第23話 社員慰安旅行が催された

 黄金週間が終わってお中元セールが始まる前のごく短い期間に、CS推進室を初め総務部や教育人事部、財務部や情報管理室など管理本部に所属する社員を慰労する慰安旅行が実施された。それは毎年恒例の社内行事で、今年もまた五月の下旬に一泊二日で挙行された。時代遅れのナンセンスと批判しても会社の決め事に逆らって参加しない訳には行かず、茜もそれほど気乗りはしなかったが、止む無く、本部社員の一員として出席した。

 バス二台を連ねて訪れた先は嘗ての名温泉地である熱海だった。

宛がわれた各々の個室で暫しの休息を摂り、香る名湯で躰と心を癒した後、早速に総務係長の司会で大宴会が始まった。宴会と言っても大広間の座敷ではなくテーブル式のホールで、その辺りは時代の先取りを実践して来た流通小売業中堅の面目を発揮していた。無論、社長や専務は言うまでも無く、その他の重役連中も参加せず、その秘書たちの姿も無かった。気兼ね無く本部社員だけで寛いで来るように、との配慮だったのかも知れない。

 司会者の名指しで挨拶と乾杯に立ったのは茜の所属長である石田室長だった。

「それでは、ご指名により・・・」

正面上座のテーブル席から低いが良く響く声がして挨拶が始まった。

座が静まり返った。

「皆さん、今日はお疲れさん。宴会に当たって多くは語りません。業界の状況や景気の動向は皆さんの良く知っている通りです。明後日から又、より一層の奮闘を期待します」

室長は此処で早々に訓示めいた挨拶を止めて、気さくに言った。

「では、早速に乾杯と参りましょう」

皆が一斉に立ち上がった。

「我がオゾングループの更なる発展と社員の皆さんのご多幸を心から祈って、乾杯!」

「乾杯!」「乾杯!」「カンパイ!」

元気な声、黄色い声、濁った声、疲れた声が宴会場に響いた。茜も一緒にグラスを挙げて唱和した。

 テーブルに並べられた一人ずつのお膳は定番の和食だったが、会場の下手には屋台が設えらえ、その脇にはミニ・ビュッフェも在った。屋台では揚げたての熱つ熱つ天ぷらが食べられ、寿司を握って貰うことも出来たし、ビュッフェにはロースト・ビーフや鴨肉などの洋食系統もあった。

 座はやがて歌になった。

最初は恒例で、石田室長の「椿姫」である。室長の歌は玄人肌質。無論、一曲通して唄うなどと言う節度無きことをする室長ではなく、好みの個所を選んでほんのサビの部分だけ。茜はオペラなどチンプンカンプンながらも、もう少し聞きたいな、と思ったところで万雷の拍手。後はカラオケ大会に流れて行った。

「ねえ、唄おう、唄おう!」

同期に一緒に入社して親しく仲の良い総務部の小畑香織に誘われて、茜も引っ張り出した男二人を加えてカルテットで「ワワワワ~」と合唱。二、三曲続けた後の締め括りに「別れても好きな人」の女性ボーカルを務めた。選曲をしたのは茜自身だった。

「何だ、古くさい歌だな!」

男性社員から意地悪なヤジが飛んだが、茜は遠くアメリカへ旅立った雅也を心に想いつつ「別れても、別れても、好きな人」と情感を込めて唄い上げ、女性社員達からやんやの喝采を受けた。

 

 そうなのであった・・・

茜が楽しく逢瀬を重ね、愉しくベッド・プレイを共にした加藤雅也はこの春、遥か彼方のボストンへ旅立ってしまった。

彼は昨年、アメリカの著名大学が毎年公募する論文に応募してトップ賞を射止め、一年間の留学の為に、この三月下旬に彼の地へ出発した。

 二人の仲は三年にも及んでいた。茜は近頃、この人とこのまま結婚するのかなあ、と思ったりすることもあったのだが、降って湧いたような雅也の突然の留学話でそんな思いは霧消してしまった。雅也は「帰って来るまで待って居てくれ」とは言わなかったし、茜も「待って居るわ」とは言わなかった。

 雅也が旅立つ二日前、二人は、これが最後かも知れない、との切実な思いを抱いて、夜の明けるまで、何度も何度も、飽くこと無く深い愛の交歓に耽った。

二人が心と躰で惜しみ無く互いの愛を伝え合った翌日、雅也は関西空港の国際線ロビーで「じゃあ」と軽く片手を上げて搭乗ゲートへ消えて行った。

茜は、時として、顔も見れないし声も聞けないという、忍び寄る淋しさを感じはしたが、やり切れない孤独感や寂寥感までは覚えなかった。彼女は毎日忙し気に仕事に追われて日々を過ごし、早や二カ月が経過した。

 

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