第2話

 まあ、アレだ。結論から言おう。


 俺の予想は当たっていた訳である。


 新しい人間として、俺は正しく生まれ変わっていた。


 始めは何を言っているか分からなかった言葉も必要に迫られ、連日連夜聞き続ければ嫌でも慣れるというもの。この語学力を日本で生きている時に役に立てられたなら少しは違った人生を送れたかもしれない。が、それはもういいっこなしだ。


「人間は慣れる動物である」


 これはドストエフスキーの言葉だ。


 そして今の俺は心底この言葉の意味を理解している気がする。


 生まれ変わる前の現代日本の常識が染み付いた俺にとっては怒涛の驚きと発見の連続で、興奮して眠れない日が何度もあった。幸いにもその言動は、肉親には目新しいものに興味を示す好奇心旺盛で感受性が豊かな子と認識されたようだ。特に今の俺の両親は教育関係者のようで、知的好奇心のある俺はひどく可愛がってもくれた。


 俺はその両親に『ヲルカ』という名前を貰い、今なお育てられている。


 現在までのおよそ五年の間、この世界についての情報を子供ながらに集めた。そういう意味でも本や図鑑、時には博物館のようなところにも足しげく俺を連れて行ってくれた今生の両親には感謝してもしきれない。時々日本の両親の事を思い出して、目が潤んでしまうのは内緒だ。


 興奮して夜も眠れないと言ったが、それは決して言い過ぎじゃない。前世の記憶を有しているというだけでもとんでもない事態であるのに…いや、だからこそ、この世界の面白さと言ったら筆舌には尽くし難い。


 向こうの世界で自分たちの世界の事を「地球」と表現してたが、それに準じてこっちの世界を丸ごと言うとすれば『ヱデンキア』という言葉が当てはまる。


 ヱデンキアは、町並みを説明文的に言い表せというのなら正しくヨーロッパ各地の街に見られるレンガや石造りの建物を基調とした景観である。城や塔を思わせる背の高い建物もあるし、教会や学校、鉄工所、酒場、商店はたまた地下街などなど色々な建造物が乱立している。


 だが真に驚くべきことは、それが世界の端から端まで全てが覆われているという点だ。


 早い話が、ヱデンキアは一つの街が一つの世界になっているのだ。


 最も高い山の頂上から海底に至るまでインフラが整備されており、およそ自然と呼べるものは何一つ残っていない。埋め立てられてできた陸地も多いと聞いている。名目上、山や森、河川、海などは存在しているのだが、それも一から十まで人工的に設営・管理されているのだ。ニュアンスとしては自然公園のようなものに近い。だからそういった公園を除けば、何もない草原や野原のようなものは存在しない。その為、この世界には「地平線」に該当する言葉がなくなっているというのは面白い発見だった。


 地球とヱデンキアの尺度の違いが未だはっきりしていないので、実際の差はまだまだ分からないが、俺が生きているうちに調べてみたい事の一つではある。


 そしてもう一つ。


 ヱデンキアでの生活で心弾むことがある。


 当たり前のように魔法が存在している事も、その一つではあるが、俺が度肝を抜かれたのは生活している種族の多さであった。


 妖怪好きが高じて、世界の怪物や妖精、想像上の生き物などもそこらの一般人よりは知識があると持っていた。まさかそれが役に立つとは夢にも思わなかったが…。


 エルフ、天使、デビル、幽鬼、吸血鬼、アルラウネ、竜人、ケンタウロス、ラミア、妖精、ハーピィ、人魚、サイクロプス、人狼、トロール、リビングデット、多様な獣人などなど。ひょっとしたら俺が見た事がないだけでもっといるかも知れない。


 そして何が凄いって、それだけの種族がそれぞれ市民権を持ち、普通に共同生活をしているということだ。こんなの興奮しない訳がない。


 ヱデンキアで種族が違うと言うのは、現代で言えば国籍の違いのような意識しかない。例えば日本人がいて中国人がいてアメリカ人がいる、というような感覚だ。お互いに身体的特徴の違いを相互理解している。中には悪意を持つものもいるが、それは何かの種族に特定されたことではない。


 まあ、アレだ。善良な市民がいれば、それを脅かす凶悪犯罪者が出てくるというのは、どの世界でも当然存在するということだろう。


 しかしながら共同生活をしている分、ヱデンキアの亜人族は総じて知能指数が高い。


 俺の半端な常識では馬鹿か単細胞、もしくは脳みそがあるのかどうかすら怪しいような、いわゆるゴブリンやオーク、スライムといった種族まで言葉を話すし、非常に理性的だ。


 そんな中にあって人間がいる世界に転生し、あまつさえ人間という種族に転生できたのは幸か不幸かはまだ分からない。


 だが一つだけ。


 完全に不幸と言えるべきこともあった。


 この世界に…妖怪は存在しない。


 くそっ。何で幽霊はいるのに、その上市民権まで持っているのに妖怪はいねえんだよっ!


 改めてその事実を受け止めていると後ろから声を掛けられた。


「どうした? 何をぶつぶついってるんだ?」

「じっちゃん」

「ま、いいさ。独り言が多い奴は想像力がある証拠だ。大いにやれ、天才ってのは大抵気味が悪いもんだ。ワシみたいにな」


 そう言って「がはは」と豪快に笑うのは俺の、このヲルカ・ヲセットとしての祖父にあたる人だった。


 両親が共働きだったので、俺はこうしてじっちゃんに面倒を見てもらう事が多い。この人は自他共に認める変人でいわゆる常識というものに拘らない性格の持ち主だ。


 そもそも画家として生計を立てているのが世捨て人っぽさがある。俺は勝手に爺になったスナフキンと思っている程度には奇才が際立つ人だった。まあ、売れっ子の画家って訳じゃなさそうだけど。


「今日も描くか?」

「うん」


 前述の通り、両親が働きに出ている日中はじっちゃんと過ごす事がほとんどだ。初孫でもある俺は大層可愛がってもらい、じっちゃんの工房で絵を描いて時間を潰す。


 生前もよく絵を描いていた。色んな漫画家さんの描く妖怪の模写だけど。少なくとも模写とは言え妖怪に関しての腕前は中々だと自負している。


 五歳児の手の動かし方では大変な部分も多いけど、その分時間は腐るほどあるからね。


 今描いているものも今日仕上げるつもりだった。


「どれどれ………ヲルカは本当にすごい絵を描くなぁ」


 完成間近の絵を見てじっちゃんは絶句した。藤田先生の「衾」は異世界人と言えども言葉を失って感動するしかないか。俺は得意げに鼻を鳴らした。





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