第24話 シルフィルスの王宮

 アストレア王国の討伐軍がグレイザムの反乱を収束させた後、セリアンは王国内でのさらなる結束を促すため、各地の士官学校を巡っていた。

 その道中、セリアンと彼の護衛隊は静かな湖畔で一夜を明かすことにする。


 その日の夕方、護衛隊の一部が湖で水遊びを始めた。

 士官学校出身の若い兵士たちは、競泳を始めたり、大きな魚を捕まえようと追いかけたりしている。


 セリアンは湖畔の岩に腰掛け、遠巻きに楽しそうな兵士たちを眺めていた。

 護衛隊のリーダー格であるフィンがセリアンに声をかける。


「セリアン様、どうです? 少し泳いで気分転換されては?」


 セリアンは一瞬、困ったように笑いながら首を横に振る。


「いや、私は遠慮しておこう。身体が重くてね」


 しかし、フィンは屈託のない笑顔で引き下がらない。


「身体が重いなんて、そんなご冗談を。さあ、たまには息抜きも必要ですよ!」


 兵士たちもセリアンを誘い始めた。


「セリアン様も泳ぎの腕を見せてください」

「王族の泳ぎ方、ぜひ拝見したいです!」


 押し切られる形でセリアンはしぶしぶ湖に入ることになった。

 しかし、足が湖底から離れると、急にぎこちない動きになり、明らかに焦っている様子が伝わる。


「ちょ、ちょっと待て。私は泳げないんだ!」


 その一言に兵士たちは一瞬絶句し、次の瞬間には爆笑の渦に包まれる。


「セリアン様、あのセリアン様が泳げないとは!」

「戦場であんなに堂々としているお方が!」


 若い兵士が水の中で大笑いしながら近づき、セリアンを支える。


「セリアン様、それなら最初から言ってくださいよ。無理をする必要はないじゃないですか」


 セリアンは水しぶきを跳ね上げながら息を吐き、照れ隠しに肩をすくめた。


「戦場で必要になるスキルだとは思わなかったんだ。泳げないことがこれほど恥ずかしいとは、今日初めて知った」


 その後、兵士たちはセリアンに簡単な泳ぎ方を教えることになる。

 ぎこちなく泳ぎながらイリス王女の顔がふと脳裏をよぎるセリアン。

 彼女ならどんな顔をするだろうと思いながら、セリアンは心の中で新しい決意をする。


「よし、今度こそ泳げるようになってみせる」


 兵士たちの笑い声が湖畔に響く中、セリアンもまた少しずつ笑顔を取り戻していくのだった。



 湖畔で泳ぎ方を教わってからしばらく経った頃、アストレア王国の使者としてセリアンはパルテシア王国を訪れることになった。

 シルフィルスの宮廷で王政について話し合った後、イリス王女が彼を庭園の池へと誘う。


「セリアン様、少し息抜きにお付き合いください」

「それは構いませんが、池で何を?」


 イリスは静かに微笑みながら池の方を指さす。


「先日の湖畔で泳げないと聞いたので、少しだけ稽古をつけて差し上げましょう」


 セリアンは驚いて眉を上げた。


「どうしてその話を知っているのですか?」

「兵士たちの間では有名な話ですよ。あのセリアン様が湖で溺れかけたと」


 セリアンは苦笑しながら頭をかいた。


「はは、恥ずかしい限りです。それにしても、パルテシアの王女から直々に泳ぎを教わるとは思いませんでした」

「大事な外交の要人が水辺で命を落とすわけにはいきませんから。王女としての務めです」


 イリスは少しも冗談めかした様子はなく、真剣な表情でセリアンを促す。

 池の縁に座った彼女は、長い髪を結び直しながら続けた。


「それに、泳げるようになるというのは単に技術を身に付けるだけではありません。心の余裕や、未知の恐怖に立ち向かう力を養うことでもあります」


 セリアンはその言葉に心を打たれたように黙り、池の縁に立つ。

 彼女の指示に従いながらゆっくりと水に入っていく。

 最初は不安そうな表情だったが、イリスの落ち着いた声に導かれるように、次第に身体の力が抜けていった。


「その調子です。焦らずに、呼吸を合わせて」


 彼のぎこちない手足の動きに、イリスは微笑みを浮かべる。

 やがて、セリアンが自分で浮かぶことに成功すると、彼女は静かに拍手した。


「ほら、できましたね」


 セリアンは胸を張りながら言った。


「王女からの直々の指導があれば、どんな恐怖も克服できますよ」


 しかし、イリスはその言葉に冷ややかに笑い、ぽつりと返した。


「それはどうでしょうか。恐怖を克服するのはあなた自身の意志です。私がしたのはほんの手助けにすぎません」


 その言葉にセリアンは真剣な表情でうなずいた。


「確かに、その通りですね。あなたの冷静さには感心させられることが多いです」


 二人の会話は次第に打ち解け、穏やかな雰囲気に包まれた。

 夕暮れ時、セリアンが水から上がり、髪を拭いていると、イリスがぽつりと言った。


「セリアン様、私はあなたが何かを克服する姿が好きです。王族としてではなく、一人の人間として」


 セリアンは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。


「イリス王女。あなたもまた、私が目指す目標です」


 その日は、二人にとってただの水泳の稽古ではなく、お互いを知り、信頼を深める一歩となった。



 玉座の間に入ると、そこには柔和な笑みを浮かべたロセルス王が座っていた。

 白髪混じりの頭髪と穏やかな目元が、まさに好々爺の風貌そのものだ。


「おお、これがアストレア王国の若き英雄、セリアン殿か!」


 ロセルス王の声は朗らかで、心からの歓迎を滲ませている。

 セリアンは深々と頭を下げた。


「ロセルス陛下、貴国の温かいおもてなしに心より感謝いたします。遠路を訪れる価値があるほど、素晴らしい国でございます」


 その言葉にロセルス王は目を細めて笑いながら応じた。


「ははは、若いのに随分と口が達者じゃのう。まあ、そう褒められると悪い気はせんがな。わしはただこの国の民たちが作る幸せを守っとるだけじゃよ」


 その率直さに、セリアンも少し口元を緩めた。


「民の幸せを守るために尽力される陛下の姿勢に、心より敬意を表します。その姿を少しでも学びたいと存じます」


 ロセルス王は嬉しそうに大きく頷いた。


「学ぶとはまた偉い心がけじゃ、若い者が向上心を持つのは。そうじゃ、お前さん、何か好きなものはあるか。わしの庭で採れた果物でも贈ろうかの?」


 その唐突な申し出に、セリアンは少し困惑しながらも笑顔を浮かべた。


「お心遣いありがとうございます。ですが、それよりも、この国の民の幸せの秘訣を教えていただければ、それ以上の贈り物はありません」


 その言葉に、ロセルス王は大きな声で笑った。


「ほっほっほ、実に立派なことを言うのう、わしの秘訣は簡単じゃ。笑顔と感謝のひとこと、それだけよ!」


 広間にいた廷臣たちもつられて笑い声を上げる。

 セリアンは深く一礼し、穏やかな口調で答えた。


「そのお言葉、肝に銘じます。笑顔を忘れず、民の幸せを支えるために、私も努力を続けて参ります」


 ロセルス王は満足げに目を細め、セリアンを見つめた。


「うむ、なかなかええ若者じゃのう。これからも、隣国同士、仲良くやっていこうではないか」


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