第7話


 茶番というか、見世物というか。

 すさまじい泣きっぷりを披露しているアリサの次に、玄関口から飛び出してきたのは、第二王子その人だった。

 ……私の幼馴染みであり、元婚約者であり……そして現在、聖女アリサの婚約者である、ヴォルシング・アーヴェルトだ。

 私よりもふたつ年下の彼は、赤みがかったくすんだ金髪に、王家に伝わる紫の瞳をした、少年らしさの残る、可愛らしい美丈夫だ。年下のくせに、身長ばかりぐんぐんと伸びて、今では私の兄様方と変わらないくらいの長身になっている。

 そういえば、会うのは婚約破棄をして以来だったな、と、ぼんやり思った。

 彼はわんわん泣くアリサと、そしてドン引きしているこちらを順に確認して、アリサの横を通り過ぎた。


「ヴォルグ様ぁ!」


「少し待て、アリサ」


 縋るようにヴォルシングのズボンに手を伸ばしたアリサは、彼の静かな言葉に途端に喚くのをぴたりとやめる。

 すすり泣くアリサを背後に、ヴォルシングはお父様の目の前まで行くと、小さく頭を下げた。


「ユロメア卿。すまない、出迎えが遅れたな。……それから、その、少し……騒がしくしてしまって」


「ご機嫌よう、殿下。……そちらの聖女様のことは、よろしいのですか?」


 決まり悪そうにしているヴォルシングへ、お父様がしっかりと頭を下げつつ尋ねる。怒ると言うより、呆れているような口ぶりに、ヴォルシングはそっと肩を竦めた。


「俺は王族として、貴殿を出迎えに来たのだ。挨拶が先だろう」


「仰る通りですな」


 ヴォルシングは、次に兄様たちへと会釈をして――最後に、私へと向き直った。

 声を掛けられる前に、と――私はすっと、ドレスの端を摘まんで広げ、身体を沈ませる。


「……久しぶりだな、ジュリエッタ……いや、ユロメア公爵令嬢」


 婚約者でなくなった以上、今まで通り、互いを名前で呼び合うことも失礼なことだ。


(ヴォルグは、しっかりしていて助かったわ)


「はい。お久しぶりでございます、殿下」


 返事をして姿勢を戻す。と――ヴォルシングは、何とも言えないような顔で、私のことを見つめていた。

 何かしら、と首を傾げると、彼は何も言わず、ふいと顔を背けてしまう。


「こんな場所で待たせてすまない。陛下が謁見の間でお待ちだ。案内しよう」


 そう言うと、ヴォルシングは踵を返し、やっとアリサの方へと向かっていった。


「アリサ、こんな所で座り込んではいけない。ほら、立って……」


「ヴォルグ様!私、私の猫ちゃんが!」


「今から陛下の御前で、その話をするからと説明しただろう?……ほら、掴まるんだ」


「うう……」


 ヴォルシングが来て、急に大人しくなったアリサは、彼の腕に支えられながら王宮の中へと戻っていく。私たちは、やれやれと二人の後を着いていくことになった。

 王が臣下と対面するために作られた謁見の間――そこは、王宮の玄関口から近くに設置されている。

 目的地に着くまでそう長くも歩かなかったが、目の前でべったりぴったりと第二王子に身を寄せ、寄りかかり、ぐすぐすしゃくりあげているアリサの姿は、見られたものではなかった。

 貴族の淑女として破廉恥極まりないし、あれではただの娼婦と変わりないではないか。


(視界に入れたくもない)


 そんな私の心を読んだように、その瞬間、ふわりと優しく、私の視界が遮られた。


「えっ」


 鼻先をくすぐったのは、アルト兄様の香り。続いて、誰かが私の手を取って優しく引く感じがした。

 たこだらけで、ゴツゴツとした、騎士の手……ウォルター兄様の手だ。


「リーエの視界を汚すことはない」


「俺が手を引く。安心しろ」


「兄様がた……」


 目隠しをして歩いているようなこの状態は、正直どうかとも思うが――あのふたりを、視界に入れたくなかったのも本当だ。

 ここは有り難く、甘えておくのが良いだろう。


「そうだな。そうしていなさい」


 お父様の声も、そんな風に言ってくれる。


「……ありがとうございます」


 こんなにも、想ってくれる家族がいて、私は幸せだ。

 私の感謝の言葉に、お兄様たちが笑ったような気配が伝わってくる。





 謁見の間の扉に到着すると、私たちは少し待つように言われた。

 先にヴォルシングとアリサが中に入るようだ。

 ふたりがいなくなったことで、お兄様たちが手を話してくれる。

 ひらけた視界。目の前には、つい先日、婚約破棄をするために訪れたばかりの、荘厳な大扉がそびえていた。


「またここに、来ることになるなんて」


 ぼそり、と言った言葉が聞こえたのか。私の両隣にいた兄様たちが、それぞれに私の手を握ってくれた。


「大丈夫。何があっても、可愛いリーエのことは僕たちが守るよ」


「ありがとう、アルト兄様」


「リーエは何も、悪いことしてない。俺も、リーエを守る」


「ウォルター兄様も……ありがとうございます。心強いですわ」


 そんな私たちをほんの少しだけ振り返って、お父様が小声で囁く。


「大丈夫だ。陛下ならわかってくれる。……もしもの時は、家族で何処か、別の国にでも移住すれば良い。何とでもなるから、堂々としていなさい」


「お!いいですね父上。俺、以前からシャールア国の文化に興味があったんですよ」


「……父上。モルグ国はどうですか。あそこは緑が豊かで平和だ」


 まだそんなことになると決まったわけでもないのに。

 兄様たちは揃って、あそこの国もいい、いっそ海を越えても……なんて、現実味のない話をして盛り上がっている。

 私を励まそうとして、そんな突拍子もない話をしてくれているのだと、わかっているから……だから余計に、家族の優しさに涙がこみ上げた。


「やだ、もう……兄様たちも。お父様まで。そんな……無茶な話をして」


「良い家族だな、リーエ」


 すりり、と頬にすり寄ってくれたのは、肩の上に乗ったままだったロロだ。


「はい……自慢の家族ですのよ」


 すん、と鼻を鳴らした私の頭を、アルト兄様が優しく撫でてくれた。


(……大丈夫。私には、みんながいてくれる)


 アリサが嘘を言っていようと、私は堂々としているだけだ。

 何も悪いことをしていないのだから、罪に問われる心配なんてする必要ない。……大丈夫、大丈夫だ。

 胸に手を置いて、すう、はあ……と息を整えた。

 ぐっと顔を上げて、胸を張って、淑女として凜とあればいい。

 居住まいを正した私の姿を見て、兄様たちもお父様も、笑顔を向けてくれた。





「……大変お待たせいたしました。準備が整いましたので、こちらへどうぞ」


 程なくして、侍従がそう言って頭を下げた。

 次いであの、大きな扉がぎいい、と音を立てて開いていく。


「行くぞ」


 お父様の声を合図に、私たちは謁見の間へと足を踏み入れた。

 燦々と光の差し込む、広々としたホールは、白い壁紙に白い石で出来た床を、金の装飾が飾っている。分厚いビロードの赤いカーテンが掛けられた両側の窓に沿って、大臣や要職に就いている貴族たちが並んでいた。

 足下の赤い絨毯は、真っ直ぐに玉座まで繋がっている。その先に、玉座に腰掛けた王陛下と、一歩下がった椅子に座る王妃様――そして、空席の第一王子の席と、ヴォルシングが座る第二王子の席が並んでいる。

 ヴォルシングの席の隣には、持ち込まれた椅子に腰掛けてしょんぼりしている聖女アリサが座っていて、そのすぐ背後には、教会の大神官が立っていた。


(……なるほど。準備ってこういうことね)


 お父様が馬車の中で、『神殿に神託が――』と話していたことを思い出す。

 神託が絡んでいるからこそ、大神官も同席しているのだろう。まぁ……本当ならば、聖女も神獣も、神殿が管理している事案だ。こうして出てくるのも当たり前か。

 お父様がそっと手招きをしたので、お父様の隣に並んで、玉座の前まで歩いて行く。

 呼ばれたのは私のため、付き添いで来た兄様たちは、後方で膝をついて待っていなければならないのだ。

 玉座の前へ到着して、お父様が胸に手を当て、深く頭を下げる。私はその隣で、胸に手を当てながら、ドレスの端を摘まんで広げ、深く深く、身を沈めた。


「――国王陛下。命に従い、ユロメア公爵家当主、拝謁申し上げます」


「よく来たな、公爵。……そして、ジュリエッタ令嬢。面を上げなさい」


 深く力に溢れた声に従って、滑らかに身を起こす。

 見据えた玉座には、まだ若々しいアーヴェルト王国国王が、どかりとこちらを見下ろしていた。

 


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