第10話
窓から差し込む、きらきらとした陽の光。ふわりとカーテンを揺らす風が、頬を撫でて通り過ぎていく。 マーサの淹れてくれた紅茶も、格別の香りだ。
まさに完璧な朝の風景――の、筈だったのだが。
「……ふむ。とても美味しいな」
陽の光がきらきらと反射する、さらりと揺れる黒髪。長い足を持て余すように組んで椅子に座る姿は、社交界の令嬢たちが悲鳴を上げそうなほど様になっている。すうっと切れ長の、女性が嫉妬するような長いまつげに縁取られた目は、煌めく深く青いサファイアがはめ込まれているよう。
一見、人形か何かかと目を疑うほど美しい男性は、優雅にティーカップを傾ける。……私の隣で。
(いや……本当に慣れないわ。詐欺よ、詐欺だわ……)
じとりとした目で見られていても全く意に介さず、新聞をばさりと広げた彼は、「ほう……?」といたずらっぽく瞳を輝かせた。
「リーエ。ほら、ここの記事を見てみろ。――『王国全土を包む黄金の光、女神ロザリンデ様の祝福』だそうだ」
「……はぁ」
「俺たちのことも書かれているぞ。ほら、ここだ――『女神からの祝福、聖女に続き、神獣と契約した公爵令嬢が現れた』。有名人だな、リーエ」
「……あの。ロロ?」
「ん?なんだ?」
あまりにも人に馴染みすぎている神獣様に声を掛ける……と、美青年はこてん、と首を傾げた。
そう――この、私の横で寛ぎまくっているイケメンこそが、『あの』神獣ロロなのだ。
「……いえ。なんでもありませんわ」
「そうか」
不思議そうな顔をしながらも、興味深そうに新聞に視線を戻すロロの姿に、私は再び小さく溜め息を吐いた。
新聞でも大きく取り上げられているらしい、王城へと呼ばれたあの日。
まばゆい光の中、私がロロと契約を結ぶと……光が収まった後にその場に立っていたのは、人間の姿になったロロだったのだ。
契約して完全な成獣となったロロは、神聖力を使うことができるようになった。
契約者である私と一緒にいるのに、この人の姿のほうが楽だ――とのことで、すぐに変化をしたらしい。
謁見の間にいた国王陛下や大臣たちは、目の前で起きた神獣の奇跡に、ある者は言葉をなくし、ある者は床に座り込んで祈り……と、結構な騒ぎになったのだ。
あの日から3日が経ったが、国中が神獣と契約した私を『神獣使い』として話題の中心にし、大いに盛り上がっているようだ。
当の私はといえば……もう、外出もろくにできなくて参ってしまう。
「屋敷の前には連日、取材だとか神獣使いに会いたいとかで人だかりが出来ているし……はぁ」
「なんだ?あんなにも歓迎されているというのに、リーエは嬉しくないのか?」
ロロの意外だ、とでもいうような声音に、私は大きく肩を竦めてみせた。
「嬉しいわけないでしょう。私が婚約破棄した時もこんな感じでしたし……みんな、面白がってるだけなのよ。私は見世物になる気はありません」
「ふむ。リーエは謙虚なのだな。名声には興味がない、か」
「名声だなんて、そんなもの……厄介なだけではないですか。それに、すごいのは神獣であるロロであって、私は唯の公爵令嬢ですもの」
「リーエくらいの年頃の娘ならば、こうもちやほやされれば喜ぶものだと思うが……。うむ、こう落ち着いてくれていたほうが、俺も安心できる。やはり、俺の目に狂いはなかったな」
うむうむ、とひとり納得して満足そうにしているロロに苦笑する。
「神獣様にご満足頂けているなら、よかったですわ」
聖女ではなく私と契約したことを、今になって後悔されるより、どんな理由であれ満足してもらえるなら、そのほうが良い。
はじめのうちは、こんな美丈夫がロロだなんて、しかもずっと一緒に過ごすだなんて緊張どころの話ではなかったけれど、この3日でだいぶ慣れてきた。
たまに猫――といっても、成獣となった今は大きな黒豹のような姿――にもなるロロ。いい加減、屋敷の使用人や家族も驚かなくなってきたし、こんな新しい日常も、それほど悪いものとは思っていなかった。
「さて、と……今日は何をして過ごそうかしら?」
窓の外に見える青空は、気持ちの良い色をしていた。
――一方その頃。
王城の豪華な一室では、黒髪の少女がしょんぼりと座っていた。
「聖女様……お食事は、きちんと摂りませんと」
「そうですわ。お身体が弱ってしまいます」
専属の侍女たちが口々に少女――アリサを気遣い、声を掛ける。
しかし、当のアリサは俯いたまま、静かに頭を振った。
「ごめんなさい。食欲がなくて……」
「聖女様……」
「悪いけど、少しだけひとりにしてもらえる?」
「……かしこまりました」
侍女たちは、渋々といった体で頭を下げると、食事を片付け紅茶とお菓子を置いて、部屋から出て行った。
ぱたん、と静かに扉が閉まってから、数秒。
「……っはぁ~~~」
アリサは特大の溜め息を吐いて、部屋の隅にあるベッドへと飛び乗った。
「もー……。ほんっとやんなっちゃう!」
ぼすっと枕を殴って、大きな目をつり上げる。
「どうしてあんな……!神獣があんなぼろっぼろの猫だなんて、誰も思わないじゃない!」
ぼす、ぼす、と何度か枕を殴るけれど、やっぱり気が収まらなかった。
(私だって、あの猫が私のための神獣だっていうなら、頑張って助けたのに。……まぁ、私が嘘吐いたってこと、なんでか黙ってくれてたのはよかったけど)
本当にあの時は危なかった。まさかあの猫がしゃべれるなんて思っていなかったから……私が猫を奪われたって主張したことが、嘘だってばれなくて本当によかった。
(国王とかヴォルグ様とか……悪く思われたくないもの)
ごろり、と寝返りを打てば、豪奢な天蓋と、掛けられた美しい布が視界に入る。
肌触りの良い美しいドレス。広くて豪華な部屋に、なんでもお世話してくれる専属の侍女。美味しい食事。
――私は聖女。聖女アリサ。
この王国を繁栄に導くとされて、大切に大切にされるべきだという聖女だ。
(……あの神獣、かっこよかったな)
あの場で契約とやらをしたジュリエッタと神獣。
光が収まったあの場に立っていたのは、とても美しい黒髪長身の男性だった。
後から大神官に聞いた話だけど、神獣というのは、人の姿で契約者の側にいることが多いらしい。
(あんなにかっこいい人が、ずーっと一緒にいてくれるなんて……うう、悔しい)
あれは、私のためのモノだったのに。
もやりと胸の内に広がる嫌な感情が気持ち悪い。
(やだやだ。私の神獣盗られちゃうなんて、許せない。ほんっと、あの人キライ)
今日もヴォルグは、会いに来てくれるだろうか。最近、仕事が忙しいとかであまり会える時間が多くないのが残念だ。
(今日来てくれたら、新しいドレスとアクセサリーでも買ってもらおう。……あー暇すぎる……)
ごろごろ、ごろごろと広すぎるベッドで転がりながら、アリサは枕を放り投げたのだった。
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