カーネイジ・オブ・アルカナ

@hyousen_kiyoshi

第1話 戦うヒロインへの第一歩 アルカナの扉が開く

「な……何なの……!? 何なのよこれ……!」


本条雅ほんじょうみやびは目の前の現実を受け入れられなかった。


「まずは一人目。案外あっけなかったわね」


どこか甲高く、神経を逆撫でするような女の声が暗闇から聞こえてくる。

声の主が雅の方へと一歩、また一歩と歩み寄ってくる。

月光に照らされ、女の口元が浮かび上がる。妖艶でありながらも邪悪な笑みだった。


「やりなさい。その女ぺちゃんこにしちまいな」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


不気味な轟音を立て、身の丈数メートルはありそうな巨大なマリオネットが右腕を振り上げる。


「ひっあ……ああ……」


雅は腰を抜かしてしまい、逃げることも叶わない。


(どうしてこんなことに……私が何したっていうのよ……!!)


少し前までは自分がこんな目に遭うなんて全く思っていなかった。



――数日前。


「なぁ雅、どないやった?」

「うん、面白かった」


雅は通学鞄から漫画の単行本を取り出す。

表紙を見るに戦うヒロインの少女漫画のようだった。


「ふっふっふっ……ウチの見立てに間違いなかったみたいやな」


軽快な関西弁で喋っているのは雅のクラスメイト皆川円華みながわまどかだ。


「あんた、こーゆーの好きやもんな」

「せいかーい。円華よりもハマっちゃったかも」

「しっかし、読み終わるんむっちゃ早いな?」


雅は円華に単行本を返し、むふーと笑う。


「朝アニメ見ながらだったからかな。ながら見しても内容は入ってくるんだよね」

「さ●らの原作読みながらプリキ●アオールスターズ全員の名前言えるとか、そんなJKそうおらんやろ」

「そっかな?」

「おらへんわ。知らんけど」

「な●よしの定期購読とかアニメの円盤揃えるぐらい普通だと思うけどねぇ」

「あーあーせやなぁ」

「ちょっとテキトー過ぎない?」

「おもろいのは分かんねんけど、飽きたんやって……」

「あははは……ご、ごめん……」

「こーいうのに憧れてるん?」

「いやー憧れてないことはないけど、私達もう高2でしょ? 流石にこの歳でヒロインになりたいって結構きつくない?」

「まーな。キツイっていうか、イタいな」

「結構はっきり言うじゃん……」



「そこ! 私語は慎みなさい!」


声が響き渡る。

声のする方を見ると女子生徒が立っていた。

美人で可愛らしいが生真面目でキツい印象のする少女であった。


「あ、茅花かやはなさんごめんなさい!」

「エラいすまんな茉百合まゆり~」

「あなた達、楽しいのは分かるけど我が校の生徒としての自覚を持つように」

「はい」

「ほーい」

「それと皆川さん。ネクタイ曲がっているからちゃんとしなさい。後、返事は『はい』」

「はいはい」

「『はい』は1回でいいの」

「はーい」 

「全く……」


円華は渋々ネクタイを直し、二人はその場を後にする。


「茅花さん、きっついねホント」

「委員会の仕事張り切りすぎやろホンマ」

「あはは……まぁちゃんと仕事するのはいいことだけどね」

「ああいうのは音読のときに感情を込めて読むタイプと見た」

「それは別にいいでしょ」


どこか納得できるものがあったのか雅は否定はせずとも苦笑いで円華を諫める。


「ちょっと!!」


雅と円華が通り過ぎた後でまたも耳を劈く茉百合の声が響き渡る。

茉百合と一人の男子生徒が向かい合っていた。

どうやら彼も彼女に睨まれたようである。


「あなた! 目付きが悪すぎるの!」

「…………」

「黙ってないで何か言いなさいよ!」

「生憎、これは生まれつきだ」


確かに茉百合の言うように男子生徒の目付きは鋭く、整った顔立ちながら無愛想で無表情な為か決してよい人相とは言いづらかった。

とは言え先程雅達に言った内容とは打って変わって理不尽な言いがかりだ。


しかし、男子生徒は意にも介していないようで、淡々と返事をする。


「生まれつきとかどうでもいいの! 何とかしなさいよ!」

「目付きなんて校則に関係ないだろう」

「言い訳しないで! だから男は……!!」

「性別は関係ない。それに今の発言はセクハラじゃないのか?」

「そ、それは……!!」

「風紀に固執する割に品性はおざなりか。大したものだ」

「っ……!!」


茉百合とは正反対に男子生徒は声を荒らげる気配はないものの、確実に急所を抉るような言葉を口から紡ぎ出す。


「ああ言えばこう言う! ホント男って――」

「一々喚くな。これ以上喋りたいなら壁に向かって言え」

「な、な……!」


男子生徒は涼しい顔をしてそのまま去っていく。


「うわ、アイツ風紀委員によう言うわぁ。攻撃力えっぐ」

「う、うん。でもあの子って――」

駆馬かるま君やな。駆馬いさみ君。去年までは別のクラスやってんで」

「ということは今年から同じクラス?」

「せやで。てゆーか自己紹介してたやろ。クラスメイトのことくらい覚えんとアカンで」

「まだ全員の顔と名前が一致してないんだよね」


雅はそう言いながら件の少年、駆馬勇のことを視線で追う。


「おや~?」


円華はニヤニヤし、そんな雅のことを舐め回すように見始める。


「雅ちゃーん、駆馬君のこと気になるん?」

「ちょ! そ、そんなんじゃないって!」

「隠さんでええって。シュっとしててまぁまぁ男前やもんな」

「もー! 本当に怒るよ!」


顔を赤くしながらも、強くは言い返せない雅なのだった。


「…………」


雅と円華の会話が駆馬の耳に届いたのか、駆馬は二人の方を振り返る。


「もう! 円華が変なこと言うから駆馬くんに変な目で見られちゃったじゃない!」

「ええやん。向こうも『あー……何か言うてはるわぁ』ぐらいしか思うてへんて」

「だからそういう問題じゃ――」


駆馬の視線は円華の方ではなく、明らかに雅の方へと向いていた。


「…………」


見惚れているわけでもなく、品定めをするでもなく、何処か憂いを帯びた瞳だった。


「……!」


再び駆馬から視線を向けられ、その精悍な眼差しに雅は頬を赤らめつつ彼から視線を逸らす。


「早く行かんとホームルームに遅れるで〜? 雅さ〜ん」

「わ、分かってるってば!」


足早に教室へ向かう雅と円華に対し、先ほどの男子生徒――駆馬に打ち負かされた茉百合は不機嫌そのものだった。


「全く……朝から不愉快だわ」

「おはよーございまーす……」


その横をまた別の女子生徒が通りかかった。やる気の感じられない挨拶に目をキッと吊り上がらせ、茉百合は声を荒らげる。


「ちょっと織部おりべさん何よその挨拶は! それにその化粧! もっと高校生らしいものに――」





その日の夜、本条家雅の自室にて――


「ふぅ……」


授業の復習に区切りがつき、考えを巡らせる。


(駆馬君か……)


雅は今朝の一件が頭から離れずにいた。


(そりゃあかっこいいし、頭も良さそうだし、素敵だとは思うけどさぁ……)


違和感とは違う、何となく不思議な感じがして、警戒心が湧いてしまい素直に喜べないでいた。

一年生の時は彼とは別のクラスであり、たまに廊下ですれ違う程度で、今年同じクラスになるまでは顔を合わせた記憶もない。

別にいわゆる陰キャという訳ではなく、かと言って陽キャという訳でもない。お世辞にも愛想が良いタイプではないが、話しかければ普通に応対する物静かな秀才といった印象だった。


「私、あの子と話したことないと思うんだけどなー」


喋ったことはおろか、接点すら雅には記憶がなかった。


「おっと……」


物思いに耽っていた雅は力加減を間違え、シャーペンの芯を折ってしまう。

そのままシャーペンを使おうとするも残りがギリギリだったためか、芯が引っ込む。


(あっ、もうシャー芯ない。替えは……ないっか)


筆箱の中を漁ってみるが、予備も無いようであった。


「しょーがない、買ってくるか」


雅は簡単な身支度を終え、母親に声をかけた。


「お母さん、ちょっとコンビニ行ってくる」

「え、こんな時間に? もう遅いわよ。明日にしなさい」

「どうしても買いたいのがあるの」

「……気をつけなさいよ」

「分かってるって」


「ありがとうございましたー」

「お世話様ですー」


近所のコンビニでお目当てのHBのシャー芯をさっさと買い終え、雅は帰路につく。


「ん?」


街灯に照らされた脇道に何かが落ちているのが目に入る。


(何かしら、あれ……?)


それに引き寄せられるように雅は近づいていく。

まるで抗うことなどできないように。


(カードみたい。誰かの落とし物かしら)


落ちているカードを拾い、表側を見るとそこには『Magician』の記載があった。


(これってタロットカードだよね。どうしてこんなものが……それにこれ一枚だけ?)



「それはあなたのカードよ。『魔術師マジシャン』さん」



夜道に声が響き渡る。声の主は女のようだ。


「『魔術師』って私が?」

「そうよ。あなた以外にいないわ」

「えっと……」


目の前の女の言っていることがまるで理解できない。

このタロットカードのことを言っているだけなら分かる。

しかし現代の日本に魔術師などいるわけがない。ましてやそれが自分など。

そんな雅の事情などお構いなしとばかりに女は声を張り上げる。


「そのカード、あたしが貰ってあげるわ! 来なさい!」


カードを天に向けて掲げるとカードが光に包まれた。


「何が起きたの……?」


光が収縮し、眼前に聳えて立っているのは4メートルを優に超える巨人だった。


「ひ……ああぁ……」


巨人の威圧感に戦慄し、雅は情けない声を上げてしまう。


「驚いた? 私は『吊るされた男ハングドマン』の所有者なの」


(誰なのこの人……!? それに『吊るされた男』とか所有者って一体……!?)


「ちょっとこれ何の撮影なのよ……! 変なドッキリはやめて……!」


雅は辺りを見回してみるが、カメラを回している者はいなかった。

それどころか、人の気配すらしない。

まるで、世界にこの女と自分、そして巨人しかいないのではないかと思えるほどだった。


「撮影? ドッキリ? そんなわけないじゃない」


呆れた様子で女は続ける。


「これはあたしとあなたのカードを賭けた戦いなの」

「た、戦いとか悪い冗談はやめてよ……!」

「一方的ってのもつまらないからね。ちょっとは抵抗してみなさいよ」


この言葉で女が冗談でもなんでもなく、本気なのだと雅は悟った。

下卑た笑みを浮かべ、雅の方へとゆっくりと歩み寄る。


「な……何なの……!? 何なのよこれ……!」

「『吊るされた男』!!」


女の合図と独特の指の動きに合わせ、まるで操り人形のように『吊るされた男』が拳を振り上げようとする。


「あ……」


不気味な駆動音と共に『吊るされた男』の右拳が徐々に上を向き始める。


「ああ…………」


天に向かって拳が突き上げられ、反対に『吊るされた男』の目は意思がこもっていないにもかかわらず、雅を取るに足らない子虫でも見るかのように見下ろしていた。


「あああ………………」


緊張と恐怖で足の力と腰が抜け、雅はそのまま地面にへたり込む。


「まずは一人目。案外あっけなかったわね」


女の面白くなさそうな声に対し、吊るされた男は轟音の雄叫びを上げ大気を震わす。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


まるで今か今かと眼前の小娘をいたぶる声を欲しているかのようだった。


「やりなさい。その女ぺちゃんこにしちまいな」


腰を抜かし、立つことも叶わない雅は後ずさって逃げようとするが、これ以上、進めなかった。壁際に向かっていることにも気付けなかったからだ。


「ひっあ……ああ……」


雅は恐怖に顔を歪ませ、気の抜けた声ともに漏らした小水が股間を濡らし、地面に水たまりを作った。


「あらあら、お漏らししちゃったの? でも許してあげない」


自分より圧倒的な質量――巨大な拳が振り下ろされる。


(どうしてこんなことに……私が何したっていうのよ……!!)


「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


目を瞑り、悲鳴を上げる雅。

彼女の股間から再び薄黄色い液体が溢れ出た。

そんなことなど意にも介さない『吊るされた男』の拳が雅をただの肉の塊に変える。



はずだった。




――拳が雅を押し潰す直前、雅の体を白い光が包み込んだ。



「!?」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■…………!!!???」


光が収束していくとそこには魔術師の恰好をした姿をした雅がいた。


「んん……あれ、私……生きてる……?」


魔術師――というよりも悪の女魔導士ルックな衣装を身にまとっている。


「って何よ、この格好ォ!?」


しかも露出度が高く、上半身はマントの他には彼女の豊満な胸を申し訳程度に覆っている布程度しかなく、下半身に至ってはお尻は丸出しの紐Tバックとロングブーツのみで全裸の方が恥ずかしくないレベルであった。


「こ、これじゃ痴女じゃないの!」


雅は必死に胸と股間を隠そうとする。


「ふ……あははははははははは!!!!!」


女は顔を抱え狂ったような笑い声をあげる。


「わ、笑わないでよ……! 好きでこんな格好してるんじゃ……」

「ははは……違うわ。別にあなたの格好が滑稽だから笑ったわけじゃないのよ」


恥ずかしさと悔しさで顔を真っ赤に染めた雅が女のことをキッと睨む。


「嬉しいのよ……やっと面白い展開になったからさぁあああああ!!」

「さっきから何言ってるの……!」


カードの奪い合いだの、魔術師だの、吊るされた男だの自分にとって理解が全く及ばない。

だがこの女の狂気と殺意は本物だ。先程の『吊るされた男』の攻撃はその証左に他ならなかった。


「こうでなくっちゃ面白くないのよ!! 戦いってのはねぇええええええ!!」


抵抗しなければ命はない。

雅はやけくそになり、力の入らない体に鞭を打ち、よろよろと立ち上がると左腕を突き出す。


(なんとかしなきゃ……!)


いつの間にか雅の手には1m前後の杖が握られていた。

それは自分が憧れていたマンガやアニメのヒロインが持っているものと意匠がそっくりだった。


「なにコレ……魔法の杖……?」


女は冷たい視線を雅に向け、小指から拳を握り込む。


「『吊るされた男』! そろそろ終わらせな!」


彼女の指の動きに呼応して、『吊るされた男』は再び雅に向かって拳を振り下ろす!


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

「来ないで! 来ないでってば!」


無我夢中に杖を振るう。

――すると杖の先端が妖しく光り始めた。


「え――」


「こいつ……!?」


辺りを光が照らすと、杖の先端から生み出されたエネルギー弾が吊るされた男に向かって真っ直ぐに飛ぶ。


「わ、わわわわ!? 何か出た!?」


女がマリオネットの糸を操るように、指を動かすと『吊るされた男』は防御態勢を取る。女への直撃は免れたが、辺り一面に煙が舞い散り、双方の視界を妨げた。


「く……!」


女は舞い上がる煙から目を守るべく、右腕で自身の目を庇っている。至近距離とはいえこの状態では相手の視認は困難であろう。となれば――

今が逃げるチャンスだ、雅はそう思うと踵を返し自宅のある方へ向き直った。


「あ、ああ……!! ああああああああああ!!」


雅は一刻も早く安全を求め、その場を走り去っていった。


「ちっ、逃がしたか」


煙が晴れ、視界を取り戻した女は雅の逃げた方を睨みつける。


(まぁ……下手に人通りの多いところに行かれると厄介ね。深追いはしないでおきましょう)


標的を仕留め損なったことに不満を覚えつつも、女は闇の中へと消えていった。


幸運なことに逃げおおせた雅は母親の出迎えの言葉すら無視し、自室内の扉を背に息を切らせていた。先程まで着ていた衣装は逃げている途中でいつの間にか消滅し、あの女と会う前に着用していた普段着に戻っていた。股間に作った失禁の跡もそのままであったが。


「はぁ……! はぁ……ゲホゲホ」


未だに高速で打ち続ける脈動に、雅は胸に手を当て深呼吸しどうにか心拍数の低下を試みる。


「あれはきっと悪い夢だったのよ……朝になればいつも通り……そうに決まっているわ」


雅は自分にそう言い聞かせると身体を拭き、パジャマに着替えてそのまま床に就いた。


(でもあの時、わたし確かに変身してたし、あの魔法の杖……)


自分が憧れた少女漫画のヒロインのようであった。夢であってほしくて夢であってほしくない、そんな矛盾した思考が脳内を巡っている。


(考えてもしょうがないか)


不快感と恐怖感、そして戸惑いはまだ消えていないが、先程の出来事を一刻も早く忘れようと目を閉じる――




「ん……え……」




雅が目を覚ますと見知らぬ空間に横たわっていた。


どこまでも続く真っ白い景色。


自分以外に何も存在せず、余りの真っ白さに前後左右はおろか上下の区別すらつかなくなる程の虚無の空間がそこに広がっていた。


「ここは………どこ…? 私、部屋にいたはずじゃ……」




「ようやく来たようだね」




どこからともなく声が聞こえてくる。それは神々しくもどこか不安を煽るようなものだった。


「え……」


突然のことに戸惑う雅の前に声の主が姿を現した。ローブを纏っており、姿形はおろか声色から年齢も性別も伺いしれない。


「君が最後だったんだよ。ほら、ついてきて」


疑問の表情を浮かべつつ、雅はローブの人物の後に続いて歩き出す。


「あの……」

「どうしたんだい?」

「あなたのお名前って……」

「名前か。そうだね……」


ローブの人物は考えるような素振りを見せ、しばらくすると口を開く。


「ディヴァインとでも名乗っておこうか」

「『とでも』って……本名じゃないんですね」

「名前なんて私には意味のないものだからね」

「あのディヴァインさん、どこに向かってるんですか?」

「ついてくれば分かるよ。それに敬語は使わなくていい」

「…………」

「ほら、もうすぐ着くよ」


ただただまっすぐ続く白い空間もいつの間にか終わり、そこには大広間と思しき部屋が雅の目に飛び込んでくる。


(うわ……広っ)


「諸君。最後の一人、『魔術師』が到着したよ。ほら、君はそこの『Ⅰ』って書かれたところに立って」


ディヴァインに促されるまま、雅は『Ⅰ』と書かれた円盤状の舞台に立つ。


『…………』


先客と思しき他のメンバーが雅の方へと視線を移す。


「あら、可愛い子ね」

「ほう、貴様が『魔術師』か」

「えー思ったより地味目な子じゃなーい? ちょっと興醒めー」

「ふん」

「ちっ」

「そう言うもんじゃないよ、あの子なりにお洒落してるんだよ」

「あ、あはははは……」


好き勝手に言われて心外極まりなかったが、事を荒立てたくない雅は苦笑いをするしかなかった。


(初対面の人達にここまで言われる筋合いないんだけど!?)


「静粛に」


静かながら空間全域に響き渡るような声色でディヴァインが喋りだす。


「予てより諸君らに伝えたように――」


指を鳴らすと、メンバーの目の前に巨大なタロットカードのイメージが浮かび上がる。


「君達の所持しているカード……それを取り合ってもらうよ」


「そのためには如何なる手段を使ってもらっても構わない」


「まぁ尤も……既に勝負を仕掛けているものもいるようだけどね……」


ディヴァインは『Ⅻ』と書かれた席の方へと視線をやる。

そこに立つ人物のシルエットには見覚えがあった。


(あの人、もしかして……)


「今度の夜には覚悟しておきな」

「!!」


聞き覚えのある声が雅の耳に届く。実に忌ま忌ましげな様子だった。


「今度は小便漏らそうが、泣きわめこうが逃がさねぇから」

「ええ……あの子が?」

「うわぁ……」

「う、く……」


羞恥に紅潮し顔を伏せる雅。



「よさないか……!」



自分への辱めの言葉を厳格な声が制する。


「さっきから聞いていれば君達……言葉を慎みたまえ。みっともないと思わないのか」

「!」


声の主の方を見ると、そこは『Ⅴ』と書かれた席の人物だった。


「すまないね。礼儀を知らない者が多くて……」

「い、いえ……ありがとうございます……」

「好きなだけ説教垂れてろ。あんたの偉そうな口も直に利けなくなるだろうよ」

『Ⅻ』の人物は面白くないのか、『Ⅴ』の人物に食って掛かる。

「ふむ、そうだね。尤も君がその瞬間を見られるかどうかは知らないが」

「ああ!?」

「そこまでだ。ふたりとも」


見かねたディヴァインがその場を制した。


「この場での争いは禁止だ。次はないよ、『吊るされた男』?」


ディヴァインの透き通りつつも、威圧感のある声で『吊るされた男』と呼ばれた人物は素直に黙った。


「ふん……」

「ディヴァイン、続きを頼む」

「ああ。話を続けさせてもらうよ。君達は1人につき1枚タロットカードを持っているね」

「ええ」


雅は自身の持っている『魔術師』のカードと、ディヴァインとに視線を交互に移す。


「22枚、すべてのカードを手にしたとき――」


ディヴァインは一呼吸を置くと


「どんな願いも1つだけ叶う。そう、それがこの宇宙の理に反するものであってもね」


「!?」


「死んだ人を蘇らせたりとか、タイムスリップしたりとかも?」

「ああ」

「経済に一切影響を与えず、使い切れないほどの金もか?」

「勿論だとも」

「何でも叶う、か」


(なんか唐突に始まっちゃったけど……わたしってもしかして戦うヒロインになった感じ?)


自身の置かれた理不尽な状況に戸惑いつつも、雅は不思議と気持ちが高揚していた。しかし――


(あれ? でもちょっと待って)


雅はここに来る前のことが頭をよぎった。


「ね、ねえディヴァイン……1つ訊いてもいい?」

「なんだい?」

「さっき『如何なる手段を用いても構わない』って言ったよね?」

「そうだね」

「もし、奪い合いの中で……怪我をしたり、その……」

「負けたらどうなるのかが知りたいのかい?」


言い淀む雅の意を汲んでか、ディヴァインは単刀直入に切り出す。


「………」


雅は無言のまま頷く。


「聞かない方がいいと思うけど」

「それってどういう――」

「おい、『魔術師』」


『Ⅻ』が割って入る。


「な、なに……?」

「そいつに訊かなくてもすぐあたしが分からせてあげるわ」

「!!」

「まぁ楽しみにしてなって。おっと、ちゃんとオムツしてきなさいよ? あはははははははははははははは!!」


『Ⅻ』は高笑いするとその場を後にした。


(どこまでわたしを馬鹿にすれば気が済むのよ、アイツ……!!)


「『魔術師』の君、熱くならないようにな。でないと彼女の思う壺だ」


声を荒らげることもなく憤りを露わにした雅を『Ⅴ』が宥めた。


「いずれ君と相まみえることもあるかもしれないが、そのときまで達者でな」

「え、あ、はい、ありがとうございます……」


『Ⅴ』は紳士然とした微笑みを返すとその場を後にした。


「あー白けちまったよ。とっとと帰るとするか」

「さて、じゃあ俺達も」

「御暇させていただくわ」

「誰が先に負けるのか楽しみだな」


各々が好き勝手に言い残すと、『Ⅴ』に続いて、席を立った。


「あー……なんか思っていた締め方と違うなぁ……。まぁいいや。今夜はお開きだから君ももうお休み」

「え、ええ……おやすみなさい。でもどうやって戻れば?」

「もと来た道を戻れば自然と君の部屋に帰れるよ」

「そうなのね。ありがとう」


雅は自身の席を立つと、もと来た道へと歩を進める。


「ん?」


ディヴァインはたった一人残った席の方へと視線を移す。そこには『Ⅶ』と書かれていた。


「魔術師のことが気になるのかい?」


「…………」


『Ⅶ』の席の男はすぐには退室せず、『Ⅰ』の席を眺めていた。





再び目を覚ますとあの白い空間は消え去り、雅がいたのは自宅の寝室であった。


「え……ここ、私の部屋……?」


昨晩、脱ぎ捨てたままの服がそこにあった。無論、自分の粗相の証もそのままだった。


(あれは夢じゃなかったのね……)


昨晩は衝撃的なことが多すぎた。整理が追いつかず、雅は頭を抱えた。


「雅〜もう学校に行く時間じゃないの? お父さんもう仕事行っちゃったわよ」


考えを巡らせていると階下から母の声が聞こえてきた。


「あ……」


時計を見ると時刻は既に8時を回っている。普段ならとっくに家を出ている時間だった。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!?????」


夢か現実か分かりきっていないことで悩むことに費やす時間などなかった。


「ヤバイヤバイ!!」


大急ぎで制服に着替え、準備を済ませ玄関へと向かう。


「あ、雅。昨日――」

「お母さん、ゴメン! これ、昨日洗濯機に入れ忘れた!! 後で洗っといて!!」


雅は母の言葉を遮り、昨晩脱ぎ捨てた衣類を母に押し付けた。


「行ってきます!!」

「…………」


雅の勢いに圧倒され、しばし呆然としていた母だったが、押し付けられた衣類――娘の下着に自然と目がいく。


「あの子、高校生になってもしかして……いえ、気にしないようにしましょう……」





雅の心配をよそに6時間目の授業を迎えている今の今まで、襲撃らしい襲撃はなかった。


登校中、午前の授業中、昼休み、午後の体育……。

常に気を張っていたが、特に自分を害しようという悪意の類は感じ取れない。


(流石にひと目のつく時間帯とか、無関係の人が沢山いる学校で襲って来るわけないか)


6時間目の現代文という絶妙に眠くなる時間帯と科目にもかかわらず、緊張感から雅は眠気などまるで湧いてこなかった。


(昨日のことが本当だったとしたらあまり遅くならないうちに帰ろう……。良かった、帰宅部で……)


「――おっと、ちょっと早いけど、キリがいいからこの辺で終わるか。日直、号令かけて」

「起立! 礼! ありがとうございました!」

『ありがとうございました!』

「はい、ありがとうございました」


HRまでつつがなく終わり、帰宅の準備を終えた雅の元へ円華が駆け寄ってきた。


「雅ー! 帰ろうや!」

「う、うん帰ろうっか!」


円華に誘われるがまま、家路につく。


「本条、皆川ちょうどよかった!」


背後からの声に二人は振り向くと、そこには気だるそうな雰囲気を醸し出す教員が立っていた。


「なんですか、大上先生?」

「ウチら、もう帰るとこなんやけどなぁ……」

「教務室で使う資料の整理が溜まってしまっていてな……。少し手伝ってもらえないか?」

「それ、生徒にやらすことちゃいますやん」

「いやぁそりゃそうなんだが……」


大上は頭を掻きながらバツの悪い表情を浮かべた。


「俺も押し付けられてよ。流石に俺一人だと終わらせるのが無理ゲーなんだわ」

「もしかして学年主任の先生に……?」

「チャンポーン」

「ピンポーンやろ、そこは。おもんないわ」

「ただのギャグにそこまではっきりダメ出しすんなよ……まぁいいや、終わるまで時間がかかるかもしれんが、頼めるか? 」


(早く帰らないとまたアイツが……)


『吊るされた男』の所有者の下卑た笑いが雅の脳裏によぎった……。


「お前らの担任に内申上げるよう言っといても良いぞ?」

「え! マジっすか! なら手伝ったってもええですよ!」


断りづらい雰囲気になってしまう。


(まずいわ……でも二人で残って一緒に帰ったら円華も巻き添えに……)

「な、雅はどないする?」

「先生! 皆川さんは用事があるんで、わたしがお手伝いします!」

「え? 何言うてんの。ウチも手伝うで?」

「いいのいいの! あ、先生、皆川さんの内申も上げるよう頼んでもらえますか 」

「あ、ああ……手伝うって積極的だったしな。でも本条一人で大丈夫なのか……?」

「雅、どないしてん……」

「ほら、今日だけはどうしても早く帰らなきゃって言ってたじゃない……!?」


(せめて円華だけでも先に帰さないと……!)


「……ああ! そやったそやった! オカンから早よ帰ってこい言われてたん忘れとったわ!」


雅の尋常ならざる様子を感じ取ったのか、円華は肯く。


「すまんけど、頼んだで」

「うん、また明日!」

「お、おお……皆川気を付けて帰るんだぞ。じゃあ、本条すまんが……」

「はい、さっさと終わらせましょう!」


雅は大上の後についていき、職員室へと向かった。



「ありがとな、本条。思ったより早く終わったが、こんな時間まですまんな」

「いえ、先生の役に立てたなら全然大丈夫ですよ」


(まずい、思ったよりも時間かかっちゃった……)


気づけば、午後6時を回っていた。

春先とはいえまだ日照時間が短い今の時期では外に出てみると辺りはもう薄暗くなっている。

道中で大通りには出るが、自宅に向かうにはどうしても人通りの少ない道を通らなければならなかった。


(流石にこんなところで襲ってくるとは思わないけど……)


家と学校までの距離は遠くはないが、近くもない絶妙な長さ。


(早く帰らなきゃ! 流石にあいつもわたしの家は知らないだろうし……)


「よぉ。待ってたわ」


真後ろから背筋の凍るような声色が響いた。


「!!」


声の主は確かめるまでもなく、昨日自分を襲った女だった。


「あなた、どうして!」 

「悪いけど、つけさせてもらったわよ。流石に人目につくとこだと厄介だからねぇ」

「もしかして学校から……!?」


人につけられている気配など感じなかった。


「さぁねぇ? まぁそんなことよりも魔術師のカードを出しな。ま、一度ぼろ負けしてるし怖いか」

「そんな安い挑発、乗るわけないじゃない……!」

「あら、そう……じゃあ、あなたのお家ごとご家族をぺちゃんこにしちゃうけどいいの?可哀想ぉ、人間としての原型留めないかもねぇ」

「…………!!」


自宅の場所まで特定されてしまっている。


「『吊るされた男』」


女のカードが仄かに輝きを放つ。女の目つきと声色から冗談ではなく、本気だと伺いしれた。


「分かったわ! お願いだからお母さんには手を出さないで!」

「くくく……素直な奴は嫌いじゃないわ。ついてきな」


雅は黙って頷き、女についていく


「周りに被害とか出ないでしょうね」

「心配すんなって。戦ってる最中は自動で結界が張られるんだよ。結界から出ちゃったら知らないけどね」

「…………」

「この辺でいいだろ」


女が歩みを止めた場所は、特になんの変哲もない空き地だった。


「……大して人目を忍んでいるとは思えないけど」

「結界さえ張っちまえば、他人に視認される心配もないわ。思う存分戦えるってわけ」

「張られる瞬間やその前を他人に見られるといけないってことなの」

「ええ、目の前で人がいきなり消えたらおかしいでしょ。そういうこと」


女が『吊るされた男』のカードを突きつけると、彼女の目が妖しく光る。


「さぁ、カードを出しな」

「…………」


雅は懐から『魔術師』のカードを取り出した。


「『魔術師』」


雅の体が白い光に包まれる。


「……っ!!」


光が収束していくと、そこには露出度の高い衣装に身を包んだ雅がいた。


「相変わらずスケベな格好してんな。あんた」

「い、一々うるさいわね!」


両腕で体を庇うように覆い、少しでも肌の露出を抑えようとする。


「さっさと終わらせるわ! こんな恥ずかしいカッコ、もうこりごりなんだから!」

「おーけーおーけー。お望み通りさっさと終わらせてやるよ」


女は高々とタロットカードを掲げた。


「あたしの願いのためにな! 『吊るされた男』!!」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


轟音を唸らせ、空間が歪んだかと思うと闇夜の虚空から巨人が顕現する。


「さぁ『吊るされた男』、アイツをさっさとぶっ潰してちょうだい!」

「昨日のようにはいかないんだから……!」


自身の露出を減らしつつ、杖を突き出す。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

「ぶっ潰しちまえ!!」


雅は自身が憧れた戦うヒロイン達を脳内でイメージし、杖を握る手に力を込めた。


「え、えい!」


杖の先端から魔法弾が発射され、『吊るされた男』の拳に直撃し、爆発四散した。砕けた拳の破片が飛礫となって雅の頬を掠め、裂けた皮膚から血が滴る。


「やるじゃない。流石は魔術師と言ったところね」

「はぁはぁ……! この間みたいにはいかないんだから……!」


自分よりも遥かな巨体のマリオネットを相手に、恐怖心が隠せず呼吸を乱し肩で息を切らせながら精一杯の啖呵を切る雅。


「もう、ただの負け犬じゃないってわけ? ま、その方が願いの叶えがいもあるからいっか」

「さっきから気になってたんだけど……」

「あ?」

「そうまでして叶えたい願いって何なのよ?」


ずっと気になっていたことだった。今目の前にいる女が何を求めて、このような蛮行に嬉々として興じているのか……。


「 決まってんだろ、着たい服着て学校に行くんだよ」


何を馬鹿なこと聞いてるんだ? と言いたげに自身のゴスロリの服を指さしながら答える。


「は……?」

「『は?』じゃねーよ。あたしは365日24時間この服でいたいの」


そんな理由で自分に手をかけようと言うのか?


「ふざけないで! そんなふざけた理由なんて――」

「うるせぇんだよ、いい子ちゃんぶって! おい、『吊るされた男』!!」


雅の声に被せるように女が怒声を上げた。

女にとってはおふざけでも何でもなく本気だったのだろう。

女の声に応え、『吊るされた男』が咆哮する。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

「あたしはな!」

「……!」


『吊るされた男』の右腕が雅を捉えるも、彼女はとっさに杖を構え魔法を放って迎撃する。魔法が直撃した右腕は魔法の衝撃を受け、拳の一部が砕け、『吊るされた男』が怯む。


「この服でいるときだけ!」


砕けた拳の破片はまるで意思でも宿ったかのように、雅の身体を切り裂かんと礫となって再び襲い掛かった。


「っ……!!」


破片が雅の身体の中心を捉えた。急所への被弾を避けようと雅は跳躍するがかわしきれず、皮膚を削ぎ取るかのように破片が彼女の左肩を切り裂いた。


こんな死闘はおろか殴り合いの喧嘩すら避けてきた雅にとってこの傷は未経験であった。痛みに顔を歪め、意味がないことなど分かっていながらも左肩の傷を庇う。最早、衣装の露出を気にしている余裕はない。


「…………■■■■■■■■!!!」


魔法で損傷した右腕の再生を待つこともなく、今度は『吊るされた男』の左腕が雅に降りかかる。


「嫌なことを忘れられんだよぉ!!」


雅は後ろに跳び、『吊るされた男』との間合いを取りつつ、向かってくる巨大な左腕を迎え撃つべく、雅は攻撃から防御へとイメージを巡らせた。

それは攻撃と同様、フィクションの世界でヒロイン達が用いた鉄壁の防御魔法。


「くっ……!!」


雅のイメージに応えるべく、ハニカム構造の魔法のバリアが拳の前に展開され『吊るされた男』の剛拳を防ぐ。凄まじい衝撃波と轟音が炸裂するがバリアはビクともせず、魔法のバリアで左腕を弾かれ、『吊るされた男』は僅かに怯み、仰け反った。


「あんたみたいな女に分かってたまるか!!!」


余裕綽々の態度とは打って変わって、女は激情に駆られていた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」


女の怒声に合わせ、怯みから解放された『吊るされた男』が思い切り右腕を振りかぶる!


「このぉお!!」


雅は女に向けて杖を向ける。

攻撃から防御へ。

雅が思い描いたのは強力な爆発魔法。

眼前に迫る巨人をも粉々にするイメージを膨らませる。


「吊るされた男! 速攻で叩き潰しな!」


杖の先端は吊るされた男を捉え、魔法が放たれる――はずだった。




「え」




杖からは魔法が出ず何も起きなかった。


「なんで!? そんな!?」


雅は目を丸くした。


「ははははは! ご自慢の魔法はもうガス欠かよ!」

「う、嘘……」


雅の顔が一気に青ざめる。必死に杖を振り回すが、それから魔法が放たれる気配は微塵もなかった。


「そんな! 出てってば!! なんで出ないのよ……!!」


猫が鼠を甚振るかのような愉悦に歪んだ嗤い顔とも、自分の神経逆なでしたことによる怒り顔ともとれる表情で女は絶叫を上げた。


「消えな! 魔術師ンンンンンン!!」


女の怒声とともに『吊るされた男』の拳が雅へと迫り、皮膚が裂けそうなほどの轟音が響き渡る。


――ああ、私は死んだんだ……。


死んだらどうなるのか。

もう大好きな両親と会えないのか。

友達との他愛もない会話も楽しめないのか。

これからできたかもしれなかった恋人と過ごす日常も消えてしまうのか

自分が思い描いた未来を生きることもできないのか。

覚悟なんて全く決まっていないのに走馬灯だけが駆け巡っていく。




だが、自分を押し潰すであろう拳や激痛は来ない。




「…………?」


雅が目を開くと振り上げられた拳は目前から消え去っていた。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!????」


いや、消え去ったというよりも吹き飛んだ、という方が正確だろう。


「!? ちょっとどうなってんだよ!?」


腕が吹き飛ばされ、困惑した様子の女と『吊るされた男』、そして自分との間には自分と年頃の変わらない男性、いや少年が立っていた。


「…………大丈夫か」

「あ、ありがとう……えっと……」


雅が尋ねる前に、苛立った女が声を荒らげた。


「ざけんな! あんた何なんだよ!」

「俺は駆馬。駆馬勇」

「駆馬君……ってあなた、同じクラスの」


言葉では返さず、勇は肯きで答える。


「駆馬ぁ……?」


苛立ちを隠せない声で女は続ける。

勇は懐からカードを取り出すと、眼前の女に突き出した。


「『戦車チャリオット』のカードの所有者かよ、あんた……!」

「見れば分かるだろう」


無感情のままに淡々と事実を述べる勇。


「こうなりゃ二人まとめてブチのめしてやるよ!!」

「図体だけの木偶の棒が。馬鹿の一つ覚えの質量攻撃ではな」


呆れた表情を浮かべ、ため息交じりに殺気を向ける。


「俺に勝てると思うな」


勇の突き出した右腕が白い光に包まれると大砲へと変貌を遂げる。

それはもはや古代戦車――チャリオットではなく、現代戦車――タンクと呼ぶべき代物だ。


「ぶっ潰せぇええええええええええ!!」

「馬鹿が」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――!!」


勇が振り上げた拳が自分を押し潰す前に、彼の右腕から戦車の砲弾が放たれる。

砲弾は『吊るされた男』の堅固な巨体を容易く貫徹、炸裂し胴体に大穴を作った。


「――――!!??」


砲弾で胴体を貫かれた『吊るされた男』は体幹の大部分を失ったことで自身の体重を支え切れず、そのまま粉々になり崩れ落ちる。


「ふん」


勇の右腕が光に包まれると大砲から元の人間の腕へと戻っていった。


「あの巨人が一発で……」

「そんな……あたしが……」


雅も女も目の前で起きたことが信じられなかったようだ。


「織部朱美あけみ、お前の負けだ。カードを寄越せ」

「お前、なんであたしの名前を……!!」

「さぁな」

「お前なんかに渡すわけねぇだろうがぁああああああああああああああああああああ!!!!」

「そうか」


カードの引き渡しを拒否された瞬間、心底煩わしそうにすると、勇は雅の方へと目をやる。


「本条、目を閉じ耳を塞いでいろ」


彼の静かながらも威圧感のある声に雅は言葉を発することができずに頷くと、目を強く瞑り耳を両手で塞いだ。

しかし、いくら塞いでいるとはいえ僅かながらも彼らのやり取りが聞こえてくる。


「お、お前何を……!!」

「決まっているだろう?」


勇の腕が再び、大砲へと変わる。そして躊躇うことなく照準を彼女へと定める。

雅は薄目を開けると、そんな光景が見えていた。



「力ずくで奪うだけだ」

「お、おい冗談でしょう……?」

「………!!!???」


いくら何でも戦車の砲口を人に向けるなんてありえない。

――だが、目の前の男は冗談も洒落も通じるような気配は微塵もなかった。


雅は半ば、これから行われる行為から目を背け自分の存在を消すかの如く、目と耳を先ほどよりも強く塞ぎ、体を丸める。


「俺は冗談が嫌いだ」


織部――と呼ばれた女は屈辱と涙に顔を歪ませ絶叫した。


「クソがぁああああああああああああ――」


渡さないのであれば仕方ない、と言わんばかりにあっさりと砲台の引き金を引かれた。

悔しさにまみれた彼女の断末魔をかき消すかのように閃光と爆音が織部を包み込む。


砲撃による空気の爆発的な膨張とが雅の肌をひりつかせ、夜に相応しくない強烈な光線が瞼を貫き、それが決着がついた証なのだと彼女は気づく。


「…………!!」


雅が目を開けると、勇の砲撃を真正面から受け、織部は跡形もなく消え去っていた。

彼女の代わりに『吊るされた男』のカードが残されている。


呆気に取られていた雅は眼前で起きた出来事をしばし理解できずにいたが、これが現実であることを思い出し、口を開いた。


「か、駆馬君……あの子はどうしたの……? まさかそのカードに封印されたとか?」

「…………」


興味本位で訊いてきた雅に対し、勇は言葉を詰まらせる。


「……知りたいのか」


自分があの織部という女と同じ目に遭っていたかもしれない。

ディヴァインも聞かないほうが良いとは言っていたが、気になるに決まっている。


「う、うん……」

「後悔しても遅いぞ。本当にいいのか」

「…………」


沈黙を肯定と受け取った勇は言葉を続ける。


「分かった。いずれ向き合うことになるからな。結論から言う」


勇は足元に落ちた『吊るされた男』のカードを拾うと、雅に見せつける。



「――アイツはもうこの世にいない」



勇の言葉に咄嗟に反応できず、暫しの静寂がこの場を支配した。


「え? そんな……噓でしょ?」

「嘘じゃない」

「じゃあもし私が負けてたら……」


雅の背中に悪寒が走り、どっと冷や汗が湧き出てきた。



「お前が消えていた」



冗談であってほしかった答えだった。

しかし、勇は冗談を好むような男ではない。


「っ……!!」

「信じられないか。だが」


勇は淡々と……さも当然であるかのように語った。


「俺達はもう逃げられない。この戦いからはな」

「やめて……来ないで……!」


勇は腰が抜けて立ち上がれない雅に手を貸そうと歩み寄ろうとするも、拒絶の声に遮られる。


「助けてくれたことは感謝する! だけど……!」


雅は一瞬言葉を詰まらせたものの、はっきりと告げる。


「あなたは人を殺したのよ!!」

「…………」

「どうしてここまでする必要があるの!!」


勇は雅の言葉を否定することもなく、ただ黙って受け入れる。

しかし、その表情はどこか複雑そうであった。


「――くなかった」


「え……」

「お前に消えてほしくなかった」


雅には勇の言葉の意味が理解ができなかった。


自分と彼とはほぼ初対面だ。

関係性など皆無に近い。

自分がこの世から消えたところで彼の人生には何ら影響などないはずだ。


「なんでわたしなんか……どうして……分からないよ……」

「…………」

「わたし、これからどうすればいいの……? あなたを信じていいの……?」


誰か答えて欲しい。

どうすればこの悪夢から一刻も早く抜け出せるのか。

雅はそれで頭がいっぱいだった。


「一つ訊かせてくれ」


頭を抱えて、現実を受け入れられない雅を見て、勇は静かに口を開く。


「さっきみたいに黙って死にたいか?」


その問いに、先ほどまでの出来事が雅の脳裏を駆け巡る。

何もできないまま、一方的に嬲られる恐怖が。


「いや……!! 絶対に嫌!!」

「答えは出たな。死にたくないなら勝つしかない」


雅はハッとした。


そうだ。自分は死にたくないんだ。

他人を害したくはない。

でも黙って死を受け入れられるほどの覚悟はない。

だったらどうすればいい?



「勝ち残るには同盟を組む必要がある」


勇は雅に手を差し伸べた。


「安心しろ。お前は俺が守る」


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カーネイジ・オブ・アルカナ @hyousen_kiyoshi

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