第6話 初めて(表)2
「お疲れー、入っていいよー」
中に入ると、家の中は千明以外誰もいないようだった。
「千明の両親は?」
「今日は、二人とも出掛けていて、ご飯も食べてくるって言っていたから夜遅くなると思うよー」
「そうなのか」
聞いてないぞ。まぁ、勉強するだけだし、問題はないだろう。
「さっそく勉強を教えてください!」
千明は机に勉強道具を広げ、準備万端という顔をして座っていた。
「分かった」
その後、俺たちは二時間ほど勉強に集中した。
千明は学習能力が高く、俺が教えたところは大体すぐに覚えていった。
何としても赤点を避けて林間合宿に行くんだという強い意志を感じさせる真剣な表情だった。
正直、最初は赤点が回避できればいい程度に教えるつもりがなかったが、少し試してみたくなった。
俺には、授業中や休み時間、学年集会、図書室など、学校生活のあらゆる場面で先生たちの癖や発言を観察し、記憶してしまう癖がある。
千明に教える時も、当然のことながら中間テストを振り返った。
各教科の先生がどんな問題を出したか再確認することで、期末テストでも同じ形式で出題された場合、正答率が高くなるからだ。加えて、先生たちの性格や考え方も含め、出題されそうな問題に絞って教えた。
もし中間テストと同じような問題が出れば、90点くらいは取れるだろう。
仮に違う問題出ても、70点は確実に取れるはず。70点を下回ったら、俺の観察結果が間違いだったということになる。そんなことを考えながら教え続けた。
千明が俺の出した問題を解き終わると『疲れたー』と言って、椅子から倒れこむように床に寝そべった。
「今日はこれくらいでいいだろ」
「ありがとうございました」
床に寝ながら、千明はそう答えた。
「はいよ」
すると、急に立ち上がり、俺に質問を投げかけた。
「ところで、ご飯どうするの?」
「自分の家で食べようと思っているが」
「一緒に食べに行こうよ!」
またもや、誘ってきた。
「家に飯が・・・」
「奢ります!」
「よし、今すぐ行くぞ」
「切り替え早っ!」
普段、俺は外食に行かず、家で自炊をしている。
理由は、ある事情によりお金があまりないからだ。でも、誰かが奢ってくれるというなら話は別だ。
俺が自転車で千明を先導して向かったのは、近所のラーメン屋だった。前から一度行ってみたかったので、丁度いい機会だと思ったのだ。
「なんでラーメン屋?」
先ほどまで楽しそうについてきた千明が、不思議そうな顔をしていた。
「食べたい気分だったんだ」
店に入り、席に案内されると、偶然にも隣に駿斗が英単語帳を開いて座っていた。
「よぉ!奇遇だな!」
俺たちに気づいた駿斗が、手を挙げて挨拶してきた。
「おう」
まさかここで会うとは・・・
「千明もいるじゃん。おっす!」
俺の後ろにいる千明にも気づき、挨拶をした。
「・・・こん・・わ」
千明はいつも元気いっぱいなんちゃらマンみたいに明るい性格だ。それが、隣から聞こえた声は驚くほど小さかった。
「どうした?元気ないな」
駿斗は心配そうに千明に問いかけたが、俺は千明が返事をしそうにないと思い、代わりに答えた。
「さっき勉強しててな。かなり疲れているみたいだ」
こうして駿斗に説明したが・・・女子とは、好きな人を前にするとこんなにも変わるものなのか?これが(普通)なのか?ともかく、ここは俺がフォローするしかない。
「そうだったのか。ってことは、お前たちはさっきまで勉強していて、金星が千明に教えていたってことか?」
状況を把握した駿斗が、千明と俺の学力を比較しながら質問してきた。
「当たりだ」
察しがいいのは助かるが、あまりに鋭いと逆に困ることもある。
「まぁお前が頭いいのは知っているからな、あんま無理させるなよ?」
「本人が今こんな感じだからな、次はもう少し軽めにする予定だ」
「ならいい。それと悪いけど、ちょっとお手洗い行ってくるわ」
席を立った駿斗がトイレに向かった。
「分かった」
返事をした俺は、駿斗がトイレに消えたのを確認してから、千明に小声で話しかけた。
「平気か?」
「やばいよ!駿斗君がいるなんて想定外だよ!ねぇどうしよう?一旦、髪と服装を整えに家に帰りたいかも・・・ていうか、金星と一緒にいることがそもそも誤解を生むんじゃ・・・」
「俺が話題を作るから、会話に入ってきてくれ」
千明は心配そうな顔でこくりと頷いた。
「でも、どうしよう・・・話しかけるだけで、もう心臓がバクバクして、まともに声が出ないよ・・・」
顔を手で覆い隠しながら、千明は焦りを抑えきれない様子だ。彼女のこんな姿は見たことがない。駿斗の前では、普段の自分を出せないでいるのが明らかだ。
「緊張しすぎると不自然になる」
千明は一瞬考え込んだ様子を見せたが、しばらくして小さな声で答えた。
「わかってるけど、駿斗君の前だと、どうしても自分が変になっちゃうんだよ」
確かに、さっきの千明はいつもと違っていた。あれだけ明るい彼女が、駿斗の前では別人のようだ。俺が話題を振ることで、少しでもリラックスさせてやる必要がある。
「軽く相槌を打つだけでもいい。それで少しずつ慣れていこう」
「・・・わかった。頑張ってみる」
そう言うと、千明は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出しながら気持ちを落ち着かせようとしていた。俺はこれ以上無理をさせないよう、自然に駿斗との会話が続くような話題を頭の中で組み立て始めた。
「とりあえず、料理を選ぼう」
店員を呼び、ラーメンを注文したところで駿斗が戻ってきたため、俺は二人に話題を振った。
千明は少しずつ会話に参加しようとするが、駿斗の顔を見るたびに途端に言葉が詰まり、また話し始めるのを繰り返していた。
ラーメンを食べながら話を進めていくが、千明の緊張は解けそうにない。
時間が経つにつれて、彼女の顔がどんどん赤くなり、会話ができなくなるのが見て取れた。
幸い、聞かれたとしても『ラーメンが熱いだけだろ』と言うだけで誤魔化せそうだが、駿斗と話すことが限界に近づいているのを感じ、俺はそろそろこの場を切り上げるべきだと判断した。
「あぁ美味しかった。そろそろ遅くなってきたし、俺は帰ろうかな」
横にいる千明に視線を送った。
「わっ、私も・・・」
察した千明も、すぐに同意して返事をした。
「そうだな。明日も学校だし」
駿斗も頷き、お店の人を呼んで会計に向かった。
千明に駿斗の前で奢らせるわけにはいかないと思い、心の中で悔しがりつつも、駿斗を先に会計に行かせて、千明には『奢らなくていい』と伝えた。千明は頷き、俺たちは会計を済ませて店を出た。
「じゃあ俺こっちだから、千明もまたな」
テスト前だから、駿斗も勉強をしたいのだろう。そう言って、帰るそぶりを見せた。
「・・ね」
「本当に大丈夫か?どこか具合が悪いんじゃないか?」
駿斗は最後に、千明の顔を心配そうに覗き込んだ。
「だ、だいじょうぶ」
「わかった。今日は早く寝ろよ」
「俺は千明が心配だから、家まで送り届ける」
「頼むな」
駿斗は軽く手を振り、反対方向に向かって自転車を漕ぎ出した。
「はぁー緊張したー。ねぇ聞いた?私、駿斗君と喋れた!」
「そうだな、よく頑張った」
「でもどうしよう?このままだと緊張して告白できないよ!」
ラーメン屋に滞在していた時間は一時間半ほど。多少は喋れていたと思う。しかし、今の状態では到底告白できるとは思えない。
「今まで駿斗とどうやって接してきたんだ?」
「うーん、自分から話したことも何回かあるけど、あんまり会話が続かないことが多かったかな。駿斗君から話しかけられることは少ないし、今考えると胃が・・・うぅ」
「なるほど」
確かに、二人で話している姿を見たことはほとんどない。
「もう少し時間をくれ、作戦はテストが終わった後に伝える」
「分かった」
その後、軽く話しながら千明を家まで送り届けた。千明が家に入るのを見届けて、俺も自分の家に帰ろうとしたその時、父から電話がかかってきた。
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