第8話
「久しぶりだな、ジュリエッタ令嬢」
「はい。ご無沙汰しております、陛下」
国王陛下は、優しい表情でうんうんと頷いてくれた。
私は、幼い時から第二王子ヴォルシングの婚約者だった。必然的に、国王陛下や王妃様に会う機会もとても多く、優秀な子だと、大変可愛がってもらっていたのだ。
――異世界から、聖女がやってくるまでは。
しかし、婚約を破棄しても、陛下や王妃様から嫌われているわけではない。
今回も、話すら聞かず私に罪を問うような空気ではないことを感じて、私はほっとした。
「本当に、元気に過ごしているようでよかった。こんな朝早くから呼び立てて悪かったな。実は、今朝早く、神殿に神託が下ったのだ」
「神託、でございますか」
「ああ。内容の説明は、同席させている大神官からさせよう」
陛下がすっとアリサの後ろへと視線を向ける。それを受けて咳払いしたのは、初老の男だった。
ずるりと床を引きずるような、真っ白に金の縁取りがなされた神官服。袖の部分に3本のラインが入っているのは、大神官である証だ。
その男は衣擦れの音をさせながらアリサの前へと進み出ると、厳しい目で私を睨み付けた。大神官には、あまり良く思われていないらしい。
「……あー、えっほん。私は、この首都にあるロザリンデ教、主教会の大神官を務めている、ラニエルと申します。本日の日の出の頃、我が神殿の祭壇へと、神の御言葉がおりたもうたため、急ぎ国王陛下へと報告をいたしました」
丁寧に前置きをして、大神官は丁寧に頭を下げた。不機嫌な顔はそのままだが、きちんと礼儀はなっている人物のようだ。
「それで、ロザリンデ様は仰られたのです。我が忠実なる遣いを、地に与えたもうた。聖女と共に、この国に繁栄をもたらせるだろう――と」
神の神託を朗々と告げると、胸元のロザリンデ像をかたどったネックレスを握りしめ、大神官は口早に祈りの言葉を呟いた。
――女神ロザリンデ。このアーヴェルト王国において、王国の繁栄を約束し、豊かな実りと平和を授けてくれると言われている、女神だ。
この国に現れる異世界からの聖女や、ロロのような神獣は、全てロザリンデが遣わしてくれたものだとされている。王国の国民は、幼い子供までも祈りを捧げる、とても愛されている女神様だ。
事実、女神ロザリンデから神殿へと下される神託によって、この王国は何度も飢饉や災害、疫病などから救われている歴史がある。
女神ロザリンデは、全てを見守り王国を守ってくれているのだ。
ロロが神獣であるとわかったのは、私が昨日、ロロを治療して助けて……さらにその夜遅くだったはずだ。屋敷内で、お母様や私以外の人間にロロの存在が知られたのも、今朝になってから。
きっと神官が主張している神託というものは、本当に女神から下されたものなのだろう。
大神官は祈りの言葉を終えたのか、また特徴的な咳払いをして話を続けた。
「えっほん。ほん。……あー、それでですね。我が神殿は神託を下されてから早急に、王宮へとやってまいりました。神託の通りであれば、聖女アリサ様の元に神獣様がいらっしゃるはずだと思ったからでございます。ですが……」
言葉が切れた一瞬、大神官はあからさまにじろり、と、私へ視線を向けた。
「聖女様へお話を聞いても、それらしい神獣には心当たりがないと仰る。その後、思い出されたように、昨日、傷ついた黒猫を見かけたお話を伺いましてな。助けようとしたところ、そちらのユロメア公爵令嬢に、奪い去られてしまった、と」
「……っ」
口から出かかった反論を、必死に堪える。
ここで声を上げたりしてはいけない。それでは、淑女としてのマナーがなっていないアリサと同格になってしまう。
私が何も言わないのをいいことに、大神官はばっと国王陛下へ向き直った。
「国王陛下!ユロメア公爵令嬢の肩に乗った、漆黒の猫の姿……!やはり、聖女様の仰る通り、あれなる神獣様は公爵令嬢の手によって、聖女様より奪われたのです!これは、女神ロザリンデ様をすら冒涜する行為でございます!神獣様を、聖女様の御手から無理に奪うなどと……!あってはならないことだとこのラニエル、国王陛下へ陳情いたします!」
ぐわ、と苛立ちの籠もった様子で言い切った大神官に、国王陛下は小さく手を上げるだけで応えた。
「もうよい、大神官よ。そちの言い分については、先だって聖女アリサからも聞いている」
「でしたら、今すぐにでもあの令嬢に罰を――っ」
「まぁ待て」
威厳のある国王陛下の声が、大神官を制した。きっと睨んできた大神官の視線に、私も睨み返す。
(そんな作り話で、勝手に罪を被せられる訳にはいかないのよ)
睨み合う私たちへと掛けられたのは、優しい王妃様の声だった。
「……わたくしはね、ジュリエッタ。あなたのことを、幼い時から見てきたつもりよ。だからこそ、大神官様の言うことが、信じられないでいるの」
「王妃様……」
「ああ、その通りだ。ジュリエッタ令嬢が、どれだけ真面目で、信仰深く、立派な令嬢であるか……我らは良く知っている。だからこそ、まずはお前から直接、事の次第を聞きたい」
「……っ!」
国王陛下の言葉に、大神官が何か言いたげに拳を握りしめていた。
しかし、無礼にも国王陛下の言葉に口を挟むようなことはないようだ。
「では、昨日この子に会った時のことを、お話しいたします」
小さく一礼すると、国王陛下と王妃様が、応えるように微笑んでくれた。
彼らの微笑みと、温かい視線に励まされ、ゆっくりと、丁寧に昨日の出来事を説明していく。隣にお父様がいてくれて、背後には、お兄様たちもついていてくれる……うん、私は大丈夫だ。
しかし、話自体は慎重に、ある程度曖昧にぼかすことにした。
……特に、アリサが聖女にあるまじき発言をしたあたりは。
今ここに揃っているのは、程度の差はあれ、アリサが聖女でいることを肯定している人間たちだ。
私があまりにもアリサを悪いように話せば――例えそれが、真実だったとしても――全て私のでたらめだと、強い反発を買いかねない。
……本当は、彼女の悪行を庇ってやるだなんて、そんなことしたくないのだけど。
でもこれも、自分と我が家を守るためだと、今は堪えて話を続けた。
案の定というか、話の途中から、謁見の間にはすすり泣きの音が混じり始めた。
――アリサだ。
彼女は自分が被害者だと言わんばかりに泣き続け、次第に大きくなる声に、ヴォルシングが席を立ち、懸命に慰める始末だった。
「……と、このような経緯で、現在に至ります」
「うむ……そうか」
私が一通りの説明を済ませると、国王陛下は困り顔で顎のあたりを撫でていた。
……それはそうよね。多少ぼかしたとはいえ、私が話したロロとの出会いの経緯は、アリサの主張している内容とは正反対だもの。
聖女は、自分の神獣になるはずの黒猫を奪われたと言い、私は黒猫を押しつけられたのだと主張し。
これでは、どちらが真実なのかまるでわからない。
「陛下……!違います!違うんです!」
泣きながら、アリサはぶんぶんと頭を振って大きな声を出した。
「私、本当に……!ジュリエッタさん!お願い、私の猫ちゃんを返して!」
「おいアリサ、今は冷静に……」
「ヴォルグ様ぁ!やだやだ、私、わたしの猫ちゃんなのに……!」
「わかったから、頼む、今は抑えてくれないか……」
ヴォルシングが必死に宥めている様子に、私は同情の溜め息をついた。
……あんな子供みたいな子が婚約者だなんて、ヴォルグも苦労していそうね。
しかし、私のその溜め息をどう拾ったのか。
今までヴォルシングと一緒になってアリサを宥めていた大神官が、むっとした様子でこちらを振り返った。
「国王陛下と聖女様の御前で、そのように嘘をつくなど……!ユロメア公爵令嬢、この場での発言は、天におられるロザリンデ様もご覧になっておいでなのですよ!真実だけを、仰っていただかなければ……!」
壇上から降りてきて、こちらに詰め寄ろうとする大神官と私の間に、お父様が進み出てくれた。
それにすかさず目をつり上げ、大神官はばさりと神官服の大袖を振る。
「お下がり下さい、ユロメア公爵閣下!私は、ご息女に真実を問わねばなりません!」
尚も喚く大神官にぴしゃりと言い返したのは、お父様ではなく、低く落ち着いた男性の声だった。
「下がるのはお前のほうだ、神官よ」
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