第21話
「ちょっと!ロロ……っ!」
(どうしてそんな脅しに乗るの!)
思わず上げた声は、ロロの手に口を塞がれ止められる。彼は、優しい瞳でこちらを見つめていた。
「俺の主はリーエだけだから、安心しろ。少しだけ、この女の話を聞いてくる。リーエは兄君と待っていてくれ」
「でも!」
「ジュリエッタさんお願い!返して、なんてもう言わないから……ちょっとだけ、一緒に踊ったり、お話ししたいだけなの!お願い……!」
また大袈裟な態度で、アリサが目に涙を浮かべ、がばりと頭を下げた。
「聖女様に頭を下げさせるなんて」
「余程アリサ様が憎いのか……」
その様子に、周囲の貴族まで、こちらに聞こえるような声量で悪口を囁き始めた。
ロロは、不機嫌な顔でアリサが縋り付いている腕をぐいと引く。
「もういいだろう。話なら聞いてやるから、リーエを貶めるような真似はするな」
「はいはい。……じゃあ猫ちゃん!あっちで一曲踊りましょう!私、ちょっと下手なんだけど……いいよね?」
アリサを伴って、ロロがダンスフロアへと歩いて行く。
踊り始めたふたりを、周囲の貴族達は口々にお似合いだなんだと褒めそやした。
(ロロ……私が悪く言われないように、守ってくれたんだよね)
そう、頭ではわかっていても、ふたりが踊り、周囲に注目されるその場に居続けるには、口の中が苦すぎた。
「全く。ウォルター兄様ったら、どこにも見当たらないんだから……」
居心地が悪すぎて、一旦会場を離れようと思ったのだが、警備をしているはずのウォルターを見つけられなかった。アルトも貴族達と交渉中のようで、結局ひとり、会場を出てきてしまった。
招待客に解放された中庭は、微かにホールのざわめきと音楽が聞こえる中、ちらほらと見える数人が、人目を避け過ごしているようだ。
(……ここなら、静かに過ごせそう)
やっと一息ついて、美しく整えられた花の庭園をゆっくり散歩することにした。今日の装いならば、散歩も苦にならない。シンプルなドレスを選んだのが、こんな所で役に立つなんて思いもしかなった。
アルトには、ひとりになるな、と言われていたが……警戒するべきアリサはロロと一緒なのだし、こんな王宮の敷地内では、危ないこともないだろう。
(ちょっと男性に絡まれるくらいなら、護身術でなんとかなるし)
澄んだ夜の空気を胸いっぱいに吸い込むと、嗅ぎ慣れた花の香りを感じた。視線を巡らせた先にあったのは、聖女の薔薇――ローザリアだった。
月明かりを集めて、真っ白に輝く肉厚の花びら。大輪の薔薇は、夜の中でも凜と輝きを放っていた。
「綺麗ね……」
そっと指先で花弁をつつくと、清廉で爽やかな香りがふわっと濃く香る。
この花が象徴する聖女……黒髪の少女のことを思い出して、少し眉間に皺が寄ってしまった。
(ロロも、あんな脅しまがいの言葉に、従うことないのに……)
わかっている。彼が、私を守るために仕方なく、アリサと過ごしていること。
わかってはいるけれど……こんな風に、守られるしかない己の立場を、とても悔しく思った。
(私なんて、何を言われても構わないのに。……ロロが嫌な思い、してないといいな)
溜め息を吐きながら見つめたローザリアに、ふと影が差した。
雲が出てきたのかしら?、そう呑気なことを考えて、背後の空を振り仰ぐと――。
そこには、剣を振り上げた黒いローブの男が。
今にも振り下ろされそうな剣先が、月明かりを反射して鈍色に輝く。
こちらを見下ろす目は、殺気に満ちていた。
ぞわりと総毛立つ感覚。一瞬のその出来事に、咄嗟にその場でしゃがみ込んだ。
頭上で、ひゅっと剣が風を切る音。ぽとり、と落ちてきたのは、無残に切り裂かれたローザリアの花だった。
(――逃げなきゃ!)
転がるようにして、駆けだした。
ドレスの裾をたくし上げ、静かな庭園を走り抜ける。黒いローブの男が追ってきているのが、背中にひりひりと感じられた。
迷路のようになっている生け垣を利用して、何とか逃げ回り続けるが……夜会用のヒールでは、どうしても走り続けるのに限界がある。
「あ!」
曲がった先が行き止まりになっていて、私は息を切らしながら振り返った。
「――光の盾!」
振り返りながら、両腕を追跡者へと突き出す。向けた手の平に、聖属性魔法の盾を発動すると、びりびりと両腕が痺れる程の感覚が襲ってきた。
「クソッ」
焦れたような男の悪態。続けざまにガン!ガン!と剣を振るわれて、両腕が痛んだ。
(これ以上は――)
刃を防ぐことはできても、力では勝てるわけがない。
思い切り振り切るように殴りつけられて、とうとう盾を維持できなくなってしまった。
衝撃を殺しきれず、地面に倒れ込む私へ、剣が振り下ろされる。
「ここで死んでもらう!」
迫り来る冷たい鈍色に、私はぎゅっと目を閉じて――。
――キィン!
高く澄んだ金属音が、夜空へと響き渡るのを聞いた。
「誰だ!」
ローブの男の焦った声に、目を開く。
視界いっぱいを覆うように閃いたのは、真っ白なマントだった。
白い夜会服姿の男性が、私を庇うように目の前に立っている。その手には、先程ローブの男の剣を弾いたのだろう、白銀に輝く剣が握られていた。
月が雲に隠れ、薄闇が中庭を包み込む。
そんな中でも、白い紳士の括られた髪は、さらりとプラチナブロンドの輝きを放っていた。
しかし、黒いローブの男を前にして、白い紳士はひゅっと剣を回し、その刃を鞘に収めてしまう。
再びこちらへと、剣を振るおうとする襲撃者。紳士は、動じることなく口を開いた。
「ミオ」
「はい」
紳士の静かな呼び声に、頭上から新たな人影が降ってくる。猫のようにすとん、と音も立てずに、その人影は危なげなく着地した。
「任せる」
「承知しました」
短いやりとりの後、ミオと呼ばれた小さな人影が立ち上がり、すぐさま黒いローブへと襲いかかっていった。
子供とも言える小柄な人影が、大きな風切り音を鳴らし振り上げたのは、その身の丈以上の大きさがありそうな大剣。
自身よりも大きなそれを、いとも簡単に振り上げ、振り回すミオに、襲撃者は力負けして数歩下がった。
「くそ!こんなの聞いていない……!」
黒いローブの男は、小柄な影と数回打ち合うと、身を翻して逃げていく。
「ミオ」
「はい」
再度、白い紳士に名を呼ばれると、小柄な影はそのまま、黒いローブを追ってどこかへ駆けていってしまった。
取り残された私は、目の前の白い紳士の背中を見上げる。
助けてもらったこと、突然襲われた恐怖……沢山のことに驚いて、動悸が酷い中。
(そんな……まさか、よね?)
ある疑問が頭の中を巡り続けていて、私は転んだままの姿勢で固まっていた。
白い紳士が、こちらを振り返る。
雲が晴れて、月光を梳かすように、見事なプラチナブロンドの輝きが風に触れた。
目元には、白い陶器のようなもので出来た仮面を着けている。
彼は静かに膝をつくと、私へと手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?立てますか?」
こちらを気に掛けるその声に、心の中にあったまさか、が、やっぱり、へと形を変える。
「……ええ、大丈夫です」
返事をして、彼の手を握る。助けられながら立ち上がった私は――そのまま、放されそうになる彼の手を、逃がしてなるものか、と更に力を込めて握りしめた。
「え」
戸惑う彼の手を、ぐっと引き寄せ身を乗り出す。
「助けてくれて、本当にありがとうございます紳士様。でも――」
「どうしてここに、貴方がいるのかしら?教えてくれるわよね?――レイ?」
もう片方の手で、彼の仮面を剥ぎ取る。
「あー……うん。やっぱり、わかっちゃうよね?」
キラキラしたオーラを隠せない、整った顔立ち。
仮面を外したその青年は、久しぶりながら見慣れた人物で。
困ったように細められた緑色の目が、こちらを見つめていた。
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