第6話


 ほんの僅か、白髪の交ざる髪を乱して、ついでに衣服もヨレヨレというものすごい外見で、お父様が素早く部屋の中を見渡し――。

 やがてその視線は私と、私の膝でくつろいでいるローエンマイン様の姿を確認した。途端、音が聞こえるんじゃないかという勢いで、お父様の顔色が真っ青になった。


「なんということだ……。いや、まさか、そんな……」


「お父様、どうなさったのですか?」


 手で顔を覆い、がっくりと肩を落としたお父様の姿に、嫌な予感がする。


(ただでさえ、ローエンマイン様から契約を迫られて困ってるっていうのに……また何か、厄介ごとでも起きたっていうの?)


 あまりにもショックを受けたお父様の姿に、お母様が立ち上がり、そっと寄り添った。


「……あなた。何がありましたの?」


「……ああ。そうだな。すぐに出発しないといけないんだ」


「まぁ、どちらへ?」


 多少冷静さを取り戻したらしいお父様が、お母様の手を握り、やっと顔を上げる。

 その表情はとても、困り切っているように見えた。


「説明は馬車の中でするから。ジュリエッタ、すぐに出掛ける準備を。……その、『膝の上の御方』も、お連れしなさい」


 ……どうやら、私の悪い予感は的中したようだった。

 お父様が、何か話を聞く前に、私の膝の上のローエンマイン様を、『膝の上の御方』と呼んだ。それだけで十分だ。


「わかりました。すぐに王宮へ向かう準備を致します」


 そう返事をして、ローエンマイン様を抱えて早足で自室へ戻る。

 身支度を調えて屋敷からでると、玄関口には既に、正装に着替えたお父様とお兄様たちが揃っていた。お母様は、屋敷に残るらしい。

 見送り際、お母様は私をぎゅ、と抱きしめて、ローエンマイン様にはそっと頭を下げた。


「神獣様。娘を、どうかよろしくお願いいたします」


「案ずるな。ジュリエッタのことは、必ず守る」


 馬車はいつもより速い速度で、王宮へと走りだした。私の隣にお父様が座り、向かいにはお兄様たちが座っている。

 いつもより少しガタガタと揺れる車内で、お父様がひとつ、咳払いをした。


「今朝早く、神殿にて神託が下ったと報告がなされた」


 神託――。その言葉に、どきりと心臓が跳ねる。

 お父様は、私の膝の上で丸くなるローエンマイン様へ視線を落としながら、話を続けた。


「神託の内容は、神が神獣を遣わした、というものだった。しかし神官たちが確認しても、聖女殿のところにそれらしき存在はいない。そこで、陛下が急ぎ、聖女殿へと話を聞いたところ……。ジュリエッタ、お前が、聖女殿から黒猫を奪い取った、という話をされたらしい」


「な――」


(黒猫を、『奪い取った』ですって?)


 あんまりにもあんまりな言葉に、絶句してしまう。

 たまたま通りがかった私に、傷だらけのローエンマイン様を無理矢理押しつけて……獣くさいだの、助けるのは絶対に嫌だの……挙げ句、死んだら私のせいだとまで言っていた、あの彼女が。

 言葉を失った私の様子を見て、お父様は眉間を押さえながら軽く頭を振った。


「……安心なさい。私は、……少なくとも私は、ジュリエッタがそんなことをしたとは思っていない」


「お父様……」


「父上!そうですよ、リーエはそんなことをする子じゃありません!」


 向かい側で、アルト兄様が怒ってそう叫んでいる。横のウォルター兄様も、もげそうな程に頭をぶんぶん振っていた。


「わかってる。だがな、聖女がそう言っている以上――そして、お前の元にその黒猫がいるという事実がある以上、陛下の元へ行って、御前で事実を明らかにせねばならない。でなければ、ジュリエッタが罪を負ってしまう」


「大丈夫です。理解できております、お父様」


 私は静かに、深呼吸を繰り返した。

 寄りにも寄って、そんな言い方をしたなんて……アリサは本当に、何を考えているのだろうか。

 神官たちに問いかけられて、自分がローエンマイン様を見捨てようとしたことがばれるとでも思ってのことだったのだろうか。


「……貴方が、ジュリエッタの父君なのだな」


 それまで黙ったまま話を聞くばかりだったローエンマイン様が、やっと口を開いた。

 その声に、お父様は静かに瞠目し……すぐにそっと、頭を下げた。


「やはり貴方様が、神獣殿であられたか」


「気楽にしてくれ。俺は確かに神獣だが、ジュリエッタに命を救われた身だ」


「娘に命を、ですか?」


「ああ。……不愉快だが、その聖女という娘が話した内容は嘘だ。俺が王の前で説明すれば、ジュリエッタは疑いを掛けられず済むということだな?」


「はい。どうか、娘の為にもご協力頂ければ……」


「任せておけ父君。ジュリエッタのことは、俺が守ろう」


「ありがとうございます。神獣殿」


「ローエンマイン様……」


 小さな子猫の姿の筈なのに、私の膝の上で凜と座り姿を見せる彼は、神獣にふさわしい威厳を溢れさせている。

 それに……どういう訳か、彼を助けた昨日に比べて、一回り大きくなったような気もする。

 美しい座り姿のローエンマイン様は、くるりと顔を振り向かせて溜め息を吐いた。


「ジュリエッタ。俺のことはロロで良いと何度も言っているだろう」


「恐れ多いですと、何度もお答えしておりますが」


「これから敵地に赴くのだから、我らが親密だということを、見せつけなくてはいけない。わかるな?」


 そこまで言われてしまっては、断れないではないか。

 確かにこの後、王陛下の前でなされる話合いによっては、私は聖女に無礼を働いたとして罪に問われてしまう……。聖女に無礼を働き、神獣を奪い取った等、極刑やお家取り潰しになっても可笑しくないほどの大罪だ。

 それを回避するため、ということならば……仕方がない。


「……わかりました。ロロ様」


「様をつけるな」


「本気ですか?」


「ああ。俺はただロロと、そう呼んで欲しいのだ」


 じっと見つめた青い瞳は、吸い込まれそうなほど美しい色をしている。

 私はすぐに観念して、目を閉じた。


「わかりました。ロロ」


「ん、それでいい。俺も、お前の兄君たちに倣って、リーエと呼ばせてもらおう」


 ロロは、満足そうに笑顔を浮かべていた。





 ユロメアの屋敷から王宮までは、そう離れてはいない。

 馬車はその後すぐに王宮の外門をくぐり、綺麗に舗装され花々が美しい前庭へと到着した。

 馬車が停まると、先に下りたお兄様たちが両脇から手を差し伸べてくれる。

 ちゃっかりとバランス良く私の肩へ乗ったロロを、落とさないよう注意しながらゆっくりと馬車を降りる。

 出迎えた王宮の騎士が、最後に馬車を降りたお父様に、見本のような敬礼をした。


「お待ち申し上げておりました、ユロメア公爵様!並びにご子息、ご息女様。陛下がお待ちです。どうぞ、こちらへ――」


 彼が正面の豪奢な扉へと、私たちを導こうとした、その時。

 先に玄関口から外へと飛び出してきたのは、白いドレスに黒いストレートの髪をなびかせた女性……聖女アリサだった。

 飛び出してきた彼女に、驚いて止まる私たち。

 それを確認してアリサは、ぶわっと唐突に、その場に崩れ落ちて泣き出した。


「えぇ……」


「……(嘘だろ)」


「……ウォルター兄様、心の声が聞こえてますわ」


 隣で兄二人が、ドン引きしている。無理もない。

 きちんと淑女教育を受けた令嬢ならば、こんな人前でわんわん大声で泣き散らすことも、挨拶もなしに地べたに座り込むこともありえない。

 遅れてやってきた侍女たちは、聖女の世話を任されている人たちだろうか。


「アリサ様……!」


「聖女様!お立ちくださいませ!こんな所で……」


「うわあああああん!!!」


 おろおろする侍女たちの話を聞こうともせず、アリサはわんわん泣きわめく。

 そして彼女は、こちらを指差して更に大声で喚いた。


「酷いです……っ!本当に、酷いわ、ジュリエッタさん……!私の大切な猫ちゃんを、連れてっちゃうなんてぇ!」


「……はぁ?」


 おっといけない。素が出てしまいそうになりましたわ。

 慌てて口元を押さえて、んんっと小さく咳払いする。……幸い、彼女が大声で騒ぎ立ててくれているお陰で、私の淑女らしからぬ反応は、誰の耳にも届かなかったらしい。

 大きな目を涙でいっぱいにして、アリサはひっく、としゃくり上げた。


「お願い、ジュリエッタさん……!私の猫ちゃんを、返して!」


「おやめください、聖女様!これから陛下が、ちゃんとお話を聞いてくださいますから……!」


 宥めようとする侍女さんたちが、可哀想になるほどの泣きっぷりだ。

 どうやら、王宮に着いたこの瞬間から、茶番が始まっていたようだった。





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