第20話
王宮は、夜の闇の中浮かび上がるようにして、光り輝いている。
そこへ集まる貴族達も、それぞれが煌びやかに着飾り、輝きの一部となっていた。彼らは楽しげに周囲と挨拶を交わしながら、大きく開かれた王宮の門へと次々吸い込まれていく。
「毎年のことながら、もの凄い気合いの入れようね」
そんな光景に、大きくため息を零した。
今夜は、第二王子ヴォルシング・アーヴェルトの誕生日を祝う盛大な舞踏会。国中の貴族が集まるこの行事は、毎年注目されている、社交シーズンの中で一番大きなパーティーだ。
「浮かない顔だな、リーエ」
隣でエスコートしてくれているロロが、不思議そうに首を傾げた。
「そう心配せずとも、君はここに集まったどの令嬢よりも美しいぞ」
「そういうことじゃないんだけど……お褒めの言葉ありがたく受け取るわ」
黒髪長身のこの神獣様は、今夜は人型で、私と揃いの生地で作った礼装に身を包んでいる。
濃い藍色の滑らかな生地には、小粒のダイヤや刺繍がキラキラと縫い止められ、上質さが窺える。彼と同じ生地の私のスカートは、揺れる度にまるで星の海が煌めくかのように光を反射していた。
シンプルなAラインに、ふわりと重ねたドレープが揺れるドレスは、オーダーする時からマーサに「少し地味すぎる」と言われていたが……。別に、目立ちに来たわけでもないし、構わないだろう。
(装飾品は最低限。ドレスも、リボンや何重にも広がるスカートは選ばなかった。……これで、何事もなく舞踏会を終えられるといいけど……)
「なぁリーエ。気分が乗らないなら、今からでも欠席したらどうだ?」
ロロとは反対側から掛けられた声に、ゆるゆると首を振る。
「冗談はよして、アルト兄様。ユロメア公爵家の人間として、欠席はできないわ」
「だが……」
礼装を纏い、いつも以上に美貌が際立つアルト兄様が、おろおろと手を彷徨わせる。屋敷を出るときから、ずっとこんな調子だった。
「アルト兄様。私を心配してくださっているのはわかりますが、本当に大丈夫ですから。少し顔を出したら、すぐに帰ります」
「そうか?……もしも何かあったら、俺かウォルターにいうんだぞ!あいつは今日、会場内の警備をしてるはずだから。それから、神獣殿とははぐれないように――」
「はいはい。わかりました。わかりましたからほら、私たちも行きましょう」
「リーエ!俺は、お前を心配してだな……!」
くどくど注意を繰り返すアルト兄様を連れて、会場へと入る。彼も他貴族の前ではいつもの優秀な顔を取り戻し、貴族の男性たちと政治について何やら話しはじめていた。
基本は仕事人間の、優秀な人なのだ。こういった場では、アルト兄様へ挨拶に来る人が絶えないのだ。
グラスをひとつ手に取って、楽しげな人々の間を縫い……私たちは、柱の陰に居場所を見つけた。
「ふう……」
(予想はしていたけれど……ここまであからさまとはね)
入場をしてからずっと、私に向けられる視線。好奇心やら、侮蔑やら……あまりにも見られすぎて、全身に穴が空きそうだ。
「……ふむ」
ロロは会場内を見回しつつ、やや不機嫌そうに言った。
「リーエ。彼らはどうして、あんな視線を君に向けているんだ?神獣使いなのだから、敬われることはあっても、あんな不躾な視線を向けられているのは理解できない」
「貴族なんてものは、そんなものですよ……と、言いたいところですが。今回に関しては、恐らくあの子のせいだと思いますよ」
「あの子というと……あれか?」
ロロが微かに顎で示したのは、少し離れた場所で一際大きなざわめきに囲まれた、アリサだった。
「そう、あれです。私が彼女の神獣を奪い取ったと、大袈裟に吹聴して回っていたそうですから。皆さん、私のことを<聖女を侮辱した悪女>――とでも思っていらっしゃるのでしょう」
(周囲にどう思われようと、私は構わないけれどね)
くい、とグラスを煽ると、爽やかな柑橘の果実水が小さな苛立ちを鎮めてくれる。だが、私の神獣様は、変わらず面白くなさそうな顔を続けていた。
「どうして皆、あの女の言葉を聞く?」
「聖女だからに決まってるじゃないですか。この国で聖女という存在がどれほど貴重なものなのか、ロロもわかるでしょう?」
「それはまぁ、そうだが――」
こんな柱の陰に隠れていても、意識すれば周囲のひそひそ話が聞こえてくる。
「ねぇほら、あそこ。ユロメアの悪女だわ」
「一緒にいらっしゃる方、なんて美しいのかしら……え?!あれが神獣様なの?」
「聖女様と神獣様の仲を引き裂いたんでしょう?ジュリエッタ様ったら、よほどヴォルシング殿下を横取りされたこと、根に持ってるのね」
「可哀想な神獣様。きっと騙されてるのよ」
(ユロメアの悪女、ですって。すっかり悪役令嬢呼ばわりが浸透しちゃってるわね)
頭を振って、雑念を追い払う。するとロロが、何を思ったのかぽん、と私の頭を撫でた。
「ロロ?」
「ここは心ない言葉ばかりで心地が悪いが……気にするなよ、リーエ。アルト殿が言っていたように、すぐ帰ればいいだろう?」
「ありがとう。そうね。陛下の挨拶を聞いたら、すぐに帰りましょう」
幸いというか、その後すぐに国王陛下の挨拶があり、好奇な視線に晒されるのは最小限で済んだ。
しかし、そそくさと会場を出ようとした私たちの背中に、その声は容赦なく突き刺さってきたのだ。
「いたっ!私の猫ちゃん!」
鈴の鳴るような可憐な声は、こんなホールでも透き通るようによく響く。
振り返れば、一番聞きたくなかった声の主が、ふりふりの鮮やかな赤のドレスを揺らし、こちらへ駆けてくるところだった。
「会いたかった、私の猫ちゃん!今夜もとっても素敵ね!」
豪奢な飾りが沢山つけられたドレスは、揺れる度にしゃらしゃらと音を鳴らす。大きく露出した胸元には、これでもかというような大きさの宝石が重たげに輝いていた。
……やはり今日も、聖女とは言い難い、派手すぎる姿だ。
そんな彼女は、駆けてきた勢いのまま、ロロの腕に抱きつこうとして――ぎろり、とロロに睨まれ、足を止めた。
「気安く触るな」
「そんな……!酷いわ、そんなこと言うなんて!あ!もしかして、ジュリエッタさんにそうしろって言われているの?」
アリサが悲しげに目を潤ませると、周囲がざわりと声を上げた。
「まぁ!なんて酷い……」
「ユロメアの悪女め、聖女様を悲しませるなんて……」
周囲の声に、ロロが目元を険しくした。
「俺の主……神獣使いには、敬意を持って接するべきではないのか?聖女ともあろう者が、人前でリーエを侮辱するなんて……」
途端に、すっとアリサの顔から感情が抜け落ちた。
「――だから何?」
一瞬で纏う雰囲気を変えた彼女は、私とロロにだけ聞こえる小さな声で、淡々と吐き捨てた。
「たかが神獣が、聖女のすることに逆らって良いと思ってるの?」
「な……!」
絶句するロロに、ずいっと身を乗り出し、アリサは口の端をつり上げる。
「神獣は、聖女の所有物でしょ?でしゃばらないで。……貴方がそんなに反抗的だと私、うっかり貴方のご主人様を、悪者にしちゃうかもしれないわよ?」
つい、と周囲の貴族に目線を流し、アリサは私の肩へと手を伸ばした。
「わかるでしょ?皆、私の言葉を信じるの。その気になったら、こんな女ひとり、この国から追い出してやることだって、簡単なんだからね」
アリサの手が私の身体に届く前に、ロロの手に握り止められる。するとアリサは大袈裟に喜んで、今度こそ、その腕へと抱きついた。
「え?猫ちゃんも、私に会いたかったの?アリサ、嬉しい!」
「おい……!」
「――主を守りたいのなら、今は私に合わせなさい。じゃなきゃ、わかるわよね?」
(この子……!私を使ってロロを脅すなんて!)
アリサの言葉に、ロロはちらりと私を見ると――。
「……はぁ。わかった」
私が何かを言う前に、険しい顔をしたまま、そう返事をしたのだった。
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