第20話 「あんたとの思い出があたしを潤してくれているわ」

 翌日、土曜日の朝、健二が目覚めると枕元の時計は既に十時を回っていた。

彼女は未だ眠っていた。顔を少し横に傾げ、唇を半開きにしている。

健二は、起こさないように、そっとベッドを降りてキッチンに向かった。

ハムエッグを焼き、冷蔵庫に在ったキャベツとレタスの刻み置きにドレッシングを合わせ、トースターにパンをセットしてから、躊躇いがちに彼女を揺り起こした。

「そろそろ起きても良いんじゃないか」

眼を開けた彼女はきょとんした表情で健二を見ていたが、慌てて跳ね起きて身繕いを始めた。健二が緞帳のような厚手のカーテンを引くと、陽は中天近くに在った。

「ああ、よく寝たなあ・・・」

彼女は髪の毛に手をやりながら呟いた。

「こんなにゆっくりしたのは久し振りよ。ドヤは煩くてね。ショーがはねた後、毎晩、花札博奕で、酒瓶をどんと真中に置いて明け方までよ。お酒も博奕も嫌いじゃないけど、そう毎晩続いちゃうとねぇ」

 キッチンへ入って来た彼女は、うわ~っ、という表情で驚いた。

「へえ~、毎朝、こんなご馳走を食べているの?」

「そんなことはないよ。いつもはトーストと牛乳かコーヒーだけだ」

「じゃ、今朝はあたしの為に?」

「うん、まあ、そうだな」

「うわ~、嬉しい!感激だわ、有難う!」

彼女は抱き着かんばかりに、満面に嬉しさを表した。

「コーヒーか、牛乳か、何方にする?」

「そうね、じゃ、コーヒーに牛乳を垂らして飲むわ」

二人は笑顔でパンを頬張り合った。

 窓の外は晴れていた。初夏の空が浅葱色に光っていた。

「良い処ね、此処。昨日は、あんたに逢えたし、愉しく一緒に寝たし、最高に幸せな一日だったな」

「いつまで京都に居るんだ?」

「今日の午後に発つわ」

「えっ、今日の午後?後、何時間も無いじゃない?」

健二は余りの忙しなさに驚いた。

「今度は何処へ行く予定だよ?」

「徳島よ。その後、四国四県を廻って、それから、九州へ入るわ」

「そうか、じゃ、もう会えないかも知れないな」

「そうね、もう会えないわね、きっと・・・」

健二の胸に、ふと、寂しい思いが拡がった。

それを見透かすように彼女が言った。

「人生、一期一会。あんたとあたしの縁は、あんたの盲腸が治った時に既に切れていたのよ」

「然し、こうして再会した」

「それは、神様の悪ふざけか悪戯か冗談よ。所詮、二人は棲んで居る世界がまるで違うんだから、こういうものなのよ」

「君は俺の生命の恩人だ。俺は君を生涯忘れることは無いよ!」

「昨日は昨日、明日は明日よ。でも、とても嬉しいわ、有難う」

 程無く、朝食を終えた彼女は腰を上げた。

出口のドアの前で、振り向きざまに、健二の唇に自分の唇をチュッと合わせた。が、強く抱き締めようとする健二の胸を、ダメ、というように両手で押し返した。

「じゃ、さよなら、いつまでも元気でね」

後ろ手にドアを閉めて彼女は出て行き、軽やかな足音が廊下に消えた。

 

 夏の季節が終わり、彼女への思いが薄らいだ頃、健二の元へ一個の重い荷物が届いた。

それは、宮崎の造り酒屋から送られて来た蕎麦焼酎だった。四リッター入りのボトルが四本も入って居た。中にメモ書きが在った。

「あんたとの一夜の思い出があたしを潤してくれているわ」

送り主の名は「渡り鳥 揚羽蝶」となっていた。

健二は碧い高い秋の空を見上げて思った。

彼女は今、どんな思いで九州の地を旅しているのだろうか?・・・

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