第20話 パルテシア王国
その日の午後、ヒッキーとレイラは王宮を後にした。
ソラリアの広場で馬車に乗り込む前、二人は振り返って王宮を見上げた。
「長い旅だったな」
ヒッキーが呟く。
レイラは空を仰ぎ、遠くの雲を見つめていた。
「そうね。でも、まだ終わりじゃないわ」
「そうだな。ルナリス村に戻っても、また何か起きる気がするよ」
「まあ、そういうところがいいんじゃない?」
レイラは軽く笑った。
馬車が走り出し、ソラリアの美しい城壁が徐々に遠ざかっていく。
二人の旅は、次の章を迎えようとしていた。
ルナリス村へと戻る旅の途中、ヒッキーとレイラはパルテシア王国の首都、シルフィルスを通過することとなった。
広大な城下町を進む馬車の窓から、美しい石畳の道と華やかな市場が見える。
「ここがパルテシア王国か。なかなか賑やかだな」
ヒッキーが外を見ながら呟いた。
「そうね。でもこの国は平和とは言いがたい場所でもあるのよ」
レイラが冷静に答える。
「どういう意味だ?」
「内紛の火種がくすぶっているの。政治も一枚岩ではないらしいわ」
その時、馬車が突然止まった。
兵士が馬車の前に立ち塞がり、厳しい声で言った。
「王宮への立ち入りを許可された者以外、これ以上の進入はできない」
「許可は得ていないけれど、道を通るだけなら構わないでしょう?」
レイラが冷ややかに答える。
兵士が返答に困っていると、背後から静かな声が響いた。
「その者たちは通してもよい」
振り返ると、銀色の髪を持つ女性が馬にまたがっていた。
その存在感は静謐でありながら圧倒的だった。
「あなたは?」
ヒッキーが尋ねると、彼女は答えた。
「私はパルテシア王国の王女、イリス」
イリスはヒッキーとレイラをじっと見つめた。
その双眸は冷たく澄みきっており、相手の内面を見透かすような鋭さがあった。
「あなたたちの旅の目的は?」
レイラが一歩前に出る。
「私たちはルナリス村に戻る途中です。ですが、王女が私たちに興味をお持ちとは意外ですね」
イリスは一瞬だけ目を細めた。
「興味というより観察ね。この国を通る者は、王家の目を逃れることはできない」
その言葉にヒッキーはたじろぎながらも言った。
「俺たちは怪しい者じゃないよ。ただの旅人だ」
「怪しい者ほどそう言うものよ」
イリスの返答は冷たく鋭かったが、その唇にわずかな微笑が浮かんでいた。
「あなたたちの旅には危険が伴うでしょう。それでも進むのですか?」
イリスが尋ねた。
レイラは即答する。
「もちろん。それが私たちの選んだ道だから」
イリスは静かに頷いた。
「そう。自分で選んだ道ならば、その覚悟があるのだろう。だが、忠告はしておく。この国を離れる時、もう一度周囲を確認することだ。目に見えない危険が潜んでいる」
別れ際、イリスは再び馬に跨り、冷ややかな表情で二人を見下ろした。
「あなたたちの旅が無事であるよう祈るわ」
ヒッキーは思わず言った。
「王女がそんなこと言うんだな」
イリスは微かに笑ったが、その笑みはどこか寂しげだった。
「王女でも祈ることくらいはできるわ。だが、それ以上のことをするならば……私は剣を取る」
それだけ言うと、彼女は静かに馬を進め、群衆の中に消えていった。
ヒッキーとレイラはシルフィルスに足を踏み入れた途端、その街全体に漂う独特の雰囲気に圧倒された。
木造の建物が多いソラリアや華やかなエレシアとは一線を画し、シルフィルスの街並みは黒い石材を基調としており、どこか無骨でありながら機能美を感じさせた。
「随分と落ち着いた感じの街だな」
ヒッキーが感想を漏らす。
「ここは商人の都とも呼ばれているの。装飾を重視する他の首都とは違って、実用性が優先されているのよ」
レイラが応える。
街の中心にそびえる高い時計塔が、時を告げる重厚な鐘の音を響かせる。
その音に導かれるように2人は市場へ向かった。
市場では、さまざまな言語が飛び交い、異国情緒にあふれていた。
商人たちが大声で商品の魅力を叫び、客たちは値段交渉に熱を入れている。
「ここは、まさに商業の中心地だな」
ヒッキーは目を輝かせて歩き回る。
見たことのない形のランプや、鮮やかな染料の入った壺、香辛料の香りが立ち込める店など、どれも新鮮で目を引くものばかりだ。
「でも、油断しちゃダメよ」
レイラがさりげなく耳打ちする。
「この街には詐欺師やスリも多いの。気をつけて」
ヒッキーが財布を確かめると、隣の店主がニヤリと笑った。
静かな夜の街、シルフィルスの広場でヒッキーとレイラは屋台で出されたシンプルな食事を楽しんでいた。
星明かりがテーブルを淡く照らし、軽やかな音楽がどこからか流れてくる。
そんな穏やかな時間に、遠くから聞き覚えのある声が耳に届いた。
「……だからさ、クラリスさん、大変らしいよ。お父さんが亡くなった後、ずいぶん参ってるみたいで」
ヒッキーはハッと顔を上げた。
その声の主は、ルナリス村からの知り合いで、たまたま近くのテーブルで話していることに気づく。
隣に座るレイラもそれに気づき、耳を傾けた。
「そうなの? シェイドさんがそばにいるんでしょ」
「いるにはいるけど、精神的なものはどうにもならないんじゃないかって話よ。お金はあっても、心は別だからね」
「でも、シェイドさんも必死みたい。仕事を増やして、クラリスさんを支えてるんだとか」
その言葉にヒッキーは眉をひそめた。
目の前の食事にも手をつけず、思わず視線を下に落とす。
「知り合いの話?」
レイラが興味深げに尋ねる。
ヒッキーは少し間を置いてから短く答えた。
「ああ、昔の話さ。でも、俺がどうこう言える立場じゃない」
レイラは彼の表情を見つめながら、優しく笑った。
「でも、気にしてるんじゃない? あんた、優しいからね」
ヒッキーはその言葉にかすかに肩をすくめたが、答えなかった。
再び食事に戻ろうとしたところ、ルナリス村から来た知り合いが気づいて声をかけてきた。
「おや、ヒッキーじゃないか。こんなところで会うなんて珍しいな!」
驚きつつも再会を喜ぶヒッキーと知り合い。
会話の中で、クラリスやシェイドの近況がさらに詳しく語られる。
シェイドが村の事業を大きく広げ、クラリスを支えようと懸命に努力していること。
そして、クラリスが落ち込んでいるものの、周囲の人々に助けられてなんとか持ちこたえていることを知る。
別れ際、レイラがそっと言った。
「大変そうね」
ヒッキーは答えず、静かにうなずいた。
シルフィルスの夜空に、遠いルナリス村の風景が頭に浮かんでいた。
食事を終えると街の様相は一変していた。
昼間の活気に満ちた市場とは異なり、石畳の路地は薄暗く、行き交う人々も少なくなる。
「街灯が少ないな」
ヒッキーが呟く。
「ここでは無駄を省くのが美徳なのよ」
レイラの説明に耳を傾けながら、2人は宿に向かった。
宿は簡素な造りでありながら清潔で、部屋には最低限の家具が並ぶのみだった。
「ここも無駄がないな」
ヒッキーがベッドに腰掛けながら苦笑した。
「でも、きちんと眠れるベッドがあるだけで十分でしょう?」
翌朝、2人はシルフィルスの中心にある王宮を見学した。
シルフィルス城は、他国の王宮と比べると装飾が少なく堅牢そのものだった。
その分、城壁の高さや厚みが威圧感を与え、戦乱の世を生き抜いてきた歴史を感じさせる。
「まるで要塞だな」
ヒッキーが感想を漏らす。
「そうよ。この城は戦争の時代に築かれたものだから、どの部分も防御を重視しているの」
城の中庭では訓練中の兵士たちが槍を手にして気合の入った声を出していた。
「エレシアの賑わいとも、ソラリアの華やかさとも違う。ここは実用主義の国のようだ」
レイラは満足そうに頷くと「でも、こういう強さも必要だと思わない?」と静かに付け加えた。
シルフィルスの街を出発する朝、ヒッキーとレイラは市場で最後の買い物を済ませ、港へ向かっていた。
道端には早朝の賑わいが広がり、商人たちが新たな商売の準備をしている。
「まるで何事もない平和な朝だな」
ヒッキーは市場の喧騒を眺めながら呟いた。
レイラが淡々と応える。
「でも、気を抜くのは早いわ。イリス王女の警告を忘れないで」
その言葉が現実になるのは、港へ向かう途中の狭い路地だった。
2人が路地を歩いていると、後ろから足音が聞こえた。
振り返ると、粗末な布をまとった男たちが数人、怪しげな目つきで彼らを見つめていた。
「おいおい、何か嫌な感じがするな」
ヒッキーは声を潜めて言う。
レイラも背後をちらりと見ながら呟く。
「明らかにこっちを狙ってるわね」
路地を進むたびに、男たちは徐々に距離を詰めてきた。
そして路地を抜けた先、港へ向かう大通りに出る寸前で、前方にも同じような風貌の男たちが立ち塞がった。
「挟まれたな」
ヒッキーは短く言った。
リーダーらしき男が口を開く。
「おい旅人、持っているものを全部置いていけ。それとも命を捨てるか?」
ヒッキーが静かに構え、レイラは周囲を見渡して素早く状況を把握する。
「ヒッキー、右の道が少し開けてるわ。そこから抜けられるかも」
「了解。けど、こいつらの間を突破しないといけないな」
男たちは武器を抜き、じりじりと迫ってきた。
リーダーが鋭いナイフを持ち、目の前に立ちはだかる。
ヒッキーが一瞬の隙を突いてリーダーの腕を掴み、そのナイフを路地の隅に弾き飛ばした。
すると、他の男たちが一斉に襲いかかってきた。
2人が防戦しながら右側の道へ飛び込もうとしたその時、通りの向こうからひとりの女性がゆっくりと歩いてきた。
冷たい目つきで場を見渡すその姿は、イリス王女そのものだった。
「危険は警告したはずよ」
彼女は静かに言い放ち、手に持った小さな金属製の笛を吹いた。
その音色に応じるように、四方からパルテシア王国の兵士たちが現れた。
瞬く間に男たちを取り囲み、拘束していく。
ヒッキーが驚きながらイリスに尋ねる。
「こんな早くに兵士たちが来るなんて、どういうことだ?」
イリスは微かに口角を上げて答える。
「この町には常に監視の目があるの。あなたたちを見守るよう手配しておいただけよ」
レイラが感謝の意を込めて頭を下げる。
「ありがとうございます、イリス王女」
「礼には及ばないわ。レイラ王女」
レイラが驚いて顔を上げた。
「パルテシア王国であなた方の身に何かあったら、アストレア王国と事を構えることになってしまう。それだけは絶対に避けなくてはならないわ」
イリスは静かに続けた。
「それに、こういう危険は旅をする者には常に付きまとうものよ。今後はもっと注意を払うことね」
解放された2人は船に乗り込み、シルフィルスを後にした。
甲板の上で、ヒッキーがしみじみと呟く。
「イリス王女って、すごいな。あの冷静さは何なんだ」
レイラが微笑みながら言った。
「パルテシアの国を守るために、彼女は常に最善を考えて行動しているのよ。それが王族の責務というものね」
船が港を離れ、シルフィルスの街並みが次第に遠ざかる。
2人は次の目的地、ルナリス村を目指して再び新たな冒険の旅に出るのだった。
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