ける。


(本当に、可哀想なほど苦労していそうね……)


 こんな女性が婚約者だなんて、心から同情してしまう。

 ヴォルグが私に尋ねたのが気に入らなかったのか、アリサはぐいぐいとヴォルグの礼装を引っ張り、声を上げた。折角の礼装に、ぐしゃりと皺が寄る。


「ヴォルグさま!私がね、猫ちゃんと――」


「アリサ、待つんだ。まずはユロメア公爵令嬢から話を聞きたい」


「どうして?!ヴォルグさまは、私の婚約者でしょう!私の話を聞いてくれますよね?」


「君の話も当然聞くが、まずは――」


「なら今聞いてください!ジュリエッタさんじゃなくて、私の話を……っ!」


 いつまでも続く言い合いに、私は大きな声で割り込んだ。


「第二王子殿下への礼儀作法がなっていないわね、アリサさん。婚約者を主張するのなら、もっとしっかりなさった方がよくてよ?」


「ユロメア公爵令嬢……。すまない、アリサが迷惑を掛けて」


 ヴォルグが、弱り切った様子で謝ってくる。

 彼とは、幼少期からの付き合いだ。次代の王と王妃になるため、共に学び育ってきた幼馴染み。長く一緒に居ただけあって、彼の些細な表情から、複雑な心境まで察してしまった気がして、何とも苦い気持ちが胸に広がった。


「やめて、ヴォルグさま!私じゃなくてね……!」


「茶番だな。行くぞリーエ。いつまでも付き合う必要はない」


 隣でずっと黙していたウォルターが、吐き捨てるように言う。逆隣に寄り添ったロロも、促すように私の背を押した。


「兄君の言うとおりだ。疲れただろう?帰ろうリーエ」


「……そうね」


 最後にヴォルグへと礼をして、凜とした笑顔を向けた。


「殿下。聖女様を妃にされるというのなら、もっとしっかりと教育された方がよろしいと思いますよ。未来の王妃がその調子では、私たち貴族も安心できません。――それでは、疲れましたので、今宵は失礼させて頂きますわね」


「……ああ」


 背中で聞いたヴォルグの返事は、疲れが滲んで暗かった。

 俺も帰るぞ!、と駆けてきたアルトも共に、ユロメア公爵家の3人の子供達と神獣が、連れだってホールを後にする。

 残されたのは、貴族達から白い目を向けられている聖女と、疲れ切った様子の第二王子――本日の、主役であるはずの人だった。




  

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