第12話


 使者の青年はぴっと立ち上がると、胸元に拳を当てる神殿騎士特有の敬礼をしてみせた。

 来ている制服も、ちょっとよれっとして砂埃で汚れているが、きちんとした神殿騎士のものに見える。


「自分は、ローエングリン神殿の神殿騎士でパーシーって言うッス。この度、公爵令嬢への手紙を任され、お邪魔しておりますッス……あ、おりま、す」


「自己紹介をありがとうございます。……どうぞ、楽になさって。お掛けになってください」


「失礼しますッス」


(……また語尾が戻っちゃってる)


 テーブルを挟んで対面の椅子に腰掛けながら、そっと彼の様子を窺った。

 人なつこいグレーの瞳がきらりと光り、元気なツンツンした栗色の髪が、いささかやんちゃそうなイメージを生んでいる。……なんだかもう、これは犬みたいな人だ。

 さっき立ち上がったときは、ロロほどではないけど高身長に見えた……が、こうして座ってみると、元気な子犬そのものにしか見えなくなってくるのだから不思議だ。

 ロロが、人間姿のままで私の背後に立ち、椅子の背にぎし、と両手をついていた。

 客人に対して失礼……と思ったのと同時、彼が神獣であることを思い出して、まあいいか、と思い直す。

 恐らく、目の前の彼も、ロロが噂の神獣だと気づいているだろう。

 私はそっと、テーブルの上を滑らせるようにして書いたばかりの手紙を差し出した。


「お待たせしました。こちら、頂いたお手紙のお返事です。お願いできますでしょうか?」


「勿論ッス。本当にありがとうございます。返事がなかったら俺、帰れなかったッス」


 パーシーはそう言って、手紙を壊れ物のように書簡入れに挟むと、上着の内ポケットに仕舞いこんで席を立った。


「長居してしまって、本当にすみませんでした。おもてなしに感謝ッス」


「あら、もう行かれるのですか?」


 見たところ、制服の汚れかたからしても、ひとり馬を駆ってきたのだろうと思う。

 ローエングリン神殿からこの屋敷まで、それほど遠くはないとしても、片道2時間ほどは掛かるだろう。

 他の貴族の伝令たちも、多少届け先の屋敷で休ませてもらってから帰路につくのが普通だと思うのだが……。

 戸惑う私に、彼はちょっと疲れたようにえへへ、と笑った。


「お気遣い、痛み入るッス。でも俺、すぐに令嬢のお返事を持ち帰らないといけなくて。慌ただしくて申し訳ないッスけど、失礼させてもらうッス」


「そう。わかったわ。お気を付けて」


 椅子から立って、今にも部屋を辞そうとしているパーシーに、そう声を掛けた。

 すると何故か、彼は一瞬目をまん丸にして……それから、にぱっと眩しい笑顔で頷いた。


「はい!ありがとうございますッス!」






 ――そして翌日。

 朝食を済ませてすぐに、私は馬車で屋敷を出発した。

 ずっと屋敷に籠もりっぱなしだったから、カラカラと馬車の車輪が、砂利道を進む音を聞くのは久方ぶりだ。

 大型の魔道具技術が発達しているこの国では、馬車の振動はほとんど感じることがない。乗り心地も快適で、長時間乗っていても疲れないのだから、技術者の人たちには感謝しかない。

 おでかけに機嫌の良さそうなロロを隣に、窓から差し込む温かな日差しを浴びる。ほんの少しうとうとしていれば……馬車の外は、すっかり生い茂る木々でいっぱいになっていた。

 王都とローエングリンを繋ぐ道は綺麗に整備されていて、森の中ではあるけれど、馬車が2台、余裕ですれ違える程の道幅がある。騎士も巡回しているし、歩いて移動する商人や国民もいる、とても安全な道だ。


「リーエ。眠ければ俺に寄りかかってくれていいのだぞ」


「うーん、それはさすがに……」


 とても有り難い申し出だが、貴族の令嬢として、男性にもたれかかって寝るなんていうのはちょっと……抵抗がある。


(だめね。これから神殿にいくのだから。しっかりしないと)


 少しだけ伸びをして、馬車の窓を覗き込む。

 森の木々がひらけた先に、美しい白い建物の数々と、壮大な神殿の姿が見え始めていた。

 ――王都に次いで、国内でも大きな都市、ローエングリン。

 森の中に存在するその都市は、中央に巨大な白亜の神殿がそびえ立っている。

 王国内最古の建築物などと言われているその神殿は、まるで都市の城であるかのように荘厳に、巨大な敷地を抱いて鎮座している。

 ロザリンデ教の一番大規模な神殿として、神官になりたての者、老いて神官の任を退いた者、はたまた、訳ありで身を寄せる者など、多くの人を管理する場所として機能しているのだそうだ。

 勿論、神官だけでなく神殿騎士たちも、新兵は一度この神殿で訓練を受ける決まりになっているようで、神殿の敷地内にそういった訓練場まで備わっているらしい。

 ……というのも全部、出発前に兄様たちから聞いた内容だけれど。

 私自身は、大きなお祭りや王家の祭事に出席するときに何度か、訪れたきりだ。

 普通に王都に住んでいる貴族からすると、王都にあるロザリンデ主教会で大抵の用事が済んでしまうため、わざわざこちらの神殿まで赴くような真似はしない。だから私も、全然縁のない場所なのだ。

 馬車が都市の門を過ぎ、街中へ入っていくと、眠気なんて吹っ飛んでいって、窓の外に視線が釘付けになった。

 建物も道も、白い石を敷き詰め、積み上げ作り上げられているこの街は、対して日よけや飾りの為に、色鮮やかな布を使う。清廉さや統一感があるようでいて、商人たちや住人によって活気づいた街は、王都とはまた違った華やかさがあった。


「お嬢様、そろそろ到着いたします」


 ついてきてくれたマーサが、そう声を掛けてくれた。

 馬車はやがて、美しい銀で出来た大門を通りすぎ、いよいよ神殿の敷地へと入っていく。

 敷地内に入った途端、目に入る色は建物の白と、飾りや日よけの鮮やかなグリーン、その2色のみに変わった。どうやら、様々な色布を使うのは市街だけのようだ。

 訓練をしているらしい騎士たちや、神官たちを沢山追い越して――馬車が停まる。

 立ち上がろうとしたのをやんわりとロロに止められ、何事かと思っていれば、紳士らしく先に馬車を降りたロロが、手を差し出してくれた。


「足下に気をつけるんだぞ」


「ありがとう」


(神獣様にエスコートしてもらうなんて、普通なら信じられないわよね。……まぁ、悲しいことに私は、もう慣れてきちゃったけど)


 ロロの好意に感謝しながらその手を借りて、馬車から降りる。神殿に行くから、とマーサが用意してくれた、装飾の少ないシンプルな紺のワンピースがふわりと揺れた。


「では、私どもはお待ちしておりますので。お気を付けてくださいませ、お嬢様」


「ええ。行ってくるわ」


 マーサが一礼して、私たちを送り出してくれる。


「行こう」


 そう言って、ロロが差し出してくれた腕に、そっと手を乗せた。

 その場から、巨大な神殿を見上げる。……それは、本殿と呼ばれている一番大きな建築物だ。首が痛くなりそうな程天高くそびえる三角形の屋根を、何本もの太く大きな柱が支えている。床にまで使われている真っ白な石は磨き抜かれ、鏡のように反射していた。

 横幅がとんでもなく広い階段を上って、正面の玄関を目指す。

 ようやく登り切った階段の先、木製の古めかしい扉の前には、守衛を務める神殿騎士がふたり立っていた。


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