第23話 ルナリス村への帰還

 丘を越えると、見覚えのある景色が目の前に広がった。

 小さな家々が点在するルナリス村。

 青々とした草原が広がり、遠くには穏やかに煙をあげる煙突がいくつも見える。


「帰ってきた……懐かしいな、この風景」


 ヒッキーが小さくつぶやいた。


 レイラは微笑みながら村を見下ろしていたが、やがてヒッキーの方に顔を向けた。


「ここがあなたの居場所ね」

「そうだな」


 ヒッキーは少し照れくさそうに頭を掻いた。


「でも、お前ももうここの一員みたいなもんだろ?」


 二人が村の入り口に差し掛かると、早速誰かが気づいた。

 荷物を抱えたクローネだ。


「おお、ヒッキーさんじゃないですか。レイラさんもおかえり!」


 クローネが声を張り上げて駆け寄ってきた。


「ただいま。預かり所はどうだった?」

「ラフィアさんがしっかりやってくれていますよ。でもまあ、やっぱりヒッキーさんがいないと少し物足りないですね」


 ヒッキーは苦笑いしながら肩をすくめた。


「すぐに立て直すよ。俺には預かるべき荷物が山ほどあるからな」


 その言葉にレイラも思わず笑みをこぼした。


「じゃあ、そろそろ帰って再出発ね」


 二人は村の懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、荷物預かり所へと歩き出した。



 ヒッキーとレイラが村に戻ると、荷物預かり所は立派に運営されていた。

 ラフィアが管理していた預かり所は、倉庫が新設され、帳簿の管理も整然としており、村人たちから信頼を得ていた。


「どうです、ヒッキーさん。私、頑張っていますよ」


 ラフィアは自信に満ちた表情を見せる。


 ヒッキーは感心しながら看板を見上げた。

 そこには以前と変わらない「ヒッキー荷物預かり所」の看板が掛けられていた。


「看板は変わってないんだな」

「ええ。それだけは守りたかったんです」



 しかし、村の様子はどこかぎこちなかった。

 聞けば、クラリスを連れて行った商人、シェイドが村で大規模な商業施設を立ち上げ、次々と事業を拡大しているという。

 村人たちはシェイドの力に依存しつつも、その影響力の強さに不安を抱いていた。

 そして次にシェイドが目をつけたのは、ヒッキー荷物預かり所だった。


 シェイドがヒッキーの元を訪れ、冷笑を浮かべながら言う。


「久しぶりですね、ヒッキーさん。預かり所なんて小さな仕事をまだ続けていたとは」

「何の用だよ」

「あなたの預かり所を買収しようと思いましてね」


 ヒッキーは目を細めて答えた。


「お断りだ」


 シェイドは肩をすくめた。


「そうですか。でも時代は変わりましたよ、ヒッキーさん」



 その数日後、村の中心に「シェイド保管所」という新たな預かり所が建設された。

 看板は大きく、豪華な装飾が施され、目を引く作りだった。

 シェイドは村人に呼びかけ、宣伝を始めた。


「皆さん、ここでは小銀貨1枚よりもさらに安い料金で、大切な荷物をお預かりします!」


 安さに惹かれた村人たちは次々とシェイド保管所を利用するようになり、ヒッキーの預かり所は次第に閑散としていった。

 やがて、配達人のクローネさえも村人たちに頼まれ、シェイド保管所を利用することが増えた。



「ヒッキー、これで本当に大丈夫なの?」


 レイラが預かり所で書類を片付ける手を止め、心配そうに尋ねた。


「村の人たち、どんどんシェイドの方に行ってるわよ」


 ラフィアも真剣な顔でうなずく。


「私たちがどれだけ努力しても、値段には勝てません」


 ヒッキーは読んでいた本を閉じて椅子に座り直した。


「勉強する時間が増えたんで、俺はむしろ嬉しいくらいだよ」

「でも、このままじゃ預かり所が潰れちゃうかも……」


 ラフィアの声に、ヒッキーは小さく笑った。


「俺たちはただ、目の前の仕事をしっかりやって村人の信頼を裏切らないようにするだけだ」



 ある日、村人の一人がシェイド保管所に大きな木箱を預けた。

 その荷物にはゼリナード王国のアルディス王からの重要な書簡や贈り物が含まれていた。

 村人はシェイド保管所の安さに惹かれ、そこに預けることを選んだのだ。

 しかし、ある夜、保管所の管理が甘かったのか、荷物の一部が紛失したことが発覚した。



「ヒッキーさん」


 シェイドが突然預かり所に現れた。


「なんだ、また買収の話か?」


 ヒッキーが冷静に尋ねる。


「いやいや、実は困ったことになりましてね。ある大切な荷物が失われたんです」


 シェイドはわざとらしく眉をひそめた。


「それが俺に何の関係がある?」

「荷物を紛失したのは、以前に一度預かった事のあるあなたのせいだという噂が立っているんですよ」


 ヒッキーはシェイドをじっと見つめた。


「なるほど、お前がその噂を流してるわけか」


 シェイドは肩をすくめた。


「証拠がなければ、噂を否定するのは難しいでしょう?」


 ヒッキーは静かに立ち上がり、冷静な声で答えた。


「なら、事実を確かめてやるさ。俺の預かり所の仕事ぶりが疑われるなら、それを証明するだけだ」



 村中に噂が広まり、ヒッキーの預かり所に非難の目が向けられ始めた。

 ラフィアは怒り、レイラも不安を隠せない。


「ヒッキー、まさかこちらには責任がないわよね?」

「もちろんだ」

「それなら、どうするの?」

「俺のやり方で対処する」


 ヒッキーは静かに微笑んだ後、椅子に座り直してレイラとラフィアに向き直る。


「まずは状況を冷静に整理しよう。シェイドの預かり所で紛失した荷物、それがどんなものだったかを知る必要がある」


 ラフィアが少し眉をひそめる。


「でも、シェイドがそんな情報を私たちに教えてくれるでしょうか?」


 ヒッキーは指を軽く立てた。


「だからこそ、村の人たちに話を聞くんだ。荷物を預けた村人が誰なのか、その人に直接会ってみる」



 ヒッキーは村の広場に行き、さりげなく村人たちと話を交わしながら情報を集めた。

 しばらくして、重要な荷物をシェイド保管所に預けたのが村の長老格のガルネスであることを突き止めた。


 ヒッキーはガルネスの家を訪れ、尋ねた。


「ガルネスさん、シェイドの保管所に預けた荷物について詳しく教えてもらえませんか?」


 ガルネスは少し躊躇したが、やがて答えた。


「ゼリナード王国からの贈り物が入った箱だよ。王国から村へ届けるように頼まれたんだが、シェイドの方が安いと言われて、つい……」

「中身は具体的に何です?」

「貴重な宝石と手紙が入っていた。王国の紋章が刻まれた重要なものだ」


 ヒッキーは静かにうなずいた。


「それで、その荷物がなくなったと?」


 ガルネスは苦しげな表情を浮かべる。


「正確に言えば、一部が破損していた。以前、あんたの所に預けた時には何も間違いが起こらなかったのに……」



 ヒッキーは預かり所に戻り、ラフィアに指示を出した。


「ガルネスさんの話を元に、ゼリナード王国から預けられた荷物を調べる。俺たちが保管した時の記録がどこかにあるはずだ」


 ラフィアが帳簿を見ながら叫んだ。


「これです。この箱、以前に一度、ヒッキー預かり所に預けられていました!」


 帳簿にはゼリナード王国の紋章が刻まれた木箱が記載されていた。

 そして、ヒッキーの預かり所では、それを一切損傷なく返却したことも記録されていた。


 ヒッキーは納得したように頷く。


「つまり、その箱の中身についての詳細を俺たちは知っている。宝石は特定の形状で、紋章付きの手紙も独特な紙を使っている。それをシェイドに突きつければ、どうしようもなくなるだろう」



 ヒッキーはラフィアを伴い、シェイドの保管所を訪ねた。


「ヒッキーさん、何の用です?」


 シェイドは表面上は余裕を見せていたが、どこか焦りの色が見える。

 ヒッキーは静かに切り出した。


「紛失した荷物についてだ。俺たちにはその荷物の詳細な記録がある」

「記録?」

「そうだ。ゼリナード王国からの贈り物がどんなものだったか、俺たちは以前に預かった際にしっかり確認している」


 シェイドの顔色が変わった。

 ヒッキーは続ける。


「宝石の形状や手紙の紙質、封印の状態まで、すべて把握している。今、その詳細が合致するかどうかを確認させてもらおう」



 シェイドの前でヒッキーは木箱の記録と荷物を詳細に確認した。

 すると、ふとあることに気づいた。


「この箱、紋章の位置が違っているな」


 シェイドはぎこちなく笑いながら応じた。


「いや、そんなことはないでしょう。たまたまズレたんじゃないですか?」


 ヒッキーは目を細めた。


「では、中身の宝石の形状を確認させてもらおう」


 シェイドが渋々箱を開けると、記録にあったはずの特定の宝石が1つ欠けていることが判明した。


 そのとき、ラフィアがすっと手を挙げた。


「そういえば、保管所の裏手にある納屋に、最近シェイドさんが荷物を運び込んでいるのを見かけました。そこに宝石が隠されている可能性があるのでは?」



 ヒッキーと村人たちがシェイド保管所の納屋を調べると、床下から問題の宝石が出てきた。

 宝石には、ゼリナード王国の紋章が刻まれており、紛失したものと完全に一致していた。


 村人たちが息を呑む中、ヒッキーは静かに告げた。


「これが、すべてを物語っている」


 シェイドは顔を真っ赤にしながら反論する。


「それは私のせいじゃありません。 誰かが勝手に持ち込んだんです!」


 しかし、納屋で発見された箱には、シェイド保管所の管理印がしっかりと押されており、シェイドが管理していた荷物であることが明白だった。


 村人の1人が言った。


「シェイド、お前が管理していた荷物から宝石がなくなり、しかも自分の納屋に隠されていたんだ。これで言い逃れはできないぞ」


 シェイドは言葉を失い、その場に立ち尽くした。


 ヒッキーはシェイドを責めることなく、村人たちに語りかけた。


「荷物を預かるということは、同時に信頼を預かるということなんですよ」


 ヒッキーはシェイドに向き直った。


「シェイド、お前にはがっかりだ」


 シェイドが驚いた顔でヒッキーを睨む。


「何を言うんですか!」


 ヒッキーは一歩前に進み、真剣な目でシェイドを見つめる。


「俺を完膚なきまでに屈服させたあのシェイドはどこにいったんだ?」


 シェイドは視線を落とした。


「俺はお前を信じていたよ、クラリスを託せる男だと思って」


 ヒッキーの声は低く、しかしはっきりと村人たちの耳に届いた。


 シェイドは黙り込んだ。

 ヒッキーの言葉が、静かに彼の胸をえぐっていた。


「あなたを……」


 視線をそらしながら、シェイドは自嘲気味に笑った。


「がっかりさせましたね、ヒッキーさん。自分の利益だけを考えて、大切な事を見失っていました」


 村人たちはざわつき、ヒッキーは黙って次の言葉を待っていた。


「でも、私にはクラリスがいます。彼女だけは……がっかりさせたくない」


 シェイドは拳を握りしめ、ヒッキーを見つめた。

 ヒッキーはしばらく無言だったが、やがて小さく頷いた。


「ならやり直せ、一から」


 シェイドは肩を落としながらも微かに笑い、自嘲気味な声で答えた。


「そう簡単にはいかないでしょうね」


 そう言ってその場を立ち去るシェイドの背中を見ながら、ヒッキーはつぶやいた。


「いつかもう一度、俺のヒーローになってくれよ」


 シェイドは苦笑いしながら片手を上げた。


 その姿が見えなくなった後、ヒッキーはふっと息をついて看板を見上げた。


「俺にはまだまだ預かる荷物が沢山あるんだ」


 その声には、これまで以上に力強い自信があった。



 その後、シェイドは村で展開していた事業を縮小し、信頼できる村人たちに譲渡することになった。

 村を出て行ったシェイド自身も新たな道を歩む準備を進めている……そんな噂がヒッキーたちのもとに届いた。


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