第9話


 決して大きくはないその声に、謁見の間は水を打ったように静かになった。

 声の主が、ひらりと私の肩から床へと降り立つ。


「あ……貴方は、」


「聞こえなかったか?下がれ、と言ったんだ」


 あれほどまでに勢いよく詰め寄っていた大神官が、再び発せられたロロの声に、一歩後退った。

 すい、とお父様が立ち位置を戻すと、代わりに私の正面に立ったロロは、その小さい身体で堂々と、玉座を仰いだ。


(こんなに小さな身体に、こんなにも多くの大人が気圧されるなんて……)


 改めて、ロロが神獣なんだということを実感する。

 そのまま固まったように沈黙してしまった大神官に代わり、静寂を破ったのは国王陛下だった。


「先ほどの声は、貴方か」


 静かな問いかけに、ロロは小さく頷く。


「左様。俺の名は、ローエンマイン・ロジェルティア・アルファレア。お前たちが先ほどから話題にしている、神獣だ」


 ロロの言葉に、遠巻きにしている大臣たちがざわり、とさざめいた。

 国王陛下は、ふむ、と頷いて、席を立つとロロに向かって小さく頭を下げた。周囲の人々も、次々とそれに倣い、一礼する。


「神獣ローエンマイン殿。まずはこの、アーヴェルト王国の国王として、挨拶をさせて頂きたい」


「ああ。よろしく頼む」


 私はといえば、ロロのすぐ後ろで礼をとりながら、内心ハラハラしていた。

 神獣は王族と並ぶ権威を持つ――それは理解しているが、ロロの国王への物言いが、どこまで許されるものだかわからないからだ。

 幸い、国王陛下はロロの物言いに気を悪くはしていないようで、再び玉座に座り直した後も、柔らかな空気を纏ったままだった。


「それで……神獣殿。貴殿が此度、神託にあった神獣ということで、間違いないのだろうか?」


「ああそうだ。俺は、そこの聖女のために、ロザリンデから遣わされた」


 再び、ざわりと大臣たちが言葉を交わす。

 一度は沈黙した大神官が、ぱっと表情を明るくして、何かを言おうと口を開いた――が。


「――そう、俺は聖女のためと遣わされた神獣だ。だがな」


 大神官を睨み付け、そう続けたロロの言葉の強さに、阻まれた。


「俺は、そこの聖女ではなく……ここにいる、リーエと契約すると決めた」


「な、なな、何を……!!」


 悲鳴のような声を上げたのは、大神官だった。

 先ほどまでより大きくどよめいた大臣たち以上に、飛び上がるほどに動揺した大神官は、駆け寄るようにロロの前まで来るとどさり、とその場に座をついた。

 その勢いに、私は思わず後退ってしまう……が、ロロはその場から動かないままだ。


「し、神獣様……!な、なぜ、そんな!聖女様の守護について頂くのが、歴史の常では……!」


「歴史などということは知るか。俺は、俺の目で見て決めたのだ」


「そんな、そのようなことがあるはずが……!神獣様は、女神様より聖女のためと遣わされたのでは……」


「ああそうだ。だが、俺が誰と契約するのかは、俺自身の意思が優先される。それは女神も承知している」


「そ、そそそんな……!」


「そもそも、これまでだって神獣が聖女ではないものと契約することは、あったはずだ。そうだろう、国王よ」


 ロロが大神官の頭上越しに声を掛けると、玉座の国王陛下は静かに頷いた。


「……確かに、神獣殿の言う通りだ。王国の歴史上、聖女以外と契約した神獣の記録も、いくつか残っている」


「ですが!そんな……聖女様がいらっしゃったばかりだというのに、そんな!」


 頭を抱え、床の上で悶える大神官は、子猫姿のロロに縋らんばかりの勢いで喚き続けている。

 困ったように顔を見合わせた国王陛下と女王陛下だったが、やがて女王陛下が頷くと、国王陛下も心を決めたようだった。


「神獣殿。重ねての問いとなって申し訳ないが……貴殿は、我が国の聖女アリサとは契約しない、という考えなのだな?それは、変わらないのだろうか?」


「お前たちに都合が悪いのならば、申し訳ない。だがもう、俺はリーエ以外とは契約しないと決めたのだ」


「なるほど。であれば、仕方ありませんな」


「へ、陛下!」


 うずくまっていた大神官が、裏返った声を上げて玉座を振り返る。

 しかし国王は、それに頭を振って応えると、優しい瞳をこちらへと向けた。


「わしは、ジュリエッタ令嬢の実の親ではないがな。その子がどれほど優しく、優秀な令嬢であるかは、よくわかっているはずだ。幼い頃から、見てきたからな」


「陛下……」


「神獣殿がジュリエッタ令嬢を選ぶというのならば、それもよいとわしは思う」


「陛下!!」


 温かな国王陛下の言葉に、じんと胸が温かくなる。

 しかし、大神官は立ち上がると、今度は聖女アリサの元へと駆けていき、その椅子の背を握りしめて必死で叫んだ。


「陛下、どうかお考え直しを……!聖女様には、神獣様が必要なのです!アリサ様、貴女も何かお言葉を……!」


 大神官に言われて、顔を上げた聖女アリサは、目を赤くしてこちらを見た。黒くて大きな瞳は潤み、切なげな表情でロロの方を見つめる。


「私の、猫ちゃん……」


「…………」


「あの、私……聖女としては未熟で。猫ちゃん……神獣様が、いてくれたらって」


 慰めるように寄り添ったヴォルシングの手を握りながら、アリサがロロに声を掛ける。……しかし。


「……悪いが、お前とは契約しない」


 ロロは、そんなアリサにきっぱりと、そう言った。

 途端、わああんと再び泣き出すアリサ。

 大神官とヴォルシングが必死に宥めに掛かるのを見て、国王は溜め息を吐いた。


「それが神獣殿の決定ならば、わしは構わん。他の誰も、反対する者はいないだろう。……それで、ジュリエッタ令嬢。もう契約は済ませたのか?」


「えっと、その……契約はまだです」


 国王陛下からの問いに、戸惑いながら答えた。


(陛下が認めると言ってくれる前に契約なんて、そんな危ないことできるわけないじゃない……)


 国王は、私の考えていることがわかっているのだろう。

 ほんの少し苦笑しながら、頷いてくれた。


「そうか。もしよければ、この場で契約を済ませてしまうといい。心ない噂が広がるより、大勢の証人がいたほうが良いだろう」


「うむ、それは良い考えだ」


 国王陛下の言葉に相づちを打ったのは、私ではなくロロだった。


「ロロ……」


「リーエ、契約をしよう」


 ひょいと飛びついてきたロロを、反射で抱き留める。

 美しい宝石のような青い瞳が、至近距離でこちらを見つめてくる。


「汝、ジュリエッタ・ユロメアを、我が契約者とする」


 低く心地良いロロの声が響くと、ふわりと金色の光が、その小さな身体から溢れだし始めた。どこか温かい――優しい光が、私の身体にも染みこんでくる。


「――リーエ。応えを」


 ――金色の光を吸収して、反射して。ロロの青い瞳が、幻想的に煌めいて。

 目を離せないほどの美しさに、見惚れてしまう。


「……はい」


(もう、後戻りなんてできない――)


 そう、覚悟を持って一言、返事をした。






 その日の朝。

 アーヴェルト王国に住む国民たちは、王都の方向の空に、まばゆいほどの金色の光を目撃した。


 「王国の端にまで届くほどの美しい光は、ロザリンデ様の祝福だ」――と。


 国民の誰もが、その光に祈りを捧げたのだという。

 その光は勿論、王都のすぐ隣に位置する、森の中の都市――そこにある、古い神殿の一室からも見えていて。


「――あれは……」


 深い紫色の瞳を持つ青年が、それを見上げて瞠目していた。

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