第4話


 一年後。


 俺とヤーリンは晴れて『ヤウェンチカ大学校』の第八区初等部に入学する運びとなった。


 大仰な名前の学校だが、特別な何かがある訳ではない。住んでいる地区に割り振られている義務教育的に通うだけの学校に過ぎない。


 そもそも、ヱデンキアにある学校の九割は、この『ヤウェンチカ大学校』というギルドの姉妹校であることがほとんどなのだ。


 ヱデンキアには大きく分けて十個のギルドが存在おり、社会の裏表を問わず、日々ヱデンキアを統治すべく各ギルドの覇権争いが繰り広げられているらしい。その隔たりの歴史は深い。が、今のところ各ギルドの力が均衡しているので、小競り合いなどは日常的に発生するものの結果としてヱデンキアの平和な社会構築に至っている。


 他ならぬ俺達がこれから通う『ヤウェンチカ大学校』も、ヱデンキアを代表する十のギルドの一つである。


 俺とヤーリンの両親が現在も所属している所縁の深いギルドであり、ヱデンキア社会に「教育」という観点で多大に貢献をしているギルドだ。ヱデンキアの人口の実に九割の種族たちが、各地に点在する『ヤウェンチカ大学校』の関係機関のいずれかに通って教育を受ける。他のギルドの構成員であっても元を辿って行くと同窓であった、何て事は日常茶飯事で起こるみたいで、ヱデンキアで生活するうえで最も影響力を持っているギルドと考える者も少なくない。


 事実、ここでの成績や学歴は他のギルドであっても一つの指標になっていると聞いた。


 ギルド間で一番顔が利くという事もあり、いつしか教育のみならず役所的な業務を担当する部署も設立している。


 他にも別のギルドと一線を画く点と言えば、ヱデンキアの歴史保護にも尽力しているところだろうか。尤も教育を念頭に置いているギルドなのだから、流れとしては当然かもしれない。


 …だが。


 中には黒い噂もある。


 長年の教育活動の副産物として得られたメンタルケア能力を逆手に取り、洗脳やブレインコントロールを行う魔術師や、研究に熱を入れすぎるあまり非人道的な人体実験に手を貸す研究員がいるなどという噂話がそれだ。


 まあ、アレだ。どの組織にも勝手に出来上がってしまう、よくある都市伝説や七不思議のようなものだ。人が集まれば、あることないこと風潮する輩はどの世界にも存在するのだろう。


 それにそんな黒い話は専らギルドの上層の話だ。末端の…それも初等部の学校にまでそんな物騒なことを考えている奴はいない…いないよな?


 ◇


 登校初日。


 俺は母に、ヤーリンは仕事を休んだユアンさんと母親に見送られて、一路学校を目指した。


 ヱデンキアでは入学式のようなセレモニーはないらしい。初日にいきなり登校して、クラスメイトと顔を合わせることになる。当然、親が付き添いに来ることもない。


「何だかドキドキしてきちゃった」


 ヤーリンがそう呟いた。でも気持ちは分かる。


 普段遊び慣れた町だが、いつもとは違った風景に見える。前世で小学校に入学した時の記憶なんてほとんど…いや、全く残っていないから新鮮だ。


 学校に近づくにつれ、同じように緊張の面持ちの新入生やら恐らくは上級生らしい子供らの数が増えてきた。


 クラス分けは事前の案内で知らされていたので、真っすぐと教室に向かう。ユアンさんの言う通り、俺とヤーリンは同じクラスだったので、ちょっとした安心感がある。やっぱり新しいコミュニティに入るのはいくつになっても緊張する。今生はまだ6歳だけどね。


 流石に今日は授業のようなものはないようだ。


 一人一人自己紹介をして、校内を案内するオリエンテーションのようなもので午前中の時間割は終わった。


 ここだって所謂魔法を教える学校なのだから、喋る帽子を被らされたり、使い魔を召喚する儀式をさせられたり、自分の魔法の属性を調べるために石に魔力を込めたり、もしくは攻撃魔法を的に当てて各個の実力を計るような事をさせられるのかと期待と焦燥に心が躍っていたが、別にそんな事は起こらなかった。


 とは言っても、クラスの内情はこれでもかとファンタジー感に溢れている。まさかクラスで「人間」が俺だけとは思わなかった。


 昼食を食べ終わると、初日という事もあってか明日からの予定を軽く説明されただけで下校となった。


「ごめん。帰る前にトイレ行っていい?」

「うん。教室で待ってるから」


 ヤーリンはそう言って、まだ残っているクラスメイトの輪の中に入って行った。


 待たせたら悪いと急いで用を足して、教室に戻る。しかしその時、不意に声を掛けられた。


「おい、ヲルカ」


 聞き覚えのある声に、つい足を止めた事を後悔した。もう見なくてもそこに誰がいるかは明白だった。俺はうんざりとした気分を隠すこともなく返事をする。


「なんだよ、タックス」


 振り返ると、想定通りの三人組がいた。


 吸血鬼のタックス。

 オーガのカーデン・ダム。

 ハーピィのザルシィ。


 カテゴリの上ではこいつらも俺の幼馴染となるのだが、ヤーリンとは大分扱いが違う。端的に言えばアレだ。いじめっ子というヤツだ。同じ地区に住んでいるので、嫌でも顔を合わせる機会が多い。そしていつものように俺に余計なちょっかいを出してくる。


 その理由は明白だ。


 というのも、タックスはヤーリンの事が好きらしい。


 お隣さん同士という理由でいつもヤーリンの傍にいる俺がどうにも気に食わない様だった。だから事ある毎に俺にいちゃもんをつけてくる。


 最初の方は子供の嫉妬だなあ、と俯瞰で見ていられたのだが、こうもしつこいと流石にうんざりしてくる。何よりこいつには子供らしさというか、可愛げがないのが致命的に悪い。


 左右にいるカーデン・ダムとザルシィは言ってしまえば腰巾着って奴で、ほとんど必ずと言っていいほど三人一組で固まっている。


 カーデン・ダムはオーガという種族で腕っぷしが強い。ザルシィは飛行能力を持つハーピィという鳥人間で身体は細いが悪知恵が働く。そしてタックスの家は金持ちだ。金持ちの小僧の取り巻きに小賢しいのと筋肉バカという実に分かり易いトリオだった。


 クラスが一緒なのは勿論気が付いていたが、登校してからは大人しかったので初等部に入学したのきっかけに少し大人になったのかと期待していたのだが、この様子だとどうやら猫を被っていただけだったようだ。


「気安く名前で呼ぶんじゃない」


 タックスは不機嫌そうに言った。


 いや、お前が俺を名前で呼び止めたんじゃないか、とは言わなかった。面倒くさいから。


「それで? なんか用?」

「カーデン・ダムとザルシィがお前に話があるんだよ」


 …。

 ああ、はいはい。そういう事ね。


 二人に俺の足止めを頼んで、自分は教室にいるヤーリンと仲良くしてあわよくば一緒に帰りたいとか思っているんだろうなあ。それを正直に打ち明ければ可愛げがあるというものなのに、素直になるどころか暴力的な解決方法を選ぶのが関わっていて不愉快になる。いつだったか、同じ子供の俺相手にヤーリンに近づくなと、金を渡してきたこともあった。それほど悪い方向にませた悪ガキなのだ。きっと親のそういうところを見て育ったんだろうなぁ、と後になって同情した。


 魂胆は見え見えでも、断るには分が悪い。だってこいつら全員、人間よりも腕力が強いんだもの。


 というか、身体能力で考えれば「人間」はヱデンキアでも下から数えた方が早いくらいに貧弱な種族だ。その変わりに平均として魔法を使うのが上手かったり、手先が器用だったりと他の種族にはない特徴も勿論持っているが。


 とりわけオークのカーデン・ダムはまずい。成人男性でも単純な力比べには恐らく負ける。


 俺は大人しく従った。


 タックスはニヤッと笑みを浮かべるとすぐさま踵を返して教室の方へ帰っていった。


 ◇


 それを見届けると、俺は徐にカーデン・ダムとザルシィに近づいた。腕力でかなわないのなら、頭を使えばいい。それだけのことだ。俺は自分の特技を惜しみなく発揮することにする。


「なあ。この学校の怖い話はもう聞いた?」

「え?」


 大方俺の足止めをしてろと言われただけで、具体的に話をする内容などは考えていないのだ。俺が話を振ると、二人は簡単食い付いてきた。


 俺はネットに散見されるようなありきたりな学校のトイレの怪談を話し始めた。今日び小学生でも欠伸をするような内容だがヱデンキアの子供相手だったら効果は抜群だ。日本の怪談なんて聞きなれていないし、少数とはいえ本当に幽霊が存在している世界だ、真実味が違う。


 語りの中で自然に移動して、二人がトイレを背中に負うような位置まで持って行く。そしてここぞとばかりに二人の後ろを指差して叫んだ。


「うわあああ! うしろっっぉぉ!」


 聞くや否や二人は悲鳴を上げて走って行った。ここまで引っかかってくれると少し嬉しような気分になった。


 俺はすぐに教室へと戻って行った。


 足早に戻ると、ちょうど教室に入って行くタックスの姿が目に入った。


 移動時間と俺が足止めを食っていた時間の辻褄が合わないところを見ると、大方教室の外で躊躇していたのだろう。好きな女子に話しかけるのに緊張すると言うのはよく分かる。中々可愛らしいところもあるじゃないか。尤も、そのくらいで今更許すつもりはないが。


「ヤーリンお待たせ」

「な!?」

「あの二人だったら話が終わったから急いで帰ってたよ。僕らも帰ろうか、ヤーリン」

「そうだね。それじゃあタックス君、またね」

「ああ…うん。またね」


 その時、ついムキになってしまい、わざとタックスに見えるようにヤーリンの手を繋いだ。ヤーリンはキョトンとした顔をしていたが、去り際に一瞬だけ見えたタックスの顔は丸めたティッシュペーパーのように皺くちゃになっていた。


 少し大人げなかったか? いやでも、今は同い年なのだから大人げも何もないか。


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